皇室の血脈
「それじゃあ、改めて作戦を立てましょう」
張り切った様子のイリスを見て、メフィストは知らず口角を上げた。
「まずは状況確認よ。サタンフォードと帝国に関わるこの秘密の歴史が、帝国側にどこまで知られているか。それによって交渉の方法も変わってくるわ。ちなみにあなたはこの件でミーナに会ったって言ってたわよね? 両国間の繋がりについては話したの?」
「してないよ。こんな重要な国家機密をそう易々と他人に話すわけないだろう。君だから話したんだ。ミーナに話したのは、サタンフォードの帰属について興味があれば力を貸して欲しいって言っただけだ。その結果牢獄に入れられたわけだけどね」
エセ聖女のことを思い出して、メフィストが肩をすくめる。
「じゃあやっぱり、問題は皇帝ね」
イリスは考え込みながら指先で机を叩いた。
「皇太子のエドガーはどうでもいいわ。あの人、あんまり頭が良くないもの。この話をしたって半分も理解できないわよ。ただ、皇帝はサタンフォードの件を把握している可能性があるわよね?」
「どうだろうな……。大公家が帝国とサタンフォードの繋がりを知ったのは、幸運にもとても優秀な学者達の協力を得られたからだった。皇室側の調査がどこまで進んだのかは不明だ。けど、現皇帝がサタンフォードを目の敵にしているのは確かだ。サタンフォードに対するあの態度を見ると、サタンフォードを恨んでいるように思えなくもない」
メフィストは、過去の外交で散々サタンフォードに言い掛かりをつけてきた皇帝を思い出して溜息を吐いた。
「……どちらにしろ皇帝はきっと、中途半端な帰属なんて納得しないでしょうね。"呪われし者"とサタンフォードの仕組みを知らなかったとしても、かつてのようにサタンフォードから枯れるまで国力を搾り取ろうとするはずよ」
そこでイリスはふと、改めて帝国の勢力図を思い浮かべた。
「現帝国で皇帝を止められる地位にあるのは聖女の私くらいね。皇后陛下も他の皇族も亡くなられてしまって、今の皇室に残っているのは皇帝と皇太子のみ。神殿で権力を持つ大神官は皇帝の側近だし……」
ブツブツと考えながら話すイリスの声を聞いて、メフィストは首を傾げた。
「そういえば、帝国の皇室は直系以外が存在しないな。僕はその辺の事情をよく知らないんだが。いったい何があったんだ?」
「皇室の事情だから、詳しくは知られていないのだけれど……数代前の皇帝が帝位につく際、激しい権力争いがあったそうよ。その次の代でも似たようなことがあって、互いに毒殺し合ったり、告発による粛清があったり。とにかくここ数代の皇室は血みどろの争いが続いたのよ。そして気付けば皇帝位についた勝者が敗者を粛清するっていう慣例ができてしまったの」
「じゃあ、今の皇帝もその熾烈な権力争いを経て帝位についたのか?」
「ええ、そうよ。だから油断は禁物。ああ見えて抜け目のない人なのよ」
イリスの言葉に、メフィストは呆れた目をした。
「元を辿れば僕も帝国皇室の血を引いているんだが、この国の皇族は本当にどうしようもないな。互いに牽制し合い殺し合った結果、現皇族がたった二人だなんて。国力の衰退より、皇室の崩壊の心配をした方がいいんじゃないか?」
「私も同感よ。だけど、これはチャンスだわ。現皇帝さえどうにかすれば、あと残るはエドガーだけですもの。他の皇族がいない今、サタンフォードの帰属問題を円満に解決するためには絶好の機会だと思うわ」
「確かに。僕にとっては好都合ではあるな」
「一度、皇帝に探りを入れてみたいわね。何をどこまで知っていて、サタンフォードをどう思っているのか。何かいい方法はないかしら……」
イリスが再び地図に目を走らせていると、メフィストが急に立ち上がった。
「どうしたの?」
「……誰かが向かって来ている。これは片付けよう」
イリスが広げた地図をメフィストが片付けたところで、部屋にノックの音が響いた。
「イリス様、こちらにおいでと伺い、参りました。実は折り入ってご相談があるのですが……」
やって来たのは大神官だった。イリスが前に出る。
「あら、でしたらここで伺いますわ。どうぞ中に入って下さいませ」
部屋の主人であるメフィストに許可も取らず大神官を招き入れようとするイリスの美しい微笑みに、大神官は戸惑った。
「ですがイリス様。ここは大公子殿下のお部屋ですし……」
「私は構いませんよ」
イリスの横から顔を出したメフィストが、美麗な顔で微笑む。聖女と大公子の美の圧に耐え兼ねた大神官は、諦めて室内に足を踏み入れた。
「そ、それではお言葉に甘えて失礼致します……」
通された部屋で大神官がソファに座ると、その向かい側にイリスとメフィストが並んで腰掛けた。どう見ても一緒に話を聞く態勢の隣国の大公子へ、大神官が苛立ちを隠しながら引き攣った笑みを向ける。
「大公子殿下、失礼ですが私はイリス様に内密のご相談がございまして……」
「そうですか。どうぞ私のことは気になさらずお話し下さい」
美麗な笑みと丁寧な物腰とは正反対に全く話の通じない大公子。いっそ憎らしいほど綺麗なその顔を見て、大神官の額に青筋が浮かぶ。そんな大神官に、イリスが声を掛けた。
「猊下、彼のことは本当にお気になさらないで。私と離れられないだけなのです。どうぞこのままお話し下さい」
そしてそのままメフィストの手を握ると、メフィストもまたイリスの手を握り返した。昨夜に引き続き甘々のバカップルぶりを見せ付ける二人に、皇帝から話を聞いていた大神官は遠い目をして頭を抱えた。
「オホン。では失礼して。イリス様にご報告とお願いがございます」
「何ですか?」
「実はイリス様が聖女として目覚められてから、各地で"奇跡"の報告が相次いでおります。ミーナの時とは比べ物にならない量で、西部のラナーク領にまで雨が降りました。国民は真の聖女であるイリス様を讃え、心より崇拝しております」
「……そうですか。今のところこのルビー眼以外はあまり自覚がないのですが」
「力をお使いになるうちに、自らの神聖力の凄まじさに気付かれることでしょう。して、お願いというのは、ミーナが行うはずだった、収穫祭の祭司を務めて頂きたいのです」
毎年聖女が執り行う儀式を思い出し、イリスは頷いた。
「はい。謹んでお引き受け致しますわ」
「ありがとうございます。では後日、打ち合わせをさせて頂きます」
「ご苦労様ですわね。宜しくお願いします」
これで終わりかと思ったところで、イリスは大神官の様子がおかしいことに気付いた。話は終わったはずなのに、一向に動こうとしないのだ。
「大神官猊下? まだ何かおありですの?」
「それが……」
大神官は、メフィストをチラチラと見ていた。メフィストの前では言いづらい話なのだと察したイリスは、より深くメフィストに凭れた。
「彼のことはお気になさらずと申し上げたはずですが? まだ何かおありなのでしょう?」
一瞬だけ気まずそうな顔をした大神官が、意を決したように顔を上げた。
「……では遠慮なく言わせて頂きますが。イリス様、昨夜はエドガー皇太子殿下の求婚のお申し出を断られたと伺いましたが、本当でしょうか」
その言葉で大神官が何を言いに来たか悟ったイリスは、ルビー眼を細めて堂々と頷いた。
「はい。殿下はあんなに愛し合っていたミーナと夫婦になられたばかりですもの。お断りして当然ですわ」
「イリス様! 歴代の聖女様は、いずれも皇族の血筋のお方と婚姻されてきました。そうすることで、皇室と聖女様の聖力が結び付き、衰えゆく帝国の力を繋ぎ止めてきたのです。エドガー殿下はイリス様を愛しておられましたが、偽聖女に騙され仕方なくミーナと婚姻してしまいました。きっとすぐにでも離縁なされるはずです。その時はイリス様も歴代の聖女様に倣い、皇室の血筋を伴侶にするべきでございます!」
暗にエドガーと婚姻するよう迫る大神官に、イリスは先程のメフィストとの会話を思い出し、いいことを思い付いたとばかりに満面の聖女の微笑を向けた。
「あら。それでしたらいい方法がございますわ! こちらにいらっしゃるメフィスト様のご先祖は、かの有名な初代サタンフォード大公です。その血筋の源流は帝国皇室でいらっしゃるわ。つまり、メフィスト様も皇室の血筋を引いていらっしゃるということ。私とメフィスト様が結ばれれば全て解決じゃないかしら」
無邪気にそう答えたイリスに、大神官は顔を青くした。
「な、何を仰いますかイリス様!?」
悲痛に叫ぶ大神官を見て、メフィストは吹き出しそうになるのを堪えながらイリスの肩に手を置いた。
「私はとてもいい案だと思いますよ。昨日皇帝陛下にはお伝えしましたが、私達は互いに想い合っているのです。私の血筋が帝国の役に立ち、愛する人と結ばれるのなら、これ以上のことはありません」
イリスはイリスで聖女の微笑を絶やさず、メフィストはメフィストで男でさえも見惚れる程の美麗な貴公子の笑みを浮かべる。パクパクと口を開けては閉じるしかできない大神官は、この状況と神聖ささえ感じる二人の笑みを前に瞳孔が揺れるほど動揺していた。
その様子を見て内心で爆笑しながら、イリスは更に大神官を揶揄う。
「では大神官猊下、さっそくこの素敵な思い付きを、皇帝陛下にお伝え頂けませんか?」
「は? ……はあ? 私がですか!?」
「ええ。私はこの件について、もう少しメフィスト様と話し合ってみます。彼と婚姻したら、居住は大公国にすべきか、帝国にすべきか悩みどころですもの」
「なっ!!? た、大公国に住むですと!? なりませぬ! 聖女様がこの国を空けるなど、許されることではありませんっ!」
「じゃあ、メフィスト様を帝国にお呼びしないとですわね」
「イリスの為ならばそうしたいところですが、私はこう見えてサタンフォードを継ぐ者。そう簡単に移住はできません」
密かに肩を震わせながらメフィストがそう言えば、イリスは至極残念そうに眉を下げて大神官を見た。
「それではやはり、私がサタンフォードに行くしかないですわね……」
「イリス様!!!」
大神官の声が裏返り、必死で頭を下げた。
「この件は、私から皇帝陛下に奏上し判断を仰ぎます。ですのでどうか、これ以上勝手に暴走するのはおやめ下さいませ!」
イリスは喉の奥でほくそ笑みながら、大神官へ聖女の微笑を見せた。
「分かりました。どうか、くれぐれも陛下に宜しくお伝え下さいね」
知らせを受けた皇帝は、きっと慌てて飛んでくる。人は動揺すると口を滑らせやすくなるので、皇帝に探りを入れるには打ってつけの機会だった。
走り去る大神官を見送りながら、イリスとメフィストは互いに目を合わせて笑ったのだった。





