閑話・美学の相違
ある夜のスワンドレイク邸、主であるレオディールは、その部下ロッドバルと酒を酌み交わすついでにと息子のランドルフも晩餐に招いた。
和やかな雰囲気で食が進む中、女主人でありレイニーナの母であるオデッサは、最近のアルベルトの成長ぶりに目を細める。
「アベル、ようやく身体が育ってきたようね、喜ばしい事だわ…ラルフも順調に育っているようね」
「はい、身長が少し伸びました」
「……いやアベル、今のは身長の話じゃない」
「そうなの?」
意気込んで報告するアルベルトにランドルフが水を差した。
「奥様の言う『育つ』は大概筋肉の事だろ」
「あぁ、そっちか」
オデッサは輝く金髪に蒼い瞳で、年齢を感じさせない美しさを保っている。普段は常に粛々としていて、あのレイニーナの母親とは思えない落ち着きぶりだ。
若い頃は数多の求婚を受けたが、自らレオディールに思いを告げ、その伴侶となったのである。
しかし、男子2人はこの麗しの貴婦人が特殊な性癖を持っている事を既に承知していた。
「2人とも、肉と豆類は毎日欠かさずお食べなさい」
「はい」
「俺はちょっと、豆類は苦手で…」
「ラルフ、そんな事では素晴らしい筋肉にはなれなくてよ」
「母上!私も立派に育ちました!」
レイニーナは徐ろに袖を捲ると、得意げに上腕二頭筋を披露した。
その突飛な行動にオデッサとランドルフは呆れ、アベルは戸惑う。
「貴女は程々で良いのです。むしろ他の所を育てなさい、私が貴女くらいの年にはもう少し育ちが良かったわ」
「コウタンパクテイトウシツは筋肉だけでなく美容と健康にも良いと賢者の知恵は説いています」
「あら、それは私も頑張って食べなくてはね」
「美容にはビタミンとミネラルも大切ですよ母上」
その頃、レオディールとロッドバルは酒瓶を数本開け、既に出来上がっていて、こちらの話は全く耳に入っていないようだ。
「アベル、女心を掴むにはまず筋肉よ、旦那様達のような立派な筋肉におなりなさい」
「は…はい、頑張ります」
オデッサはそう言うと、何かを含むような視線でちらりと娘を一瞥した。
「母上!前々から思っておりましたが、アベルには父上のようなゴリマッチョよりホソマッチョの方がより相応しいと思うのです!賢者の知識はそう説いています!」
レイニーナの言う「賢者の知識」とは、異能のスキルである「異界の賢者」がもたらす知識の事である。
ホソマッチョはオタクの好物であるとレイニーナは思っているが、あくまで個人的な見解だ。
「確かに父上の筋肉は素晴らしいです!でも!父上のようなあからさまな筋肉より脱いだら凄いのがモエなのです!」
「脱いだら…モエ?」
「その『モエ』ってのも異界の賢者の言葉なのか?」
初めて聞く単語に戸惑う男子2人、賢者の知識とは筋肉についてまで特と語る程のものなのだろうか?と疑問に思った。
「まぁっ、旦那様の肉体美に骨抜きにならない婦女子は居なくてよ!」
「筋肉を見せびらかす時代は終わったのです!今の流行りはチラリズムです!服の下からチラリと見える腹筋が良いのです!」
「まあ、貴女の様な子供に肉体の美学はまだ解らないでしょうね」
「私にも私なりの美学があります!大きいだけでは駄目なのです!キレが大事なのです!」
「筋肉を愛でるのは淑女の嗜みでしてよ」
「それは当然です!ですが、母上の理想を押し付けないで頂きたい!」
レイニーナは皿に盛られた肉をフォークでグサリと突き刺しながら力説した。
「なあアベル、淑女って…なんだろうな?」
「……さあ?」
「オデッサ様は若い頃は社交界の華と言われてたんだろ?社交界では筋肉の話でこんなに盛り上がるもんなのか?」
「そんな事、僕に聞かれても」
戸惑う男子2人を他所に、母娘2人は筋肉の美学について討論を続けている。
「レインと奥様は見た目はあまり似てないけど、あの2人はやっぱり親子だよな」
「それは僕も思うよ」
泥酔する父親2人、筋肉について対立する母娘を横目で見ながら、今日も平和だなとアルベルトは思った。