23 漆黒の剣士2
「あんな大きい亀裂、見たことない」
そこに有るものは、私達が見た事のある亀裂の倍の大きさはあった。しかも騎士団の資料ではこの辺りに異界の裂け目は無かったはずだ。だとしたら、最近新しく出来たものと言う事だろうか?
その時、亀裂がもぞもぞと蠢き、中から脚のようなものが突き出してきた。
「なっ、何あれ⁉」
中から出てきたのは何本もの足が生えた巨大な蜘蛛を思わせる虫のような生き物だった。だが全てが甲殻に覆われているわけでは無く、身体の中心は哺乳類のような柔らかい肉質で、所々鎧を身に着けているかのように甲殻を纏っている。
顔らしき場所には複眼が前から後ろに周り込むように幾つも並び、正面には人間と同じような眼球が付いていてギョロギョロと辺りを見回している。口からは何やら触手のようなものが幾つも蠢いていた。
その姿はこの世界に存在する生き物の定義を超えている。身体からは絶えず瘴気を発していて、周囲の瘴気も一気に濃くなった。
立っていられない程に濃い瘴気の中、私達2人の身体は瘴気の毒から守るように半透明の膜で覆われた。
これには見覚えがある、結界魔法だ。でも私が発動したものではない。なら一体誰が?
初めて見るおぞましい姿の怪物に恐れ慄く私達と比べ、ディランはそれを見慣れているかのように落ち着いている。
「異形か、まだ時間がかかると思っていたが、もうお出ましか」
「これが…異形?」
「そう、此奴は魔界に住まう者だ」
異界の狭間は魔界に繋がっていて、そこは異形が住まう土地だと言われている。
そして時折そこから異形がこちらの世界に侵入して来る事があると、昔話として聞かされた。
だがそれが最後に現れたのは私達が生まれるずっと前らしく、今では御伽話のような存在になっている。
「すまんな、怖い事はないとは嘘になってしまった。とっとと片付けるゆえ、暫し許せ」
鋭い眼差しで異形を見据えると、腰に刺した両手剣を片手で軽々と抜き取った。
「ティナ、頼む」
「ピュイイッ」
ティナが鳴くと同時にディランの身体が魔力に覆われた。身体強化の魔法だ。
他にも体の形にぴったりと合わせるように結界魔法も張られている。魔導壁ではなく結界だ。それはディランの動きに合わせて壊れる事無く変化している。
ディランは異形に向かって手をかざし電撃を放った。異形が電撃に包まれると、耳障りなうめき声を上げ、私達は思わず耳を塞いだ。
異形の動きが鈍った隙きに一気に異形に詰め寄ると、あっという間に右側の脚を二本切り落とした。バランスを崩して右側に傾くが、異形はまだ動けるようだ。
口の中で蠢いていた触手が長く伸び、ディランを襲うもその身体に触れる事無く切り落とされた。
「強い……」
「ティナの魔法の精度も凄いよ」
私達がその闘いぶりにあっけに取られている間にも、ディランは次々と異形の動きを封じて行く。
本来両手で扱う剣を片手で匠に操り、異形を切り裂く姿は人間業とは思えない凄まじい動きだった。
最後に止めとばかりに異形の眼球に剣を深々と突き刺すと、遂に異形は動かなくなった。圧倒的な勝利だ。
「ほんとに、ディランは何者なの?」
「だから言っただろう?正義の味方だと」
異形の体液に塗れながらディランは不敵に笑う。私はその笑顔に思わず身震いしてしまった。
ティナが鳴きながらディランの周りを飛ぶと、全身に浴びた瘴気の毒を浄化して行く。その様子はキラキラとした光を纏い、先程までとは打って変わって神秘的な光景だった。
「異形なんて…本当に居たんですね」
アベルが眉を潜めておぞましい生き物を見つめると、そこからディランに視線を移した。
「ここだけの話だがな、異形が人々の目に触れる前に始末するつもりでここへ来た」
「俺達を連れて来たのは、一緒に異形と戦えと言う事ですか?」
「あ〜、まあ、平たく言えばな」
「俺達には無理ですよ、こんなのを倒すなんて」
アベルは鋭い目つきでディランを睨むと、私を背中に隠すように移動した。
「まあ待て!いきなり無理を言うつもりでは無かったんだ!まさかこのタイミングで奴が出てくるとも思って無かった!」
ディランが焦って顔の前で両手を振る。
その慌てた様子は演技をしているようには見えないが、アベルは警戒を解く気は無いようだ。
「どうやら、まだそちらの騎士団も把握していない亀裂が少しずつ増えているようだ」
「またこんなのが出てくる可能性があると?」
ディランはアベルの瞳を真っ直ぐに見据えて頷ずくと、アベルは緊張した面持ちでゴクリとつばを飲み込んだ。
「そうだ、『凄惨たる厄災』程で無いにしろ、過去にも何度か魔獣が増える時期があるのは歴史や昔語りで知っているだろう?」
「確かに、その時に幾度か異形も目撃されたと言われていますね」
こんなのがまた現れたら北部はどうなってしまうのだろう?
「そこでな、お前の力を見込んで頼みがある。レイニーナ、消滅魔法を使ってくれ」
消滅魔法、初めて聞く言葉に私は戸惑った。




