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第六章 幸福を乞うクウフク

『それで?』

 街路を歩いていると、ミヒルがふわふわと浮きながら聞いてくる。

「それで、というと?」

『ほら、どうするのさ、これから』

 どうする、と言われてもなあ。

「ちょっとリリーさんのところに戻ろうと思うよ。なにせこれだもの」

 あたりを見渡せば、人っ子一人いない。多分そこらじゅう駆けずり回っても日が暮れるまでは誰も見つからないことだろう。

『こいつは立派なゴーストタウンだねえ。じゃあ、夕方まであの子の家で休むのかい?』

 ああ、それはええと、少し不正解だ。

「いいや、戻るけども、あの家からはもう出ようと思うよ。夕方までの間に宿も探さないとね」

 あれ、とミヒルは少し意外そうに目を丸くする。

『あの子は放っておくんだね。まあ、私たちには無関係な人間ではあるけれど、君のことだからおせっかいを焼くんじゃないかとばかり』

 あのねえ。人の気持ちも知らないで、というやつだ。僕は誰よりも君のことを優先しているのに。ただ、まあ、悔しいことに彼女は正しい。僕は、リリーさんにおせっかいを焼こうと思う。きっと彼女は望むはずもない方法で。

「ずっと彼女に寄り添うのは、僕たちには無理だよ。でも、ちょっとだけ彼女を幸せにしてあげるつもりだ。それが多分、僕たちにできる最大限だよ」

 そうかい、とミヒルはそれほど興味なさそうにこぼした。その顔はどことなく不満げだ。

『それより、今日はきちんと情報収集しないとね。正直なところ、もうだいぶお腹がペコペコで』

「ああ、それなら心配ないよ」

『……心配ないって?』

 訝しげにミヒルが首をかしげる。けれども、それは言葉通りだ。今日、彼女は人間の名前を食べるだろう。粗食でも、まあ多少は保つはずだ。

「ねえ、ミヒル。アクマにジャンクフードの概念はあるのかな?」

『……たまに君はよくわからないことを言うよね、クライン』

 呆れた様子のミヒルを尻目に、僕はリリーさんの家に向かった。


 ミヒルは、人間の名前を食べる。けれどもそれは一方的な捕食ではない。きちんとした契約がなければ、彼女は人間の名前を食べることはできない。もちろんアクマである以上は、契約内容をでっち上げることはできるけれど、どんなに隠し文字で契約内容を書き加えたところで、当人同士の署名がなければそんな契約書は無効だ。アクマもそういうところには縛られるらしい。

 彼女の食事には、合意の印が必要だ。その代表的なものが握手であり、そして彼女が僕以外の人間と握手をするためには、僕の体=名前を借りる必要がある。命名貸借契約ナーメン・ライエン。それが、僕がこうやってふわふわと宙に浮いている理由だ。今の僕は名無し(ナーメン・ローゼ)であって、クライン・グリュックリヒは彼女である。そうして世間的に認識されるところの「僕」は、名無しである僕を引き連れてリリーさんの家の扉を叩いた。リリーさんは出てくるなり、笑顔を咲かせて「僕」の手を引く。

「ああ、クラインさん、お帰りなさい! 用事は終わりましたか? お疲れでしょうしマッサージなど……」

 しかし、「僕」はそれを遮った。

「リリーさん。前にもこういうことをしていたんですか?」

 ……直球、すぎやしないかね、君。もう少し様子を見てから話すべきでしょうよ、そういうのは。

 リリーさんも流石に面食らったらしく、しばらく固まった。それから目を伏せがちに質問を返す。

「もしや、どなたかから話を聞きましたの?」

「ええ、ギルベルトという老人に。少し詳しくお聞かせ願いたいのですが」

 名前まで出しちゃうんだもんなあ。いや、あの、もう少しあのおじいさんにも配慮するべきだと思うよ? まあ、アクマに人間社会の常識を期待するほうがおかしいのだろうけど。

 彼女は少しの間困惑していたが、やがて諦めたように口を開いた。

「……ちょうど、お茶が入っておりますの。この街にしてはマシな天気ですし、ええ。ティータイムと、いたしましょう」

 言いつつ、彼女は奥に向かう。僕たちもそれに続いた。


 ソファに座った「僕」に、彼女はお茶を持ってきた。そして自分の分を手に、リリーさんは向かいに腰掛けた。

「最初は、あちらからでしたの」

 ぽつり、と彼女は口から言葉を漏らした。本当に、漏らした、と形容できるほどにか細い声だった。

「私、エーリッヒの帰りを待っていました。だって、お父様もお母様も亡くなられましたもの。自分も働かなければいけないと頭ではわかっていましたが、今この瞬間にも彼が帰ってくるんじゃないか、と思うと『山』に行こうとも思えず、ただずっと広場で彼を待つ日々。私には、なんというか、寄りかかる支柱が必要だったのです」

 落ち着きなく彼女は体を揺すっていた。多分、不安なのだろう。これを打ち明けることで自分が見捨てられるのではないかという不安。けれども隠し通せないこともわかっていて、その恐怖に必死に耐えているのが見て取れた。

「私、たくさん人違いをしました。迷惑そうに立ち去る人もいましたし、声をかけられて嬉しそうにする人もいました。そして稀に、私のことを見初めてくださる方も。けれども私は彼を待つのに精一杯でお断りしていました。

 やがて、贈り物をもらうようになりました。どうも噂になっていたらしく、私と話すためにわざわざ広場に来るような奇特な方もいらっしゃいました。貰いっぱなしは失礼ですので、そういった方には時折食事をご馳走しました。そんな日を繰り返すうち、なんというか、魔が差したのです」

 そっと、彼女は懐からロザリオを取り出した。そして、祈るように告白する。

「この人が傍にいてくれたら、心細さが安らぐのでは、と。エーリッヒという恋人がありながら、私はその誘惑に逆らえなかったのです。少しずつ、私は手を伸ばしました。家に招くように。家に住まわせるように。愛を言葉で交わすように。しかし、足りないのです。全く、これっぽっちも、私の孤独を癒すにはまるで足りなかったのです。

 もっと、もっと、愛してください。それが私の望みでした。私は彼らといられるだけで幸せでした。幸せだったはずなのです。それでも足りなくて、私の求める『幸せ』にはまるっきり足りなくて、さらなる愛情を求めました。そして求める以上は先に与えなければいけないと、私は考えました」

 つまりは、あの過干渉。あれは自分が求める愛情の対価を先に押し付けた結果なのだ。もっと、もっとと愛を貪欲に求める心が振り切れた結果が、今の彼女なのだ。

「考えたら、止まらなくて。だって、『完璧でなければ幸せではない』のでしょう? 誰もが私の要求に耐え切れず離れていきました。そうしたら、今度はそれが怖くなって。やっと見つけた幸せの種を手放すのが惜しくなって、次の方にはさらに多くの愛情を与えました」

 それで、ここまで来たわけだ。かわいそうに、父親の影響が如実に表れている。貪欲さ。それは何も、ものやお金に限った話ではない。

 そこで一旦、彼女の語りが途切れた。先を急かすように、それまで黙っていた「僕」が口を挟む。

「それで、僕を呼んだのもそれの延長だったと」

 リリーさんはそれに一瞬反駁しようとして、それから渋々といった様子で頷いた。そして即座に首を振る。

「……はい。けれども、いいえ。あなたを呼んだのは、誰でもよかったわけではありません。私は確かにあなたとエーリッヒを間違えました。別人なのは間違いなかったのです。しかし、面と向かって直感しました。あなたは、エーリッヒにとても似ている。容姿、年齢だけでなく、心までそうだと、接しているうちに感じました」

 そう、なのかな。正直なところ、僕は従軍志願するほどの愛国者ではなかったと思うのだけど。あんまり覚えていないものだから、自信はない。もしかしたら誰かに止められただけで、志願するつもりはあったのかもしれない。まあいずれにせよ、見ず知らずの他人によく似ていると言われても、僕としては反応に困る。だってそれは、人違いなんだ。

「神が遣わしたエーリッヒの生まれ変わりとさえ思いましたわ。ですから、私はあなたを呼び込んだのです。あなたなら、私の孤独を癒してくれると。私の愛情を受け止めてくれると。私を『幸せ』にしてくれると。そう思って」

「それはまた。全く身勝手な人ですね」

 ぽつり、「僕」はこぼした。それを聞いて、リリーさんは傷ついたように目を逸らす。

「そう、ですわね。懺悔いたします。私はあなたを、私の幸せのために囲い込んだのです。私は、全くひどい女ですわ」

 しかし、「僕」はそれを否定する。

「それだけでもないでしょう。あなたを歪めたのは父親だ。あなたは、父親に虐待されていた。違いますか?」

 僕が伝えたことを、さも自分が考えたかのように口にする演技力には頭が下がる。まあ、アクマは本質的に詐欺師だものね。そういうところに長けていて当然か。

 リリーさんは少し不快そうに反駁する。

「虐待、というほどでもなかったとは思います。叱るとき、カッとなりやすい性格でしたので、その。そういうときに、手を上げることが、あったくらいですわ」

 嘘をつけ。カッとなって手を挙げたくらいで「火傷の跡」ができるわけがない。彼女のこの性格は、彼女の過去に大きく影響を受けている。ならば、もしも僕がここにいたところで、彼女は本当に「幸せ」になることはないだろうと思う。

 リリーさんはすがりつくように「僕」に乞い願う。

「確かに、私は傷物の女ですわ。ひどい女だというのも間違いないと思います。けれども、それでも、私は幸せであらねばいけないのです。そうでなければ『幸せ』にはなれないのです。『幸せ』でなければ生きていけないのです。

 愛してください。身勝手な言葉ですが、愛してください。できる限りの愛を捧げます。この身も、資産も、全て捧げます。ですから愛してください。私のこの強欲な心を、満足させるだけの愛を――」

 手遅れだ。今の彼女を、きちんとした形で幸せになんて出来やしない。無限大の愛を人間は与えられないのだから、彼女の際限のない空腹を満たすことは人間には無理だ。

 だから、初期化してしまおう。

「……ええ、よくわかりました」

 ため息混じりに「僕」は頷いた。そして、そっと手を差し出す。

「出来る限りで、あなたを幸せにすることを約束しますよ。リリー・ノイマンさん」

 救いの手を求めるように、彼女は恐る恐る「僕」の手のひらに右手を乗せた。「僕」はその手を握る。

「ほ、本当に、信じてよろしいのですね?」

「ええ、嘘は言っていませんとも」

 にっこりと笑って「僕」は答えた。そしてもう一つ、言葉をこぼす。

 ――命名供食契約ナーメン・エッセン、履行。

 彼女の人生は「僕」の胃袋の中に消えた。


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