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第四章 おかしな女リリー

『ところで、さっきのはどういうことだったんだい、クライン?』

 部屋に戻り、ベッドに倒れこむと、ミヒルが不思議そうに聞いてくる。

「いやね、おかしいと思ってたんだ」

『何が? あの子がお金持ちだってことがかい?』

 半分正解。でもまあ、それだけじゃあない。

「いろいろさ。この家のこととか。彼女の言っていることと実際に見えることがどうにも噛み合わなくて。強引に呼び込まれたこともあるし、美人局を疑った」

『ええと、クライン? ……ツツモタセってなんだい?』

 そこからかい。

「要は、綺麗な女性が男を誘って、ベッドインしそうなところを屈強な男が乱入するっていう詐欺の手口。俺の女に手を出したなってやつさ」

 ミヒルはそれを聞くなり、傍から見て取れるほどげんなりした。

『なんだいその稚拙な手口は……。カブトムシの捕まえ方とどっこいじゃあないか。人間の男ってのはクヌギの木の樹液を前にしたら罠が見え見えでも啜るのかい?』

 これが、なんというか、割とその通りだから困る。本当にカブトムシよろしく角も立派になっちゃうしね。僕の角はまあ、うん、そんなに立派じゃあないんだけど、あんな美人に迫られたらどうなるかわからない。

「ま、まあ、それは置いといてさ。実のところそういう疑いを持ってさっき質問したわけだけど」

 でも、多分違う。もしもそうなら、疑いを持たれた時点で乱入者がいておかしくない。けれども彼女は部屋に戻るように言った。もしかしたら逃げられるかもしれないのに、僕を自由にした。だから、多分違う。

「……エーリッヒさんは、志願して従軍したって言ってた。歳は僕と変わらないくらいだって。その歳なら、そんなに髭は濃くなかったはずなんだ。剃刀とシェーバークリームの予備を蓄えるほどでは、少なくともなかったんじゃないかな。それに、お父さんの部屋は別にあったらしいし。となると、みんないなくなってからここに住んだ、髭の濃い男の人がいたってことになる」

 それでようやく納得したらしく、ミヒルは尻尾をひらひらと振り出した。

『ああ、なるほど。もしここに別の男が住んでいたのなら、なぜリリーはクラインを呼んだのかってことだね』

「そうそう。それに、資産の点も不思議だった。いくら蓄えてたって言ったって両親がなくなってから三年も経っているんだよ。戦争に負けて価値が大暴落した遺産なんて、とっくの昔に使い切っているはずなのさ。にも関わらず、彼女はどうにも働いていないという。確かに工場帰りならもう少し汚れてもいい格好をしているものだよ。あんなマダム然とした格好で街道をうろついていられるわけがない」

 そもそもあそこで彼女が何をしていたのかも気になるところではあるけれど、まあ今はいい。

「それだけだと、美人局を連想してしまった。けれどもさっき彼女が部屋を見渡したんで、違うって気がついた」

『その根拠は?』

「家、さ。インテリアがごっちゃごちゃ。同じ家具もある。となれば、同じ人間がずっと住んでいたようには考えにくい。定期的に住む人間が変わっていた。そう考えるとなんとなく納得できるんだよね。住む場所のインテリアが趣味の合わないものだったら、余裕のある人は買い換えてしまいたくなる。そして多分、全部買い換える前にこの家を離れた。そして次の人が来て、また離れる。そういうことなんじゃないかと思うよ。あとはまあ、ここに来るときのリリーさんの呼び込み方と、彼女自身の容姿を考えると大体想像がつく」

 ニンマリとミヒルはいたずらっぽい笑みを浮かべる。

『へえ、つまりはあれだ。貢ぎたくなるほど彼女が可愛かったと』

 うん、まあ、彼女が美人なのは認めるけどね。どうして僕もそうだって決め付けるのかな?

「ミヒル。そういうことを言うともう教えないよ」

『はいはい、そうだろうね、君は筋金入りのニブチンだものね。じゃあ色恋に疎い、若くして灰色のクライン君、正解を頼むよ』

 そういうことを言うからなあ、この子は。だから「君のほうが綺麗だからなあ」とか喉から出かかった言葉をいつになっても言えないんだ。

「彼女は、確かに美人だ。そんな人が家に泊めてくれるというなら、まあ断る人はいないだろう。住み込んでいるうちに、恋仲になることも多いと思う。それで彼女に贈り物をする。家具もそうだけど、色々なものをね。家の改築だってする人はいただろう。それで、彼女は彼女で、相手が気に入らないというものは売ってしまう。最初は相手も彼女を養う気でいて、面倒を見てあげていたんだと思う。けれども何か理由があって、その相手はみんな彼女から逃げてしまう。そういうことを三年間ずっと続けていたんじゃないかと、僕は思う」

 ぱちぱち、と音も鳴らないのに手を叩いて、ミヒルは頷いた。

『いい推理だね、名探偵。ところで名探偵といえば葉巻かハーブをやるのが定番だったと思うんだけど、君はどっち派だい?』

「どっちもやらないよ……」

 君は一体どこからそんな知識を引っ張ってきたんだ。名探偵といっても某シャーロックみたいな中毒者ばっかりじゃないさ。まあ、某ポワロみたいな例もあるし変わり者が多いのは間違いないかもしれないけど。

「ただ、問題はさ。どうしてみんなして彼女から離れていったのかってことさ」

『そうだねえ、そいつが一番重要だね』

 そう、それこそが一番知りたい。一人二人ならまだしも、少なくとも五、六人はいたはずのその全員が彼女をパートナーとして拒絶した。それには必ず理由があるはずなのだ。もしそれが僕たちを害するような理由ならすぐに逃げる準備をすべきだし、もし彼女にかわいそうな事情があるのなら助けてあげたい。しかしまあ、優先順位としては少しだけ下だ。彼女が攻撃してきたとしてもミヒルが守ってくれるだろうし。そのためにも彼女の空腹をなんとかするのが先決だ。

「ともかく明日は君の食料を探しに行こうと思うよ。そろそろお腹が減ってきただろう?」

 そうとも、と彼女はひもじそうにお腹をさする。

『そりゃあ、司祭様をいただいてから丸十一日経ってるしね。道中君のためにあれこれ力も使った。力を使うとそれだけでお腹が減るから、もうそろそろ誰か食べたいところだよ』

 そうだろうなあ。一応誰を食べてもその人が幸せなら腹の足しにはなるはずだけど。

『とはいえ、無差別に食べる気はないよ。その点よろしく頼むね』

「ああ、はいはい。誰かの幸せになるような人を選ぶんだろ? わかってるよ」

『一応まだ多少の余裕はあるし、二日くらいなら問題なく我慢できるさ。とにかく寝るといい。明日は歩き回ってもらわなきゃいけないんだから』

「そうだね。それじゃあ……おやすみ」

 目を閉じると、急激に眠気が襲ってきた。ただでさえ長旅だったというのに、街の中でも車を引いたのだ。疲れているのは当然だった。だから、まあ、汗だくではあったけれどミヒルにきれいにしてもらうのは明日にしようと考えた。そのまま、僕は深い眠りに就いたのだった。


 どうして、こうなったのだろう。

 寝ぼけた頭で考える。ああ、うん、確かに昨日僕は入浴してない。そのくせ汗はいっぱいかいたから、多少は臭ってもいたんじゃないかとは思う。でもこの街ではそこかしこ異臭が立ち込めているし、一日体を清めていない程度、大したものでもないと思っていた。

 なのに、どうして。

 どうして、僕はリリーさんに体を拭かれているのだろう。

 というか、ちょっと待った。僕は今どういう格好だ? え、もしかして裸? あまり立派じゃない角が露になっている? 待て待て待て。いや、流石にそれは。少し体を揺すると、確かに腰のあたりが衣擦れする。少なくともトランクスだけは奪われていないらしい。いや、でも時間の問題だ。そこだけ拭かない理由もなし。まずい、どうしてこうなったのかは知らないけれど、まずい。

 顔を横に向けると、リリーさんは隣でタオルを絞っている。僕が起きているのには気がついていないらしい。その向こうで顔を覆っているミヒルの姿も。……いや、指の隙間からバッチリ見えてるじゃないか! 顔を真っ赤にしているくせに、なんで興味だけはいっちょまえなんだ。ああ、いや、あのスケベアクマは一旦後回しだ。とにかくリリーさんを止めないと。

「え、ええと、リリーさん?」

 声をかけると、ようやく僕が起きたことに気がついたらしく、彼女は微笑んで応える。

「おはようございます、クラインさん。何か?」

 何か、じゃないよ! 後一歩でまずいところまで来ているんだよリリーさん!

「いえ、あのですね。……何を?」

 一応、確認。もしかしたら万に一つ、これ以上先に進まない可能性があるかもしれない。けれども彼女はにこやかにそれを否定する。

「昨日入浴されずに眠ったでしょう。それでは目覚めが悪いかと思いまして。誠に勝手ながら、全身を拭き上げて差し上げようかと」

 うん、本当に勝手だね! せめて僕の了承を得てからやるべきだね、それは!

 とはいえ、だ。よく見てみたら服がない。周りに僕が来ていたであろう服がない。恐る恐るリリーさんに聞いてみる。

「ところで、僕の来ていた服は一体どこに?」

「洗濯カゴに放り込みましたわ。今は洗剤液に漬け込んでありますの。下着はかなり汚れていると思ったので、それだけ別で洗う予定です」

 その予定は直ちにキャンセルしていただきたい。せめて、替えの下着を買ってくるまでは待って。

「と、とりあえずですね。僕は入浴してきたいのですが」

 すると、彼女の頼りなさげな眉がさらに下がった。

「やはり、体を拭き上げても入浴はなさりたいと」

 なんで、僕がこんなに罪悪感を覚えなければいけないのだろう。多分彼女は善意でやっていることなんだと思うけど、明らかに過剰な奉仕であって、文字通りの余計なお世話なんだけども。

「それでは、お風呂にご案内します。こちらへどうぞ……」

 しょぼんと肩を落とす彼女に、僕は居心地の悪さを感じつつついていった。パンツ一丁で。なんだこれ。なんだ、これ。

『わっ、ふわああ、あああ……』

 あの、さあ。ミヒルさん。そこで悶えてないで助けてくれませんか。本当に。


 実に久しぶりの入浴だ。普段はミヒルに綺麗にしてもらうから、水浴びなんて体力のムダをする必要もなかったものなあ。さらに言うと、僕は体が濡れるのが非常に嫌いだ。とはいえ彼女を納得させるためにはきちんと体をきれいにしたところを見せなければ。嫌悪感を押し殺して僕は体を流した。そして浴室から出てきた僕は、思わず額を押さえた。

「そこまでやるかあ? 普通さあ……」

 僕の入浴中に、彼女は僕の最後の衣服すら奪い取っていったらしい。脱衣カゴに何もなかった。本当に、何もなかった。結局僕はしばらくの間、外には出られなさそうだ。流石に警察の厄介にはなりたくない。

 さて、とはいえある程度の衣服は必要だ。せめて局部は隠さなくては。そういうわけで、取り込まれた洗濯物の中からタオルを一枚拝借した。それで、自分にあてがわれた部屋に引き返す。何よりもまず文句を言いたい相手が待っている。

 部屋に入ると、びく、と背筋を震わせるアクマが一体。戦々恐々といった具合に振り返る。

「ミヒル。どうして止めなかったんだい?」

 顔が、今も真っ赤だ。きっとタオル一枚の格好だからだろう。彼女はしどろもどろになりながら弁明する。

『え、ええとね。私も最初は止めようと思ったんだよ。で、でもね、あの、別に危害を加える感じでもなかったから、どうするのか様子を見ていたんだ。そうしたら彼女はおもむろに君の衣服を脱がせ始めて、その』

「僕の肌を見て興奮して止めるどころではなかったと」

『そ、そんなわけないじゃないかあ』

 頭を抱えながらビュンビュンとあたりを飛び回る。もう誰から見てもわかるほど図星だ。なんていうか、君も人間の男のことを言えないじゃないか。角もないのにカブトムシの真似をするなんて。……ああ、いや、角はあるのか。二本。そんなジョークを言うと、彼女はさらに勢いよく飛び回るだろうから言わないけれど。

 ため息をついて、気持ちを切り替える。まあもう、起こってしまったことは仕方ない。問題は別にある。

『……しかし、彼女はどうしてこう、いきなりこんなことを?』

 それだよ。そこが、どうにもわからない。

「確かにね、彼女の気持ちもわからないではないんだ。入浴しないで寝ると気持ち悪かろうとか、服も洗濯するべきだとか。ただ、その思いの全てが僕の気持ちを無視している」

 思えば、ここに呼び込まれたときも彼女は僕の事情などお構いなしに呼び込みたい様子だった。誰でも、よかったのか? それにしては、彼女は僕にご執心のようだけれど。

「とりあえず、服が乾くまでは僕は外出できないみたいだ。……ミヒル、君が止めなかったからだぞ」

『わ、私だってこんなことになるなんて夢にも』

 またビュンビュン回り続けるミヒル。あれで目を回さないんだから便利なものだなあ、と思う。そこにこの現状を作った張本人の声。

「クラインさーん! 朝ごはんが出来ましたよー!」

「……これで行けと?」

 リリーさんは僕がタオルを拝借したことを知らないはずだ。つまり彼女は僕に全裸で食事をして欲しいわけで。

「勘弁してよ……」

 ぼやきつつも、お腹は減っている。しぶしぶ僕はタオル一丁で朝食に向かった。


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