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銀の魔法と赤の世界  作者: 永ノ月
2章 青の大地と潮の香り
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海知らぬ少女

 カルラーク大陸は南の果て。峠を越えた先に、海辺の村があるという。


 山の多いこの大陸は海を見ることが難しく、サラ=メルティアは生まれて今まで、本物の海を見たことがない。


 運よくそちらに向かう商業馬車キャラバンと出会い、運転手の厚意でそこまで乗せてもらうこととなった。


 現在は売り物になる荷物と肩を並べて座っている。

 小柄なサラは座れば隣の酒樽と大きさはそう変わらず、黒いローブのフードからは同じく黒の髪と、深い藍色をした瞳を覗かせる。


「下の道もあるにはあるが、遠回りだし魔獣も多くてねぇ。ベテラン運転手ともなれば、峠もあっという間よ!」


 無造作に生えた髭を撫でつつ、運転手は自慢げに言う。一方のサラは適当に相槌を打つが、気分は完全に上の空だった。


 子どもの頃から密かに憧れていた、どこまでも続く真っ青な景色。

 そこで獲れる食べ物も、吹く風も、彼女の知らないものばかり。それだけで気分は高揚し、いつもは不愛想な表情を緩ませていた。


『海などいつでも見えるであろう。何を特別に思うことがある』


 ドラゴン、現在は彼女の首にかかる水晶である使い魔、リューが突っ込む。

 声を発することもできるが、これでは喋る奇妙な水晶にしか見えない。悪目立ちをしたくないサラは、人がいるときは念話を飛ばすよう指導していた。


 彼の元の姿であれば、空を翔けることも容易い。故に海を見ることなど何ら特別なことではない。


「私は内陸育ちで、街の周辺は高い山々に囲まれて過ごしてきた。君のように、いつも好きなだけ飛べる生き物ではないんだ」

『哀れなことだ』


 なんだと、と声を荒げようとするが、運転手の視線に気付き、咳払いでその場を凌ぐ。

 同時に「覚えておけよ」と散々な捨て台詞を残した。


「そろそろ海が見えてくるべー」


 そう聞こえるなり、サラはすぐさま立ち上がり、運転席の方まで駆けてゆく。

 視界を遮っていた大きな岩の塊が逸れていき、そこへ一面の青が広がった。


 ――瞬間、サラは地面に空があるのではと錯覚した。だが違う、雲を纏った空は上にある。では、あの真っ青な大地はなんなのか。


「あれが、あれが……海なのか」


 サラの瞳の色は、深い海のようだと喩えられたことがある。だが当の本人にはその海がわからず、いまいちピンときていなかった。

 しかしこの瞬間、この光景で、すべてを理解したように思えた。


 大きな水溜まりなんて表現は割に合わない。

 青々とした大地が、視界の端まで広がっている。太陽の光を受けてキラキラと輝いている。


 どれだけ見てもその先は平坦な海で、ゆったりとした孤を描いている。


 これが水平線というものなのか。サラは一つ一つを目に焼き付けつつ、頭の中を駆け巡る衝動で呼吸すら忘れそうになっていた。


 ようやく絞り出された言葉が「すごい」という、なんとも平凡な感想だった。


「嬢ちゃん。海は初めてだっけ?」

「うん。すごく綺麗」


「ははっ、そりゃよかった。初めて見るのがこのキーン海なんて、嬢ちゃんは幸せ者だぜ?」


 キーン海。カルラーク大陸が最南端に面する、世界有数の巨大な海域。


 その果ては未だ誰も到達したことがなく、航海士の間では【最果ての海】と、また海産物が豊富なことから、地元の漁師から【海神の住む海】とも呼ばれている。


 山に囲まれているのもあってか周りには村も少なく、静かな街並みを売りにしているらしい。

 本で読んだ、サラの憧れていた場所の一つであり、世界を巡る旅の目的の一つでもあった。


「師匠は、私に海を見てほしいと言っていた」

『それで、初めての海はどうだ?』

「リューならわかるでしょう。すごく、すごく感動しているよ。この世界には、まだ私の知らない景色で溢れている。そう言われたような気がするよ」


 馬車が山を下り、海際の村まで行く間、サラは黙々と海を眺めていた。


 風が吹く度白い波が立って、静かに、時に荒々しく流れる様は、いつまでも眺めていられるような風景だ。


 ふと鼻を刺した不思議な香りに、サラは首を傾げる。


「ん……風の匂いが、違う?」

「よく気づいたな。海の水には塩が混じってんだ。だから海の方から吹く風には塩が混じってるし、窓とかに張り付いたりするんだ。一回、ぺろっと舐めてみるといいよ」


 水に塩……というのは、サラにはあまり馴染みがなく、曲がった首をさらに傾ける。


 そうこうしているうちに馬車は村の門へと辿り着き、簡単な入国審査を受ける。

 こうしてキーン海の麓村、キーンへとやってきた。


 決して人が多いわけではない。人通りだけでいえばクウルの方が多い。


 だが村の中央通りにあたるその場所は活気に溢れていた。店の一つ一つから活きのいい声が聞こえ、行き交う人たちは皆笑顔だった。


 店に並んでいるのは、この村由来の皿や壺を初めとした焼き物や、新鮮な魚や野菜がずらりと並び、旅行者らしい大きな荷物を背負った者。

 肌色や髪色の違う様々な人種が目に映る。


「長い道のりをありがとう。代金はこれでいいだろうか」


 そういって男に金貨を一枚握らせる。男は自分の手の中を見るなり目を丸くする。


「さすがにこんなたくさんは受け取れねぇよ」

「いいんだ。荷台でも十分乗り心地はよかったし、何よりいい景色を見させてもらった。それも込みの値段ということで、ひとつ」


 その日暮らしの行商人が少女を一人運んだだけで、一週間は遊んで暮らせる大金をもらえればそれに喜ばないはずもない。

 男は遠慮がちに笑いつつも、金貨一枚をポケットに突っ込んだ。


「嬢ちゃん、小さいのにしっかりしてるな。またどこかで会ったら、そのときもよろしく頼むよ」


 サラの頭をわしゃわしゃと撫で回し,馬車を引いてその場を去っていった。

 無残にもぼさぼさになった長い髪を片手で整えるサラの表情は不満げで、去っていく馬車を睨む。


「あまり子ども扱いはされたくない」

『人間の普通には疎いが、お前は歳の割に幼い容姿をしていることはわかるがな』

「どこが……っ」


 反論しようとサラは自分の身体を見回す。


 身長は百五〇センチ弱、手足も細い。輪郭もやや丸く、俗にいう童顔の類。

 とどめとして、突き出るはずの胸は未だ平原のまま。一年以上前から、それが成長する兆しもない。


『どこか同年代に勝るものはあったか?』

「……十五はもう立派な大人だ。それに一人で旅をしている同年代などそういない。精神的にも自立している」

『哀れだな』


 心が繋がっている主人と使い魔は、相手の長所はもちろん、考えていることも感覚的に理解することができる。

 その上でこの話を振るリューは、相当意地の悪い使い魔だとサラは唇を噛み締める。


「その話は止めにしよう。さあ、新たな旅の始まりだ。まずは海辺に行こうかな。それともご飯にしようか」


 さきほどまでの話はすっ飛ばし、サラは意気揚々と市場へと歩を進めていく。

 その横でリューがまた嘆息していることも、今は見えないことにした。

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