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銀の魔法と赤の世界  作者: 永ノ月
1章 孤独の少女と水晶の龍
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心を交わす

『お前、我と契約を交わす気はないか』


 思いもよらぬドラゴンからの提案に、サラの思考は一瞬停止する。

 契約、契約というと……サラは必死に理解を追い付かせようと頭を回す。


「契約……それは、使い魔として?」

『それ以外に何がある』

「そ、ちょっと待って」


 あまりに飛躍した提案に、サラは上ずった声で答える。


 魔法使いにおける契約とは生命の素、マナを一本の糸ととして主人と使い魔を繋ぐ儀式。

 視覚聴覚を始めとし、記憶や感情までをも共有する、極めて強固な契約である。


 糸を切り離す方法はたった一つ。どちらかがこの世を去る。

 すなわち、死んだときのみである。


 そのような硬い契約を結ぶには、それ相応の覚悟が必要だが……ドラゴンはいとも容易く持ち掛けてきた。当然、サラは動揺する。


『どうした。怖気付いたか』

「いやだって……君はドラゴンでしょ? 魔法使いといえど、マナの容量は私の方が圧倒的に劣る。君に利点はない」

『人間の言葉を借りるのであれば、運命を感じた、とでもいうのか。お前になら、この生命を捧げてもいい。そう思っただけだ』


 サラの脳裏に、ふと言葉が浮かぶ。


 ――貴女を愛してくれる人が他にいるかもしれない。


 まさかそれが、人間でも魔法使いでもない、幻想種のドラゴンだとは。サラは思わずクスッと笑みが零れる。


『なにか可笑しなことを言ったつもりはないが』

「ごめん。少し思い出していた。うん……覚悟は決まった。君の名前は?」

『お前がつけろ。朽ちるはずだったこの生命、残りはお前のものだ』

「……じゃあ、リュー。君はリューだ」


 満足げに微笑み、サラはそこらに落ちている鋭利な石を拾い、親指の腹を軽く切る。


 滴る血をインクとして、リューの封じられた水晶に円形の紋様を描く。中心には使い魔の証を。その周りには、従属の言の葉を。


 多少は練習したことはあるが、それは綺麗な円として描かれ、サラはほっと一息つくと、静かに目を瞑り、両手のひらを胸の前で合わせる。


 ここから間違いは許されない、契約の儀を始めようとしていた。


「契約をここに交わす。言の葉を枷に、血を糸に、我らの生命は一つに繋がる。使い魔の名はリュー。主の名は、サラ=メルティア。大いなるマナの下に、我らを結びたまえ――」


 マナが流れてくる。大いなる生物の、計り知れない強大な力が、サラを押し潰さんと襲い掛かってくる。


 しかしそれは攻撃的なものではない。強くはあるが、優しくサラを包み込むように、流れ込んでくる。


 徐々にそれは異物からサラのものへと形を変え、緩やかに取り込まれていく。同時に流れ込んできたのは、遠い記憶。

 大地を駆け、空を舞うドラゴンたち。同じ世界のはずなのに、より自然が生き生きとして見える。


 ぼんやりとだが、頭の中にじんわりと入り込んでくる。これはおそらくサラのものではない。契約を交わす、リューのものだった。


『……契約は果たされた。感謝しよう』


 リューの声とともに、彼を包んでいた水晶に亀裂が走る。

 やがてそれは大きなひびへと変わり、中から黒い鱗を纏ったドラゴンが全身を伸ばし、爆発が如く水晶を弾き飛ばした。


 頭上から落ちてくる水晶の破片は雨の如く降り注ぎ、それでいて鮮やかな光景だった。


 大地に立つドラゴンを目の当たりにして、サラは目を細める。


「よか、った」


 瞬間、サラの目が充血する。

 端から赤い雫が零れ、口からは勢いよく血が溢れ、一気に頭が回らなくなる。


 意識も虚ろなまま、サラはその場に崩れ落ちた。






 ……瞼を開くと、そこにはあたり一帯の草原に囲まれていた。

 人間が作った建物らしきものはなく、舗装された道もない。


 まるで、人間が住んでいないような――


「気が付いたか」


 どこからか声がする。どこか聞き慣れた、低く響く声だ。


 ふと空を見上げると、太陽を覆い隠すほどの黒いドラゴンが空を翔けている。

 それはゆっくりとサラのいる地面へと近づき、凄まじい風とともに着地した。


「近くで見るとさらに大きいね。これはリューの夢?」

「ああ、我の故郷だ。我はここで生まれ育った。今は道を敷かれ、多くの家が立ち並んでいるがな。本当に、懐かしい風景だ」


 ここではないどこかを見据えるリュー。地面にだらりと落ちる尻尾を枕にして、サラは草原の上に寝転がる。

 どこにでもある草の香り。けれどどこか懐かしいような、温かい香りがする。


 こんな夢を見るドラゴンが、好戦的で邪悪な者だとは、到底思えない。


「契約したとき、お前の過去を見た。故に今一度問いたい、お前は本当に人間を憎まないのか?」


 サラの過去――魔法使いに生まれたことへの後悔。肉親から与えられた心の傷。最愛の師匠との別れ。

 それらすべては、人間の仕業といっても無理はない。


 きっと、リューにはその気持ちがわからなかった。

 いくら師の教えといえど、そこまで聖人たる考えを保つことは並大抵ではできない。


 だから、彼は問いかける。


「我は人間を許しはしない。我らの故郷を奪った仇だ。お前の考えを否定するわけではないが、共感はできない。今の我とお前の力があれば、国の一つや二つは容易く滅ぼせる。それでもお前は何もせず、人間を憎まないのか?」


 サラは答えない。というのも、リューの提案にはサラも頷ける説得力と、実行すればそれができてしまう可能性があった。


「確かに、それは気持ちがいいかもしれないね。でも、私はやらない」

「何故?」


 少しでも気持ちが揺らげば、サラはきっとすぐに行動を起こす。

 それほどに彼女は若く、精神的に不安定である。だが、サラには心に決めたことがある。

 大事な人との約束があるから、サラは怒りに身を任せない。


「それをやってしまえば、魔法使いはまた悪者の看板を背負うことになってしまう。仮に魔女狩りの歴史が証明されたとして、そのときにまた新たな罪を背負ってしまえば、収められるはずだった憎しみはまた生まれる。その連鎖を止めるためには、誰かがどこかで耐えなければならない。その役目を請け負うことで、世界は平和になる……師匠は、アリアはきっと、そういうことを言いたかったんだと思う」


 長い首を曲げて、リューはサラと目を合わせる。赤と緑と黄が混じり合った、絶対的強者の瞳に、小さな魔法使いを映す。


 理解できない。そんな意味を込められた視線をサラは受け止め、それを穏やかな笑顔で受け流しながら、大きな頭を撫でる。


「リューは優しいね。私が言えないと思ったから、代わりに言ってくれたんでしょう。でも大丈夫。私はまだ弱いけど……この気持ちだけは、変わらない。変えたくない」


 リューはふんと鼻息を吐き、頭を遥か高くに持っていく。また遠くを見据えて、言う。


「そう易々と考えを曲げられても困る。頼りない主であれば、我はいつでもお前を食ってやるからな」

「ありがとう。心強いよ」


 黒く硬い鱗に頬を当てると、突然目が熱くなる。

 視界が潤む。溢れたそれは頬を伝って、地面に落ちた。


 懐かしい感覚だった。こうして泣いていたのだと、サラは思い出す。


 けれど、これは夢の中。実際に泣いているわけではない。


 それに今は悲しくて泣いているのではない。今の彼女は、手に入れた幸せを噛み締めて、泣いているのだ。


 ――再び目を開けると、そこは暗くも、鈍く瞬く水晶に照らされた洞穴の中。

 多くの血を流したはずなのに痕跡は残っておらず、一気に欠乏したマナは何事もなかったかのように体内を巡っている。

 ふとサラが辺りを見渡すが、そこに巨大なドラゴンの姿はない。


「リュー?」

『ここだ』


 突如としてサラの近くから声がして思わず肩を震わせる。するとその声の元は、足のすぐ近くに落ちている水晶かららしい。


 見た目はそのほかと変わらないが、確かにリューの生命を感じる。手のひらサイズに落ち着いたひし形のそれを拾い、サラは首を傾げる。


「どうしてこんな姿に?」

『元の姿を維持すればお前の負担になる。この姿であれば、持っていても不思議はなく、常にお前の傍にいられよう』


 確かに、とサラは頷く。リュックに入れておくのも可哀想だし、どう持ち歩こうか考える。

 その答えはすぐに出て、それを鎖骨の前にかざして、呟く。


「首飾りがいいかな」

『好きにしろ』


 そういうとリュー、もとい水晶から金色の鎖が生え、くるりとサラの首に緩く巻きつき、ペンダントに変化する。

 こうした装飾にサラは慣れておらず、不思議そうに首から垂れ下がる水晶をじっと見つめる。


 反射する顔を見る。今までに見たことのないほど間の抜けた顔で、サラは思わず笑みを浮かべた。

 立ち上がるなり、リューが言った。


『サラ。お前はもう一人ではない。今も、これからもな』

「……ありがとう」


 水晶の首飾りを揺らし、サラは洞穴を後にする。


 道端の水晶をほんの少し収穫して出口に着くと、外は既に晴れ渡り、木の葉についた雫が陽光に反射してキラキラと輝いていた。


 強い光に目を眩ませつつも、そこは一際美しい世界に見えた。


「行こうか、リュー」


 銀色の髪を黒に、赤い瞳は藍色に変わる。麻色のカバンを背負って、また一歩、歩み始めた。

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