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黒歴史(カラーノート)  作者: 三概井那多
31/32

澄んだ青空よりも嵐の前の曇天の僕ら(オタクども)15

× × ×

 三人の創作活動は終わった。

 なんてことのない当たり前の失敗で終わった。

 それ以上もなくそれ以下もない。

 よくある黒歴史を書き残しただけだった。

× × ×


 夢を見ていた。これまで何度も見てきた夢だ。


 ゆらゆらと揺れた空間。身に覚えのない場所。そこは澄んだ湖があって、綺麗な花が幾つも咲いていて、蝶や小鳥が飛び交う……楽園のような場所。


 そこに私以外に一人、男の人が絵を描いていた。その人を知っている。いや本当は知らない。ただのイメージで私の中で創り出した夢の幻想でしかない。だから、私はその人の事をそう呼ぶ。


「お父さん」


『……………………』


 お父さんは何も答えない。こちらを振り向きすらしない。キャンパスに向かって何かしら絵を描いていた。


 私はお父さんとは会ったことはないが、写真くらいは見たことあるから顔を知っている。だから振り返らないのは夢の中だから顔がないわけじゃない。性格もお母さんから聞いて大体のことは知っている。絵を描いている時は絶対に振り向かないし、話を聞いている癖にあまり応答をしてくれない。そのくせ自分の方からはあれやこれやと話してくるのだと。


 だから、夢の中のお父さんのこの反応は、たぶん合っている。


 私はお父さんの背中を眺めながら話を続けた。



「お父さん、私、呉郷俵島に行ったよ。お父さんが描いた絵の島に。絵の描いた場所には土砂崩れで行けなかったけど。ハハハ」

『………………』

「あ、でも二人の男の子に出会えたよ。お父さんが言っていた出会いってやつあったよ。きっとあの二人がそうなんだ。二人共良い人なんだ」

『………………』

「一人はね、ういってあだ名の男の子でね。名前は杉田夕弌って言うんだ。顔とか喋り方は少し怖いけど、根は良い子でね。将来は作家になるのが夢なんだ。あと、スポーツとか運動が得意で一緒に遊んだ時、私とモカと二人で挑んでもこう、ぐいぐいのスーで、ドゥンって感じで凄い動き見せるんだよ。でも暴力的な部分が強いな。悪い人じゃないんだけど、なんでもかんでもすぐに手が出る不良さんなんだ」

『………………』

「もう一人のモカの方はね、仲村恭和って言って、顔が良い、イケメン君なんだ。色んな事知っているけど時々少し意地悪さん、でも良い人でね。夢は声優になるのが夢だって。物真似の声とか上手くて、隠れて朗読した時の声が良い声で話していてね。空気を読むのが上手い? って言えばいいのかな、話も上手くて、私達の中でまとめ役みたいな感じで、あ、でも少しドジな所があって、運動が得意じゃなくて海で溺れかけたり、苦手な食べ物が多かったりしてね」

『………………』

「あ、そうそう。私達三人で物語を創ろうって話になってね。ういが話を考えて、私が絵を描いて、モカが声を充ててくれるの。ドラマCDってヤツなんだ」

『………………』

「最初はねモカは断ったんだけど、後で考え直してくれて。……モカは前に友達と私達みたい仲の良いグループと一緒にゲームを作っていたんだけど喧嘩して仲が壊れちゃったことがあったから私達と一緒にやるのが怖かったみたいなの。でも私が一緒にやりたいって言ったら思い直してくれたんだ! モカって本当は怖がりなんだ」

『………………』

「それで肝心のドラマCDの内容は真っ暗な世界にいる記憶を無くした主人公の物語でね。そこで自分の記憶を探すんだけど、……これがね、死んだ人の物語なの。それで生き返ろうとする物語なんだけど……ういがね一度心折れちゃったんだ。現実で色々悩んでいてね」

『………………』

「それが影響しちゃってさ、物語の結末がバッドエンドで、主人公が救われない終わり方で生きること諦めちゃったんだ。ういも同じで自分で自分のことを殺そうとしていたの。心を壊そうとしていたの。……ういはね、本当は寂しがり屋なんだ」

『………………』

「でも……その時初めて考えさせられて、分かったんだ。残される側の気持ちが」

『………………』

「私はずっと、自分がいつ死んでもおかしくない立場だったから。あんまり周りの事を考えて来なかったってことに気づいたの。お父さんは自分の絵が残って、周りに見て貰って『あ、こんな絵を描く人がいるんだ』って思える人を、誰かの記憶に残る絵を描くことで自分が生きた証を残してきた、ってお母さんから聞いたけど。私も真似してみたけど、でもそれに気づいちゃったんだ」

『………………』

「大切な人がいなくなるのは悲しいこと、だって」

『………………』

「当然のことなのにね。でも私はいなくなっちゃう側だったからいなくなられる側の気持ちが全然わかってなかった。……二人にはね。そんな当たり前の大切なことを教えてもらったの」

『………………』

「その後何とかういが持ち直して、色々あって、悪しき教師を打倒して。また三人でやれることになって。それで三人で頑張って、ういがお話を書いて、私が絵を描いて、モカが声を充てる準備して……じゅん、び、して………」

『………………』



 そこで話が止まる。喉につっかえたものができたようにその先の言葉が出てこない。涙が溢れてくる。手で何度も何度も拭い去っても零れてくる熱いものを止めることができない。


 やめて、止まって、止まって、止まってよ! なんだ、なんだ、なんだよ、これ!! こんなの……。


 ―――もう終わりみたいな感じになるの、やめてよ!!



 身体の限界―――違うよ、まだ全然元気だよ!

 心の理解―――してない! 折れてなんかない!

 満足感―――ッつ! ……終わってない!

 後悔―――あるよ!! あるに、決まってんじゃん!!

 命―――う、うああああああああ!!!!!



 吠えた。生まれて初めてだったかもしれない。喉が潰れるほどの絶叫を飛ばして、それを全て否定する。


 私はまだ生きている! 生きているんだ、まだ終わってない。まだ、全然、何も出来ていないんだ!


 そう叫ぶけど抗えない現実のように世界は、私の人生を振り返るかのように世界の風景が切り替わる。


 家のベッド、病院のベッド、お父さんのアトリエのお気に入りの絵の前。それが私のこれまでで一番頭の中に根付いている記憶。何年も何年もそのサイクルが続く。その景色しか私は知らなかった。……でも!!


 風景が切り替わる。建物の中から一転して、外の景色に切り替わる。


 眩しい太陽が降り注ぐ青空。キラキラ光輝いてゆらゆらと小さく、大きく揺れる蒼海。デコボコとして時々ひび割れたような荒れた道路。一色ではなく、濃く薄く明るく様々な色合いを魅せる緑の山の木々、けたたましい蝉の声に涼しさを感じる清らかな風鈴の音。魚や野菜、肉、これまで食べたものとは比べ物にならない美味しい食べ物。澄んだ空気は場所によって変わり、潮に緑に大地が焦げた匂いは鼻をくすぐらせる。


 私が知らなかったものがこの目に初めて焼き付けた、この肌で感じてきたのが、この舌で味わった。この鼻で嗅いできた、この身体で体感してきたこの島での思い出。


 そして。


 二人の男の子姿が見える。


 大好きな二人。お母さんを除いた、誰よりも大切な人。初めての友達。


 少し怖い顔をした少年と、爽やかなイケメンな少年。


 二人は私を見ない。こっちを見ない。振り返らない。先の道を歩んでいく。私はその二人の背を追おうと走り出す。手を伸ばすけど届かない。


 二人はどんどん遠くへと行く。二人の歩くペースはそんなに早いわけでもない。だけど私がどれだけ走っても追いつかない。


 待って、待って、待って!! 私が叫んでも二人は振り返らない。先へと進んでいく。


 ずっと叫んで走り続けて、二人の後を追っていたが私は足を止めた。道が閉じれていたのだ。そこでようやく気付いたのだ。


 これは道のりだ。


 ただの距離というわけじゃない。私がどれだけ頑張ってもこの終着点で止まってしまう。二人の道はまだまだ先へと続いていき、私よりも長く遠く、続いていく。


 これは生きる道ではなく、生きていられる道を表して、二人との二人がこれまで歩んできた距離を表している。


 私は………。


 呆然と二人の背中を見つめる。遠くに行っちゃう大切な二人を。


 いつの間にか後ろにいたお父さんは筆を置き、こちらへと振り返って笑顔で訊いてきた。


『―――もう、こっちにくる気になったのかい?』




「やだなぁー………」



× × ×



 目が覚めた時、少しだけ暗い部屋があった。薄いカーテンからほんのりと差す赤い光が部屋の中を照らした。ボーっとする頭。夢と現実のどっちだ? とそんなことを思いながら体が熱で浮かされる苦しさから現実なんだと痛感する。


 寝起きとまだ引かない熱のせいで少しボーっとする。頭に貼っていた冷えピタももう冷たさはない。効果が完全に消えた後だ。


 部屋の中でごそごそと何か音がしていることに気づいて、なんだ? と思って顔を動かせるだけ動かして視線を……ああ、頭が痛い。首の覚悟を動かすだけで頭痛が走る。えぐるような痛みが一瞬だけ走る。痛みに耐えて音の正体を見る。


「おかあ、さん?」


「あら、目覚めたの? 大丈夫?」


 お母さんだった。お母さんは私が目を覚ましたことに気づくとすぐに枕元までやってきて私の体調について聞いてきた。うん、大丈夫と言うと「嘘」と一瞬で見破られた。


 お母さんは冷えピタの効果が切れたことに気づくと新しいものに張り替えてくれた


「そん、な、ことより、……なに、してた、の?」


「荷造りよ。明日にはあっちに行くわ」


「っ!? どうして……!?」


「約束だったでしょ! 大きく体調崩したらすぐに帰る、って。ねえ、真理愛、あなたの病気は治ってないの。分かるでしょう?」


 強くも優しい口調で窘められる。この島へと旅行に来ることが決まって、約束していたことがあった。私の体調を崩したらすぐに戻って先生の所に行くって言う約束だった。


 他にもいくつか、熱が出たら日は外で遊んでダメとか、薬は必ず持ち歩くようにとか、そういうのもある。だから、一日だけ。朝早くにういの家に行って、ういの書いた小説の感想を伝えに行って、そのままモカの家に行った日。あの日だけ熱が出たから一日家で休んだ。次の日には何とか体調を回復することができた。もし出来なかったらあの日で私の夏は終わっていたのだ。


 むしろよく回復して延ばすことができたことを今思えば奇跡とすら思えてならない。一度体調を崩すと今みたいな状態になるのに。


 やっぱりまだ二人といたかったからかな。二人の存在が私の気持ちを強くしてくれたんだと思う。


 でも、その奇跡(思いの力)の効果ももう限界だったようで、私は強制送還されることなった。


「……そっ、か。じゃあ、しょう、がない、か。……やく、そく、だもん、ね」


 私は……素直に諦めた。約束は約束だったから。


 心がキュッとした締め付けられる痛みが走る。夢で見た二人の姿が重なる。……どっかに行っちゃうの私の方じゃん。


 お母さんの前だから心配させないために顔に出さないようにするけど、この苦しみは病気の痛みなんかより何倍も辛いものだった。


 するとなぜかお母さん少しだけ辛そうな顔したような気がした。だけどそれも一瞬の事で思い出したように言ってくる。


「さっき、あなたの王子様二人が来ていたわよ」


「お……じ、さま……?」


 何のことだ? お母さんが変な事を言う、と思ったけど遅まきにそれが二人の事だと分かって、ガバッ! と状態を起こし上げる。「あ、コラ、ちゃんと寝てなさい」と窘められて、寝かされる。


 怒ったような心配そう顔をするお母さんだが、フフッと優しく笑い声を上げた。


「二人の事そんなに気になるのね」


「二人は……なんて?」


 不安を覚えつつ訊ねてみるとお母さんは肩を竦めて「怒られたわ」と謎の答えが返ってきた。え? と零すと少し楽しそうな調子で語ってくれる。


「あの、目の強い強そうな男の方……杉田夕弌君? うい君だったかしら? 彼に『僕は娘さんのために友達になったんじゃなくて、自分達の意思で友達になった』って、そんな感じにね」


 どこか嬉しそうに語ってくるお母さんはどうやらういに怒られたらしい。いや、ういなら怒るか。どんな会話か分からないけど、察するに台風の時と私と同じことで怒られたようだ。


「彼、カッコいいわね。真っ直ぐで男らしくてぶっきらぼうな優しさも。……ちょっと怖いけど硬派な男の子って感じで、お母さんは好きね。お父さんとは少し正反対だけど」


 お父さんは変わり者の面白い人だったけど、真っ直ぐな所は彼に似てるわ、とお母さんはお父さんを思い出しているみたいだ。ういに似た何かを感じ取ったようだ。


 正直、私にはその感覚は分からない。夢の中で出てくるお母さんの話でできた私の中で生み出された影法師のお父さん。ういの像とは大違いだ。


 絵描きだったお父さん。お母さんの話によると、お父さん曰く『僕は絵描きのつもりはないんだ。ただ、今日生きたという証を残しているだけで、絵を描いてるだけなんだ。寂しがり屋だからね。絵が残せれば誰かの目に止まったら記憶に残るだろ?』とのこと。


 そんな口癖のお父さんも私と同じ病気で死んだ。


 私はお父さんの病気が遺伝したのだ。


 会ったことも死別したお父さんとの数少ない繋がりがまさかの病という名の呪いだったなんて。


 ふと夢でのことを思い出す。さっき見た夢とは違う。この島に来るきっかけとなった夢の方だ。あの時の夢で、この場所を導いてくれたお父さんは最後にこう言ったんだ。


『そうしたら、思い出が溢れていつ死んでも寂しくない』


 人との出会いについて説いたお父さんの持論。生きている人間が死にゆく時の答え。私の中にも刷り込まれた格言のような、何か、だった。


 だけど。……………それは私の答えじゃ、なかったんだ。


 あくまでもその考え方はお父さんの答えであって、私はそれを我がもの顔として語っていただけだ。お父さんがそういう生き方をしたから手本にしてしまったんだ。


 少ないお父さんの繋がりを大事にしたかったから真似をした。お父さんの生き方に共感したから自分もそうであるべきだと真似をした。


 でもそれは間違いだったんだ。共感や考え方を似つかわしても、結局私とお父さんは違う人なんだ。お父さんはお父さんの人生を歩んできたからその結論で落ち着いたんだろう。『死んだとしても、人の思い出の中に残る』ことが美徳だと本気で信じていたんだろう。


 憧れて、尊敬していた。今だってそうだ。それがカッコいい生き方で、サイコーの死に様なんだと思う。


 でも、それをただ真似していても駄目なんだ。それでは私は私ではない。私が生きてきた証明にならない。証になってくれないんだ。


 そのことを、大事なことを教えてくれたのは、あの二人なんだ。


 意識が朦朧とする。頭がちゃんと回っていない感じ。考えがぐちゃぐちゃで上手くまとまらない。だけどこれだけはちゃんと言っておかないと、自分の口でちゃんと言わないと多分後悔すると思って、今出せる精一杯の声を上げる。


「ういも、モカも、……二人共、おうじ、さま……なんかじゃ、ないよ」


 声を出してお母さんの言葉を否定する。え? と何を言われたのか理解が追い付かないお母さんだったけど気にせずに私は続けることにした。


「二人はね、おひ……め、さまの、ために頑張る人なんか、じゃない。………自分の、ため、夢のために、頑張る人、なの……」


 二人はそんな人じゃない。優しくはあっても、そんな甘い人じゃないんだ。


 二人は、囚われた姫を助けてくれる王子様じゃない、眠りの姫を起こしてくれるだけの王子様じゃない。


 悩んで、迷って、戦って、逃げて、折れそうになって、挫けそうになって、でも捨てられない胸に秘めたもののために頑張る、強い人なんだ。


「真理愛……」


 お母さんが口零すのを耳に入れながらも、私は手を伸ばす。夢の中で二人の背を追って伸ばしていたようにそれを捕まえたくて。二人に追いつきたくて!!


 モカが言ってくれた! 『悲劇のヒロインぶるな』って。そうだ、ただの囚われお姫様や眠り姫なんて、王子様の助けを待っているだけの悲劇のヒロインなんてまっぴらごめんだ。


 私は! ……私は!!


「わたしも………ただ待っているおひめさまなんかじゃなくて、…………夢のために、夢を追う人になりたかった」


「………っ!!」


「あの二人に追いつきたい! 一緒に歩いて、同じもの見たかった、見かったんだ………」


 私は自分で、自分の生き方の答えを見つけたい! 生きた何かを証を掴み取りたいんだ!


 お父さんが自分で見つけてその生き方を選んだように、二人が頑張って前へと進んでいく遠い背中に遅れて行かないように。


 私だけの、生きてきたから見つけた答えが欲しいから!!


 そして、できるなら二人と同じ道を歩―――。


 ―――天井へと伸ばした手。柔らかくて温かい手が握られる。お母さんの手だ。


「ゴメン、ゴメンね! ……でもお母さんはそうしてあげられないの!」


「……………」


 涙が崩壊して何度も何度も謝ってくる。


「真理愛がここで素敵な出会いがあって、良い友達に巡り合えて、生まれて初めて外の世界に触れたことは本当に嬉しいの! 叶うことなら時間を止めて、ずっと真理愛が健康で元気に友達と仲良く暮らせる世界のままに、お母さんだってしたいの!!」


 伝わってくるお母さんの心。温かくて優しい、だけど後悔と恐怖で張り裂けそうな思いで綴られた内に秘めて抱えてきた言霊。


「せめて真理愛が願うならここで好きなだけ素敵な時間を過ごさせてあげたかった。でも、無理なの!! お母さん、真理愛もお父さんと一緒の所に行ったら……お母さんは、お母さんは!! どうしていいのか、本当に……、分からないのよ……」


 分かっている。お母さんだって辛いことを。お母さんが一番つらいことは。お父さんと私、家族二人が同じ病気で、治るかどうかも分からない。いつ死んでもおかしくないのに、毎日毎日不安と恐怖を抱えて生きてきたんだ。


 覚悟ができたお父さんと、それを見習って生きてきた私なんかよりもずっと怖かったに違いない。……本当に私、残される側のことを考えて来なかったんだ。


 今更ながら自分どれだけ身勝手だったか痛感する。


 泣くのをやめ、顔を上げて目を真っ赤にした険しい顔つきで私に言ってくる。


「真理愛、明日に帰るわ。帰って、先生に診てもらって、……それでまたいつか来ましょう。ここに来ましょう! 絶対に!」


 その瞳には力を秘めていた。覆すことのできない力強い絶対の意思を感じる瞳。何が何でもそれを貫き通すというもの。怖い目だった。お母さんがこんな目をできるなんて知らなかった。


 母は強し、って言葉がすぐに出てきた。子供を守ろうとすることが伝わってくる。


 ……そんな目をしなくたって私はお母さんの言うことに従うよ。これ以上お母さんの事を悲しませたくないんだ。


 私の覚悟は決まっていた。


 ういとモカのことは大事だったけど、それと比べられないくらいにお母さんのことも大好きだった。私がいなくなったら、お母さんが独りぼっちになっちゃうから。私にどれくらい時間が残されているか分からないけど、それでも生きている間に大切な人を悲しませたくないんだ。


 そのことをちゃんと学んだから。


「………うん」


 私は笑顔で頷いて帰ることに了承した。


 覚悟して、了承しておきながら心にナイフが突き刺さったような苦しみが現れる。


 いつか、っていつだろうか?


 お母さんの口は『来年』とは言ってくれなかった。もっと早く来れるだろう『冬休み』でもなかった。不透明な『いつか』って言葉だった。


 ………自分でも嫌になる。そんな小さな言葉の綾を気にしてしまうほど、私はいやらしい人間で、弱い人間だった。


 ごめんね。ごめんね。二人共。やっぱり約束守れそうにないや。


 ごめんね、うい、ごめんね、もか。私が言いだしたことなのに、結局何も創り上げることができなくて。弱い私で本当に、ごめんね。


 私は心の中で何度も何度も二人に謝った。許してくれるわけがないと思いつつ、私は謝る以外にできることはなかった。


 もしかしたら二度と会えない大切な人達に。


 私は明日、帰る。


 やっぱり、私は諦める人間だ。


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