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黒歴史(カラーノート)  作者: 三概井那多
30/32

澄んだ青空よりも嵐の前の曇天の僕ら(オタクども)14

 台風が明けた土曜、体調を崩して家へと帰った梶田はそのまま土曜は会うことはなく。今日、日曜日の昼になっても顔を出さない。流石に心配になった俺達は様子を見に梶田の家へと足を運んでいた。


 杉田がいるので自転車という足があるので、二人乗りで移動した。


 梶田が借りている家は所謂『別荘地』と杉田達地元民から呼ばれている場所だった。普通の宿も存在するのだが、島おこしの一環でもう使われていない家を改築して、所謂別荘みたい使用されている借り家がある。……『別荘』というには少し質素な家々。空き家の再利用なのだからそれも当然か、田舎の一軒家みたいなのがほとんどだった。


 だが、梶田の借り家は別荘というには相応しい家建ち。明らかに他の家々とは違う、家のリフォームというよりも新たに建てたような真新しい家だった。田舎に建てられている家であるが、他の家と比べると豪華さというかグレードが明らかに違うもの。


 塀なんて古びた石畳か生えた木々で遮っているのがほとんどなのに、キチンと整備されたタイル張りの塀に囲まれているし、家もあまり日に焼けていない色白さが目立つ。車もほとんどは道端や邪魔にならない場所に車を置いているのに、ちゃんと車を置ける車庫が存在している。


 これは確かに別荘の言葉に当てはまる良い家だった。できることなら俺もこっちの家に住みたかった。


 例えるなら……アニメ『氷菓』の奉太郎君の家と言えばいいのか。そのくらい周囲との差を感じられる。


 羨ましいと思いもありつつも家の前の邪魔にならない所に自転車を止めて、敷居に入り俺達は家の玄関の前に立つ。


「押してくれや、俺だとピンポンダッシュしたくなるけん」


「子供か」


 お子ちゃまなことを言ってくる杉田の代わりに俺がピンポンを押す。一度目は反応なく、二度目も押し、三度目を押そうとした時に『はい』と返信がきた。声からして梶田ではなく、梶田の母親だった。


「あ、あの、梶田……真理愛さんのお宅ですか?」


『君たち……ごめんなさい。真理愛は熱を出していて会える状態じゃあないの』


 やはり体調を崩したようで状態は芳しくない様子だった。俺達は顔を合わせて、帰るか? と目で言うと杉田もそれに頷いて撤退をすることにした。


 そうですか、ならお大事にとだけ伝えてください。と言って俺達は帰ろうとしたら『ちょっと待って頂戴』と呼び止められた。


『少し……時間あるかしら? 外暑かったでしょう、せっかくだから冷たい飲み物だけでも飲んでいかない?』


「え、でも……」


『あなたたちに真理愛について大事な話があるの。……どうしても用があるなら止めないけど』


 梶田について大事な話があると言われて、帰ろうとしていた気持ちが消え、その場に踏み止まる。もう一度俺達は顔を見合わせて、どうする? とりあえず聞くだけ訊いてみるか、と俺達の中で即決し、「分かりました」と返答する。


 しばらくしてドアが開き、梶田の母親に出迎えられ、家の中へとお邪魔する。


 リビングルームに案内され、俺達はソファーへと腰掛ける。梶田母はキッチンの方へと行き、言っていた通り冷たい飲み物を用意している。


 部屋の中はよく冷房が効いていた。待っている間の数分間、横目でチラチラと部屋の中を観察する。部屋は小奇麗に整理されていて、何となく自然に思えた。


 いやなんというか、借り家として使っているから殺風景……極端に何も物を置いていないとか想像していたわけでもないが、物の使い方や置物などの配置、使っている芳香剤の匂いや空気がこの家に住んでいる人の独特の雰囲気が出ている。


 人は皆、個性はあるし、えり好みも多いだろう。服など持ち物がその人を表すというし。特に住んでいる家となるとその人の隠しきれない正直な面が表に出ることが普通。自分の陣地だ、リラックスできるようにしたいから。


 そこに住んでいる人柄のをよく出るというが、この家自体何だか住んで二週間ってほどなのに、なぜか梶田親子がずっと住んでいたような雰囲気が出来ている。


 洋風テイストの部屋のせいか?


 そういえば梶田も俺や杉田ん家に入った時、興味深そうにあちらこちらと見ていたな。今思えばあれは、この家と俺達の家の造りに対して思うことがあったのだろうか。俺の家もザッツ和風の畳匂いと縁側から景色が見えたり、裏山があったりなどの一番イメージしやすい「これぞ田舎の家」みたいな造りで、杉田の家は和風であるが、日本の民家って感じの普通の家だった。それぞれ違いがある。


 そんなこと思っている内に梶田の母は飲み物をトレイに乗せて運んできて、俺達に注いで出してくれる。


 出されたのは手作りのレモンティーだった。


 一口含むと市販のものよりも美味しく柑橘系苦みと甘いハチミツが上手くマッチしており喉心地もいい。風邪の時やこういう夏の暑さでバテの日にはちょうどいい飲み物だ。


 ……このレモンティーそのものは梶田用に作られているんだろうということがハッキリと分かる。


「美味しいです」


「うまかっす」


「口に合ったようでよかったわ」


 俺達はとりあえず、レモンティーを含んで一度喉を潤してから一息を付いて感想を零す。梶田の母は俺達の反応が良かったことに喜んで微笑む。


 少しだけ空気が和らいでこのまま少し雑談から入って和やかに会話で過ごす、アフタヌーンティーの時間に過ごすんじゃないのか、と想像したが、特にそんなことにはならなかった。


「で、二人は真理愛に会いに来てくれたのね」


 梶田の母から直球で目的の話題を振られてきた。当然だ、俺達は別に、娘には内緒で美人の母親と密会して午後の一時を楽しみに来たわけじゃあない。


 自然と背筋を伸ばして梶田の母に瞳を真っ直ぐ向けて返事をする。


「はい」


 

「あなたたちのせいで、あの子が今あんな風になったから?」



 ドクン、と心臓が強く高鳴った。まるで真相を突き付けられた犯人のような気分だった。


 隣で杉田の眉がピクンと動いた気がした。だけど、横目で確認することはできない。


 正面から冷たい眼光がこちらへと向けられている。背くことも、逸らすことも一切許さない氷の女王のような瞳。それによって凍らされたように体が動けなかった。身体が冷えたのはクーラーの冷房のせいだけではない。


 彼女の瞳には確かな怒りが含まれていた。娘の体調を崩した元凶を許さないという目、存在を否定し軽蔑する強さを秘めていたもの。杉田の怒った時や、あっちにいた頃に友人達と仲違いした時のギラついた荒々しいものはない。


 むしろ静かであり、同時に鋭い痛みを伝わらせるもの。


 アイツらのが赤い炎なら、こっちは青い炎というべきか。


 梶田の母の威圧の凄みはこれまで味わってきたものとは一味も二味も違っていた。


 生唾を飲み込んで、額の汗が零れ落ちることなど気にせずに、反射的に口が動いてしまった。


「す―――」


「なんて、ね。冗談よ」


 謝罪の言葉を口にしようとした頭を下げた瞬間、空気が変わったような明るい声色が聞こえて、え? と慌てて頭を上げる。


「ごめんなさい。少し試したの。あの子に対して今どんなことを考えているか、心配、不安、罪悪感や後悔、それとも他に別のことを考えているか。少し意地悪だったわね」


 そう先ほどの凄みを無くして、優しい柔和な笑みを浮かべている。悪意や敵意といった先ほどまで感じていた刺々しさのようなもの感じられない。むしろこっちの方が素の方にも思える。


 ……いや、騙されるな俺! 女の本性はしている化粧よりも上手く隠されているもんだ。俺達のグループを破壊したサークルクラッシャーの姫を思い出せ! アレが良い例だろうが!


 トラウマのことを思い出しつつ、先ほどの怒りのオーラを纏っていたことから女は怒らせると怖い、と胸に誓いつつ、いつまた豹変して梶田の事で怒りを向けられていいように身を引き締める。


 梶田の母、レモンティーを一口含んだ後、続けて話してくれた。


「君たちのせいじゃないの。いえ、むしろ感謝しているわ。あの子に友達ができたことが。あの子が楽しく遊べたことに。これまでそんな経験がなかった子で、外で友達と遊ぶことが憧れていた子だったから。だからなのかも、ずっと興奮しっぱなしだったから、病気が弱いことも忘れて元気にいられた。だけど同時にそれまで溜めていたものが一気に反動がきたみたいね」


「……………」


 自業自得というよりもしょうがないこと、と言うように優しくも悲しそうに話す梶田の母。俺達は何も言えず、ただ黙っていることしかできない。


「予定を早めて明日には経とうと思うの」


「「え?」」


 突然の急展開に理解が遅れて俺達は口を揃えて驚いた。遅れて意味を理解して裏返った声で、なんで、どうしてですか!? と俺が訊ねる。梶田の母は目を細めて静かに答えてくれる。


「実はあの子、本当は生まれつき血液の病気でね、今は安定して元気だけど、本当は今年の春頃まで入退院を繰り返しだったの。学校もほとんど行ったことがなくてね」


 それ二日前、梶田自身の口から聞いた話と一致していた。


「それは知ってます。梶……真理愛さん彼女本人から聞きました。治ったんですよね?」


 梶田母は首を横に振った。


「あの子の病気は治らないの」


「え?」


 治らない、と言われてまた理解が追い付かなくなる。治らない? え、だってアイツはいつも馬鹿みたいに元気でいて、今回体調を崩したのだって旅行中の無理が今になって響いたからじゃあ……。


 困惑する俺。隣の杉田は何も言わずただ眉を顰めていつも以上に真剣な怖い顔をしているだけだ。


 梶田の母は視線をカップの中身を見つめる。その目に黄色い飲み物以外に本当は何を映しているのかよく分からないもの見つめているようだった。やがて口を開く。


「白血病って名前くらいは知っているでしょ? それの少し特殊なケースでね。骨髄移植も一度は出来たんだけど、手術は一時的な安定しただけで再発の可能性が大。二十歳まで生きられたら運のいい方って言われたの」


 白血病。名前を聞いたことあるレベルじゃない。テレビでもアニメなどでも幾度も挙げられている病名で、梶田から『血液の病気』と言われ、生え始めたような髪の毛をした禿げ頭―――明らかに放射性治療を受けたであろう状態から見た時からある程度覚悟していた。


 そこに大きな驚きはない。だけど動揺自体はあった。


 当たって欲しくない勘が当たってしまった居心地の悪さが心中を渦巻かせる。


 それは杉田も同じなのだろうか? 隣のヤンキーはずっと口を閉じて、話の展開を静かに聞くことを務めていた。感情が見えない。


「多分、夏風邪程度のこと。台風の気圧や避難所の空気、それで今まででの疲労感が一気に出てきたのね………大事を取って帰って主治医の先生の所に行くことにしたの」


 夏風邪なら普通の人なら数日休めば大丈夫かもしれない。けれど梶田の体のことを聞いたならば何も言えることができなかった。


 夏風邪ならしばらく寝れば治りますね、お大事に、なんて場違いな間抜けな台詞、口が裂けても言えない。


 俺達は……俺達でそれなりに覚悟していたつもりだった。アイツから病気のことも聞いていた。でもアイツは…………なんでそういう大事な話ちゃんとしてねえんだよ!!


 まだ治ってない。治らない。夏風邪レベルでもすぐに主治医のいる病院に連れて行かないといけないレベル。


 そんな重い病気なんて!! ………言えるわけないよな。


 頭に血が上っていたが、一定値が超えたのか逆に冷静さを取り戻せた。


 ああ、言えるわけねえ。仮にアイツの立場だったら、自分の重い事情を話すわけがない。台風の日に話してくれたのは、俺と杉田なんというかそういう空気を作ってしまったせいだ。


 台風で閉ざされた教室。外の荒々しい雨風が吹いているのに、中は何だかしっとりとした空間。世界と切り離されて、俺達三人だけの世界になってしまったような不思議な雰囲気に。いつもと違う感覚に完全に酔わされていたのだ。


 そのせいで内緒にしていた自分たちの秘密を打ち明かしてしまう流れになってしまって、アイツは言える範囲で言ってしまった。


 全部言えなかったのは、アイツは俺達に『普通』を求めていたから。


 アイツが今まで味わってこなかった『普通』ってやつを欲していたからだ。


 友達と話して、笑って、言い争いになって、流して、仲直りして、遊んで、はしゃいで……その手のことを何の気概もなくやりたかったからだ。


 あの時、アイツが秘密を打ち明かしてくれたのはアイツの中でそれだけの勇気があったんだと、伝わってきた。伝わってきたから杉田は怒って、俺は肩を貸したのだ。


 体が弱いことを気にしない、髪が抜けた頭を気にしない、今まで友達がいなくて、欲していたことを気にしない、やってみたいと無邪気に施してくることを気にしない。


 俺達の中で梶田真理愛は梶田真理愛でしかないから、いつも通りに触れられる。アイツ自身も求めている『普通』という当たり前に。


 でも、もし、あの時、『実はまだ治っていない』と言われた時、果たして俺はこれまでと同じような扱いを出来ただろうか?


 梶田のことを、今まで通りではなく、……同情した目でただの病人として扱ったのではないのか?


 ……自信がない。それをしなかったという自信が、俺にはない。

「あの子の父親も同じ病気でね、二十代後半になる前に、あの子と生まれるのと入れ替わるようにして亡くなったわ」


「……………」


 白血病の治療法は骨髄移植しかない。しかも適正の合うのは例え血縁者だとしても一握り。それ以外だともちろんもっと低い、正真正銘の難病だ。それを親子二代で同じ病気になるとは因果関係として最悪だ。


 会ったことのない親子として繋がりが、こんな形で結ばれるなんて梶田も本位じゃなかっただろうに。


「発病は早かったわ。保育園の時からずっと家と病院を行ったり来たりの闘病生活。できることがあの子の父親の絵を眺めて、それをお絵かきして外に憧れを描くことだったわ」


「…………」


「けどね、あの子一度も外で遊びたいとか友達が欲しい、って言ったことなかったの。そもそも我儘自体も殆ど言ったことがなかったの。心では望んでいるのに、それが叶わないと分かっているから口にすることは……全部無駄だと思っていたのでしょうね」


 我儘……。梶田の母の言葉が引っかかる。


 俺達の中のイメージの梶田は元気で明るいアホ娘で、我儘、というか少なくともあれがしたい、これをしたい、といって俺達に甘えてくる所は何度もあった。俺達は面倒くさがって聞いてやったたり聞かなかったりしていた。


 少し我儘を言わないという場面は正直想像がつかない。だが、……聞き分け自体は良かった気がする。


 少し前のことを思い出す。カキ氷を食って夏らしい気分を味わいたい、って梶田は言っていた。最終的には妥協を重ねてスプライトになった。


 たったそれだけのこと。たったそれだけのことなのに。


 アイツにとってそれまでは口にすることもなかった、我儘だったってことなのか。


 意識が遠のくような気分に陥る。


 アイツがやりたいって言ったことは全部冗談や大袈裟に誇張しているだけの、でも本気でやりたいことは分かっていたのに。伝わっていたのに。それなのに、俺達は……。


 自然と拳を握り締めていた。


 今の渦巻いているこの感情が自分でも分からない。後悔なのか、怒りなのか、申し訳なさなのか、不甲斐なさなのか。……ただ、あの時に近い感情であることは間違いなかった。


 俺のグループを壊してしまった日の、あの時の感じだ。


 でも少し違うとすれば、それは……。


「そんなあの子の初めての我儘が「この島に行ってみたい」って願いだったの。あの子の父親が訪れて描いた絵が合ってね。あの子この島の絵が好きで一度来てみたかったようだったから。今回の旅行に思い立ったの」


「それは……娘さんから聞きました」


 嵐の日の夜に。秘密を語り合っていた時に。彼女が勇気を以って自身について話してくれたことだ。


 梶田の母親は目を大きく開いたがすぐに細くなって「そうなの」と深く頷いた。


 カシャ、と小さな音。本来なら気にしないでいいほどの小さなカップをテーブルに置いた音が耳によく響いた。見れば梶田の母は佇まいを正して頭を下げて告げてくる。


「だから、あなたたちには本当に感謝しているの。あの子に仲良くしてくれて、一緒に遊んでくれて。それに今……あの子の思い付きで、三人で何かやっているようだけど、それについては申し訳ないけどもういいわ。ここまであの子の我儘に付き合ってくれて、本当に、どれだけ感謝の言葉をしてもしたりないわ」


 頭を下げて、そう感謝に溢れたもの、泣いてはいないが少し涙ぐんだものが心の底から本音が込められた言葉を贈られた。


 病弱な娘のために。と母親としてどれだけ嬉しかったことか、そう零している梶田の母。正直、俺には分からなかった。


 俺は本当にアイツのために何かしてあげたのか? アイツに喜ばれるようなことをしてあげられたのか? 今この人に頭を下げられてまで感謝されるようなことをしていたのか?


 少なくとも俺はずっと自分の事ばかり考えていた。梶田の事情を知らなかったこともあるが、それでアイツに優しくしてあげたことなんて数えるほどしかしていない。


 女の子が少し怖かった。だから少し距離を取っていた。また女の子の関係で失敗するのが怖かったからだ。


 俺が関わったというよりも、アイツがこっちに近づいてきたって感じだった。話して、笑って、からかって、どういう人間かを知って、「ああ、コイツなら大丈夫だ」と思えたんだ。コイツは安全だと思えて心を開くことできて、立ち直ることができたんだ。


 だから、梶田の母に感謝されるいわれはなくて、むしろ感謝するのは俺の方だったかもしれない。


 顔を上げてください、感謝されることじゃあありません。病気の事なんて知りませんでしたから、友達だから普通に接しただけです。


 そんな月並みな事を言って、梶田の母を宥めようと。……ただでさえ居心地の悪い感覚を、落ち着かない感情を向けられて、これ以上自分の中で気持ち悪くなりたくなくて、拒絶する思いで、彼女の善意に罪悪感に湧く気分から逃れたくて、口を開―――。



「……もうよか、ってどがんかコツです?」



 ここまでずっと口を閉じていた杉田がついに口を開けた。放った声は怒を含んだものだった。


 まずい、と慌てて「おい」と諫めてみるが時すでに遅し、俺の声は届かず田舎ヤンキーは怒りを込めた鋭い眼光を梶田の母に向けたまま言葉を続けた。


「アンタも、アイツも、……ドイツもコイツも! ふっざんくんじゃあなかぞ!!」


 ヤツは吠えた。バン! とテーブルを強く叩いて乗っていた振動でカップが揺れる。幸い中身は零れなかった。


 杉田はハァハァと鬼気迫った呼吸を乱したように自分を落ち着かせているのか。……いや、違う。もうパターンとして分かっている。杉田は腹の中にある物事を出そうと煮えくり返っており、それを今に吐き出そうとしているのだ。


 だから、次に来る言葉は決まっていた。この間と同じ。


「なんば勝手に諦めてくれとっとか! なん、そがん自分達の都合のよか、美談で語りよっとっか!! そるはお前ら(わっだ)の中で話じゃなっかか!!? そがんこつ、俺は知らん! 俺は自分のために作品ば書いとる! だけんアンタやアイツに『我儘を答えてくれてありがとう』って感謝ばされる言われはなか!! これはアヤツにも(ゆう)ったコツ!」


 杉田の怒声。梶田の母は目を大きく開けてこれ以上ないくらい驚きの表情をしている。それはそうだ、何度か顔を合わせた程度の娘の男友達が対面して話していたらいきなりキレ出したなんて状況。何がきっかけでキレたなんて、そうそう分かるものじゃない。


 困惑する梶田の母だが、ヤツは止まらない。田舎ヤンキーのキレはこんな程度じゃあ治まらない!


「俺はな、好きなんもんば好きでいたかだけや!! 大事なもんば大事にしたかだけや!! そっば侮辱すんなや!! アンタには娘の我儘に付き()っとるだけの関係の、友達ごっこの、青春ごっこの、子供の遊びかなんか見えるかもしれんばってん、こっちは本気でやっととぞ!!」


「………っ!」


俺達(おっだ)はな! 今ば本気で生きとっとぞ! そるはアイツも同じ、誰かのためじゃなか、自分の心に従ってやりたかと思って生きとる! そっば『もういい』なんて言葉で切り捨てんなや! まだなんも終わってなんかなか!!」


 熱く迸る自身の感情をぶつける杉田。支離滅裂で自分の事にしか頭にない、大変子供っぽい言葉の羅列に呆然とする俺と梶田の母親だった。


 けれど、なぜか杉田の言葉は胸の所にあった何かが、突っかかりを取っ払ってくれたような居心地の良さがあった。


 ……ったく、お前のそういうところホント羨ましいよ。


 俺は心の中で悪態を吐くような感謝の気持ちに湧いてきた。


 言いたいことを言い終えたのか、はぁはぁと乱れた息遣いの杉田。今度は落ち着かせるためのものだった。梶田の母は驚きの視線のまま。


 二人の目は合う。強い意志を秘めた瞳とそれ見つめる瞳は交差し合う。そして。


「帰っぞ」


 ご馳走さん、と言い残して杉田はこの場から立ち去る。おい、待てよ、と慌てて後を追おうとして、立ち止まって梶田の母の方へと振り返る。


「すいません、お騒がせしました。アイツにはこっちから言っときますんで」


「え、ええ。………いえ、そうね。彼の言う通り、別に、あの子の付き合いで友達になったってわけじゃないわね」


 そう納得したように呟いた。内容はともかく杉田の真意自体は伝わったようだった。


 一先ず悪い印象自体は与えていない。もし与えてさっきみたく氷の女王のようなラスボスオーラを出された洒落にならん。別に喧嘩売りに来たわけじゃない。


 そもそも目的は梶田の体調を聞きに来ただけなのに、どうしてこうなったんだか。頭に抱え、特に大事にならなくてよかったと一安心する。


 安心したら安心したで、さっきのやり取りを思い出し、俺からも一言言っておきたくなった。本当は言うべきかどうか少し迷ったが、でも言っておきたいと心から思ったため言っておく。


 どうせ、杉田で言い荒らした後なんだ。俺が一言二言言ったところでもうそんなには変わらないだろう。


 顔だけ梶田の母に向けたまま俺は言う。


「まあ、俺達は友達って言えば友達なんでしょうけど、最初は多分、なーなーの関係でしかなかったんでしょうけど。……今はそうじゃないんです。俺も、アイツも、真理愛さんのこと大切な仲間くらいに思っているんです。だから、他人事みたいに扱って欲しくなった。ただそれだけ」


「ええ、……ええ。もう十分に分かったわ」


「あと、真理愛さんもお母さんも、俺達に出会えたことに感謝しているみたいだけど、……こういうと恥ずかしんですけど、感謝しているのは俺達の方って言うか、何というか」


「え?」


「…………俺達が逆にアイツに救われたんです。アイツの馬鹿正直な所に、我儘な所に、人を思ってくれる所に、手を差し伸べてくれたことに、本気で泣いて怒ってくれたりして」


「……あの子が?」


 杉田の時の違う驚きの顔を見せる。娘の意外な一面を信じられないと言わんばかりの表情。嘘やお世辞ではない。少なくとも俺は本気でアイツについて感謝しているし、杉田も同じ思いのはずだ。


 一緒にやろう、と俺へと手を差し伸べてくれた。それがあったからもう一度人間関係をやり直そうと思えた。


 自分を殺さないで、と杉田のために泣いて怒ってくれた。それがあったからもう一度戦おうと立ち治れたのだ。


 あのアホ娘は誰もができることを……空気を読む、距離を置くという社会として生きていく上で必要なものを持っていなかった。病気による入院生活で人と接してこなかったから身に着けることができなかったのだ。


 多分それは今の現代社会においては致命的な欠陥なのかもしれない。……少し大袈裟に盛っている部分も否めないが。


 それでもその無鉄砲で直情型で、真っ直ぐに感情をぶつけてくれたことを、正面から分かり合おうとしてくれたことは俺達にとっては何よりも嬉しかった。そう、嬉しかったんだ。


 だから。


「ありがとうございます、アイツに出会わせてくれて。アイツに出会えなかったら多分、中途半端なまま気持ちのままでした」


 俺は感謝の言葉を述べて梶田家を出たのだった。


× × ×


 陽炎がユラユラと揺れる舗装がボロボロの田舎道を二人乗り自転車走っている。台風が過ぎ去って二日、快晴の空は湿ったものはなく、カラっとした澄んだ青空をしていた。


 夏の日として暑さは絵に描いたような風景が広がる道。だけど自転車に乗っている俺達二人の心はどんよりとしていたい。


 澄んだ青空よりも嵐の前の曇天と言ったところか。

 

「………………なぁ」

「なん」

「梶田ってさ、海で泳ぎたいって言っていたよな?」

「ああ」

「泳がせてやった方がよかったのか?」

「知らん」

「水着ってどんなやつと思う? スクール水着? それとも普通に買ったやつかな?」

「前に言ったやろ、こん島はこんまんま入る。服ば着たまま」

「そうだったな」


「……梶田の事好きか?」

「…………普通」

「……俺もさ、同じ。好きだぜ。友達として普通に好き」

「………………」

「でも女として言われると、体はともかく、恋愛対象としては違うなって感じ。仲のいい女友達」

「やな。妹がもう一人できた感じ。っつーか、俺は大体の女はそういう風にしか見れん。田舎者の弊害やな」

「そういう奴ほど島出た時、都会で悪い女にひっかかりそうだよな。恋愛経験なさ過ぎて」

「流石、オタサー姫に引っかかった奴の言うことには説得力あるばい」

「おい、やめろ! 弄っていい所と悪い所があるぞ!?」

「お、お、おおおおい!! 揺らすな! またコケっどが!?」



「……なあ、アイツ死んだら悲しいか?」

「……そりゃあ、な」

「俺は……正直想像が付かねえよ。昨日まで一緒にいた奴死ぬのなんて。お前は想像つくのか?」

「……人は死ぬぞ。当たり前に。ポッといく。隣りに合ったもんが知らんうちに消えっぞ」

「……………」

「最初はな、ただ姿が見えんなゃーってくらい違和感で。時間が進めば、そん違和感もなくなってある時ふと思うんだ『あ、いなくなったんだな』って」

「……………」

「俺は初めてん時はそうだった。あん人がそうだった」

「……知らねえよ。んなもん」

「……覚悟なんか意味がなかぞ。そいつはくる。必ずくる。防ぎようもなくくる。胸ん所にくる」

「知らねえってつってんだろ!!」

「…………」

「…………………ああ、クッソ!!」

「…………」

「ちげーんだよ。そういうのとか、本当にちげーんだよ!」

「……ああ、分かっとる」

「…………………」

「…………」



「なあ、アイツにしてあげられることってあると思うか?」

「…………」

「どうだ? 梶田真理愛に対して、杉田夕弌が、仲村恭和がしてあげられることは何かあるか?」

「…………」

「どうなんだ? 杉田夕弌! どうなんだ? 仲村恭和!」

「………か……」

「梶田真理愛に対して、俺達二人ができることは?」



「なか!! なんもなか!」

「ッ!! ……クッソ。……ああ、そうだよな! 何もないな!」



 その一言でようやく吹っ切れた。俺達は起き上がって、もう一度自転車に乗り込んで俺の家へと急いだ。


 俺と杉田の考えは一緒だった。結局の所、俺達が梶田真理愛に対して何かしてあげることはなかったのだ。


 アイツは倒れて、明日には発つ。そんな短い時間で俺達がしてやれることは何もなかったのだ。


 もし、これが漫画やドラマの青春の物語で、夏に出会った俺達三人の一夏の出来事ならば何かあったかもしれない。例えば、三人の創作活動の作品を完成させるなんてことを。


 でも俺達はその選択肢を選ばなかった。


 何故なら始めた時から言っている。……俺達は三人でやるから意味があるんだ。


 仕事やサークル活動ならメンバーの欠けた状態でも、代わりや妥協案を呑んで何とか形付けて完成を目指すのが正解だ。遊びじゃなくてプロだから、金銭が掛かっているから、本気の活動だからとそれが理由だ。


 でも、俺達はそういうのはとは違う。


 ならなんだ? 俺達のグループは? 俺達三人は?


 決まっている。


 俺達は互いに何かを失敗して、ずっと後悔して、戦って、這い上がろうとして、やり直そうと、また戦おうと、叶えたい願いがあって集まった、どこにでもいるオタクどもでしかない。


 だから何かをしてあげることではなく、一緒にする道を選んだ。


 他の誰から見れば、ただの失敗者たちの傷の舐め合いの無様な関係性にみえるかもしれない。別にそれでいい。いいんだ。


 俺達は俺達で、お前らじゃない。


 青春ものの主人公のように輝いたサクセスストーリーの如くちゃんと綺麗に終わり、収まる、創作物じゃない。


 ただの夢見て、叶えようと必死に努力して、そしてどこにでも溢れる形の失敗で終わる現実のオタクでいいんだ。


 俺達の創作活動はよくある、人が抜けたことでグダグダになって途中でやめてしまったという、どこにでもある話で終わった。


 一夏の創作活動は失敗で終わったのだ。


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