澄んだ青空よりも嵐の前の曇天の僕ら(オタクども)13
フフッ、と小さく笑って、ゴホゴホッ! と咳き込んでいるとういが何か思い出したような調子でそっぽ向きながら小さく零す。
「…………初恋、ってわけじゃなかばってん」
「え、なになに? ういからも恋バナするの? モカみたいに振られた?」
「おい」
勢いよく喰らいついてしまい反射的に言わなくていいことを言って、漫才師の突っ込みのような調子でモカから叩かれた。叩かれた腕を摩りながら、ゴメン、と謝っていると私達のやり取りを無視してういは「そういうんとは違う」と否定した。
「……どっちかというと、小説ば書きたかと思った、きっかけみたかこつ。いうなら師匠みたか人やね」
ま、別に特別何かば教えてくれたわけじゃなかばってん。どっちかというと教えてくれたのは総利兄ちゃんの方やばってん、と優翔お兄さんではない、何番目のお兄ちゃんか知らないけどういが作家の道を教えてくれたのお兄さんで、そして、初恋の人が目指すきっかけになった人がいるらしい。
ういは静かに語ってくる。
「……昔、アニメとか漫画、ゲームば詳しかったねえちゃんがおってさ。そん人は漫画家になることが夢やった」
「へえ~」
「ばってん、反対されて夢叶えられずに普通に就職してから、しばらくして交通事故で死によった」
「………え?」
悲しそうな目で淡々と告げてくるうい。モカもあまりの話の内容にかけていい言葉を見当たらないのか、気まずそうな顔をしている。
私は……内容もそうだけど、それ以上にある言葉に引っかかってしまい、心が大きく揺れていた。
夢を叶えられずに死ぬ。その一言が、想像以上にドキッとさせた。
部屋の中は静まり返って、外の嵐の音だけが響いた。荒れる風音は私達の心情を表しているように不安定だった。
黙ってしまった私達。その沈黙を破ったのはういだった。
「ずっと根性がなかけん、諦めたとばっか思っととった。……ばってん、そうじゃなかった。あん人もあん人で……諦めたくて諦めてしまったわけじゃなかったよね。色んなことがあって、嫌で諦めたわけじゃなか。嫌いになったわけじゃなか。……そんコツばようやっとわかった」
告げるういの言葉は私達二人に対してではなく、自分に対して納得するような言い草、例えるなら昔は分からなかったことが、今ようやくわかったというような口振りだった。
ういが今思い返しているのは多分この間の出来事なんだろう。
「そっで、同じころに仲良かった奴らともアニメとか漫画がガキの遊びって切り捨てていくの仲違いしてからにぼっちになってからに、吉田とか部活に集中せい、と毎日大喧嘩」
ほっで今に至る、と投げやりな自虐する。
何でもういもモカも二人ともこんな風な
「でももう……ういは一人じゃないよ」
私の一言に目を大きく開けて驚いた顔をする。
ういは遠い日を見ていたようなそっぽを向いた目から、私達の方へと視線を向けてくれる。
「……あんがとさん……。お前らおらんかったらたぶん、色々と、もうダメやった」
ありがとうの言葉で恥ずかしくなったのか、頬を赤らめて視線を他所に向けつつもきちんとお礼を言ってくる。私達は微笑みながらその言葉を受け取った。
ういは一人で戦い続けて、悩み続けた。そして一度折れたことで、ういが師と尊敬している女性の気持ちが似た立場に陥いたことで理解できたらしい。
実際にういとその人とどういった時間を過ごしたかは知らないけど、だけどその時間はとても大切ものだったはず。それが一つのすれ違いで思い出が台無しになるようなことにならなくてよかった。
「なんだか、暴露大会みたいだね」
「だな。なんでこんな話してんだ俺ら」
「お前が始めたコツやろもん、ったく」
肩を竦めて二人は頷いた。
二人の過去はどちらもあまり触れられたくないトラウマの話だった。モカは自分の失敗を、ういは勘違いとすれ違いとで板挟みしてきた。二人はそれぞれずっと苦しい思いを生きてきた。それがどれだけ辛い代物だったのかは私には想像がつかない。
二人共それぞれ色んなことを経験してきて、これまで生きてきた。他の誰かにとっては大したことのないよくある失敗の出来事かもしれないけど、自分達にとってどうしようもない致命的と思えない傷として生きてきたんだ。
本当は別に話さなくてもよくて、自分の胸の中に秘めておけばいい話だけだったのかもしれない。だけど、そうはせずに打ち明かしてくれたのは……信頼なんだろう。
二人は信頼して秘密を明かしてくれた。悩みを打ち明けてくれたんだ。そのことが何よりも嬉しい。
だけど同時に、なら私はどうだろう? と思う。私が持っている秘密。抱えている悩みについて打ち明かさなくていいのだろうか?
いや、そんなことはない。私一人だけ隠しておいていいわけがない。
私達は仲良しグループの友達で、創作活動を進めていく仲間。だけど、その程度の言葉で埋めていいような関係にしたくない。
「なら……私も秘密を教えるよ」
覚悟して告げると、二人は「おうなんだ」「なんばあっとや」と興味深そうに、だけど何が来てもいいように真剣な眼差しを私へと向けた。二人の視線に僅かばかりの緊張が走り、やっぱりやめてしまおうかと怯えてしまう。
だけど二人が秘密を打ち明かしてくれたように、私も二人には真摯な思いでいたいと立ち上がって、手を上へと上げてからそれを見せた。
―――私の秘密を明かしたのだ。
「え?」「は?」
外ではピカーンと眩しい黄色が閃光が走った。
視線がこれまでとは僅かにそれを見た二人は驚いた顔をして呆けている。
私の頭は―――髪の毛が抜けているから。
ハゲというよりも生後数か月は過ぎてようやく生え始めたような薄毛をした私の頭。二人はそれに注目する。
先ほどよりも緊張が強まる。震える唇から入ってくる酸素が薄い、血の巡りが途端に悪くなって寒く感じる。手に持ったウィッグは怖くなって震えて強く握りしめていた。
味わったことない緊張感に怖くなるが、それでも勇気を振り絞って自分の口で秘密を明かす。
「私……病気でね。春頃まで実は入院してたんだ」
私の言葉に合わせるかのように外ではゴゴゥ!! と唸るような音を立てた雷が鳴った。光タイミングといい、雷はまるで狙っていたかのようで笑ってしまう。
雷の音と共に雨音と風音が強まった気がする。
嵐の音が耳に残るほどに間が置いたような気がした。気を持ち直したういがポツリと呟いた。
「……ヅラっぽかなゃとは思とった」
「本当に?」
嘘だ~、とからかう調子で言ってみると、ういは面倒くさそうな感じで答えた。
「何度か頭握りつぶそうとかしたどもん。そん時感触が変やなとは思っとった。なんか生え際? 髪と頭との接着面? なんかそがん感じの他のヤツの時と違ったけんね。ヅラっぽかなゃ~、でも女やし、別におっさんでもなかけんなゃ~、ただの勘違いやろうなゃとおもっとった」
少しおふざけが入った調子で語る。空気を少しでも変えようとしているういなりの優しさなんだろう。
言われてみると、ういは私の頭を暴力的な意味で何度か触れたことがあったことを思い出す。その時に違和感を覚えたんだろう。まさかそんな落とし穴があったとは……その時に何も言わなかったのはういが言う通り本当にカツラを被っていると思わなかったんだろう。
とりあえず、髪は戻しとけよ。とモカに気を使われて、私はウィッグを元の位置に戻して髪を軽く整えた。
スゥー、と深呼吸しようとして少し肺に埃が入って、何度目かに分からない咳払いをする。二人は心配そうな顔をして声をかけようとするけど、それを遮り私の方から話始める。
「生まれつき血液の病気でね。小さい時から病院ばかりで学校にもほとんど行ったことがなかったんだ。行けたとしてもすぐに体調崩して、ほとんど保健室登校で、友達と呼べるほど学校の人達と仲良くなかった」
「どうりでお前が友達いそうなのに、いなさそうな感じがしたのは」
これまでのことを思い出したモカが納得したような口調で零す。なにさそれ、と笑って返すが、モカもモカで私に対して何か思うことがあったらしい。
二人共鋭い、……というか私自体が隠すの下手だったのかもしれない。別に、意図して隠していた……わけではあるのか。いちいち病気のことを話して同情を促して、距離のある付き合い方して欲しくなかったから。だから病気のことか一切話さずにいつも元気な女の子の像で二人の前でいた。
「今って、その体は大丈夫なのか?」
「うん、だいじょ、ゴホゴッホ!!」
「大丈夫じゃあなかじゃなかや!」
バカチュンと慌てた調子で立ち上がって、心配して二人は私に近づいてくる。
大丈夫! とこれ以上もないくらいに叫んで近づいてくるのを止める。二人は私の拒絶に戸惑ったように足を止めて、様子を疑う。
私は咳払いしつつ、何とか呼吸器官を落ち着かせて言葉を続ける。
「……ただの埃だから。大丈夫! ……今の話を聞いて、急に病人扱いにしないで!」
この二人にはそういう扱いで、そんな風な目で見て欲しくなかった。いつものようにからかった調子の少しぞんざいに扱い、だけどちゃんと友達として振る舞って欲しかった!
傷つきやすい触れてはいけない、腫物扱いの距離感にだけはなって欲しくはなかった。
初めてできた大切な友達にそんなことをして欲しくなんかなかった。
「ちゃんといつもみたいに、友達でいてよ…!」
絞り出すように少し涙が溜まる感覚を覚えるも、私は二人を訴えるような目でいると二人にその気持ちが伝わったのか、二人は顔を見合わせから肩を竦めて私を見て「分かった。でも体がおかしいなちゃんと言えよ」と忠告を促してくれる。私もそれに頷いた。
もう一度咳払い、今度は喉の調子を戻すためにわざとしたものをして、安定感を覚えるとゆっくりと私について話すことにする。
「病気はとりあえず落ち着いた。手術には成功して……回復したの。……まあ、普通の人よりちょっと体弱いけど」
「その割にずっと元気だったな。バテやすかったけど」
「うん、多分病院の辛気臭い空気よりこっちの空気がよかったんだね」
「この部屋は埃くさかばってん」
「……いや、いちいち茶々入れないでくれる? 一応真面目な話しているんだけどさ」
「お前がいつも通りにして、言ったんだろう」
二人が話の途中途中で皮肉を言ってくるので注意すると、逆に怒られてしまい納得した。ああ、二人はちゃんと普通にいつも通りに扱ってくれるのか。私のお願いちゃんと叶えてくれていることが分かって少しだけ口元が緩む。
二人の態度に大きな変化はない。私が体の弱い人間だと知っても病人のように扱わずに変わらない調子のやり取りでいてくれる。それがたまらず嬉しい。
私は喜びを隠しきれず、話を続けた。
「……前に話したよね。お父さんがこの島に来たって話」
「ん? ああ。なんか言っていたな。……この島の、アレなんだっけ?」
「烏頭ヶ岳。そこに登ったなんの」
話自体は覚えていたのか二人は顔を見合わせ、それぞれの記憶をすり合わせながら私に確認を求めてくる。それに頷く。
「そう、私のお父さんはこの島に来て烏頭ヶ岳に登ってそこの景色の絵を描いたの。お父さんの描いた絵の中で私はその絵が大好きでね。家にいる時はその絵が飾っている部屋に一日中眺めたり模写していた。その絵を見ているとなんでか元気が出てくるような、力をもらえるような気がしてね。……お父さんと一緒にいるような気がして」
ふと目を閉じて家での日々を思い出す。普通の人にとって自分の部屋以外で一番長く過ごす時間が長いのはリビングが一般的かもしれないけど、私にとってはその部屋だった。
ペンキや絵の具……少し刺激臭のある油の匂いが充満した部屋。床は木造、壁は冷たく無機質なコンクリート。質素のように見えて飛び散った絵の具でこびりついて薄汚い。幾つもの鉄棚にはギシギシになるほど詰め込まれた画材と絵の具が置かれて、数枚の絵だけ飾れていた部屋。お父さんの仕事部屋であり、アトリエと呼ばれていた部屋に。
その部屋に飾れた絵のうちの一枚が私のお気に入りの絵で、その前が私の指摘席だった。
子供の時、初めてその絵を見た時惹かれた。
幾つものある絵の中で、なぜその絵に惹かれたのかは分からなかったけど、……今思えば多分あまり外に出られないことに対する憧れが強く、外を描かれた風景に惹かれたんだと思う。
私はその絵を時間が忘れるほど眺めて、焼き付けた。
初めて外の景色を、世界の色彩を、私がこれまで見たことのない、知らない何かを……強い何かをその絵を感じ取って―――初めて感動したんだ。
外の世界にはこんなにも綺麗で感動する何かがあるんだ、って私は思ったんだ。
「その絵に感動して、私もお父さんみたいな絵を描いてみたいと思って、絵を描き始めてみたの」
外の世界の憧れ、と同時に私は絵も描くようになった。こんな絵のような、お父さんが描いてきた絵を私も描いてみたい!
絵を描き始めたのはそんな純粋な好奇心。元々病気のせいで寝ている以外にできることなんて殆ど限られていた。いや、だから心を強く動かされたのかもしれない。これなら私にもできる、と。
最初はお父さんの絵を模写するだけの毎日だった。……他に何を描いていいのか分からなかったからだ。
どうやったらこの絵と同じようにかけるんだろう。どうやったらこんなに綺麗な線をかけるんだろう。どうやったら整った形にできるんだろう。どうやったらこの色みたいな綺麗な色を出せるんだろう。……そんなことをいつも考えながらお絵描きをしていた。
そんな風にお父さんの絵を描いていると、会ったことのないお父さんについて話しているような気分になれた。
線を沿って弧を描く。だけどその一線一線に込められた力の強さが違い、迫力や凄みを魅せてくれた。
お父さんはここを強く描くことで中心とした。お父さんはここの色使いは引き立たせるためにこう使った。風を表現させるために速く薄く曲げた線にしている。波の波紋の表現も二色三色を薄く、濃くしただけじゃなくて七つも使い分けているお父さんにはこう見えていたんだ。若い頃のお母さんの自画像はこれまで以上に気合の入り方が違った、きっと好きになったんだろう。
……絵を触れる度に、絵が上手くなる度に、会ったことのないお父さんが何を考えていたのか読み取れるようになっていた。
「最初はお父さんの絵だけを描いていて、後から絵本やアニメを見てトトロや千と千尋に憧れて、それも描いて漫画も色々読んで、色んな絵を描いていたんだ」
最初の内は何度も繰り返しお父さんの絵を描いていたが、その内他の絵も描いてみたいと思い、絵本のキャラを描いて、ジブリキャラも描いて、アニメも描いて、漫画も描いて、と色々な絵を描いてきた。それまで描いていたお父さんの絵とは違う雰囲気に惹かれ、また物語という世界観そのものに私は虜になっていた。
家からあまり出ることができない私にとって、それらが見せくれる創作の世界は感動だけじゃなくて、喜び、悲しみ、楽しさ、愛しさ、苦しみ様々な感情を私に教えてくれて、いつか私も物語の人みたいな人のようになりたい、そう思っていた。
叶わない願いだと思いつつも、そうやって毎日を過ごしてきた。
そして。
「去年にね、病気の進行が進んでさ……ほら、こんな頭になっちゃうくらい治療で何とかしていたんだけど、それも限界があってね。でも何とか手術の目途が立って、手術を受けることになったんだけど、成功率がかなり低くて少し諦めムーブでね。失敗したらどうしよう、死んじゃうの嫌だな、怖いな、受けたくないな、ってビビっている時に……夢をみたんだ。お父さんと話して『この島に来なさい』って夢。烏頭ヶ岳の絵からも『元気になったら、おいで』って言われている夢を」
これまで病院で手術は何度かあった。だけど、今回は大きな手術でいつも以上に不安があった。もし失敗すれば死ぬかもしれないと拭いきれない不安の中で、夢を見た。
アトリエで絵を描いているお父さんに会った夢だ。
写真でしか見たことないお父さん。聞こえてくる声も聞いたことのない声。お父さんの性格も人柄もお母さんから聞いたくらいでしか知らない程度の、……知らない親戚のおじさんほどの認識の人。
こちらを振り返ることはなく、お父さんはアトリエでその絵を描きながら私に話してくれた。
『手術が怖いかい? 死ぬのが怖いかい?』
『そっか。それはいいことだ。ちゃんと生きたいって思えるような人生だったんだね』
『なら手術を受けて元気になったらここに来たらいいよ』
『好きなんだろう? この絵。ならちゃんと一度ちゃんと自分の目で見に行けばいい』
『初めての外の世界が好きな場所で、一番行ってみたかった場所なら、君の人生は何かが変わると思う』
『少なくとも僕は……お父さんはあっちこっち行って、絵を描けたことは楽しかったよ』
『君はまだ外の世界を知らないみたいだからね。なら一度、この絵の場所に行ってみるといい』
『ここもまた君に「おいでよ」と言っているさ。ひょっとすると何かおかしな出会いがあるはずかもだ』
『出会いについては知らない。出会うかもしれないし、出会わないかもしれない。そればっかしは自分で行ってみないと分からない』
『僕から言えることは生きている間に限られた時間の中でできること、好きなことに真摯でいなさい。挑戦できるならすればいいし、出会った人と友達になるのもいい』
『君の人生の絵を色づけるのは君の持つ絵の具次第なんだから。その絵の具を手に入れることをお勧めする』
『少なくとも僕はそう思って生きてきた。そうしたら頼りになる友人達や親愛なる先生、ちょっと小うるさい相方、そしてお母さんに出会えたのも』
『お父さん一人だったら、白と黒の絵を描けなかった自信があるな。それはそれで味わいはあるけど……うん、色づいた世界の方が綺麗に見えるからね。そっちを選ぶことにした』
『君の好きなようにしなさい。僕の言う通りに進んでいいし、お母さんに相談してもいい。君の生き方は君が選びなさい』
『一度きりの人生だ。好きに生きなさい』
『そしたら―――』
最後に一言を告げてくるお父さん。アドバイスなのか、背中を押してもらえたのかよく分からない夢だった。
その後にお父さんは描いていた絵が完成し、烏頭ヶ岳の絵を見せてくれた。
その絵は私のよく知っている絵の色はしておらず―――私の目には白と黒で描かれている絵に見えた。
君が持っている色はこの黒色だけだ、そう告げられているような気がした。
そしてその絵から呼ばれたような気がした。
『元気になったらおいで。本当の色がどんな色をしていたのか、自分の目で確かめてみなさい』
そして、その夢から覚めた。
「その夢を見た後にね、先生とお母さんに頼んでこの島に行きたい、って言ったらオーケイしてもらえて、私は手術を受けて頑張って何とかここまで回復して、この島にきたんだ」
夢の答えを知るために、私は頑張ってここまでやってきたんだ。
窓を叩く雨音は相変わらず変わらない。強く、激しく、大きく、もしかしたら何かの調子に割れるんじゃないのかと不安に駆られる厳しいもの。
いつか限界が来るんじゃないのか、という恐怖心が隣合わせに張り付いて心臓をバクバクさせる。
大丈夫、大丈夫。……まだイケる。
自分に言い聞かせて、息を呑んで顔を上げる。
「うん。私この島に来てよかった」
笑顔で心の底から本音を二人へと口にする。
「お父さんが登った烏頭ヶ岳に登れなかったのは少し残念だけど、でも二人に会えて友達になれたことが嬉しかった」
初めてできた友達。
田舎ヤンキーでちょっと怖いけど、運動神経抜群で好きなものに本気になれる杉田夕弌。
顔はイケメンだけど実は色々とぶっきちょーで、けど色々知っていて仕切ってくれる仲村恭和。
二人の男の子が私にとって初めての友達。
「一緒に色々遊んで、いっぱい話して、私に外の世界を教えてくれてありがとう」
今年の夏は色んなことを体験した。初めて友達が出来て、好きなアニメや漫画の話ができた、生まれて初めて外で遊んだ、駆けて、転んで、苦しくなるくらい楽しんだんだ。
毎日ドキドキした。今日は何をやるのか、昨日続きか、それとも新しいことをするのか、一日一日の初体験の連続でワクワクが止まらなかった。
「思い出での作品を作りたいって言ったら本当に一緒に作ってくれてありがとう」
夢のような日々が続いて、この毎日が夢じゃないことを残したくて作りたいって言った。ういはすぐにオーケイしてくれた。モカは最初断ったけど、でも次の返事は一緒にやってくれるって言ってくれた。
三人でドラマCDを創ろうって話になって、ういが話を考えて、私が絵を描いて、モカが声を当てる、三人の合作の創作活動。思い出の品作り。
本当に夢見たアニメやドラマの世界みたいなことがこの夏に起きた、最高の日々だった。
「私は、この夏の事死んでも忘れないよ」
「…………」
言い終えると二人は私に眉を顰めて、冷たくて、悲しげな瞳を向けていた。何を言っていいのか分からないという緊張した顔。
二人の表情を見ていると、ああ、なんで私は話してしまったんだろうという後悔。けど、それは二人にだから話さなくてはいけないことだから、と反論が自分の中で生まれた。
他の誰かなら別に秘密にして話さなくてもよかった。わざわざ話すことのない話でよかった。だけど、この二人にはそういう裏表があることはなく、本音でぶつけられる関係でいたかった。
空気が痛い、胸が苦しい。二人の視線が突き刺さる目に耐え切れず、自然と視線が落ちて二人の胸元にいってしまう。緊張からか景色も滲んだような二重三重にも見える。頭もボーっとする。
雨で冷たい空気の部屋の中なのに、体だけ少し熱くて同時に震える感覚。まるで体調を崩したような気分、極限の緊張感によってそう思えてしまう。
私の我儘な考えで二人に重い話を打ち明かしてしまった。そう考えると途端にそのことについての二人の反応が怖くなる。
私にとっては話せば楽になれることかもしれないけど、聞かされた二人の立場はどう反応していいのか、その心中は分からない。
そして。
「なん、……全部終わったようなこと言いよったや」
ようやく口を開いたういから放たれた言葉はイラついた調子のもの。顔を上げて鋭い眼光を私へと向けてくる。
「言っとくばってん、お前のために俺はこん作品ば書いとっとじゃなかぞ。俺は俺のために書いとる。俺が書きたいと思ったけん書いとる」
ういの台詞は正しい主張だった。別に二人は何も私のためにしてくれているわけじゃない。
二人は自分がしたいと思ったから、この創作に参加したんだ。
そのこと改めて口に出されて胸に突き刺さるような、あるいは頭をハンマーで殴られたようなそんなショックを受ける。自覚していたはずなのに真正面から言われると……ハッキリと痛かった。
クラッとして気が遠くになりそうな感覚を訪れて、目元に熱いものが溢れて零れ落ちそうになる。でも奥歯を噛み絞めてそれを耐える。
ダメッ! 今は弱い所をみせちゃあダメ、絶対にダメだ!
今この場で二人に私の弱い、甘ったれた部分を出すことは何よりも許されるところじゃない。もし、泣き崩れて『ゴメン』って謝ったところで何になる? 泣き脅しで優しい二人に許してもらおうっていうのか?
絶対に嫌だ! そんな態度で二人に接するなら何も話さず、知られないままで十分だ。
大好きな二人に性根が腐った部分だけは見せたくない。二人へのどんな罵声を言われても、どんな慰めの言葉をかけられても、私はそれを受けとめなくちゃあならない。
…………だけど、嫌われるのだけは嫌だな。
「お前の思い出のため、じゃなかぞ。こるは」
ういは執筆していたルーズリーフの束を持ち上げて、パンパンと軽く叩いてみせて、それを高々に高言する。
怒るういに対してモカは何も言わない。ただ私達の行く末を見定めるかのように傍観者に務めているようだった。直情型の怒りの感情を表に出しやすいういとは反対に自分のことを隠してポーカーフェイスの上手いモカは何を考えているのか分からない。
純粋な怒りをぶつけてくるういも怖いけど、考えが読めないモカは別に意味で怖かった。
恐れで身震いしながら判決を待つ罪人にでもなったかのような私。ドン! と乱暴に座っていた態勢から立ち上がったういは私の方へと近づいてくる。
もし、私が男の子だったら胸倉を捕まえて吊り上げていただろう。……いや、ういはそういうことは構わない人だった。その通りに私の胸倉を捕まえてきた。
グッ顔を近づけて、頭突きでもされるんじゃないのか、反射的に目を瞑ったが衝撃は来ずに目を開けるとビックリするくらいに近くにういの顔が存在した。
力強い眼光は怒りで噛みつく野生の獣のようだった。
奥歯を噛み絞めてつり上がる口角。口元からわなわなと堪えるような、溜めるような息遣いの乱れ。気持ちを吐き出すように言うのだ。
「こるは俺達の作品ぞ。お前一人のなんかじゃなかぞ。お・っ・だ、の作品ぞ!! 俺が話考えて、お前が絵描いて、コヤツが声ば当てる。役割ば与えて三人で創る、お前が言ったことやぞ! 自分の言ったこつば忘れてんじゃあなかぞ!!」
「……………………」
ういの言葉が理解できなかった。何を言われたのか本当に分からなかった。
怒られていることは分かった。怒られる覚悟だってできていた。
でも、思っていたことは違った。だから私の頭で処理できなかった。
私達の横では傍観者に務めていたモカがフッと薄く笑っていた。まあ、そうなるよな、当たり前だよな、言わんばかりの顔している。それも意味が分からなかった。
病気のことを内緒にしていたことを、結果的に二人を騙してしまっていたことを、二人に私のいつ訪れるか分からない死の訪れに後悔がないよう、憧れの青春を付き合わせたことに対して軽蔑されておかしくなかった。
だけど、ういの言葉は叱咤だった。説教だった。怒りからくる文句じゃなかった。
それが予想外のことで、分からなかった。
でも、だから、その言葉はただ、
―――痛くて、そして嬉しかった。
本気で殴られた気分だった。 実際に殴られた訳じゃないのに、これまで味わってきたどんな痛み―――治療に耐える痛みやこの島でコケて怪我したくらいじゃあ、ういに頭を握りつぶされそうになった痛みでは比じゃないくらいに痛かった。
でもそれ以上に、何より温かいと感じられた。
三人の作品。それは私が言ったことだった。
絶対に泣くもんか、と思って耐えていた涙がぽろぽろと零れ落ちてきた。
………私は、……………私は!!
遅れて沸き上がってくる感情が先ほどまでとは違う苦しさに胸が締め付けられる。
胸倉を離されて、ういは私へと背を向ける。
「下に戻っぞど。今日はもうよか」
と早々に作業を切り上げて、下の階に戻ろうとするうい。ハッとして嗚咽に耐えていた私は慌てて止めた。
「待って!! 本当に大丈夫だから。私のことは気にしないで」
「知らん、今日は俺が思い付かん。っつーか、帰る」
そう言って私の気持ちを踏みにじるようにして、無視して後片付けを始めてどしどしとこの場を去ろうとするうい。呼び止めようとするとモカが間に入ってきて私を止めてくる。違う、今は私じゃなくてういを止めてよ!
そう言おうとするがゴホゴホとまた咳き込んだ。こんな時に!
自分の体に貧弱さに恨みがましく思っていると、モカが肩を貸してくれて宥めてくる。
「落ち着けって。……お前、本当に今顔色が酷いぞ。身体もずっと震えている」
「え?」
モカが真剣な表情、本気で心配した態度で言われて気づいた。確かに咳き込んでいたし、気分も優れない。寒気がするのに体温が熱い感じがして、頭が所々ポーとする感じがして上手く回らない。耳も少し遠い時がある。
確かに体調を崩した時と似た感じだった。
……二人に打ち明かしたことの緊張からきたストレスの反動?
なんてこった、体調を崩したのかと思ったけど本当に体調を崩してしまっている。自分で分からない、いや、普段ならちゃんと分かっていたけど、二人の前だったからどうしても気持ちが先走ってしまって自分のことが分からなくなっていた。
私は今更自分の体調不良に気づいた。
でも、と、そんなことよりも今は、とモカに言おうとするけど、まるでモカは私の言いたいことが分かっていると言わんばかりの調子で先に口を開いた。
「まだ時間はあるからな。このペースで行けば明後日くらいには完成するだろうし」
ういと同じく今日は終わり、と告げてくるのだ。でも、と食い下がそうとする私に呆れと同時に叱咤するような調子でモカは口にする。
「―――アイツが、好きなことを踏みにじられるのが嫌なのは知ってるだろう?」
痛いことを言われた。今まさにういから言われたばかりで自分でもうまく整理できていないことなのに。
「……私は……そんなつもりで話したつもりは。……私も二人を利用したのは悪いって」
モカの顔を見れずに、顔を下げて弱弱しくごにょって言い返す。すると聞き取れたモカは「利用した? はあ?」と訳の分からないこと言い出したバカを罵るような調子で声を上げて、すぐに何かに気づいたのか、「あ、そういうことか」と零して溜息を吐き出す。
「あ~~、やっぱお前人付き合いしたことのないバカだな」
モカの一言になっ! と怒ったのか、なんで? という疑問なのか自分でも分からない声を上げて、下がっていた頭をモカへと向ける。モカはやれやれと肩を竦めている。
「アイツが怒ってんのってどう考えてもお前のこと考えてじゃん」
「え?」
どういうこと? と疑問を目で訴えるとモカは本当にしょうがないバカを見るような目になって返してくる。
「お前が、俺達は関係をお前のためにやっているみたいな、お友達料金での付き合いでしかない、他人扱いにしか言ってねえことにキレたんだよ。あの田舎ヤンキーらしく、仲間が大切な、俺達が大好きなヤツなんだから」
あ、と思い出す。先日の出来事を、ういが自分で自分の心を殺しかけていたあの時に、叫んだ、あのセリフを。あの本音を。
『俺はな!! わっだば裏切りたくなかっさい!!』
そうだ、ういは……私達のことを大切に思ってくれている人だった。
その言葉を思い出して、ようやくういがさっき怒っていた理由を、言葉の意味を理解することができた。彼は本当にただ、三人であることを大切に思っている人なだけなんだ。
「私……ほんとうに、バカだ」
あんな風に怒るのも無理はない。だって、あの時、私も自分自身でも言ったじゃないか!
『作業そのものも思い出にしたい、って…………その気持ちはすごくうれしんだ。それ自体、私も、……私だけだと思っていた。少しでも二人がそんな気持ちを持ってくれていたらいいな~、ってわがままみたいなこと思っていたんだけど……。ういも同じことを思っていたこととっても嬉しい』
……本当に自分勝手だった。なんて傲慢で、独善的な考え方だったんだ。自分で言っておきながら結局何もわかっていなかったんだ。初めから私は二人の事を何も考えていなかったんだ。
ずっと的外れの事を考えて勘違いしていた恥ずかしさと、ういのことを、いや、二人の事を内心で軽んじていたことに申し訳ない気持ちに溢れていた。
気を落としている私にモカは肩を叩いて優しい口調で語りかけてくれる。
「病気、のことはまあ確かに驚いたし、まだ色々と整理できてねえところがある。けど、それがなんだ? 別にわざわざ口に出して言うようなことじゃあねえし、デリケートな問題だ、お前にも話したくない気持ちはあったんだろ? アイツはそういうところは案外気が使える」
そうだ、ういは乱暴な癖に人が隠していることや気にしていることには深く突っ込まない。そのせいで面倒くさがりの考えなしで、他人に関心や興味がない、気にしない人にしか見えないけど、本当は空気をちゃんと読める。
だから、私の病気の事を話したとしても深く突っ込まず、私が心配していた弱いものを見るような病人扱いはせずに普通の人と同じように接してくれた。さっきの胸倉を掴んだのが良い証拠だ。
優しくて厳しい、乱暴で気遣える。矛盾しているのに、本当はそれを私が求めていたものだった。
私の心配と不安は杞憂なのだ。
「とりあえず、今は休め。作業自体はまだ時間に余裕がある」
諭されて、手を貸してくれてゆっくりと起き上がらせて肩を貸して運んでくれる。部屋から出て廊下を歩くと、モカが呟くようにして言ってくれた。
「悲劇のヒロインぶるな。似合わないから。お前は何も考えていないバカくらいがちょうどいいんだよ。明るく、好きなこと、やりたいことを素直に正直に、マヌケ面して俺達に無理矢理付き合わせるくらいで」
「……ぷ。なにさ、それ! ひどいな!!」
笑った。笑えた。笑えていつもの、すっかり私の口癖になったいつものやり取りで返せた。
その後、私は下へと降りて行き、ういは言ったとおりに嵐の中でも関係なく家へと帰っていった。大丈夫なのか? いやきっとういの事だから大丈夫だと思うのだけど……。ちょっと心配だ。
私はお母さんの所に戻ると、私の様子にギョッとして、毛布に身を包み、体温計を測らせて薬と水を飲ませて、寝なさいと言いつつも説教なのか心配なのか話し込んできて、寝かしつかせたいのかそうじゃないのか大変パニックっている様子だった。。
止まらない母の声と雨音を耳にしながら私は眠りついた
激しい嵐は夜と同時に立ち去った、ういの言う通り、激しい天候だったけど、大した被害などはなかった。家々も無事。
そして、私は高熱を出してしまい、体調不良のため月曜日に帰ることとなった。