澄んだ青空よりも嵐の前の曇天の僕ら(オタクども)11
ういの合宿問題の後、私たちはういの家のお店でいつものようにご飯を食べてから、またモカの家に戻ってきた。
食事中のういは……こういう時、憑き物が晴れた顔っていえばいいのか、ういは前よりも笑うようになった。別に今までが笑わなかったわけじゃなかったけど、楽しそうにあれやこれや勧めたり、話の和を広げたりしてとっても嬉しそうだった。
いつも自分を偽っていた訳じゃないと思うけど、多分今のういが本当の顔なんだと思う。
ういは一度自分の家に帰って、私達より遅れてモカの家にやってきた。といっても、ういは自転車で私達は徒歩だったからそんなに大きな時間が掛かったわけじゃない。
ういは到着するなり私達に「これを読んでくれ」とルーズリーフがまとまったファイルを差し出してきた。原稿だ。私達が来る前にういが怒りと悲しみ、そして絶望に囚われて書かれた作品。
……書き上がったのか? モカは前、ういは中途半端な状態では見せたがらないタイプみたいなことを言っていた。そのういが私達に作品を差し出したのだ。
しかも、さっきまで書いていたものを。
一体どういう心境の変化なのか、私とモカには分からない。
少し緊張をしつつ、私はそれを手に取って目を通し始める。
物語の序盤は真っ暗な世界に目覚めた主人公。記憶がなく、自分が何者なのか分からずにいた独りぼっちの主人公はこの真っ暗な世界で抜け出すためにも、自分が何者かを知るためにも歩き始めた。
何も見えない真っ暗な世界は恐怖そのものだった。ふとしばらく経った時一つの明かりが見えた。出口だと喜んだ彼は駆け出してそれに近づいていくと、明かりの正体は出口じゃなく、宙に浮く火の玉の灯だった。
それを覗かせてみると火の玉には―――自分の記憶があった。
命の灯。記憶の炎。そう表現するに相応しい灯に目を奪われる。
その存在を認識したらその闇の世界で幾つもの火がふっと湧いては灯かりが燈った。別の灯を覗いてみると最初に見た灯とはまた別の記憶が保管されていた。
主人公は記憶の灯を覗いていく。
これまでどんな道程を進んで、人生を歩んできたのか。
子供の頃の記憶、好きな事、苦手な事、家族との思い出、友達と過ごした日々、泣いた日の悲しい出来言、心打たれるほどの感動した衝撃。
……そんな誰にでもあり、同時に彼だったからこそ感じられなかった、一人の人間のメモリーを眺めていく。
「…………」
そこから先は……ういの感情によって描かれたものだろう、悲しい物語で、酷い結末で出来上がったものだった。
読み進める度に胸が締め付けられるような思いだった。
生きていた頃の彼はただ夢を叶えたい一心だったのに、けれど誰からも認めてもらえず衝突を繰り返し、悩みに悩んで疲れ果てて絶望して最後は死を迎えてしまう。
そしてまた。
そんな自分の最後まで死の記憶を思い出してしまい、再び絶望して「こんなことなら思い出さずに消えてしまえばよかった」と告げて本当の死を迎えてしまった。
読み終えた私は胸が締め付けられるような切ない気持ちだった。
「……悲しい物語だね」
私が感想を口にする。ういは何も答えない。
隣にいたモカが、俺にも見せろ、と言われて私はルーズリーフを渡して、モカも私と同じように目を通していく。モカは私よりも読むペースが速い。最初の導入部分は元々知っていたため特に顔色を変えずにスラスラと読んでいった。
そして四枚目。問題の、自分の記憶の灯を見つけた辺りになった時、モカの眉をピクリと皺を寄せた。読むペース自体は変わらない。だけど、明らかにモカにも何か思うことがあったんだろう。だけどそれを口にせず、何も言わず読み続けて、読み終わる。
「…………ん~~~」
小さく唸った。
モカは最後の三枚を見続けては、首に手を回してかける言葉を探していた。私も同じ気持ちだった。私の場合は口が先に出るためにもうすでに感想は言っちゃったけどモカちゃんと考えてから口にするのだ。
ういを傷つかないように気を使って言葉選びに慎重なモカ。
「こる使えるんじゃあなかか?」
だけどういが先に口を出した。
「……え?どういう、こと?」
あまりにも予想外の一言に私の聞き間違えではないのかと思えるくらいに心の底から聞き返した。
私はういの言葉が分からなかった。モカも驚いた顔をしていた。
でもそれは予想外の言葉を聞いたから驚いたみたいなことじゃなくて、ういから提案してきたことに対しての驚きだったようで。
「俺もそう思った」
内容自体ではなく、提案してきたことに対して驚いていた。
私はもう一度「え?」とこぼして二人を交互に見比べた。使うってこと? ういが苦しんで、悲しい思いまで書き上げたこの作品を? 少し信じられない思いだった。
目をパチクリさせて困惑する。けれど二人は互いに分かり合っている言わんばかりの視線を合わせている。
モカは静かに頷いて答える。
「……俺としては生かせばだいぶ使えると思うけど……お前どうなんだ?」
「なんが?」
「お前の気持ち自体だがよ。……最後の結末って、さっきまでの、その」
モカが声の勢いが徐々に落ちていく。言いにくいのだ。
ういが苦しんで暴走して書き上げたこの内容について、使おうという提案。……その気持ちがあるならなんで?
ますます分からない。モカがういの気持ちを理解できているのに、作品に折り込ませること自体に抵抗がないことを。丸々書き直すんじゃなくて、ここから切り替えられることが。
私は二人の真意を見ようと様子を伺う。
「あん? さっきのコツば気にしととっか? そんなら気にんせんでよか。俺の中で吹っ切れたし、せっかく書いたのを無駄にすんのあれやし、……それになんか見えそうなんだわ」
ういは言う。(どうでもいいけど、『ういは言う』って言葉、逆さま言葉だな)
最初は私達に対して恥ずかしそうに目を逸らしていたが、でもすぐに別の事に対して目を向けたように呟く。
作家の目、とでもいえばいいのか、消沈していた時とは思えないくらい、創作に対して今まで以上に燃えていた。
モカが持っていたルーズリーフを奪い返してデコピンみたくピンピンと指で叩いて言う。
「こっからこやつばハッピーエンドにさする。誰がバッドエンドなんかにさせてやっか」
完全に吹っ切れて立ち直ったういは私達の前でそう宣言する。
この物語を悲しい結末なんかで終わらせない、と。
纏う気迫は明らかにこれまでのういとは違う。今までが本気じゃなかったとか手を抜いていたとかそんなことはないけど、でも確かに今のういにはこれまでになかった強い思いが宿っていた。
モカもういの気持ちが伝わってきたのか、ニヤッと笑う。けれど素直にうんとは言わずに煽るようなこと言う。
「カッコつけんのは良いけど、具体的にどうするんだ? 結局最後、主人公は生き返るってことでいいのか?」
意地悪だなと思いつつも、モカの言い分は現実的で冷静な意見だった。どれだけ気持ちがあっても具体的な考えがなければ意味がない。一番最初にどんな作品するかでアイディアが全くないって二人で怒られた。
なんだかんだでモカはこの創作においては舵取りをしている。具体的にこの手の制作でまとめ役の人がどんな風に仕切っているのか知らないけど、モカの場合は必要なところはちゃんと釘を刺してくれる。
だから、ういが折れて辞めようとした時に最低限の仕事をしてくれるならいい、と諦めてしまったのだろう。それが悪いことではないんだろうけど、冷たいとも思ったけど、……でもモカもモカで辛い顔をしていた。
モカも苦渋の決断だったに違いなかったことは分かる。
ういはモカの問いかけに対して少し間を置いて答える。
「ああ、どんなに躓いて、へこたれて、嫌になって、なんも感も勘繰り捨ててまでしたばってん。胸ん中にはやっぱ殺しきれん思いがあったんやろ、コイツにも」
そう告げているういの目は優しくて痛いほど気持ちが分かると語っている。それはたぶん、主人公の気持ちというよりもうい自身の気持ちなんだろう。
作品には作者の心情が多かれ少なかれ投影されるという。
描かれた死を選んだ結末はういの絶望から。
そして新たに生きようと結末にしたのは、ういの希望から。
彼の心情が作品の結末が変わったのだ。そのことが嬉しかった。
「うん、私もそう思うよ」
私は笑って大きく頷いた。モカも「まあ、胸糞悪い終わり方よりもいいだろう」とひねくれた調子で言ってくる。素直じゃないな。
「で、具体的には」
モカが訊ねるとういは腕を組んで余裕そうな顔で答える。
「まだ思い付いかん」
「「おい!」」
堂々とまだ考えていない、と告げてくるういに二人で突っ込む。カッコよく決めて置いてなんだそれは。
頭を掻きむしりながらういは面倒くさそうに返す。
「わーたわーた。わーっとるって。そがんだーだー言うなゃ。お前らがイチバン、まだ思いつとらんだけじゃなかや」
「それが一番重要なんだろうが。……まあ、それについては一先ずいいとして……こっちの方も書き直しておけよ。箇条書きなのもいいが、台詞とか文章とかもうちょい直しておけ。このままじゃあ単調過ぎる」
「そんもわーっとるって。投げやりだったからな」
「え? 読みやすくなかった?」
ういの文章について指摘する。私としてはそこまで気にならなかったことを言うとモカは呆れたような顔を私に向けて答えてくる。
「読みやすさと書きやすさならそれでいいが、中身が浅すぎるんだよ。作品っていうのはどれだけその世界を表現して形作って飾れるかが問題なんだよ。これじゃあ、ただ流れができているだけ。説明分と大差ない」
読みやすさ抜群のネット小説とかがこんなだ、と簡単にどうして直さなければならないのか教えてくれる。
確かにこれはういが書いている小説よりも話自体はあっさりしている。
そういえばういの小説の方の紙はボロボロになるほど何度も書き直した後があったのに、この紙は圧でできた皺と汚い字はあっても、大きく書き直した後自体はほとんどない。まあ、出来上がったばかりなのがさっきだったからってこともあるけど。
ただ思いついたことをそのまま文字として出力したもの。世界を語る文章ではない。
私自体は小説よりも漫画、漫画よりもアニメを見る派だ。だから二人みたいに本を読む力ってヤツはない。簡潔で、テンポよく、短いもの……モカのいう流れだけでできたネット小説みたいなのは読みやすくていい。
「俺はこがん風に箇条書きで流ればとりあえず書いてからに、後で色々場面とか書き起こして行くとさい」
「なら余計にプロットとか大筋とかで分けて書けよ。それを手本に正書ように本編をかけ。まとめてするなよ」
「そがん方法があるとは知らんかったや。とりあえず頭の中にあるもんば書いて、読み返して足らん分ば書けばよかと思っとったさい」
「だから紙があんなにボロボロになるんだろうが」
二人はあーだこーだと小説書き方について話している。やり方としては絵でいうところのアタリ、下書き、本書き、色付けみたいなことだろう。ない頭なりに二人の会話についていこうと耳を傾けるが徐々に何を言っているのか分からなくなっていく。
仕方なく、二人の会話についていくのを諦めて、会話を眺めることにする。
……やっぱり、ういは強い人なんだ。
あれだけ落ち込んで、今にも死んでしまいそうな……自分自身を絞め殺してしまいそうだったのに。でも立ち直ってくれて、しかも今はそれをバネにして作品に生かそうとしている。転んでもただでは起きないってやつ、ってこういうことを言うのかな。
モカも最初は断ったのに、海での一件以降、一緒にやるって言ってくれて私達の活動でどうすればいいのか考えてくれている。創作活動がやったことがあるのか、私とういにちゃんと指示を示してくれる。
(二人共、私なんかとは違うな)
二人を見ていると心強さと頼もしさを思える分、同時に不安に感じる。
負い目を感じるとは違うんだけど、二人が先に進めば進むにつれて置いて行かれているような疎外感のようなものを覚える。
別に意地悪で仲間が外れにしている(いやちょっぴりあるかも)わけじゃないし、仲良く進めていけている感はあるし、二人の難しい話に私が付いていなくても、創作活動で順調に進むならそれでもいいけど。……ん~、そういうのでもない。
なんというか……近いのに遠いと思える感覚。
その言葉が出てきてようやく違和感の正体が分かった。
ああ、そうだ。この感覚を知っている。私はずっとそれを体験していたのに、二人と一緒に過ごしていたから少し忘れていた。
手が届くほど近くにあるのに、それを手にすることができない感覚を。どんなに手を伸ばしてもそれが手に届くことはない。あと一歩、もう一歩というようなもう少し頑張れなんとなるということじゃなくて、見えない壁に阻まれる。あの感覚。
お店に飾れているお洋服をショーウィンドウによって境ができているようなもの。私はそれを眺めているだけで精一杯。
私は結局、それを手に着けることはできずに諦めて去ってしま―――、
「おい、聞いとっとか?」
「お前はどう思うよ」
二人の声が聞こえてきた。まるで、
「―――え、あ、……うん!」
―――お店が開いて、店員さんが話しかけてきてくれたように。
そんな些細な幸せが込み上げてくる。
驚きもありつつ、けれどそれ以上にどうしようもなく嬉しくて私は笑って二人の話の和に入り直す。
「生き返るかどうかだっけ?」
意気揚々と言うと、違うわ、ちゃんと聞いとけよ、と二人から責められる。厳しくしかってくる二人に私は、へっへっとにやけながら「じゃあ何のなのさ?」と話を聞き返す。
「ハンターハンターがいつになったら連載が再開するか」
「ゴンはどう考えても話に入ってこれんどなゃーって」
「何の話さ!? 話を聞いてない内になんの話してんのさ」
「お前こそちゃんと話聞いておけよ。暗黒大陸着く前にクラピカ死にかけてんだぞ!」
「もうキルアも出てこれんやろうし、唯一の参加のレオリオも今度の登場がいつになることやら」
「いや、そんなハンターハンターの心配している場合じゃないよね? これからの創作活動盛り上げていこうって展開だよね?」
「「富樫の身体の方が大事だろうが!」」
「なんでさ、ひどいよ!?」
そんなおバカなやり取りしつつも、私達の創作活動は新たなにスタートしたのだ。