澄んだ青空よりも嵐の前の曇天の僕ら(オタクども)10
その後、俺達三人は学校へと出向いた。
本当は杉田一人で出向こうとしていたのだが、それを梶田はよしとはせず「私も文句言うよ、私達の作品のピンチなんだもん。モカも行くよ」と言われて勢いのまま三人で学校へと向かった。
最初、俺と梶田が行くのは違う、とも思って止めようと思ったんだが、杉田から「近くにいてくれ」としおらしく弱弱しくなってしまった暴力ヒロインのようなことを言われて、仕方なし付いて行くことにした。
あの、杉田が田舎ヤンキーの、プライドが高そうなコイツがお願いするとは、だいぶ参っているらしい。
学校に辿り付くと、杉田の母がいて、あの、何時ぞやで会った、眼鏡と無精ひげの肥満体質のサッカー部の顧問と話していたのだ。杉田の今日の態度が問題になって親が呼び出されたらしい。
俺と梶田は離れた場所で待ち、見守ることに務める。
杉田の見てくれや話を聞いていた段階で誰かと争ったことは分かっており、その相手がこの教師だと一目でわかったが、……なんでお前の方が若干勝ってんだよ。
明らかに怪我の具合など見ると杉田の方が優勢だったであろう状態の負傷具合。掛けている眼鏡もヒビが割れて、フレーズが折れてガムテープで補強している。
なんか見た目ただの肥満というよりも柔道とかやってそうなガタイの感じの人なんだが……、よくこの手のタイプに喧嘩して優勢に出れたな。
出会い頭に教師と母親の二人から説教を受ける杉田。それ自体は杉田も悪いと思っているので黙って受け入れていた。
ガミガミと一方的な説教は見ているこちら側も辛いものがある。喧嘩騒動自体は関係ないのに申し訳ない気持ちが募り、居心地が悪い。それまで『なんか言われたら私も本気で怒るから! 戦うから!』と息巻いていた梶田も俺の隣で縮こまっていた。
一通りの説教を終えてから本題を切り出すように教師は言ってくる。
「まあ、今回のことは不問にしてよか。そん代わりに反省してからこっからはちゃんと陸上練習に取り組めば」
「いやよかよ。不問にせんで」
ふてぶてしくもその許しを断る。あ!? と教師は一気に凄んで見せる。
コイツメンタル強えな。さっきまで泣いて弱弱しくなっていた奴とは思えねえ。いや、まあ最初から断る気でこっちが来たからそれでもいいんだけど、………もっと言い方と態度があるだろう。
間に取り持つようにして杉田の母が「夕弌」と窘められるが、杉田は何も言わない。息子の態度に眉間に皺を寄せつつも冷静に言葉を選んで言う。
「夕弌、あんたが小説ば書いとるこつは知っとる。お母さんはそんコツ自体は否定せん。好きにやってよかと思うよ。ばってん、そるは陸上と両立できんと?」
「できん。そこまで器用か性格なら、こがんこつになっとらんどもん」
杉田はノータイムで質問に言い返した。そのことに対して杉田の母はため息を吐きながらも「そがんね」と頷いた。
そこは納得するんだ……。
杉田の母の物分かりの良さというよりも諦めにも似た何かだったんだろう。この中で一番杉田のことを分かっているのは彼女だった。
けれどここで、はいそれなら仕方ないね、ということにならない。
「ばってん、将来こんば考えてそん小説は売れっとか? そっで食っていけっとか?」
一番痛い所を付いてきた。将来の話など持ち出されると簡単に頷いて口約束はできない。そこら辺のことは杉田だって分かっているはずだ。それ自体はこれまで悩みに悩んで苦しんできたことだったはず。
けれど杉田は別の切り口で言い返した。
「陸上も同じこつやん。陸上で食っていけるわけなかろもん」
「いや、行ける! お前の才能なら走って食っていける」
切り返しに更に反論返したのは杉田の母でなく、教師の方だった。彼は信じて疑わないよう真剣な言葉だった。杉田には走る才能がある、と。
けれどそんな思いは杉田には理解できないようで、横から来た教師の言葉に杉田はキレたのか、それまで大人しい方だった声を荒げる。
「お前はいい加減現実みろや、俺みたいなやつが選手として走ったところで高校くらいで終わっどもん!! 勝手なことばっか言って人の人生はもてあそぶなっさい!!」
「そん言葉そっくりそのまま返すわ! お前が書いた話が売れて食っていけるわけなかろもん!! つまらんことで人生ば棒に振るうな!!」
睨み合い、互いにすぐに手を出して暴力に訴えんばかりの緊迫した空気が流れる。こいつら、血の気が多すぎないか? ここってヤンキー系のバトル漫画の世界なのかな? 真夏の海が見える田舎島での青春群像劇のコンセプトの作品だと聞いていたのに……。
などと現実逃避のことを思った。
……言っていること自体は分からなくもないんだよな。
教師や親からしたら子供の夢は叶えさせたい、才能を伸ばしたいと思うのは自然なことだと思う。だけど、杉田が望んでいるものとこの人達が進んでほしい道は異なるもの。
……多分、皆悪い人ではないんだと思う(見た目やガラが悪いだけで)。皆、杉田のために言っている。将来生きていけるかどうか、才能があるのかどうか、そのすれ違いがこの話の原因だ。
埒が明かないと思ったのか杉田の母が睨み合っている二人を諫めてくる。
「分かった。将来んこつはひとまず置いとこわい」
「(そっちが出してきた話やん。こじらせるとこっちに勝ち目がないけんよかばってん)」
「夕弌、一先ず陸上自体は九月の大会ばまではやってみて。そん後は受験もやって、高校で好きにしてよかってことにしよわい」
「ダメ、無理! そっじゃ俺が全部折れとるだけやん。陸上の話はなし。受験勉強とかちゃんとやる」
母親からの妥協案に杉田はすぐさま反論をした。そのことに対して「お前、ふざんくのも大概にせえ!」と親の前だというのに怒鳴りつける。その言葉にまた頭に血が上ったのか、「ああん!」と今に殴りかかりそうな状態にまで激怒する。
「違う! ういはふざけてなんかない!」
均衡し、その内二人は再び拳で訴えようと喧嘩腰になっていた三人に割って入ったのはいつの間にか俺の隣を離れていた空気を読めないアホ娘だった。ああ~、もう! お前が出ていくともっとややこしくなるだろうが!
予想をしていたことだったが、三人の勢いに圧されて首根っこ掴んでおくのを忘れていた。
「ういは真剣なんです! ういは一人で頑張って、あなたや他の皆から認めてもらえなくても必死になって書いて書いて、書き続けて、いっぱい悩んで、紙をぐちゃぐちゃして何度も書いて消して書いて消してを繰り返してきたのに、……それなのになんで認めてくれないんですか? なんで駄目だった一言で片づけるんですか! 一度でもちゃんと向き合って読んであげたことはあるんですか!」
「……お嬢ちゃんは誰や? 悪かばってん、関係なかけん引っ込んどいてくっど。今大事な話しとるけん」
「関係なくないです!! ういは私たちのライターだからだ。ういが話を書いて、私が絵を描いて、モカが声を入れてくれる。ういは私たちの大切な仲間だから。貴方たちのせいで……今まで独りぼっちだったういの味方は私達だけです!!」
梶田の乱入に驚いたためか怒りのゲージは少し下がり、柔らかくなった声色で梶田を追い払おうとするが、今までの話でフラストレーション溜まっている梶田は引き下がらずに食い掛って啖呵を切る。
教師は圧倒され、杉田の母は目を開いて驚き、杉田本人は嬉しそうに薄っすらと涙を零していた。
梶田は一気に喋り倒したからか、はぁはぁ、と肩で息をしていた。興奮は収まり切れず、教師を睨んでいた。
闖入者の登場に場は一気に混乱する。
割って入るなら……今か。
つかさず俺も四人の和に入り込む……梶田とは違い、というかこの場にいる全員と違って感情任せの不平不満に対してただ思った通りの怒鳴り散らすだけの発言はせず、ただ冷静に現状を見極めて、思いついた話を繰り出す。
「あの、すいません、提案です。俺達にとっては合宿の話だけ、杉田が合宿に行かないってだけでいいです。その後はコイツが陸上の大会とかはそういうの頑張るとかどうですか?」
「「「「……………」」」」
俺からの提案に皆、黙り込む。
そう、俺達にとっての問題は杉田の将来じゃない。今の話だ。
俺達にとっての問題は、何も杉田が作家として生きていくか、陸上選手として生きていくかの人生の選択が重要視しているわけじゃない。ほんの数日、この夏の、今から約十日間ほどの時間が欲しいだけなんだ。
梶田がこの島にいる間の時間だけ、それには杉田が合宿に参加して不在となるのが俺達の創作にとって致命傷、失敗を意味するのだ。
だから俺達とっての一番取り除いて貰いたい問題は杉田の合宿の不参加。たったそれだけの話だ。
だけど、皆感情任せに話しているから問題がいつの間にか別の話へと変わっている。それじゃあいつまでも平行線。誰も彼も憎しみ合って損するだけで終わる。
俺達は創作活動をする。杉田を陸上で走らせる。その条件を満たすなら合宿に行かないという選択肢だけであればよかったのだ。というか、そもそも俺達は午後からの時間があれば特に問題なく進めることができた話なのだ。
その後の将来とかについては杉田に悪いが、それはお前の問題だからお前で解決してほしい。
「そう、それだよモカ! それなら何の問題もない! ういもそれでいいよね?」
梶田はナイス案だと歓喜して同意を求めると、杉田も「お、おう」とハッとしたように頷いた。
「……私もそるに別に構いません。夕弌なら合宿に行かなくても問題なく走れるでしょう、先生(正直、実夏夜含めた二人分参加費辛いから助かる)」
杉田の母もそれに了承する。彼女も杉田が合宿どうこうの自体はそこまで注視していない。あくまでも才能のある陸上自体はやってほしいだけだ。同時に小説書くこと自体はそこまで否定的ではない。先ほども言った通り息子がやりたいこと自体してもいい、という人だった。
……まさか内心では、金銭面のことを考えていたなんて夢に思わなかったが。
杉田の母の思惑は誰も知らずに、最後に反対者は苦虫を嚙み潰したような険しい顔している。
味方だと思っていた杉田の母親からの支援がなくなり、こちらの分が悪くなったことに汗を流している。心中は怒りとは別に穏やかではない。
拳を握り締めて、ただ静かに俺を睨んでいる。……いやそんな睨むなよ。怖いだろうが。
余計なことを……! と一目でも分かる熱い視線を向けられて俺は目をそらして無視する。
「………合宿に行かんでも朝練にはちゃんと来る。そっでから全部本気で走ってやる。そんならよかどがんや!」
杉田からも最後の一押し。滅茶苦茶態度がデカいが、杉田なりの最大の譲渡だった。
そして、最後の壁は舌打ちをしてしぶしぶと告げる。
「……分かった。合宿の話の方はもうよか。ちゃんと練習せえよ! 大会でも本気でやれ、いつもみたいに『完走が目的』なんのふざけたこついったらマジでぶっこ……ぶっ飛ばすけんな」
親の前だったためか明らかに『ぶっ殺す』と言おうとして発言を改めた。いや、あんた今更取り繕っても色々遅いよ。見た目からしてそういう人間だと皆分かっているよ。
吐き捨てるようにそういって杉田の母に、頭を下げて互いに二、三言葉を交わした後に教師は去っていく。
「あん、先生の態度は好かんね」
教師がいなくなった後に結構酷いことを言う杉田の母親。さっきまで二人して杉田の壁として立ち塞がっていたのに。そしてそれに対して杉田も頷く。
「俺もそがん思う」
げんこつが落とされた。
「お前はそっば言えた立場じゃなかろもん! 人様に怪我ばさせてからに……もうこっちは悲しかしのなんの恥ずかしやなんの……。ホント、ウチの男どもはすぐ手ば出す! 本当にもぅ~! 気に入らんならもっとやり方があっどもん」
「……だから認めさせてやる方法ばずっとやっとったんやん。でも誰んも味方してくれんかった」
拳を握り締めて、物凄く悲しげに告げる。彼がこれまでどれに一人だったのか、その表情は物語っていた。
一人で書き続けてきた。誰からも認められずに否定されて続けてなおも好きに真摯に夢を目指して愚直に書いてきた杉田のこれまでは、弱い俺に想像できない。
「でも、今は」
「私たちがいるもんね」
そう言って梶田は杉田の手を、そして俺の手を引き、強引に肩を抱いてくる。梶田を中心に左右に俺と杉田が挟む形。
ねえ? と告げる梶田は、百合の間に挟まる男の逆バージョンみたいな……って誰を得だよ。
「離せ、バカ」
「引っ張んなや、アホ」
「ちょ、なんでさ!? ひどいよ!」
俺達はすぐさま梶田の手をひっぺ返すと、梶田はいつもの調子で突っ込んでくる。
いつものやり取り、俺と杉田が雑に扱い、それに梶田が突っ込んでくる。だけど、その何気ないやり取り嬉しくて俺達はそれぞれ笑みを浮かべた。
その様子を傍から見ていた杉田の母は。「この子たちは一体なんなのかしら」と呆れたような目で眺めていた。
こうして、杉田の問題はひとまず解決した。
今回のことで杉田は創作の展開について新たな発想を思いついたみたいで、それを新たなに構想して整理させては俺達に意見を求めてくる。
それはまだ何も決まっていない時よりも話に深みが増し、確かに面白い形に変わっていた。
その方向で俺達は話を進めていくこと。
俺達の戦いはこれからだ、と言えば打ち切り漫画なのだが、話はもう少し続く。もう何も問題なく縛るものはなく、俺達はただ書き進んでいくだけでいいと思っていた。
だが、創作活動とはそう簡単に進まない。
俺はあっちにいた頃にやっていた創作活動に比べて、杉田と梶田とやる創作活動はだいぶ道なり険しいものだった。
一難去ってまた一難、嵐が過ぎ去った後に再び嵐が訪れる。
物理的……天気的な意味でも。
でも、なんというか、その空模様は……澄んだ青空よりも嵐の前の曇天は、これ以上もなく俺達三人に似合っていたような気がした。