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黒歴史(カラーノート)  作者: 三概井那多
24/32

澄んだ青空よりも嵐の前の曇天の僕ら(オタクども)8

 梶田と共に歩んで道を行く。基本的に片側は緑の木々が生い茂る山、反対側は蒼というよりも碧に見える蒼碧色の海はザーザーと緩やかなさざめきを奏でる。歩く道路は荒れさが目立ち、まさに田舎道とも呼べる道のりだ。


 ここ毎日杉田ン家へと昼飯食いに行くために歩いてきて、だいぶ慣れた道のりだ。


 俺の家からここからスーパーまでは歩けば一時間ほどか。……自転車に乗れなかった時点で諦めればよかった。


 杉田ン家の飯屋より倍以上になる距離だ。それを思い出して軽く気が滅入る。


 熱中症の恐れのある、炎天下の中わざわざアイスと飲み物を歩いて買いに、しかも一緒にいると余計に疲れが出る梶田と共にとなると……。なぜ、俺は苦行を選んだ。ドMか、俺は。


「なあ、家にコーラがあったから今度にしねえ?」


「ダーメ。もう私の舌はカキ氷でラムネだもんね。どっちかじゃないと」


 妥協案を提案するが、アホ娘の舌はそちらに向いてしてまっている。いわゆるラーメン食いたい衝動と一緒だ。それを食わないと何を食べても満たされないアレだ。


 だからといって、この炎天下の中を一時間歩いて行くのは普通に辛い。


「このクソ熱い中、自転車なしで店まで行くのって普通に嫌なんだが、熱中症とかあるしさ。家のコーラで我慢しようぜ」


「でも、この暑さがいつもよりも美味しい味を出してくれるんじゃないかな? ほら頑張った後の一杯は格別っていうし」


 美味いものを味わうために必要な労働みたいなことか。


 かっらからに渇いた喉にこそキンキンに冷えたドリンクが普段とはまた違う格別な味になる。……けど実際は渇きまくった口の中に飲み物を流し込むと逆に反動で結構唾液とかがやばい。口の中にだまができてその気持ち悪さを払拭するためにさらに流し込んで、それが腹に溜まって、最終的に冷えて腹を下すことになる。悪循環。


 水分補給は一気飲みじゃなくて定期的な補給が正しい。


 だが、それでもかっらからの喉にキンキンに冷えたものを流し込むのが上手いっていうのもわからなくもない。


「あ、じゃあ自販機! 自販機のサイダーで」


 この先に自販機があることを思い出す。杉田と初めて会った時に喉が渇いて、それで道案内の礼も兼ねて俺が奢ってやったことがあった。


 そこまでなら杉田ン家の店を少し過ぎた場所だから、そこまで言って買って飲んで、その後杉田ン家の店に昼飯に行けばいいのでないか。咄嗟にパーフェクトな計画を俺は思いつく。


 梶田はひょとんした顔になって言う。


「ラムネとサイダーって違うでしょ?」


「いや、サイダーとラムネは一緒だ。ガワが、あの、ビンとビー玉できているのをラムネって言っているだけで味は一緒だ」


「またまた、そんな嘘言ったって私騙されないもん」


 梶田は俺の言葉を信じようとしない。実際コレは本当の話だ。ラムネビンと合わせた総称がラムネであって、味そのものはサイダーと同じ。結構有名な話だ。


「ついでに言うと、かき氷のシロップも色が違うだけで、味は全部同じだ」


「あ、それは聞いたことがある。色補正で脳が勝手にそうするとか。だからハワイアンブルーがでても、一体何味だ、って突っ込まれてもちゃんとシロップの色と雰囲気を味わっているって話でしょ?」


 ………なんでそっちは知っているんだ。ラムネと同じくらいの知名度だぞ。


 意外なことにこのアホ娘はカキ氷のシロップについては知っていた。


 そして、別にそれが功をなしたわけじゃないと思うけど、「けどやっぱ熱いから、自販機のジュースで我慢しよっか」と妥協案をのんでくれた。飲み物だけに。


 とりあえずゴールは位置をズレたが、向かう先は基本的に一本道なので特に足の矛先は変わらない。俺達は真っすぐ進んでいく。その間適当に会話を続けた。


 梶田の他にやってみたいこととか。俺はそれを適当に相槌を打ち、からかい、突っ込む。梶田も笑ったり、怒ったり、乗ったりと反応をみせる。


 熱い日差しが差す真夏の日、ジュースを買いに行くだけの二人っきりの散歩。


 都会なら十分もかからず、コンビニが何件も数十メートル程度の基準で立ち並んでいるのに対して、田舎にはジュース一本買いに行くのに何メートル、下手すると何キロ先か分からない自販機に歩くかしかない。


 心底不憫だ。まとめ買いのストックだけは切らしていけないと俺は心に誓う。


 だけど梶田はたったそれだけのことでも楽し気な顔でいる。が、少し熱がきたのか、顔が赤くなっている。


 単にお喋りが楽しいだけかもしれないが、そこまで深く考えてないバカなだけかもしれないが、この南の島の田舎町の厳しい暑さにヘタレずにいる。


 ……そういえばこいつ、だいぶ肌が焼けたな。


 ふと横顔を見てそう思った。

 毎日顔を合わせていたから、……一応変化自体には気づいていたが、出会った頃に比べてだいぶ焼けていた。元々運動もしなさそうな都会のお嬢様みたいな白い肌だったのに、今じゃあすっかり夏を満喫するわんぱく小僧だ。


 ゼッタイ臭い(いい匂い)美少女ではなく、わんぱく小僧。そっちの表現が合っているような気がした。


 俺も俺でだいぶ肌が焼けた。杉田も……いや、あいつはそこまで変わらないな。元から焼けた肌だった。流石は常夏島育ち。こっちは普通に汗臭い。


 ……今年の夏は例年比べて本当によく外に出る。


 あっちにいた時はぼっちってわけじゃないけど、外で遊ぶことは殆んどなく、一日中家でゲームと映画三昧の引きこもりの夏を過ごしていた、あの俺が随分と変わったもんだ。まさかジュースを買いに行くだけでキロはあるかもしれない距離を歩くなんて。


 正直な話、本当は無視してよかった。


 口八丁手八丁で梶田を言いくるめて、家のコーラで我慢させようと思えばできた。なんだったら梶田一人に自転車で買いに行かせるって方法もあった。少なくとも少し前の俺だったら迷わないでそうさせた自信があるし、なんだったら少し違えば今だってそうしていたと思う。


 だけど、そうしなかったのは。こいつと一緒に買いに来たのは。


(……単純に惜しいんだ)


 時間が。


 梶田と過ごす時間が。……いや、梶田だけじゃなくて、杉田とも。


 この夏は一度きりのもの、なんて青春漫画気取りの台詞を吐きたいわけじゃないが、けどたぶん、特別な、……いや特別なものにしたいんだと思う。


 梶田と過ごせるのは残り十日ほど。日数は少ない。杉田とも春までの関係性で、まだ決めていないが高校の進路では俺があっちに戻るかもしれない。


 短い付き合いになるかもしれない。


 けど、こいつらと一緒にいて、……もう一度誰かと関わっていきたいと思った。


 失敗したことをもう一度やり直したい。いや、新しく始めたいとも思ったんだ。


 だから今という楽しい時間を少しでも長く一緒に共有したい。今度こそ、台無しにして絶対に潰したくなんてなかった。


 自販機の前に辿り付く。コカ・コーラ製のため、サイダーはなかった。その代わりにスプライトがあったためにそれにした。結果最初のラムネからの提案からだいぶ妥協を重ねたものになってしまった。


 それぞれ硬貨を準備して先に梶田、次に俺が購入する。


「ゴクっ! ―――ごっほごほ、ごっほ!!」


 まるで飲料水のCMのような調子で、顔に汗、ペットボトルに水滴を滴らせた夏の暑さと冷えた飲み物を連想させたポーズで一気に飲む梶田だったが、瞬間大きくむせ返しやがった。


 熱した地面に炭酸なのか、蒸発なのかわからない、じゅ~わ~とした音が奏でられた。


「うおい!? 大丈夫か? 炭酸なんだから一気飲みするから」


「……ごめん、実は炭酸初めて飲ん、オホッ、ごっほ!」


「はあ!? お前飲んだことなかったのかよ」


「オ、オホッ!! 初めて。いつもジュースはなっちゃんとかくぅ~とかだったから……」


「おい! それでなんで飲みたいって言った……」


「イケると思ったんだよ~~」


 まさかここにきて梶田は炭酸が苦手だと判明する。そんなんでなぜラムネを飲みたいって思ったんだコイツは。


 だいぶ参っているのか、舌を出しながら「ひぃたらヒィリヒィリふぅるぅー」と小さな子供のように嘆いていた。


 ……どうでもいいが、この光景少しいかがわしいな。美少女が舌を出して涎なのか、飲料水なのか分からない、ねったりと滴りを零している。また衣服も零れて……これがもう少し分かりやすく結構な量を零したなら服透けがあったかもしれないが、衣服に少しかかった程度で大半は地面に零れていた。残念。


 頭は残念な部分があるが、見た目自体は普通に美少女なんだよな、コイツ。


 俺は小さめサイズのリンゴジュースを購入して、そいつを口直し用に渡す。梶田は「あ、ありがとう」と受け取り一口含む。


 それに倣うわけではないが、俺も自分の分を一口含む。口中に広がる炭酸、サイダーの甘さに更に一味工夫されたライムの酸味も利いたスプライト。ここまで道のりとお喋りで渇いた喉に潤う……というよりも喉に効く。旨味でなく炭酸が。


 炭酸自体飲み慣れているため流石に梶田のように吐くことはない。


「あれ、アレってういじゃない?」


 突然梶田は指をさした。


 そちらへと視線を移すと確かにこちらへと誰かが向かってきており、その姿は杉田らしかった。


 けれど。


「……アイツ、なんか変じゃないか?」


「うん、なんか……」


 向かってくる杉田の様子がおかしいように感じた。


 まず一番の違和感としてはいつも自転車で登下校しているのに、だが今は走ってきている。なら時間帯から考えてもまだ練習中でただの外走りでこちらに向かってきているのかと考えた。


 けれど朝は陸上の後に学習時間があって、今はその時間帯のはず。


 変だなと思っていると隣で梶田が、おーい、と大きく手を振って杉田へと呼びかける。が、杉田はそれに気づいてない。顔を落としている。聞こえてないのか?


 何度か、梶田は呼びかけてようやく気付いたように杉田は顔を上げるが、特に大きな反応をみせずにまた顔を落とす。


 俺達は眉を顰めて、ますます何かがおかしいと思った。


 やがて俺達の目の前まで辿り着き、顔を上げて俺達を正面から見据えてきた。


 ―――その表情は険しい険相をしていた。


 俺と梶田は息を呑んで、恐怖する。


 空気が途端に夏の暑さを感じさせるものを消えさって、いびつに冷えた空気がその場を沈めさせた。


 直面した杉田が放っていた雰囲気は……一言で表せば『たった今、人を殺してきた』というような殺気を纏った見える者全ての背筋を凍らせるもの。


 顔はこれ以上ないくらい怒りに満ち溢れていて、眼が紅く、眼元は少しだけ涙の跡が存在している。同時に強く殴られたのか横顔から耳辺りが腫れている。口も切れていて血が出ている。


 着ている運動着は砂で汚れているだけじゃなく血のようなものも見受けられ、露出している手足は擦り傷などの怪我を思わせるものも存在している。


 一見したら派手に転んだのかと思わせるものだったが、そうではないとハッキリと分かる。そうじゃないことを言わしめる圧が発せられていたからだ。


 そうじゃなかったならば、いつもの調子で「おいおい、随分派手に転んだな。誰かに笑われてキレてんのか?」と軽口を叩いていた。だけどそんな言えない。そうじゃないことがハッキリと伝わってくる。


 ……俺自身あまりその手のことに関わったことも、見たこともなかったが、だけどハッキリとそれを予感させた。


 杉田は喧嘩してきたのだ、と。


 口喧嘩などではない、殴る蹴る突き飛ばすぶちのめす、といった本物の喧嘩を。スポーツのような試合としてルールの形はなく容赦のない暴力としか言いようがないそれを。


 これまで何度か、乱暴な奴だ、田舎ヤンキー、と杉田を敬してきたが、それまでの言葉が嘘のように……いや可愛かったまでに冗談を発せられないレベルで今の杉田は怖かった。


「ど、どうしたの?」


 発した梶田の言葉は先ほどの能天気さはなく、ただ杉田が放つ殺気に圧されて、声が震えていた。


 かつてこの鈍感能天気娘がここまで動揺し、緊張したことがあっただろうか? たぶん梶田も俺と同じように感じ取っていたのだから、怖くてそれ自体に普段のように直接的にではなく、遠回しな言葉を選んだんだろう。


 梶田ですらこのレベルの緊張。……今の杉田に対して恐れを抱いていた。


「………………」


 杉田は何も言わない。


 血筋が迸るのがハッキリとわかる眼力、何かを噛みしめたような口元、握り潰すと言わんばかりに震えて壊す形をする拳。


 泣き出しそう、大暴れしそうな二つの雰囲気を漂わせていた。


 その様子に俺達もますます硬直してしまう。


 やがて、俺達にとっては数十分にも感じられた、数秒にも満たない間が開け、時間が、杉田が動き出す。


 杉田は何も言わずただ俺達を通り過ぎて、その場を去ったのだ。


 しばし間まだ硬直したままだった。


 俺と梶田は二人して杉田が放っている殺気のようなものが背中から離れ、去ったことを悟ってようやく息ができた。止めていた自覚はないが自然と止まっていた。


 息をするのが怖かった。


 口を開くこと自体怖かった。


 杉田が何か言うのが怖かった。


 動く動作がこちらへと向けられるのが怖かった。


 今、去った後ですら振り返るのが怖かった。


 びっしょりと服の下に汗が溢れて出ていた。夏の暑さからじゃない、凄まじきプレッシャーで暑さなんてどうでもよくなるレベル。


「……………て」


 何かが聞こえた。


 意識してないと聞き逃してしまうほど、むしろよく拾えたものだと思えるほどの声。拾えたのはその声の主が俺のすぐ隣にいたから聞くことができたのだ。


 顔をそのまま視線だけ向けると梶田は顔を落とし、わなわなと体を震わせている。まだ恐怖心自体消えたわけじゃない。充てられたそれを簡単にひっぺ返すことはできない。


 だけど。


 そいつは、ゴク、と色々なものを呑み込んだ音を鳴らせて。


 そして―――、



「待って! うい!!! ねえ、待ってよ、うい!!!」




 梶田は振りかえって叫んだ。


 けれどその声量は杉田に届けたいというよりも、自身の怯えを誤魔化すように、吹き飛ばしたい思いで叫んでいるように俺にはみえた。


 その姿でようやく恐怖が薄れた俺も後ろへと、杉田が過ぎ去った方へと体を向ける。


 もう遠い。アイツの背中が小さく見えるほど遠い場所にいた。少しの間だったはずなのに数分で追いつくには難しいほどの距離に離されていた。


 やはり足が速い。疾走を続ける背中は更に小さくなっていく。俺達の足では自転車があっても難しいと思わせる速さだった。


 杉田に梶田の声は……たぶん聞こえているんだろう。だけど立ち止まる気配はなく、振り返らずこともなく真っ直ぐに進んでいく。


 飲んだばかりで潤った喉が渇く。

 汗だくになるほど、暑かった夏の日差しがそれ以上に強く感じるのにそれが気にならない。

 うるさかったセミの鳴き声が遠くに聞こえる。

 視界が揺れる。

 意識が遠くなる。

 足がちゃんと地についていない感覚。

 胸の中に大きな大きな穴が生まれた気持ち。



 ―――手の届かない場所。

 ―――何かによって崩れていく関係性。

 ―――再生不可能な決定的な大きな傷。

 ―――何かを間違えてしまったどうしようもない後悔。

 ―――取り返すことができず、

 ―――逃げ、……だ、し………て!!




 杉田の後ろの姿が自分の記憶が重なって、それに囚われてしまい俺自身の精神もゆらゆらと崩れかかり、意識が飛びそうになりそうになっていた


「行こう!!」


 その時、梶田が俺の手を取って告げた。


 梶田の顔を見る。


 今に泣き出してしまいそうなほどの恐怖と不安に駆り立てられた表情。女の身で、真正面から杉田の殺気に耐えられずだいぶ利いていることが一目でわかる。男である俺だって同じ気持ちだ。あんなもの、もう一度味わいたくはない。


「追およ!! いつものういじゃなかった! なんか……分かんないけど………でも!! このままじゃあういがいなくなっちゃうような気がする!! 何もかもが台無しになるような気がする!!」


 けれど彼女はギリギリのところで折れず、己を鼓舞して立ち上がる。俺の両手を取って、力強く握りしめていつになく真剣に告げてきた。


 梶田の持つ、天然の直感が告げているのか、このまま杉田を放っておくと色々な意味で危ういこと。それを理解しているから杉田の後を追って、ブレーキをかけなければ。そこでちゃんと止めておかなければ―――


 ―――壊れる。


 俺達にとっても、杉田本人にとっても、致命的な何か。


 けれど感情的な梶田とは反対に俺はまだ放心している。分析できる冷静さがありつつ、心はどこか遠く彼方へと、まだ黒い記憶の海の中に浸っている。


 俺は体験した。


 あっちにいた頃に一度やらかして、台無しにしてしまった。アレと一緒のことが今、杉田の身に起きていることが俺には理解できていたからだ。


 苦しい苦しい、怖い怖い、ごめんなさいごめんなさい、逃げたい逃げたい、やめてやめて、やり直したいやり直したい!!


 後悔と恐怖心に狭まれるトラウマを呼び覚まして、そんな言葉らで表せる感情が俺を支配される感覚。それが告げてくる。


 もう駄目だ。また失敗してしまったんだ、と。


 正直、杉田に何を話していいのか分からない。何が合って、アイツにどんな闇を抱えて、あれほどの殺気を放っているのか事情を知らない。


 それならば何があったのかと聞けばいい、と簡単な話かもしれないが……そうだけど、そういうことではない!


 言うのは簡単だが、実際にやること自体はかなり難しいんだ。本人が誰よりも触れられたくないもの、タブーとしていることに、『簡単に』などと扱っていいものではないのだ。それによってさらに逆鱗に触れるかもしれない。


 取り繕うとしても、もっとこじれて壊れてしまうかもしれないからそれが怖くてたまらない。


 触れない方がいいのかもしれない。見て見ぬ振りをしてやり過ごして、今日という日を見過ごして、……なかったことにしてしまえばいいのではないのか? それが一番の道ではないのか?


 俺の思考はマイナス方へと傾けられる。安心安全ともいえる、保障された方法を思案する。


 そうだ、今日を見なかったことにして、また明日からやり直して、何もなかったようにすれば……!


 ―――でも、明日も杉田自身が変わらなかったら?


 マイナスの考え方は更にマイナスへと負債する。数学のように重ね合わせればプラスになるわけじゃなく、現実の問題は変換されて、正へとならない。


 その証拠が俺だ。


 過去のマイナスを、今のプラスで何とかバランスを取ろうとしている。今もマイナスになってしまったらもう何をプラスにしていいのか分からない。


 空を仰いだ。色は青。そのはずなのに俺の目にはその色も黒ずんでいるように感じた。


 大事にしていたものいともたやすく消え去ってしまう音がする。


 黒に塗りつぶされる。あったものがなかったように、忘我へと追いやろうするために塗りつぶして見えなくしようとする。



「―――ういが死んじゃうような気がする」



「!!」


 梶田の言葉に息を呑んだ。


 死ぬという言葉は流石に言い過ぎなだと思う。あの杉田が、俺が見てきた中では、『強い』の一言で言い表せる、あの男に一番似合わない言葉。


 あるとするなら『自分が死ぬ』ではなく、『誰かを殺す』の表現が合っているような気がした。確かに今は自暴自棄な様子ではあったけど、流石に自殺を考えているとまで………。


 けど。なぜかその言葉は胸に深く突き刺さった。


 口に出せなかった。「そんなわけないだろう」「考え過ぎだ」と安心させるための言葉を。


 ううん、と梶田はまるで俺の考えを読んだように首を振った。何かを否定するように。それは自分の発言が行き過ぎたものだと気付いたのかと思ったが、違った。


「私………わかってなかった。……死ぬんじゃないんだ………ういのは、自分を殺すんだ! 自分で自分を殺すこと……死んでどうのこうのじゃない。……ダメだよ! 自分を殺したらダメ!」


 思いもしなかった言葉だった。


 俺から見たら、あの杉田の様子は人を殺した、殺しかねない、というものを感じ取れたけど、梶田には別の、あるいは心情に踏み込んだ部分を感じ取っていたのだ。


 自分を殺すことをしてはいけない。


 その言葉は核心をついているような気がした。


 俺は『誰か殺す』と思ったが、梶田の言葉でその誰かは他の誰でもない杉田自身のことをさしていたことに気付かされた。


「ねえ、モカ! ……お願い、…………行こうよ………!」


 崩壊する音をかき消してきてくれたのは、梶田だった。しがみついて涙を零して懇願する。まるで両親の喧嘩に割って入ってくる泣きじゃくる子供と変わらない様子で、「喧嘩はやめて、仲良くしてよ」と訴えるように。


 その表情を見て、俺の中の何かが揺れた。


 別に女の子の涙を見て心が揺れ動いた、といった主人公として情か何かではない。


 ………言うならば。コイツは俺と違うんだな、という感動だったかもしれない。


 俺は動けなかった。ただどうやって取り繕ってやり過ごそうかと、なーなーにしてこの場を治めて、何でもなかったことにしようかそればかり考えていた。


 だけどこいつは、泣いて、ビビッて、震えて上がって、怖がって、不安だらけの子供みたいな状態のくせに、それでも逃げずに杉田と向き合おうとしている。


 バカだから考えなしのそんな特攻しかできないだけなのかもしれないが、俺にはできないことだった。



 俺は…………、

 ―――梶田の言う通り杉田を追おうと思った。

 


 俺では多分、何も変えられない。あの杉田を宥めようとしても逆に怒りを買ってしまうおそれすらある。それが本当の決定的に引き金になってしまうかもしれない。少なくとも前はそれで失敗して、台無しにしたのだ。


 でも梶田なら、杉田の荒んだ心を何とかしてくれるかもしれない。何か確信があるわけじゃない。


 あの日、海に溺れた日。


 溺れた海の中にいた俺を引きずり上げて、助けてくれたのは杉田だった。


 でももう一度やり直そうと思えたのは、新しく頑張ろうと思えたのは、決定打として心を救い上げてくれたのは梶田だった。


 こいつになら……できるかもしれない。


 梶田の肩に手を置き、キチンと向き合う。それに反応して梶田は顔を上げて、俺の瞳を見つめて、そして。


「あ、いたっ!」


 デコピンをかました。


「な~に、泣いてんだよ」


 明るいいつもの馬鹿にした調子の声は自然に出てきてくれた。


「なにさ、いきなり! ひどいな!」


 梶田も梶田で、下向きじゃなくなり、いつもの調子に戻った『ひどいな』の発言が出てくる。


 お互いにいつもの調子を取り戻す。残っていたスプライトを一気に飲み干してそれをゴミ箱にぶん投げて……外れた。無視して話を進める。


「あのバカのことだ。どうせ、派手に転んでみんなから笑われたから怒っているだけだろうよ。プライド高いやつはこれだから」


 そう強がってみせる。梶田はふふっと笑って答えた。


「ゴミはちゃんと入れようよ」


 うっせえな分かってるよ、と悪態を吐きながら、外れたペットボトルを箱へと入れる。


 互いに心の中で、不安を残しながらも俺達は杉田の後を追う。


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