田舎に集まりし、面倒臭い僕ら(オタクども)15
ザブン。
遅れてやってくる自分が海へと落ちた音が聞こえる。
初めて入った海の中。
足のつかない浮遊感に襲われる。
水の中は一般的に冷たくて気持ちらしいが、実際に入ってみると日中の日差しのせいかぬるいくらいだ。
目を開けてみると全体的に碧を感じさせる濁った視界が広がる。暗くて、薄汚れている海の中は遠くを見ることはできない。周囲数メートルほどでその先は碧で塗りつぶされただけの一面にしか思えない。
水の音と言えばいいのか、ザブンやジャー、ボーンといった陸で聞いた音とは違う。どちらかというと静かな場所にいる時に聞こえるシーンといったような音に近い。ジーンと聞こえてくるのが水音だった。
海に落ちて間も数秒ほどなのに数分にも感じられるほどの長い時間に感じる。こんなゆっくりと時間が経過することを確か、……タキサイキア現象というんだっけ?
そんなどこかで知った知識を思い出し、冷静に思考していると、っがぽ、水疱が零れる。
い、息ができない……!
呼吸ができないことに遅まきに気づいた瞬間、ゆっくりとした時間はなくなり、『溺れる』が頭の中で認識して慌てて腕と足をバタつかせて、パニックを起こす。
水面水面水面水面! 空気空気空気空気!
必死にバタつかせて上へ上へと体を上げようとする。
『いっぺん、海さん潜れ。泳げんでもええ、いや、むしろいっぺん溺くれろ』『海ん中は目ばつぶっとけば真っ黒。開けても濁ってちゃんと見れん。そんでもって水ン音。息苦しくなって「死ぬ!」と思って暴れる。海で溺れればそがんなんのは当り前さー』
じいちゃんから言われた言葉を思い出す。前半はともかく、後半は全くその通りだった。
海に落ちた時、息苦しくなってから本気で身の危険を感じる。懸命に足掻いて、手が上り、顔を上げることに成功する。
「ップ、ッパー! だ、ぶっ!」
顔を上げて一呼吸することに成功したが、すぐに体が沈んでいくのを感じる。
速く陸に! 筏に、行かないと!
そう思って手を伸ばして筏を掴もうとするが予想よりも筏との距離は遠い。パッと見てから腕の長さ二つ分か。
はあ、なんで!? 落ちた時そう離れてなかっただろう!!
頭の中でそう叫ぶけど、そうしたところで何も起きない。ただ必死にバタバタと動かして筏を掴もうとするけど一向に届く気配はない。腕が引き千切れそうになる思いで届け! 届け! と伸ばす。
が、やがて上げていた体はまた沈んでいく。首まで上がっていたのに、顎、口、鼻、そして顔まで沈み、伸ばした指の先まで完全に沈む。
俺は……泳げない!
さっきは上がったのに何故か今度は逆に沈んでいく。それが意味不明過ぎて、なんでなんで! と怒り湧いてきてもがく力が強まる。
水の中で必要以上に力を込めれば込めるほど沈んでいくことを完全に俺の中から消えていた。
回復した息も再び苦しくなってくる。遊びで陸の中で息止めしたことがあったが、それとは比べ物にならない、本気で苦しい。鼻と口の中に感じる水そして潮気……海水特有の味を感じる。
次第に息が苦しくなって、力が入らなくなる、意識が遠のいていく。
目を閉じて薄汚れた視界が消え、真っ暗な世界に変わる。
上下左右の方向感覚が分からなくなる。身体が浮かんでいっているのか、沈んでいるのか、ゆったりとした波に流れているのか分からない。
呼吸できないことで脳に酸素が回らず、危険信号が響いて頭が痛くなる。
ヤバ、マジで死ぬ!
死の危機を感じるものの、もはやどうしていいのか分からない。
え、俺はこんなところで死ぬのか? こんな感じで死ぬのか?
………嫌だ、死にたくない!
死への恐怖が俺の身体を凍らせる。全身を締め付けられるような感覚が襲われて、それが増す度に孤独感というものが感じられる。
すると頭の中に浮かんできたのはあっちにいた頃の記憶。
初めは中学の入学の時に隣の席にいたヤツと話したらすぐに仲が良くなって、他にも話が合う奴とあって、ソイツらとグループになってそして一緒の部活に入っていた。
ソイツらと一緒に過ごしていく内に毎日が楽しくて、色んな話して、遊んで、盛り上がって、オタク生活として最高だった。
そしたらある日、一人が言った『ゲームを本気で作ってみないか?』って。俺達は頷いて、役割を決めて、俺は楽そうで同時に人気になりそうなキャラに声を充てる声優を選んで、それで初めて自分の声で聴いてみて驚いて骨伝導の事を知って、それでマシにするために滑舌や声について勉強して、自分なりに練習した。
最初は何となくだったけど、皆それぞれ懸命だったのを見ては感化されて、「俺も!」と気合入れてハマって練習した。そしていつしか本気で声優になろう、と目指すこと考えていた。
グループは仲が良いことばかりじゃない。ゲーム制作を始めてからこれまで一度としてなかった喧嘩を始めてやったことだってあった。罵倒が飛び交って流石に殴り合う事しなかったが、胸倉を掴みかかるくらいならあった。
少し怖いとも思ったが、同時にそれすらも楽しいとすら思えた。
ああ、そうだここまで最高だったんだ。
滅茶苦茶楽しかったんだ!
毎日が毎日が、確かに生きているって日々で夢に向かって走っている感じがして、充実した日々だったんだ! 喧嘩してもそれが互いに本気だからと伝わったからグループとしては維持ができていた。
夢を向かって頑張っていて、そんでもって精一杯青春していたんだ。
俺達は何も間違ったことをしていなかった! 俺は何も失敗していなかったんだ!
だけど、壊れた。
たった一つの要因で全てがパーになってしまった。俺の選択ミスで全てを台無しにしてしまったんだ!
そして逃げて逃げて、逃げ込んで! この島にやってきたんだ。
後悔と迷い、葛藤、失意、懺悔、といったドロドロした感情によって身動きが取れない。正しい行動が何なのかが分からない。まるで今、海に溺れてしまったのと同じようなもの。
一気にパニックになって正しい対処が分からず、ただ本能的に動くけど、それが助かる方法には繋がらずにむしろ余計に状況を悪くするだけ。
自分で自分の首を絞めるだけの結果だけにしか繋がらない。
『ばってん、それだけじゃなかとよ。死ん思うだけじゃなくて他んことも頭ん中に出てくっど』
そういえばじいちゃんも走馬燈みたいなことを言っていたっけ。
ああ、分かった。
暗く、重く、何もないただ呆然と俺一人がいる。
死は独りぼっちなんだ。
周りに自分以外に誰もいないんだ。
死ぬときは独りで行く。
誰も連れて行けない。
誰も傍にいてくれない。
ただ独り、死という真っ暗な無に沈んでいく。
だから人間は走馬燈を見るんだ。
独りぼっちが怖いから、誰かといた時のことを思い出すんだ。
そんな心理に辿り着いた。
寂しくて、怖くて、会いたくて、謝りたくて、また一緒の日々を送りたくて。
もっとも大切だった奴らとの時間を思い出すんだ。
涙が零れたような気がした。
けれど海の中に入る以上涙の一粒の存在など分からず、例え出ていたとしても海水に混ざってしまうだけだ。
だけど、たぶん、本当に涙を流したんだと自分ではわかった。
遠ざかっていく意識は徐々にアイツらとの思い出は口から漏れる水疱のように消えていく。
もう何も残ってないと諦めた時だった、すると二人の人間の影が浮かび上がってくる。
一人は乱暴そうなヤンキーでラノベ作家の志望の田舎者。もう一人は、見た目は清楚で大人しげな雰囲気のある美人に見えて中身は世間知らずのただのアホ娘。
杉田と梶田の二人の姿だった。この島で出逢った二人。
二人は楽しげに話して何かを創作している。梶田があーだこーだと言い、杉田が面倒くさそうに突っ込みつつ何かを書き留めている。梶田が何かを描くと杉田はぶっきらぼうに褒めて、梶田はドヤ顔をかます。
そんな風景が映る。
何を創っているのか知らない。俺には関係ない。俺はその中に入らなかった。……入れなかった。
入ることが許すことができなかったんだ!
梶田に誘われた時、怖いと思った。また同じことになるじゃないのかって、また決定的な事を選び間違えて何もかもこわしてしまうんじゃないのかって、怖くて怖くてしかたがなかったんだ。
頭の中にこびり付くイメージはずっと俺の中にべったりと張り付いている。一度失敗してしまった俺また失敗して壊れてしまうのが怖かった。
………………けど、
だけど、……本音を言えば誘われて嬉しかったんだ!
また同じように日々を過ごすことが出来るんじゃないのか。新しく始めることができるじゃないのかって期待していたんだ。
―――やり直したい!
その二人の姿が頭に浮かび上がった瞬間、そう強く願った。
もう俺はあそこに帰れない。もう壊してしまった以上、俺にあそこに帰る資格なんてないのだ。だけど叶うことならやり直したい。もう一度あの頃に戻りたい。
だけどそれはできない。もうあそこはどうにもならない。やり直すことはできない。
ならせめて、新しく始めたい。
新しい場所で―――この呉郷俵で、
新しい人間達と―――杉田と梶田と俺の三人で。
―――そして、今度はうまくやってやる。絶対に成功してみせる! 必ず居場所を護ってみせるんだ!
強く強く願う、それは儚き夢物語。
口から零れた水疱のようにいともたやすく割れて消えてしまうほどに無意味な形だ。
完全に意識が無くなる瞬間、背中辺りに何か押される感覚。最初は海底に沈んだのかと思ったが、だけど感覚を覚えると急激に何かがいるという錯覚に陥る。
だけどもはや恐怖はなかった。意識がもう保てない。力も何も入らない。
今の俺には抵抗する術はなく、されるがままに………。
……………………………。
………………………………………。