田舎に集まりし、面倒臭い僕ら(オタクども)11
「恭和、彼女が来よったよ~。起きんか~」
「ふぁい!?」
珍しくじいちゃんから叩き起こされたと思ったらそれが全く意味不明なもの。
え、「彼女」? はい!?
怖気が走った、眠気眼はすぐに覚醒するが細い目のまま。全身に鳥肌が立ち、頭の中に嫌な思い出がフラッシュバッグして、胸が不安で押し潰されてしまいそうな恐怖心に襲われる。
大丈夫大丈夫、ここはあっちじゃない。だからアイツはいない。こんな田舎にアイツがわざわざ出向くはずがないのだ。もうアイツと出会うことは二度ない。
頭の中で何度も何度も言い聞かせて、必死になって冷静さを取り戻す。
起きてこんかー! と下からじいちゃんの怒鳴り声が聞こえて、慌てて一階へと降りっていき、そして。
「か、梶田か」
「おっはー」
能天気に挨拶をかましてくる梶田が居間に座っていた。
安堵すると同時に、ムッとして問いかける。
「お前なんで家に……っつーか今何時だと思ってんだ、コラァ!?」
「恭和、朝から怒鳴らない。せっかくお嬢さんが遊びにいてくれたのに」
朝食を済ませて、出掛ける準備をしている父さんがいつもの優しい口調で俺を窘めてくる。いやいや。
「朝っぱらか遊びに来る方がおかしいだろ!? 今何時だと思ってんの、七時だぞ七時! 七時半!? 夏休みならまだまだ寝ている時間!」
「父さんの頃はもう遊んでいたけど。ラジオ体操終わってすぐに友達んち行ったり、海で釣りをしたり」
父さんは昔を思い出すようにして笑う。いや、父さんの何もない時代の、この何もないクソ田舎島ならそうかもしれないけど……。
父さんの言葉を聞き、じいちゃんも深く頷いた。
「そがんそがん。そっちが普通ばい」
「あ、私も今朝ラジオ体操しました」
「おー、そがんか。嬢ちゃん、こん爺もラジオ体操しっとばい。夏だけじゃなく毎朝」
「え~、そうなんですか! 夏休み以外にもラジオ体操できるんですか!」
「そがんばい。ラジオ体操は毎日せんば意味なかとやけん。健康が大事やけん健康が」
「そこ、呑気に話さない!」
じいちゃんと梶田が仲よさそうに話していることに突っ込む。じいちゃんは女が遊びに来てくれたことが嬉しいのか、普段よりも饒舌に優しく語りかけていた。
俺の突っ込みを他所にじいちゃんの長い話を初めて、梶田はそれを興味深そうに耳を傾けて目を輝かせていた。その様子に俺は目を細める。
お客さんの前だからちゃんと顔を洗ってきなさい、とすれ違い様に父さんから言われて、渋々俺は顔を洗いに行き、朝食を取る。今日も今日とて和食。
俺は食べ始めると父さんから「じゃあ、仕事行くから」と声がかかり、仕事へと出かけていった。残された三人。
一通りの話が済んだのか、じいさんの話が途切れた瞬間を狙って俺は梶田へと声を掛ける。
「お前、こんな朝っぱらからなにしにきたんだ?」
「あ、そうだそうだ」
思い出したようにバッグから何かを取り出して、俺の元へとやってくる。話が途切れたタイミングを狙ったのに、俺が話遮ったと不満げな顔をするじいちゃんから睨まれる。キャバクラで気前よく話していた相手が指名入れられて離れられたことがイラつくサラリーマンかよ。
話を邪魔されたじいちゃんは仕方なく、席を立ち、縁側から外へと出ていく。
「これ持ってきたんだ」
「これ杉田のか?」
梶田が出してきたのはルーズリーフがまとめられたファイル。昨日杉田が梶田に貸した杉田の小説だ。
「……もう読んだのか?」
「うん、面白かったよ。これってキャラの名前クロヤとかカラーとかアオイとか色が名前の基準にしてあっ痛て!」
「ネタバレすんな」
ファイルの側面で使ったチョップで黙らせる。なんで二人して、チョップするのさ! とフンスー、と怒る梶田を無視して、俺は箸を加えた状態でファイルから紙を取り出してペラペラと軽く目を通した。
「字ぃきたねえなー」
「ハハハ、だよねー」
まあ、明らかに読みにくい部分があった。読めないことはないが、文章として目を通すのは苦痛がある。あれだ、内容どうのはまだ読んでないのでともかく、字の上手い下手も文章を構築する上で必要なスキルだ。
少なくとも読み手側からしたらは汚い字を読むのは苦痛で、読んでいても頭に入ってこない時がある。
単純な話、汚い字で書かれた名作と、綺麗な字で書かれた駄作を用意された時、万人が綺麗な字の駄作を選んで楽しむもんだ。汚い字の名作は隠された名作のまま世に出ないまま終わることだってありえる。
今の執筆はPC原稿が主流だからあまりないが、昔の手書きの原稿の第一審査は字の綺麗さで判断もされたものだと聞く。
杉田の作品が名作かどうかは知らんが。
性格からして杉田の字が汚いのは予想の範囲内。まあ、これくらいなら読むこと自体問題もないだろう。
あと一点だけ上げるなら、ちょくちょくとオレンジ色のペンで漢字の間違いの指摘されていた。これは梶田の仕業だろう、字が明らかに違う。
全く、昨日俺が読みにくくなるからそういうことをするなって言ったのに、コイツは。
ファイルをテーブルに置いて食事を進める。
「これ届けるためにわざわざ朝っぱらか来たのかよ」
「うん、そうだよー。最初、夕弌君の家に行ってラジオ体操して、朝ご飯食べて着たの」
「……どういうこと?」
梶田の説明が不明過ぎて真顔で聞き返す。とりあえず、俺の家に来る前に杉田の家に行ったってことか? ……え、何時起きだ? 今七時半過ぎだから、それでラジオ体操をやったってことは……ラジオ体操って五時だっけ? え、マジで何時起きだコイツ?
夏休みの朝のラジオ体操なんて小学生の頃すらやったことのない俺はどれくらいの時間でやっているのか知らない。想像で五時くらいだと思っている。
「早起きなんだな」
「まあーね。……いっぱい寝てたから。少しでも長く起きていたいからね」
「はあ?」
これまた意味不明な事を抜かしてくる梶田を見つめる。どこか遠くを見るような目でいた梶田は俺の視線に気づくとニッと笑いながら答える。
「夏休みはいっぱい楽しみたいじゃん。ほら、『な~つ~やすみは~、やっぱり~、短い~♪』って。はは、ここまでしか知らないや」
梶田の言葉を聞き、味噌汁を啜って一息付いて呆れる。
「小学生の初めての夏休みかよ。中三でその感覚持てんのスゲエーな」
「そう? みんな普通そう考えない?」
「いや、普通昼近くになるまで寝ていたい」
「え~、勿体ないじゃん。遊ぶ時間短くなるじゃん」
「その分夜長く起きているんだよ。総体的に考えるとそこまで短くにはならない」
「おお~、夜更かしとは不良君だね」
「……それくらいで俺が不良なら杉田はなんだ? ヤクザか悪魔か」
「ん~、………や、ヤンキー?」
「お前の中で不良とヤンキーの境は?」
どっちも同じもんだぞ、とそんな感じの会話を続けながら朝食を終えて食器を片づける。
あ~、久しぶりに朝飯食べたわ~。こっちにきてから朝食兼昼食で杉田ン家にお世話になっていたらかな。
片づけも終えて、んー、と背伸びをしてから居間へと戻る。待っていた梶田は家のあちらこちらをほげー、と馬鹿面を晒して興味深そうにしていた。
「どうした?」
「いや、夕弌君ン家の時も思ったけど、田舎の家だな~、ってなんというか……うん、感動している!」
「そうか」
感慨深そうにしながら素直な感想を言ってくる梶田。
田舎特有の古さを感じさせる木造建築。殆どの部屋が畳式の床で一部屋一部屋がだいぶ広さを感じさせる。冷房はないが、山から下ってくる風が裏側部屋の窓を開けていると部屋全体に気持ちのいい風が流れてくるので、よっぽど暑い日か風のない日くらいしか扇風機はいらない。
また家が山側の建てられているため高い位置にあるので、縁側から見下ろすようにして海が見れて大変景色もいい。
「ねえねえ、あれある!? あの、なんか、居間の中央に砂浜みたいなのでヤカン沸すヤツ、お侍さんのドラマとかによくある古い家によくある」
「ねえよ。そこまで古くねえ」
なんだっけ? 梶田と言わんとするものは分かるが俺も名前が出てこない。たぶん、戦国ドラマとかで家の中にある居間の所にある焚火スペースのことを……えーと、暖炉! じゃなくて、……釜戸! ……でもなくて……庵? あ、いや囲炉裏か。
少し考えたがちゃんと出てきた。頭がスッキリとする。つーか砂浜じゃなく、あれはどう見ても灰だろうに。
「言っとくが、家の中を探検しようとか考えるなよ」
「うっ、……カンガエテナイヨ!」
「ちゃんとこっち見て言え」
露骨に反応を示す梶田に釘を刺す。
昨日下手すると杉田ン家を捜索しようとしたからな。アイツん家は別に構わないし、面白いもの見つけて報告するのもいい。そして怒られるのも梶田だけの責任ってことで。だけど俺ん家を勝手に捜索なんて子供じみたことしようとすんなよ。俺の部屋に勝手に入られても困る。
部屋の中に録音機器類がそのままだ。見つかった「なにこれ?」とあれよこれよと聞かれる未来が簡単に見える。
そう思いながら取りあえず家の探検みたいなことをしようとしない梶田に言う。
「それよりお前これからどうするんだ? 俺は一応これを読むつもりだけど?」
杉田の小説のフォルダーを手に取って告げると、梶田は、ん~、目を逸らして何かを考えてようにしてから口を開く。
「私もちょっとやりたいことがあるからね。時間までここ使ってもいい?」
「やりたいこと? 別にいいけど、……なんだ?」
ここで何かをやろうとしている梶田。どうせ午前中の間に杉田の小説を読んでから杉田ン所に昼飯に出向く予定だからそれまでは家にいるため、梶田がこの家にいること自体は変な反対はしない。
けれど何かやるっていうならば。
「それは」
と口を開いたところでどこからかスマホの着信音が響いた。俺のではない。俺のは部屋に充電しているので関係ない。ということは梶田のものか。
梶田は、「あ、ごめん私の」と一言断ってから電話に出ようとする。縁側に行け、と電波の事を考えて指を指す。うん、と言って居間から離れていく。
「はいもしもしおか―――」
『―――――!!!!』
どうやら母親らしい。内容は分からないが、怒られているのかスマホを耳から少し離してから会話をあーだこーだと言われているのが見ていて分かる。
「ごめん、わかったから。うんごめん、すぐ帰るから。朝ご飯は夕弌君の所でごちそうになった。うん、そう。大丈夫、平気平気。って、え!? あ、ごめんごめんもう二度としないから! ほんとごめんなさい! だから帰るとか言わないで! お母さん本当にごめんなさい~~~!」
「何怒られてんだアイツ?」
梶田のペコペコとスマホ越しにも関わらずに頭を下げているのを見て、ぼやく。その様子で梶田母が大変ご立腹なことが伝わってくる。
まさかこいつ、何も告げずに内緒で朝早くから出掛けたとかじゃないんだろうな?
朝起きたら娘の姿が見当たらずに慌てて電話を掛けたらもう遊びに出た後だった、と。
そんな予想を立てながら梶田の様子を眺めて、「すぐに帰るから! ごめんなさい!!」と電話を切ってこちらへと振り返る梶田。パン、と手を合わせて頭を下げてくる。
「ごめん、今日は帰るね」
「それはどうでもいいけど。何があった?」
「あはは、朝出掛けたこと怒られちゃって。ラインに書置きしていたのに」
予想が的中した。一人娘が旅行先で自分が寝ている間に朝早く出掛けられたらそりゃ心配するだろう。
俺は足元のバッグを手に取って、ホレ、と渡す。ありがとう、と一言礼を告げた梶田は縁側から降りていく。どうやらコイツ、縁側から中に入ったようだ。
「じゃあまたお昼に! バイバイ」
「おう」
慌ただしくも、バイバイと手を振ってくる梶田に俺も手を上げて応える。走って帰るのか? ここからアイツ泊まっている旅館? あれ? 借家とか言っていたような……まあどっちでもいいか、アイツが住んでいる場所はここからどれくらい距離があるんだろう?
そんなことを考えると、下の方を見ると黄色の自転車が停まってあって梶田はそれに乗っていく。
アイツ、自転車は持ってきていたのか? 昨日まで歩きだったのに。
一体どこで手に入れたのか、自転車に乗って帰っていくのを眺めて俺は自分の部屋へと戻る。
椅子に腰づいて小説を読んでいく。
内容はファンタジー物なのか、魔導書という武器にして戦う《魔導書使い》というこの世界の魔法使い。主人公クロヤはそんな世界で暮らしていたら、ある噂で伝説の魔導書があるダンジョンへと足を向ける。そこでカラーという美女に出会って協力と話になるが、カラーは裏切ってクロヤを囮として使う。更に魔導書を管理する図書館という組織も加わって三つ巴。
(話の展開自体は中々。王道としてはまあ面白い。表現として幾つか気になる点があるが一先ず内容自体の把握だけを気にしておくか)
ダンジョンの最深部に到着した図書館は《黒の魔本》を所有者としてNo/96とい人型兵器の少女を使って回収しようとする。陰で様子を窺い、隙を見て奪い取ろうと企てるカラーは遅れてやってきたクロヤを見つけてもう一度共闘を持ち込んだ。もう一度隙を作るために利用としようと考えたのだ。一度が裏切られたクロヤは疑いつつも信じることにして二人は攻撃を仕掛ける。
黒の魔本を入手に失敗したNo/96。本来なら黒の魔本を回収させるための作られた素体だったが黒の魔本から拒絶された。動揺する図書館の隙を見てカラーが回収しようとするが触れることもできずに結界によって拒絶される。
封印を解かれたことで暴走を始める。黒の魔本の特性は『終わり』。全てのものを終わりへと導く異能を持つ。このままでは全滅は免れないとピンチ。暴走を止めるには開いた本を閉じる必要がある。
(で、ここでクロヤが止めるために突っ込んで、黒の魔本を入手、と。ふむふむ。流れは良いぞ)
黒の魔本はクロヤを所有者と認める。それが気に入らない図書館はクロヤを捉えようとするがクロヤとカラーは別々に逃走。追ってくるNo/96を相手取るが、黒の魔本によって傷を負っていたために交戦の最中に倒れてしまう。気絶したNo/96を背負って一緒に逃げる、と。
(何となく思っていたがカラーじゃなくて、No/96の方がヒロインか)
その後、知り合いであるキイロという後輩の少女の所に匿ってもらう。傷を癒す。目を覚ましたNo/96はクロヤに敵対意志を向けるが傷で動けない。なぜ自分助けたのかと聞くとクロヤは「傷ついた女そのままにしておけねえ」と答えるが、自身は人形だから人間とは大きく異なる存在、だと自身を道具と言い張ることに頭をかかるクロヤ。
(この後が日常パートで、No/96を人間として扱って、遊びに出掛けると)
話はそこまでだった。たぶん、この後が最終パートに入り、図書館との闘いに入ることだろうと予想を付ける。
ここまでの評価としては、内容やストーリー自体は普通に王道で面白いとは思った。
簡単言えば伝説の武器を手に入れた主人公。でもそれは世界を滅ぼすほどの力があるからそれを回収したい組織、という簡単な図としてある。他にそれを欲する第三勢力ともあるが。一先ずそれは置いておくとして。この後の展開を考えると主人公が組織自体に入ることも考えられる。
内容や展開として突っ込むポイント。少なくとも下手ななろう作品よりか評価できる。安直な感じに俺TUEEには走っていない。最終パートでそうなるかもしれないが。
まあ、ここまで書けたこと自体は評価できる。進捗として七割ほどか? 一冊という作品そのものを完成させるだけでそれだけ評価をできるというものだが。
「う~ん、……ブラッククローバーといえばブラッククローバーだな」
読み疲れたことで凝った首の関節を鳴らしながら呟く。
ジャンプ作品のブラッククローバー。魔導書を使って戦う人気のバトルファンタジー。別にそのまんまをパクっているわけではない。ただ魔導書を使っている設定を見た瞬間、「あ、パクリだな」と思った。世界観や設定そのものも異なるものなので、モデルがそれと考えていいだろう。
……よし褒めずにここらへんでからかう感じで話をしてやろう。
あと他にあるとするなら文章がおかしいや漢字を間違えていたことはややあったが、酷いというレベルではない。少なくとも戦闘描写を「キンキンキンキン」みたいな擬音だけで終わらせていない。伊達に普段から喧嘩ヤンキーな性格があるせいか肉弾戦自体の表現はそう悪くない。悪いのは魔法と機械とかその辺か? そこはあっさりと簡単に説明し過ぎている。知識さから明らかに得意不得意が分かる。
あとは同じ単語を繰り返しが多いことか。
これは表現者によくあるあるの話だ、例えば「見る」自体は漢字として「観る」もある「診る」もある「視る」もある。さらに言い方を変えて「覗きこむ」「じっと捉える」「集中する」と表現として変えられて描写を深くすることができる基本であり、小説家が持っていなければならない技法。
杉田はそれを知っているのか知らないのか。たぶん、知ってはいるのだが、まだ上手く扱えていないと考えるべきだろうか。その証拠に努力の後と言えばいいのか、どのルーズリーフにも何度も書き直した後が見受けられる。書いて消して書いて消してを繰り返して、どれも前書いていた文字の後の溝がある行の部分が必ずある。
頑張っているし努力も認めよう。
「アイツもこんな風に頑張っていたのかね……」
ふとヤツのことを思い出す。もう二度と会うことはないだろう人物の一人。そいつはシナリオライターを目指していた。そいつのものと比べると杉田のは荒さが目立つ。
自身が書いてきた作品を俺達に読ませて称賛すれば「天才だからな」とドヤ顔を晒す、天狗になりやすい奴だった。
そのためかプライドが高く、一度も俺達の前で書いている所を見せたことない。PCの打ち込むだからこのルーズリーフの如くボロボロではなく綺麗な原稿だった。だけど書き出してくる作品は面白いため、本当に天才なのだと俺達は思っていた。
「だけど、アイツも内心ではこんな紙がボロボロになるくらいに、書いていたのかな?」
窓の外を見ながら海を見る。蒼ではなく、碧色の海。水平線まで続くとよく表現されるものだが、目の前の景色は見つめた先に小島が幾つか立ち並んでおり、行く手を阻むようにしていた。
その島々は俺が過去に思い耽るのは、やめておけと忠告するように水平線を無くしているように俺には感じた。
俺はその忠告を素直に聞き入れて、スマホで時間を確認する。時刻は十一時四十七分。そろそろ出なくきゃあならない。普通ならもっと早く読むことができたが、杉田の汚い字のせいで読みづらい部分が多々あった。
よし、開幕は字が汚い、の一言で行こう。いや、待て。こちらがただ先に感想を言うのはもったいない。少し焦らしを入れつつ俺が読んだか読んでいないかの分からないことに悶々とさせよう。
それで気になって、読んだのか? と聞いてきてもわざと答えないように適当に躱しつつからかってから、悪い点を色々上げていってからの「まあ、面白かったじゃないの?」と上から目線言うことに……いやただ面白いと一言告げるのは勿体ない。作家の連中とは承認欲求のモンスターだから、認めるような一言告げてはいけない。付け上がってしまうからだ。
そうだな……。ここは面白いじゃなくて「笑ったわ。面白いかどうかはともかく」辺りの言葉が良いか。なかなかムカつくに適した言葉だ。
そんなことを考えながら俺は杉田の店に行こうと思ったら、下へと降りていくと台所から物音が聞こえてきて、何の音だ? と顔を出すとじいちゃんが何やら料理をしていた。
「あれ? じいちゃん、いたの?」
「おう、ラーメンでよかか?」
質問には答えず昼食はラーメンを作ってくれていたのだ。
「いや、杉田ン家に食べに行こうと……」
「人様ん家ばっかで食べんな。おるも作っととやけんたまにここで食べんか!」
割と全うな注意を受けて、「……はい」と素直に従う。それはそうだ、毎日の事だったから当たり前になっていたが、残飯とはいえタダメシを食わせてもらってばかりは流石に悪いか。
テーブルの準備ばせえ、と言われ俺は布きんで台を拭いて飲み物などを準備する。そうしている間にラーメンが出来上がり、もっていけ、と言われて自分の分を持っていき、じいちゃんもその後に続く。
向かい合わせの正面席でラーメンを啜る。ほう、これが噂の『うまっかっちゃん』ってヤツか。昔こっちの地方出身の漫画家が上京して「うまっかっちゃんが店にない!?」と謎の巻末コメント読んでそれとなく調べたことがあった。
初めて食べるうまっかっちゃんは味う。なかなか美味い。
「今日は仕事休みなの?」
もう一度違う言い方で訊ねるとじいちゃんはラーメンを食べながら答えた。
「ああ、今日は昼から。荷物が届かんば仕事ができんかったけん、朝は畑の方とか他ばやっとった」
「そうなんだ」
ズズー、ズー、とラーメンの互いに啜る音で会話は途切れる。今度はじいちゃんから訊ねてくる。
「慣れたか? 友達もできたみたかばってん」
「ああ、うん。その杉田の、……いつも食べに行っている所が子が同い年で、年が近い弟とか」
「あん子とは違うとやろ」
「餡子?」
「今朝来たお姉ちゃん。あん子とは違うとやろ?」
「ああ、梶田ね。アイツは旅行者。杉田は別の、男。夕弌ってやつ」
餡子とかいうから一瞬餡子を想像したが、今朝と言われて梶田のことだと気づくことができた。「あん子」で「あの子」ってことか。訛りのせいで理解しずらかった。
「杉田さん家はあぼが多かけん。誰が誰か分からんなゃー」
「まあ、十三人もいればわかんねえよ」
名前だけ全員聞いたが、もう覚えてねえし。昨日杉田の家に行ったがそこで初めて見た顔の下兄弟も何人かいた。双子もいたんだな。
ラーメンを啜りながらもまた会話が途切れる。普段は父さんもいて、三人で食事を取っているのでじいちゃんと二人でこうやって話して喋るのは新鮮だ。
どちらかというと男三人は静かに食べて、テレビの音を耳にしている。不仲って訳じゃないが、まあ飯の時は静かの家庭と言えばいいのか、まあ酒が入るとだいぶ変わるが。
「なんして遊ぶとか? 海さん潜っとか?」
「あ、いや、話してばっかで、後はあっちこっち島を回っている? って感じ。あと海は水切りとか他にも色々とやったけど、泳いだりはしてない」
「潜らんか」
がっつりと海に潜れと強要されて言葉が詰まる。
「せっかくこっちに来たとやけん、海さん潜らんか。杉田ンとこのあぼとなら大丈夫やろ」
「あー、俺泳げないから」
「ならよけい杉田のあぼと泳がんか。教えてもらわんか、男はちゃんと潜れんと話にならん」
「そりゃあ、ここの島の住民はそうだろうけど」
「お前もここん島の人間やろもん」
そう告げられて食の手に完全に止まった。何故かその一言はドクン、と心臓を高鳴らせる。
じいちゃんは俺のことなど心情など気にした様子はなく、ラーメンを食べ続けている。
「……俺はこの島の人間でいいのかな」
「ここにおっとやけんそがんさね」
じいちゃんは俺の言葉になんてことないと言うのだ。その言葉で俺の心はますます複雑な思いになる。
あっちに帰るかどうかは今の所保留にしているが、……そっか俺はこの島の人間と生きるという道もあるんだな。帰るかどうか悩みはあったけど、その悩みはいつ帰るかの悩みだった。島そのものから出ていく前提だったが、じいちゃんに言われて永住の道もあるのか、と思う。
背筋がゾッとした。
少し想像してみて感じたそれは恐怖とは違うもの。不安には近いものだったが、……拒絶心か。根本的に俺はここに根付くつもりはないのか。
だけど、同時に頭の中にイメージしたものはやけに鮮明な光景が想像できた。
杉田とバカやってオタ活する日々。梶田も夏休みとかにまたやってきてつるんで遊ぶ日々というあまりにも現実的なもの。
それは今日までの日々からくるものだから想像するには容易いのは分かるけど。今日という日が永遠と変わらないだと心のどこかで思っていて。
―――そしてそれはある日突然壊れる。あの時みたく。
ああ、そうか、違う。恐怖や拒絶じゃない。
これは繰り返すかもしれないことに対しての戒めだ。
自身に対しての警告。
「いやか?」
俺の「いやだ」という心情が顔に出ていたことで察したのか、じいちゃんが真っ直ぐとこちら見ながら訊ねてくる。年老いて出来上がった強い眼光は人生の経験を感じさせるほどの圧さだった。
誤魔化しやお世辞は通じないと言わんばかりの眼力、全てを見通しているぞ、と錯覚させるほどのものだった。
「い、いや! ……正直よく分からない」
最初、それでも誤魔化そうと思っていたが気迫に押されてそう告げるのに精いっぱいだった。
そがんか、と頷いて麦茶を飲むじいちゃん。目を瞑っているのは味わっているのか、次に言う言葉を考えているのかは分からない。
「お前のことは少し聞いた。友達と喧嘩したけん逃げって来よったって」
「…………」
じいちゃんは、これまで触れないでくれ、と思っていたことをついに話題に出してきた、眉を顰めて今すぐに逃げ出したという衝動に襲われる。
だけど、じいちゃんは無言でとりあえず聞けというような雰囲気を出されて逃げる気が削がれてとりあえず聞くだけ聞いてみることにした。
「都会のことはよう知らんばってん。逃げ出したかことはべつん悪かったことじゃなかった。お前の親父だって逃げ出してきたわけやし、おるもそれくらいでしか孫の顔ば見れんかったわけやけんのう」
しみじみと言う。そう、俺はこれまでじいちゃんと会ったことがなかった。あっちに住んでいる母方の祖父母とはよく会っていたが、こちらのじいちゃんとあったのはほぼ初めてに等しい。
一度、それこそ記憶も定かでない小さい時に連れて来られたと話を聞いている。母さんが田舎暮らしが嫌で二度と行きたくないと言われて以来、夏休みの旅行なども来ることなかったのだ。
何といっていいのか分からずに下を向く。
「ほとぼりば冷めてまた戻るもんよし、逃げたままこっちさん住んでもよし。お前がどがん考えておっとか知らんばってん。お前の中で決まっととか、決まっとらんとか。そん様子なら迷っとるみたかばってん」
「………………」
完全に見透かされた物言いに言葉が出てこない。
「いっぺん、海さん潜れ。泳げんでもええ、いや、むしろいっぺん溺くれろ」
「え?」
全く予想外の事を言われて俺は思ず顔を上げた。じいちゃんは続ける。
「なんもかんもいやんことがあって、海さん身ば投げてみっど。溺れて死にかけてみっど。一番いやなことが頭に真っ先にくるけん。それがお前の一番の気持ちばい」
「それはただ、溺れた死にたくないしか思わないんじゃあ……」
無茶苦茶な理論に突っ込むと、じいちゃんはかっはははと豪快に笑って「それもそがんなゃー」と言う。
え~、何この人……。自身の孫に死ねと言ってんだけど。
なんだろう、この田舎特有の都会人に無理矢理メンタルを鍛える的なドラマ的な雑なやり方。ガチで運痴で泳げない俺は冗談抜きで死ぬ可能性ゼロじゃないんだが。
戸惑っているとひと思いに笑いを終えたじいちゃんが話を続ける。
「海ん中は目ばつぶっとけば真っ黒。開けても濁ってちゃんと見れん。そんでもって水ン音。息苦しくなって「死ぬ!」と思って暴れる。海で溺れればそがんなんのは当り前さーな」
経験からなのか、具体的に溺れ死にかけたことを言ってくるじいちゃんはこちらへと視線を向けて不敵に言うのだ。
「ばってん、それだけじゃなかとよ。死ん思うだけじゃなくて他んことも頭ん中に出てくっど」
「それって走馬燈じゃあ……」
かもしれんな、とそれだけ言うと先に食べ終わって立ち上がる。「じゃあ、あとば片しとけ」とだけ自分の器を調理場へと下げては仕事なのだろう、じいちゃんは出掛けて行った。
残された俺はふぅーと息を吐いて、ラーメンを啜る。
海の下りは意味が分からないが、というか海に入るつもりは一切ない。
だけど、『逃げてもいい』か……。
それ少し予想外な言葉だった。俺がこっちに来た以上は父さんだけの事情だけじゃなく、俺の事情も知られているだろうと思ったが、……離島の田舎の爺だから「根性足らん」とか一喝して根性叩き直してやる、みたいなことをされたらどうしようと思っていたが……。その心配は皆無だった。
いや、今の『海で溺れろ』がある意味そういうやつだったかもしれない。
じいちゃん、厳しい面で圧のある声で言葉は雑な風格の怖さのあるじいちゃんだか、根本は優しい人のようだ。むしろ手の速い所がある杉田の方がよっぽど怖いくらいだ。
そういえば杉田は今までの友達にはなかったタイプだ。不良タイプのオタクといえばいいのか。……なんだそれ? 漫画に時々出てくる隠れオタか。
じいちゃんにしろ、杉田にしろ、怖い雰囲気の人間とこれまで付き合ったことがなかったけど、人の付き合いはしてみるもんだな。ソイツの意外な一面が見れたりする。
などと思っているうちにラーメンを食べ終える。先にじいちゃんの分の食器も合わせて俺が洗う。