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黒歴史(カラーノート)  作者: 三概井那多
10/32

田舎に集まりし、面倒臭い僕ら(オタクども)10

 その晩夢を見た。



 とある少年が真っ暗な中を歩いている夢を。最初自分がその少年かもしれないと思ったが、夢を進めて行く中でそれは違うと悟った。俺はその少年の後ろ姿を追っていたのだ。


 それは俺とその少年が一緒に行動をしていて、少年が先頭を行き俺が後に続いている訳ではなかった。


 どちらかという……カメラワーク、あるいは画面外。ようはテレビや舞台上の視点と言えばいいのか。


 そう、視点から考えて少年はドラマのような画面の中にいて、俺はそれ見ているただの視聴者、……観客だ。


 暗闇の中で少年は何かを探していた。それが何なのか分からない。俺も分からなければ、少年自身も何を探しているのか分かっていない様子。


 ただ絶対に何かを見つけ出さないといけないというような、大切なそれだった。


 突然、真っ黒な闇の世界に光が灯った。それは幾つものの蝋燭の火だった。


 突然の出来事に当然のことながら少年は驚き、けれど同時になぜかそれが探していたものだと頭の中で理解した。「これだ」と!


 なんでそれが探していたものなのかは全く理解できない。真っ暗な世界に光が差したからか? ……いや、違う。そもそもなんで彼はこんな真っ暗な暗闇の世界にいたんだ? 一人でいる?


 最初は暗闇の中を一人でいるのが心細く、それで誰かを探していたんだと思ってみていた。


 探していたのは目の前にある幾つものの蝋燭の火の明かりではなく、人恋しさを求めているのだと思っていた。何故かと聞かれると分からないが、夢の中だからそう彼の心境が語ってきているのが伝わってきたと言えばいいのか。


 だけど蝋燭の火を見つけたら、それこそが自身が探していたものだと少年は喜んだのだ。それは何故だ? 単純に明かりを手に入れたから嬉しかった訳ではないはず。


 考察しようとして彼を見る。すると初めて彼の顔を見ることができた。


 真っ黒だった。


 彼の顔はまるで何かに塗りつぶされていたかのように真っ黒であり、どんな表情をしているのか一目では分からないもの。だけどここは俺の夢の中だったおかげか彼の表情……というか、心情自体は伝わってきた。


 彼は蝋燭の火に覗きこむ。興味深そうな趣だが、それは珍しいものだから、のそれではない。それこそまた何かを探している、見極めている真剣な表情をしているのが伝わってきた。


 一つ、また一つ、と幾つもの蝋燭の火を覗き込んでは、「これなのか」「これかも」「もしかしたらこっち」と彼は呟いて何度も見通し、頭を悩ませて―――


 

 翌朝、目を覚ます。いつも通りの朝六時の少し前の時間だ。


「何となく、気になるタイプの夢だな」


 俺が夢は見るものでタイプは二つある。一つは過去の経験からくる追体験の夢。これまでの経験が夢の中で再現されるもの。そして、もう一つが不思議なもので今のような夢だ。いやより正確にいうなら内容どうこうと言いたいのではない。それだけなら他の人だってそんな風な夢なんて幾らでも見るだろうに。


 俺が言いたいのはそういうことではなく。


 ………夢の中での、役割というべきか……? 夢の中での俺の状態。


 前者の場合は追体験であるためか俺の目線で動いているために違和感がない。夢かどうか一見して分からないもの。デジャヴ体験めいている。


 で、後者の場合では俺はその場におらずに、客観視もの、視聴者の目線でいるのだ。


 だから追体験タイプの夢は自身が舞台上の役者。後者の場合は観ている観客というべきか。


 夢は記憶の整理というが、俺の場合は追体験タイプがそれで、いわゆる夢という夢を見た場合は客観視してしまうのだ。


 昔、友達や家族に夢の話について雑談程度に話したことがあったが、聞いてみれば俺の夢の観方は少し特殊なのか、そんなにハッキリと分けへだえた夢の観方はあまりないそうだ。


 大体は皆自分の視点で夢は進行していき、夢だと分かった途端に客観視めいた状態に陥いたり、あるいはそうならないままで自分視点のままに進んでいくそうだが……。


 分かりやすく言うならば、俺の場合は、現実にあったことなら自身として動けるが、ゲームや漫画で影響を受けた時の好きなキャラになった夢では、俺はキャラになるのでなく、そのキャラのシーンを目で追っていると言った方が伝わりやすいのか。


 例えばポケモンの夢を見たとして、ゲームやアニメ、漫画をやっている時の記憶の夢を見ることがあっても、俺自身がサトシやピカチュウなどの登場キャラになっている夢は見ないということだ。


 言ってしまえば……夢の中ですら俺は俺でしかなれず、他の誰かの成り替わることができない。


 そんな俺の夢の性質ついてはともかく、観た夢の事について少し考える。


 なぜあの少年は一人であんな真っ黒な世界に一人でいたんだ?


 布団から体を起こして机へと向かう。ルーズリーフを一枚取り出して、『真っ黒な世界』『一人の少年』『何かを探す』『幾つもの蝋燭の火』『喜ぶ』『少年の顔はない』『蝋燭の火を選んでいる』と箇条書きで書き込んでいく。


 シャーペンの頭で寝癖髪を掻きながら、書いていくことで寝ぼけは消え、考える頭になる。


 真っ黒な世界で少年の火を探していたのは……純粋に光を探していた訳ではない。もっと別に深い意味があるはずだ。


 蝋燭の火。火。火の光。火の灯……灯? ―――命の灯?


 連想していく中で当てはまるような単語が出て来て、ハッと頭に冴える。


「あれは死後の世界で、自分を探している。……生きかえるための灯?」


 そう言葉にすると、何かが組み上がった気がした。パーツが嵌るような感覚。


 真っ黒な世界は死後の世界。灯を探していたのは自分の命の炎。


 まるで音声もなければ色もない、だけど表現で展開させていくモノクロの映画を観て、それを解き明かすような楽しさにかられる。想像が膨らんでいく。


 ―――書きたい!


 この夢の短編を書いてみたいと衝動が走って、


「夕弌夕弌、ゆういち!!」


「ふ、ふゃ、いぃーーー!?」


 深く入り込んでいた事で名前を呼ばれたことで意識が妄想から現実に引き戻され、奇声を上げてしまった。声からして呼んでいるのはお母さんからだ。「きなさい」と聞こえてくる。


 きなさい? ああ、「起きなさい」か。「お」が聞き取れなかっただけか。


 俺はしかたなく、ペンを置いて、今の夢を記憶の中に留めておく。


 今日は金曜日。陸上は練習は土曜まで続いて日曜日のみ休み。勉強会だけは今日まであるが、土曜は部活のみ勉強会はない。


 今日を適当に頑張って、明日もダラダラ頑張れば日曜日はゆっくりできる。


 そう考えて、俺は居間の方に向かう。部屋に出る前によく見ればいつの間にか実夏夜も犀介も起きていたのか部屋にいなかった。あれ? 俺が起きる前からいなかったっけ? 夢のことで気にしていなかったが。


「夕弌夕弌、こっちこっち、こっち来んしゃい!」


 飯を喰おうと思ったが、玄関にお母さんがおり、俺を呼んでくる。何だろうと思いながらそっちへと足を運ばせる。


「なん?」


「彼女きとっよ」


「彼女?」


 半ギレ気味で訳の分からないことを抜かす母だ。名前を呼ばれた時から不機嫌そうな声だと感じ取ってはいたが、ただの大声でそう聞こえたのだと錯覚していたのだが、残念ながらそうではないらしい。


 杉田家で一番キレたら面倒な人を怒らせたのは誰だ。また姉ちゃんか? それともお父さん? 頼むから毎日毎日気が滅入る日々なのだから、朝ぐらいはのどかな一日で始めさせてくれ。朝から嫌な気分になるのは誰だって嫌だろ?


 内心で穏やかな日々を願う俺を横に、外おるけん、といって洗濯籠を風呂場へと戻しに行くお母さんを見送り、外でラジオ体操をしているチビ共の声を聞き入れながら、表へと出る。


 杉田家のルールでは小学生は、夏休みは毎朝ラジオ体操を義務付けられている。家の外の縁側のある広い空間にラジカセを前に体操をしているチビ共。柚樹を初めとする、双子の妹の愛世、恋世に、最年少の犀介。そして、


「いっちぃ~、にぃ~、さんし、ごーろく、しちはち。にぃに~、さんし~」


 チビ共に混ざってラジオ体操を元気よくしているアホ娘が一人―――梶田がそこにいた。お母さんがキレていた原因が判明した。


「…………」


 さて、と飯食べてさっさと学校行くか。家の中に戻ろうと踵を返すと、「あ、夕弌君、おはよう」と見つかって挨拶された。はあー、小さくため息を吐いて振り返る。


「おはようさん。ちゃんとカードば持ってきたんね?」


「ごーろく、しちはち……と、カード? ラジオ体操の? どこ行けば、貰えるの? にぃにぃ~、さんし」


 体操を続けながら俺の言葉に受け応えをする。しらん、と答えると、え~、と不満げにもらした。


「私、ラジオ体操の、ハンコ、貰い、夢、だった、のに」


 数の代わりにリズム調子のまま話し方でそんなことを言ってくる。


「それに、しても、寝坊だよ。夕弌、君も、ラジオ体操、しなくちゃあ」


「あと一時間遅れで学校でやるばい」


 嘘ではない。陸上練習で開始前に全体でラジオ体操から入る。なのでマジでやる。


 そうなんだ、と納得しながら体操を続ける。ラジオ体操は終盤に入り、一先ず終わるのを待つにことにする。


 ラジオ体操が終わり、ハンコハンコ、と言って家の中に戻っていくチビ共に、その後を付いて行こうとするアホ娘の首根っこを摑まえて「待たんか」と告げる。


「なんしにきた。こがん朝っぱらから。マジでラジオ体操しにきたんとか言わんどもん」


「明日から毎日ラジオ体操しに来ていい? 私は夏休みの朝のラジオ体操って憧れがあっ、でぇ!?」


 顔チョップを喰らわせる。用件、と一言言うと、充てられた箇所を片手で抑えながら「いてて」と痛みに耐えながら言う。


「小説読んだから返そうと思って」


「……誰も朝っぱらから返しにこいとは言っとろらんどが。昼でよかどもん」


 迷惑だと言わんばかりの呆れ調子で言うが、内心ではもう読んだのかと驚きもあった。


 いや別にめちゃくちゃ長い話な訳ではない。途中でもあるし、字が汚いために少し読みにくい箇所も考えて今日の昼くらいまでかかるだろうと思っていたのだ。


 それもそうなんだけど、と笑いつつも縁側に置いていた自身のバッグを持ってきてバッグの中を漁ってファイルに入ったルーズリーフ、俺の小説を返してくれる。


「面白かったよ~、なんか、こう、感動した!」


「感動する場面なかばってん」


 俺が渡したのはあくまでも中盤ほど。半分より少し先の内容までで、面白い所はあるはずだが、感動という場面はない。あるとするならそれ以降の今書いている最終決戦の場面か。


 コイツ、本当に読んだのか? と疑いの眼差しを向ける。もし、読んでなくて適当にほざいているなら……!


 俺はファイルを持っていない方の手を強く握り占める。ファイルの方も圧がかかり、少し指圧で張る。


 具体的にどこが、と口を開こうとするが、その前に梶田は慌てて訂正してきた。


「あ、小説の話じゃなくて、こう、私と同い年の人が普通に小説が書いていることが、しかもこんな面白いものをかけるなんて、なんか、こう、凄いな~、って。うん、君自身の才能に感動したんだ!」


「お、おう」


 真っ直ぐに稚拙な言葉を受けて思わず照れる。つまり、小説の中身じゃなくて、小説を書いていること自体に感動したってことか。


「内容も面白かったよ。キャラの名前って、色を工夫した名前なんだよね。覚えやすくていいね。魔法モノなのかな? 魔導書とかが伝説の黒の本がクロヤ君のもので、図書館との闘いも面白かったし、その後、敵だったロクちゃんが仲間になった後のやり取りが面白かったよ。この後ってどうなるの? あと、やっぱ漢字幾つか間違っていた」


 梶田は早口の調子で感想を述べてくる。それを聞く限りでは話自体はちゃんと読んでいることがわかる。


「それでそれでね、私ねこれを」


「ハイハイ、分かった分かった。分かったけん。少し落ち着かんか」


 興奮した口走ってくる梶田にストップをかける。ファイルの縦でまたチョップの要領で止める、「あ、いた」と口にして、ひどいよなにをするのさ、と恨めしそうに見てくる。おれはそれを無視して俺は貰ったファイルを返す。


「?」


「これ、仲村の方に渡しとけ、次はアヤツが読むどが」


「あ、そっか。そういえばそうだね」


 納得してファイルを貰い、再びバッグの中に戻した。


 じゃあ、頼んだ、と言って俺は家の中へと戻ろうして、「待って」と首根っこ捕まれた。ぐへ、コヤツ!?


「なんばすっとか!?」


「あ、ごめん。じゃなくて! なんで帰ろうとするの?」


「いや、飯食って学校行かんば。走りたくなかばってん走しらんば。お前もさっさと帰らんか、おばさんにちゃんと言ってきたんね?」


「お母さんはまだ眠っているみたい。夜遅くまで仕事していたみたいなんだよね。元々朝弱いみたいだし」


「お前黙ってきたんね?」


「いや、ラインで書き置きしてきたよ」


「らいん?」


 なんか聞いたことがある。なんかスマホの新しいメール機能かなんかだっけ? ツイッターだとか、あと写真撮ってインスタントラーメンみたいな名前のやつとかもあるよな。ホットケーキの飾りが頭おかしい感じでめっちゃはしゃぐ的な。


 流行りとか分からんし、都会人ことはよく分からん、最新のツールもよく分からんし欲しくはない。だけど小説を書くためのノートパソコンが欲しい。そんで、小説家になろうとか適当に投稿したい。


 そんなささやかな願いを夢見ながら、梶田を見る。


 つまり、コイツは一人で来たってことか。


「歩いてきたんね?」


 ここから遠くはないが梶田が止まっているだろう、借家の別荘地は少し遠い。歩いてきたならコイツ五時くらいには起きたってことになるが。


「ううん、自転車。なんか、ここにいる間だけレンタルしてもらった」


 梶田を指さして、家の外に見たことのない黄色の自転車が置かれていた。レンタル自転車。


 自転車で来たのか。いや、それでも十分時間がかかるが。


「あの~、それでさ、悪いんだけど……ご飯食べさせて貰えないかな?」


「は?」


 図々しくそんな要求してくる。この通り、と手を合わせて、お願いしてくる。


「俺は別にどがんでよかばってん」


「わーい、いただきまー、痛た」


「またんか」


 喜々して家の方へと出向こうとする梶田に三度目となるチョップで止める。三度もぶったな! お母さんにも殴られたことないのに、とガンダムのような事を抜かしてくる。


「うちのお母さんがキレっど」


「え? どうしてさあ?」


 普通の家庭でもいきなり見知らぬ相手にご飯を食べさせることは大概嫌がるもんだぞ。と突っ込みつつも肩を竦めて続ける。


「お母さん結構他所もん嫌いなんよ。あと家の中に入れると物凄く機嫌ば悪くなる」


 そう告げると梶田は、え、そうなの? と意外そうな顔してくる。


 ウチの母は滅茶苦茶エリア意識が強いというか、敷居を土足で上がり込まれるのが嫌っていうか。自分の陣地や領地というものは絶対の聖域で、見知らぬ輩にも親族関係でさえ荒らされたくないという潔癖さを持っている。


 縄張り意識の高い狼か何かだ。


「優しそうなのに」


「そりゃあ、外面はな」


 仮にも飲食店の接客業をやっている以上、外面を良いのは当然。だけど、内心では不満や愚痴でいっぱいの人間だ。だけどそれを表に出すのではなく、母は嫌なことがあると不機嫌な空気を出すのだ。少し陰湿気味で迷惑だ。


「一応、聞いてみぃばってん。駄目やったら素直に帰れよ」


「まあ……、それならしょうがないよね。おうさ! 任せた」


 親指を立てて、任せた、とウィンクをしてくるアホ娘のムカつく態度に、話を通すのやめようかな、と本気で考えたがそんな意地悪はやめておく。


 仮にも初めて俺の小説をちゃんと読んでくれて、ちゃんと感想をくれた読者だ。ちょっとばっかし、アホ娘の感想ってこともあるから信頼感がないが。ただ深く考えずに読んでみて「面白かった」と言っているだけの可能性もある。


 それでも「面白い」は言ってもらえた。「続きが気になる」と言ってくれたのだ。


 とっても単純で、遜色のない、子供じみた言葉が何よりも照れくさいほどに嬉しかった。


 お母さんに話してみると、嫌そうに「わかった」と頷いて梶田は朝餉に招いて飯を喰って、着替えて実夏夜と共に学校へと向かう。途中まで梶田も付いてきて、仲村の家まで道を教えて俺達は別れた。


 いつもよりも遅れた時間に学校に到着する。普段ならまだ半分にも満たない数の人間がぼちぼち増えていく時間帯だが、今日はほぼ全て人間は集まっていた。それはそうだ、今日は始まる十分前なんだから。


 皆仲の良い奴同士のグループの輪で話しており、実夏夜も友達の元に行き、一人残される。


 俺は一人、突っ立って始まるのを待つ。いつものことだ。


 青空は太陽が昇り始めて、今日も一日熱い日が予想された。


 教師陣がやってきては、練習前のあーだこーだと話しがされる、内容は来週の中頃の一週間の強化合宿についてのメンバーの発表だった。


 そういえばもうそんな時期くらいだな、と適当に聞き流す。


 強化合宿として何とかという山の合宿所に出向いて他の学校と交えて練習するのだ。期間は一週間で、朝は毎日四時起きして練習。九時朝食。休んだ後に十一時練習に休憩をはさんで早くて十六時遅くて十八時まで。上がるとすぐに風呂。十九時に夕食。二十時半からミーティングして十一時就寝のタイムスケジュール。眠気と腹減りの輪舞が待つ大変楽しい地獄。


 疲労感よりもマジで眠気と腹減りが襲ってくるので、また山の山頂付近練習場なので空気が若干薄いため貧血を起こしやすい。これまで貧血を起こしたことも、走りで倒れたこともなかったのに、初めて走っている最中に貧血で倒れたのはそこだった。


 外走りは楽しそうだったが、一度もベストコンディションで挑んだことがなかったので楽しめた覚えがない。せめて眠気と腹の調子が普通で貧血気味じゃない状態であれば、走っている最中にベストテンションにハイ上がることできるのだが。


 思い返してみたら、そこか。『走るのは好きだが、走らされるのは嫌い』の主義主張を通すようになったのは。


 合宿所のコーチの爺共め、何が「気合が足らない」とか「根性がない」だ。せめて朝五時起き、ちゃんと飯食わせて力つけさせたから走らせろや。ちゃんと実力みせてやるから。


 一度本気でそれを進言してみたが、「口だけ」「我儘」「サボり口実はいいからちゃんと走れ」と笑われて切って捨てられた。普段なら殴りかかっていたが、キレる元気もなかったために言われるがまま走らされて、それでさっき言った貧血でぶっ倒れた、の話に繋がる。


 その後、あだ名が「口だけの貧弱の男」、二年目は「下痢カレー」か。ちなみに下痢カレーの話はカレーの日にお代わりに行ったら、おかわりをよそいだコーチが「食べられるだろ?」と何を思ってそう判断したのか、ふざけた嫌がらせの如くカレーを漫画で見るような山盛りにつぎやがったのだ。一杯目でくるならともかく、二杯目で出される量じゃあねえ。しかも一杯目は一杯目でそれなりに山盛りだった。欲しかったのは一杯目の半分くらいで、こんなにもいらねえ。一応言っておくが俺はその時「少しでよかです。皿で半分くらい」と告げたが、「食べられるだろ?」の一言の話に繋がる。


 飲食店の子供としてお残しが許されない家庭で育った俺は勿論平げたのだが、限界突破したので腹を壊してトイレから出られずに「下痢カレー」と合宿中ずっと言われ続けられた。

何が一番許せないって、このアダ名を考えたのがよそったコーチで「なんであれを食べようと思ったんだ? 馬鹿か?」と笑い、後日以降の食事前には必ず「食い過ぎには注意しろよ」とからかい半分で皆に忠告していたことだ。


 本当、あの何もしたくない疲労感がなかったらアイツら殺していた。


 話が長くなったがつまりはこの合宿はロクでもない、クソみたいな合宿だ。強化というが、俺はただキツくて身も心も辛い思いしかしていないので記録は伸びなかったし、帰って来てからも不調が続いて、夏休みが終わるまで元に戻すのが大変だったという俺にはマイナスしか生み出さないものだ。


 まあ、二年続いてこれなら今年は慮って俺を出すことはないだろう。別に俺は大会でいい記録は出すことに興味ないし、毎年毎年劣化してマイナスを零に戻す夏休みの後半という無駄な時間を過ごさせるくらいなら、残して現状維持を保させた方がよかろう。


「杉田夕弌」


「…………」


「杉田夕弌! 速よ、こんかお前は!」


「…………ぁい」


 吉田から叫ぶように呼ばれ、不貞腐れた調子で返事しながら前へと出る。黙っていればいない者として扱われて、素通しして俺のメンバー行はなかった可能性があったかもしれないが残念ながら見つかってしまった。


 やっぱり真ん中の真正面に立っていたことがまずかった。別に好きで立っていた訳じゃない。いつも俺の指定席がこの場所なのだ。一番最初の時にもう常に仲違いして話す相手がいなくて、突っ立っていた以降ここで、そしてたまたま先生方が集めて話す場所が真正面ど真ん中だったという不幸だったのだ。


 いや分かっている。分かっていた。俺が選ばれてしまうのは。去年「来年絶対行かねえぞ」と言って、調子崩した俺をみて「それがええかもな」と二年続けて調子を崩して、合宿所との相性が悪いと判断して深く頷いた教師で特設陸上の顧問であった町田。彼が入れば外してくれたかもしれないが、残念ながら今年彼はいない。今年の三月で別の学校に行ってしまったからだ。


 この合宿も元々は彼が陸上の顧問として顔が利くので参加できたものだと聞く。町田がいない今年はないと思っていたが、なんで今年も参加できたんだ? 去年まで続いたからその名残? 町田いないから断れよ。いや断らなくてもいいけど、俺を選ぶなよ。


 明らかに選ばれたのって去年参加したからだろうが。去年と同じメンバーだし。


 その後、一年の中では実夏夜も呼ばれて不名誉なことに、今年は兄弟二人で参加が決まった。


 せっかく気分がよかった俺の気持ちは、あっけなく嫌な気分へと沈んでいくのだ。


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