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(ど、ドキドキするわ)


 マリアンヌは侍の部屋の前にいた。

 今までここに来た時は何も感じなかったが、今では妙に意識してしまう。


 ドクンドクン、と心臓の鼓動を体全体で感じていた。


「や、侍いる~?」

「んー」


 部屋をのぞいてみると、侍の声らしき返事が戻ってきた。

 大きな音を立てないように、ゆっくりと部屋に入っていく。


 部屋の模様はマリアンヌが知っているものと似ていたが、やはり部分部分が違った。

 靴を脱いで上がるところや、フローリングではなくて畳なのがその一例だ。


 畳の上に引かれた布団に侍は横になっていた。マリアンヌに背を向けて。


「その、大変だったんでしょう。なにの、私手伝ってきてくれたのよね。Merci. そしてごめんなさい。そんなことに気付かずにいろいろ振り回して。Je suis désolée」


 そう言葉を紡ぐマリアンヌだったが、侍からの返事はない。

 そのことに焦りを覚える。


「そ、それからね、お菓子を焼いてきたの。お詫びと……あ、あと教えてもらってばかりだったから、その――私の料理も知ってもらいたくて。ま、マドレーヌを持ってきたの。口に合うといいんだけど」


 だが、ここまで言っても侍からの返事は一向にない。

 アホ毛がぺたんと垂れ、かたをぎゅっと閉め、身体がふるふると震え始める。


「……すん。そ、そうよね。何も考えずに振り回し続けたんだから、簡単に赦してくれるわけないわよね。ほんとに、ごめんね。でも、せめてお菓子だけは……ッ」


 そのきれいな頬に涙が流れ始める。ぽとぽと、と少しずつ畳に落ちていく。

 徐々に音が早くなっていく。


 そして、とうとう言葉が紡げなくなるくらいに泣きじゃくってしまう。


「お願い。せめて顔だけでも見せてくれないかしら。これじゃ――私……」


 畳に座り、侍に身体を近づける。

 震えが止まらないその弱々しい手を侍に伸ばす。

 ぐりゃりと空間が歪んでいるように見えるそこへ伸ばしていく。


 そして――その手は肩に届いた。


 時間的には十秒もかかってないかもしれない。

 でも、マリアンヌにはそれが悠久の時を流れるかのように、伸ばしても伸ばしても届かないように感じた。


「ねえ、侍!」


 それでも手は大和に届いたのだ。


「侍ってばっ‼」


 ぐいっと肩を抱き寄せるかのようにがっちりと掴む。

 グルンと侍の身体が、マリアンヌのほうを向いた。


「すぅ……。すぅ……」


 そう、確かに手は届いたのだ。心地よさそうに寝息を立てる侍に。


「ッ!」


 ザザァ、と思いっきり後ずさるマリアンヌ。

 いったい何が起きているのか理解出来ていない混乱の中、どうにかして今の状況をかみ砕いていく。


(えっ、侍は寝ていたの。いつから? もしかしてはじめから。そうなると、ぇ――――)


 自分が今さっきまで何をしていたのかようやく気付いた。

 ただ一人で、伝えたい人は寝ていて、その中で勝手に勘違いして、ひとりでに泣いて、挙句の果てに大和に許しをもらおうとしてしまった。


 ぷるぷるぷる、と先ほどとは全く違う種類の震えがマリアンヌを包み込む。

 きゅぅぅぅ、となるような羞恥心とともに、わなわなといった感じの怒りが湧き上がってきた。


「さ」


 立ち上がる。


「さ」


 マドレーヌの入ったバスケットを振りかぶる。


「さ」


 左足を踏み込む。そして、


「侍のバカァ――――――――――!」


 めいいっぱいそれを侍に向けてたたきつけた。


「おふぅ」


 それが直撃した瞬間、侍から間抜けそうな声が漏れる。


「アホ。マヌケ。マジメ。タラシ。バカ」


 ドスドス、と激しい地団駄をマリアンヌは踏み鳴らす。

 そんな光景をアホ毛たちは嘲笑うかのように見ていた。


 フシュー、といったようにマリアンヌは大きく息を吐き出すと、プイっと顔を背けて侍の部屋を出ていく。

 その身体は怒り心頭だったが、心は思うのほかすっきりしていた。ここを訪れたマリアンヌに後悔の色などどこにもなかった。





 そんなことがあってから数日後。侍が目覚める前日。マリアンヌはイギリス共々食中毒になっていた。

 何が原因か。そんなもの二つくらいしかない。

 鮮度の落ちた生魚か、生で食べてしまった卵か、だ。


 あまりの腹痛のあまり、動くことも、声を発すことも難しい状況にマリアンヌは陥ってしまった。

 だが、彼女にはやるべきことがあった。侍に感謝の気持ちを伝える事である。


「うう」


 ペンと紙を取り、自分の今の思いを書き綴ろうとする。

 しかし、意識が朦朧としてくる。もう何も思考できていない。

 ただ一つ残っているもの、いまの気持ちを素直に書くことだけで動いている感じだった。


 書き終えた手紙をちゃんと包装し、様子を見に来たサミュエルに届けることを頼んだ。

 そして、マリアンヌの意識は混濁し、ヤミの中に落ちていった。



 ――ごめんね。あの卵が私を蝕んで来て、あのとき暴走して。



 マリアンヌの手紙にはしっかりと最後の意思が反映されていた。今のありのままの気持ちを素直に書くということが。


 この何の脈絡のない手紙のことを、後に侍に訊かれて、赤面してしまうのはまた別の話。


ここまで読んでいただきありがとうございました。

まさかの宣伝を趣味アカに呟いてしまうミス。


明日から学校や!


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