第二皇子
少し暴力発言があります。
『雪梅を頼んだよ。高衢』
この国の第一皇子は、そう言葉を残して逝った。
第一皇子の1年の喪が明け、第二皇子の高衢が皇帝となった。
第一皇子は正妻の子であり、心優しく穏やかな人柄で、臣下にも国民にも慕われていた。
反面、第二皇子は第一皇子と異母兄弟で、妾の子だった。
今年、21になる皇子は兄とは違い、クールで滅多に表情を変えない。
鋭利な黒の瞳は感情がなく、すらりとした長身も威圧感を表している。
その見た目に加えて頭脳明晰で的確な判断を下すため、他国に畏怖されており高衢が皇帝となってからは、平和な日々が流れていた。
兄が妻の雪梅を頼んだとき、それは妻にしろっていう意味だった。
その意味を汲み取って、高衢は雪梅に妻にと望んだが、彼女は拒んだ。
むしろ、未亡人でいることを望んだ。
また、彼女は本邸で過ごすのを辞退し、遠く離れた別邸でひっそりと暮らしている。
兄が死んで喪が明けた今、高衢は再び雪梅を妻にと望んでいる。
高衢が別邸に付いたとき、さほど大きくない庭の中心に彼女は立っていた。
彼女の手には色鮮やかな花が咲いていた。
喪が明けたというのに黒の服を着ていて、肌の白い彼女を一層際立たせている。
高衢がしばし見つめていると、彼女がこちらを見て驚いたように小さく目を見開き、会釈をする。
高衢も小さく頷き返し、庭に進む。
「…陛下」
彼女はひっそりと言い、高衢の目を一瞬見て花に目線を戻す。
「雪梅、今日は話があって来た」
「陛下。私のことは名で呼ばないで下さい」
彼女は困ったように眉尻を下げる。
「……まだ大嫂と呼べと?兄さんの喪は明けた。あなたを名で呼ぶ権利はあるはずだ」
「それでもです。私は九垓様の妻です」
「兄さんはもういない。いい加減受け入れるんだ」
「分かっています!」
彼女が怒ったように声を荒げる。
「……すみません。でも…、私のことは放っておいてください」
手に持っている花を潰さないように抱き締めてはいるが、彼女の肩は震えていた。
「……また来る」
高衢は彼女を追い詰めるようなことはしたくなく、踵を返した。
雪梅は高衢の3つ年上だった。
高貴な身分の妻は、夫が亡くなれば夫の兄弟に嫁ぐのが義務であったが、雪梅はそれを拒んだ。
6つ上の夫とは2年間の結婚生活で、表は完璧だった。
裏では完璧な自分の鬱憤を晴らすため、よく雪梅に暴力を奮った。
暴力を震われた日は、雪梅を部屋から出さず監禁した。
そんなある日、やっと部屋から出れるようになって、廊下を歩いていると、高衢と会った。
『大嫂、もうお身体は大丈夫ですか?』
『え?』
『お加減を崩したって聞きました。無理しないで下さい』
無表情だが、思いやりのある高衢の言葉に、雪梅の目に涙がにじむ。
慌てて下を向くが、涙がポタッと床に落ちた。
『大嫂?泣いているのですか?まだお加減がよろしくない…』
『だ、大丈夫です。ありがとうございます…』
止まらない涙を拭っていると、目の前にきれいに折り畳まれた布を渡される。
『これで涙を…。』
『……』
高衢の優しさに雪梅の涙はより込み上げて、高衢を困らせた。
『…す、すみませ…』
『雪梅』
夫の声がして、雪梅はビクッとした。
『あまり高衢を困らせるんじゃないよ。それに今から公務だ。涙は止めなさい』
『は、はい…』
雪梅が高衢から借りた布で涙を止めようとしていると、高衢が彼女を背中にかばい夫に言う。
『兄上。大嫂はお加減がまだよろしくないように見えます。本日の公務は先伸ばしにしていただけませんか』
『……分かったよ』
夫は義弟を可愛がっているため、お願いをされると断れないのだ。
渋々折れて、踵を返した。
『大嫂、お部屋まで送っていきます。今日はお休みください』
『…はい』
夫と結婚してまだ数ヶ月のこと、高衢はよく雪梅のことを気にかけてくれた。
3つ下とは思えないほどしっかりしていて、無愛想だけれど言葉の端々には温かみのある言葉が多く、雪梅は知らず知らず彼に惹かれていた。
それを雪梅よりも先に気づいたのは夫だった。
ある日、公務が終わって私室に引き上げたとき、夫が入ってきた。
『いけないよ、雪梅。高衢に好意を持っている目を向けては』
そう言った後、暴力を震われた。
雪梅には何がなんだか分からず、この日から高衢と一緒にいた日は必ず夫に手をあげられたので、高衢とは距離を置いたのだった。
高衢は変わらず接してくれたのだが、雪梅が頑なに口を利こうとしなかった。
そうすれば、夫からの暴力はなくなっていったからだ。
その状態のまま2年が過ぎ、夫が病死した後、高衢から妻にと望まれた。
雪梅はこの時、驚きよりも嬉しい気持ちが確かにあった。
けれど、次に高衢が言った言葉に絶句する。
『兄さんがあなたを頼むと言い残した』
高衢にとっては何でもない言葉だったかもしれない。
でも、雪梅にとっては違った。
これは夫が高衢と結婚しても、自分との結婚生活を忘れるなという風に聞こえたのだ。
高衢が暴力をふるうとは思えないが、夫の顔が浮かび上がった。
雪梅は泣く泣くこの申し出を断り、なるべく夫との思い出がない別邸で暮らすことを望んだ。
この国では夫がいなくなっても、嫁いだ妻は生まれ育った国には帰れず、一生この国で過ごす。
それならばと思い、高衢の妻には新しい別の女性を迎えてほしいとの願いを込めて、別邸に移ったのだが、高衢は何度も別邸に足を運び、雪梅を妻にと申し込んできた。
夫の1年の喪が明け、高衢は毎日別邸にやって来る。
何度申し込まれても、雪梅には首を横に振るしかないのだ。
彼は夫に言われたから、雪梅に申し込むのだ。
臣下に新しい方を迎えるように言おう。
雪梅は痛む胸を抑えて、目を閉じる。
雪梅が朝の花摘みを終え、別邸の私室でくつろいでいた時、外が騒がしくなったのに気づく。
様子を見に行こうと椅子から立ち上がった時、扉がバンと荒々しく開いた。
高衢がいつもの無表情ではなく、怒っているように真っ直ぐに雪梅を見る。
「なぜ勝手なことを?」
いつもの落ち着いた声ではなく、怒気を含んだ低い声で話した。
「なぜ別の女性を妻にと?俺はあなたを妻にと望んでいるのに!」
つかつかと荒々しい足取りで近づいてきて、雪梅の片手を掴み、自分の方へ引き寄せる。
近づいた距離に雪梅は、思わず「いやっ」と叫んだ。
「いや?俺に触れられるのはいやなのか?」
「ちが…」
「どうして…まだ兄さんのことが好きなの?」
真っ直ぐに見つめてくる高衢の目に、雪梅はそらす。
「っ……離して」
一向に目を見ない雪梅に、高衢はこちらを向かせたい一心で彼女の顎に手をかける。
だが、それは間違いだった。
雪梅の下がった眉尻、怯えが入った瞳、震える肩。
雪梅の泣きそうな顔を見た高衢は、彼女に無理強いをしていると今さらながら気づき、彼女から手を離す。
「……っ、なぜ?俺の妻になるのはいや?他の女性を進める程?」
傷ついたように高衢は雪梅に尋ねる。
いつもの冷静で落ち着いた陛下ではなく、年相応の感情を露にした青年が目の前にいる。
「…違います」
「じゃあ、なぜ?」
「私は……、申し訳ありません。何度申し込まれてもあなたの妻にはなれません」
「なぜ?」
「っ…、許してください」
雪梅は懇願するように高衢に頭を下げるが、彼は傷ついたように彼女を見下ろす。
「理由を言ってくれるまであなたに申し込む。他の女性を進めるのは今後一切しないでほしい」
高衢は真っ直ぐ雪梅を見ながら言い、部屋を出ていった。
泣いてはダメ…―――――
雪梅はにじむ眼をこすり、外に目を向ける。
庭には高衢が別邸から出ていく姿が見え、その背中を見送る。
やがて姿が見えなくなると、窓に手を添えて彼が見えなくなった所を見つめ続けた。
一度目の結婚に失敗した為、高衢と再婚してもまた同じことを繰り返すかもしれない。
彼の人柄からそれは絶対にあり得ないと分かっているのだが、彼女はどこか信用しきれなかった。
結婚というものには縛られたくなく、今のままでも雪梅はいいのだ。
だが、高衢はそうはいかない。正式に妻を娶り、子を設けなければならない。
彼が別邸に来る時間は部屋にこもっておこう。
そして、あまり会わなければいいのだ。雪梅は決心する。
大嫂とは兄嫁または義姉という意味です。