いざ、南方へ
南方へ向かう準備が整ったのは、異界の季節が夏から秋へと変わり始めた頃だった。蓬莱村の位置は、比較的夏が短い。緯度が高いと考えられているが、そもそもこの世界が地球と同じように球形なのか、疑問視する声もある。少なくとも、天体であれば地球と同じくらいの大きさだと考えられるって、科学班の人たちは言ってるけど。
それも今回の南方遠征で、はっきりするかもしれない。海を見ることが出来れば、だけど。王国には湖はあるけれど、海はないのよね。海、というか水平線を観察できれば、地球と同じような球体だって実感できるかも。
帝国との会談が決まってからの間にも、蓬莱村ではさまざまな出来事があった。村の北側は川までの拡張が終わり、生け簀や水利用の試みが始まっている。防衛装備庁からの強い依頼により、船舶建造用の基地も作られ、L-CACを搭載できる小型船舶が建造されようとしている。
また、農地拡張に伴い研究者ではない、入植者の試験的な受入も始まった。開始早々、入植者同士の争いが起きたり、新種の魔物(小型だけど集団生活! しているらしい)が見つかったり、ジャーナリストを自称する馬鹿が魔物を村内に引き入れる騒ぎを起こしたりしたが、今や有能な村長となった詩の活躍で何とかなっている。
迫田さんは、日本と異界を忙しく動き回り、私はといえば、蓬莱村と王都を行ったり来たりの毎日だ。ヴァレリーズさんも同様で、今は私たちの前乗りとして南方へ先に移動している。迫田さんもヴァレリーズさんも毎日のように会っていたから、すれ違いが続くとなんだか寂しいな。
と、乙女のような感傷に浸っている暇もなく。私は、総勢三十名の遠征隊を率いて、南方へと出発した。そういえば、竜討伐に向かったのは、ちょうど一年前の同じ頃だったかな? いろいろな事がありすぎて、もう何年も前の事に思える。
私は、電動四輪指揮車の後部座席で、なんとなく右手の薬指を、そこにある指輪をなでた。古代竜から送られた、指輪――竜の護り。今度の旅でも私を護ってくれるかな。いや、この指輪だけじゃない。私はいつも、いつも誰かに護られている。迫田さん、ヴァレリーズさん、自衛隊のみんな、王国騎士団の人たち……。私に、護ってもらうほどの価値があるのかと、時々考えてしまう。日本の、王国の、世界の役に立っているのだろうか? 初代調整官だった鬼大崎さんは、どうだったのだろう?
いかん、いかん。ネガティブなサイクルに入っているわ、私。移動中だって、やることは山ほどある。今日のうちに、やっておかなきゃいけない書類の確認もある。気合いを入れよう。
「ごめんなさい、何か飲み物ってあったかしら?」
「常温で良ければ、後ろのコンテナにミネラルウォーターがあります。暖かい珈琲なら、これをどうぞ」
「珈琲、いただくわ」
助手席の田山三佐から、大ぶりの水筒を受け取る。迷彩柄ってことは、自衛隊の備品なのかな? キャップを開けると、珈琲の良い香りが車内に広がった。
「これもどうぞ」
田山三佐が差し出した紙コップを受け取り、珈琲を注ぐ。車はゆっくりと走っているけれど、やはり揺れはあるので、慎重にコップの半分だけ注いでカップホルダーに置き、水筒は田山三佐に返した。ゆっくりと慎重にコップを傾けると、口の中に芳醇な香りと苦みが広がる。思わず小さなため息を漏らしてしまった。
ブラック珈琲のお陰でリフレッシュした私は、車窓から外の様子を眺めた。すでに、王都に向かう街道からは外れているので、見慣れない風景が続いている。異界の人たちからすれば、私たちの方が見慣れないわよね。馬のいない車が十五台。しかも、ごつごつとした金属製の塊みたいなものだし。見慣れないというより異様な光景よね。
車両のうち、五台は特殊車両だ。今回、ソニック君――ハイブリッド装輪装甲車はお留守番だ。魔物対応には、実弾を使えるソニック君が有効という判断だ。その代わり、新しい装備が送られてきた。それが、五台の特殊車両というわけ。その内訳は、長距離通信機材搭載車×1、工作施設車両×1、資材輸送用トラック×1、そして、残り二台が今回の目玉――特殊装備支援車両。簡単に言えば、秘密兵器(?)ね。万が一に備えた切り札。念のため、切り札は何枚か用意してあるけど、今回は出番がないことを祈るわ。
突然、車内にザッというノイズが走り、無線機のスピーカーから声が聞こえてきた。
『カササギよりアホウドリ――カササギは樹の枝にとまった。指示を待つ。送れ』
カササギ、つまり先行している偵察隊からの連絡だ。
「アホウドリよりカササギ――周囲を警戒しつつ待機」
『了解。終わる』
「ねぇ、田山三佐。暗号使う意味ないんじゃない?」
今のところ、異界では無線技術を使う種族には遭遇していない。というか、王国内を南下しているだけなんだから。
「訓練も兼ねているんですよ、異界にいると皆気が緩んじゃって」
当初は緊迫した状況もあったけれど、基本的に異界の世界は平穏といえる。魔物の脅威はあるけれど、元の世界のような軍事的な緊張は、王国の内乱以来起こっていない。その内乱も、大使館にいた人間にとって大事だったけれど、村にいた大部分の自衛隊員には、気が付く前に終わっていたため、あまり実感がないのだろう。
まぁ、日本で厳しい訓練をくぐり抜けてきた自衛隊員にとっては、気が緩んでしまうようなのんびりした生活に思えるのかも。そういえば、新たにやってきた入植者の中にも、「異界でスローライフ!」とか勘違いしていた人間もいたけれど。実際には、生活基盤を整えるだけで大変な毎日なのに。
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その日の野営地まで、あと数キロになった頃、指揮車の無線がまた音を立てた。
『カササギよりアホウドリ! 魔物出現! 送れっ!』
「こちらアホウドリ! 討伐を許可する。直ちに脅威を排除せよ。送れ」
「カササギ了解、終わる」
助手席の田山三佐がこちらを振り返って話し出した。
「野営予定地に魔物が出たようです。急行しますが、よろしいですね?」
「もちろんです。然るべく処置を」
「わかりました。おい、飛ばせ」
後半は、運転をしていた自衛隊員に向かって発した言葉だ。田山三佐は、続けて無線で指示を出し始めた。遠征隊のうち、指揮車と特殊装備支援車など四台が飛び出して、野営地へと急行した。




