幕間 王都で評判の店
また、ニヴァナの民が何か始めるようだ――そんな話が広まったのは、王都に初夏の気配が近づいた頃だった。王都にある日本大使館の一角に、なにやら小さい小屋が建てられたのだ。小屋といっても、土魔法によって作られた石造りの平屋だ。間口は二・五ヴェル(五メートル)ほどしかないが、驚くべき事に入り口は全面ガラス張り――しかも透明度がとても高い――であった。当初、そこにガラスがあることに気付かず、数人がぶつかるというトラブルが起きたため、大使館員がガラスに装飾を施すようになったほどだ。
「なにも、こんな本格的な店っぽくしなくても」
店の完成後、視察に訪れた阿佐見桜異界調整官は、責任者である遠藤渚に苦言を呈した。
「予算的にも余裕がありましたし、迫田さんから『やるなら徹底的に』って言われてます。尾崎師匠も、アンテナショップは目立たないとって」
「はぁぁ~っ、まったく何考えているのかしら。日本が勘違いされなきゃいいけど」
「大丈夫ですよ、味には絶対の自信がありますから」
遠藤渚は、秋に蓬莱村にやってきた二十代の女性である。農業担当の尾崎チームの一員として活動していたが、過去のバイト経験を買われてこの店の責任者となった。研究者として異界に来たはずが、店長とは……さぞや落ち込んでいるのかと思えば、むしろ本人はノリノリだった。
「以前から、お店を持つことが夢だったんですよ。しかも、自由にやっていいなんて、ホントに感謝してます」
こうして、渚の趣味が暴走気味の、王都初、いや異界初の|アイスクリームショップ《・・・・・・・・・・》がオープンすることになった。
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アイスクリームショップの開店は、マルナス伯爵夫人のアドバイスによるものだ。とはいえ、伯爵夫人が当初考えていたような、貴族の資本提供を受けた店舗ではなく、日本のアンテナショップという形態になった。
アンテナショップの目的としては、1.アイスクリームという異文化を異界の人が受け容れられるかどうか 2.ひいては日本文化全般に対する抵抗感はあるか 3.外貨(王国通貨)獲得などが挙げられる。端的に言えば、日本に対して良いイメージを持ってもらおうという広報宣伝活動だ。もちろん、失敗した場合のリスクを最小限に抑えるという意味合いもある。
「いや、絶対成功すると思うんです」
渚は力説する。マルナス伯爵夫人を始めとして、アイスクリームに対する貴族の反応は良かった。王都の人々にも受け容れられるはず、と。それでも、阿佐見異界調整官は店舗を建設する前に、貴族以外の人たちにもアイスクリームを試してもらうことにした。
結果は、非情に好評であった。特に、大使館の食堂を任せている異界人のマリーさんは、アイスクリームを大変気に入ったようで、自ら店の手伝いを名乗り出てくれた。
「当面は、バニラ、チョコ、ストロベリー、チョコミントの四種類を出そうと思っています」
「チョコミントかぁ……」
桜は少しミント味が苦手だった。ついでにパクチーも。
「異界にも、ミントに似たハーブがあるみたいです。兵士さんたちが、眠気覚ましに噛む葉っぱが、ミントそっくりな味らしいです。だから、そんなに拒否感はないと思います」
暴動とかにならなければいい、と桜。冬に大使館を囲まれた出来事がトラウマらしい。
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オープン初日。
大々的な告知はしていないにも関わらず、大勢の来客があった。客層は、一般市民が中心で、どうやらマリーさんを始め、試食した王都の人が口コミで広めたようだ。
実のところ、王国ではアイスのような冷たい食べものは昔からある。簡単なことだ、水属性魔法で凍らせてしまえばいいのだから。しかし、そこから加工する、という技術は発展しなかったようだ。冷たくて甘い、そして蕩ける舌触りのアイスクリームは、王国の人々にとって新しい食感だったのだ。
「魔法に依存するあまり、工学的な技術が進歩しなかった」と、御厨教授は評している。
「冷やしながら攪拌する、と言う工程は、魔法でも不可能ではないだろうが難しかったのだろう。いや、攪拌は人の手でも出来たはずだから、その発想に至らなかった理由は、異界の人々が無意識に魔法は魔法、人力は人力と区別して考えているからかも知れない。でも、戦闘では魔法と人力を組み合わせているな。ふむ、面白い。その違いはなんだ? 必要性か?」
「教授、話がずれてる」
ともあれ、日本大使館のアンテナショップは、成功した。いや、成功し過ぎたのかもしれない。
市民の中で目端の利く者や一部の貴族から、アイスクリームを売らせて欲しいとか店を買い取りたいといった要望が、ひっきりなしに届くようになり、大使館はその対応に追われることになってしまった。
「だから、私に任せて、と言ったのに」
そういうマルナス伯爵夫人の目は笑っていなかった。
「いきなりは無理ですよ。夫人もわかっていらっしゃるでしょう? むしろ、試金石になったんじゃありませんか?」
もう数年のつき合いになる桜は慣れたものだが、夫人について“王宮の実力者”と聞いている渚にとって、この面談は冷や汗ものだった。渚自身、少しやり過ぎたかな? と思っていたのだった。
「それは、まぁ、そうですけれど」
「それに、アイスクリームを作る機械は……異界の方では扱いきれませんよ?」
「それならば、わたしたちでもアイスクリームが作れるような道具を作ってくださいましな」
店のアイスを作っているような、業務用アイスクリーマーは電気で作動する。現状のアイスクリーマーを渡すとなると発電設備ごと提供しなければならないが……それは日本政府の許可が下りないだろう。異界に合わせた道具が必要になる。
「それなら私が作ろう」と、御厨教授は言った。桜は警戒したが、伯爵夫人の手前否定する訳にもいかず。なし崩し的に異界用アイスクリーマーを御厨教授が製作することになった。
皆が驚いたことに、三日後には御厨教授製魔導アイスクリーマーができあがった。
「冷却は魔石に組み込んだ水属性魔法だけど、攪拌は人力だよ」
四角い金属製の箱は魔法瓶構造になっていて、冷却された空気を逃がさないようになっている。その中央に材料を入れるボウルがあり、蓋には材料を攪拌する装置とそれを動かすためのハンドルが付いている。要するに、市販されている簡易型アイスクリーマーの改良版である。それでもマルナス伯爵夫人は喜んだ。何しろ、ハンドルを動かすのは夫人ではないのだから。
その後、いくつかの改良を加えた魔導アイスクリーマーは、アイスクリームのレシピと共に売り出されることになった。もちろん、王宮には事前に贈呈し、販売の許可ももらっている。日本政府としても、今後王国で工業製品を売り出す際の試金石になると考え、販売にGOを出した。
後世、魔導アイスクリーマーは独自の進化を遂げ、日本にも「異界アイス」として逆輸入されるようになるのだが、それはまた別のお話。
大使館敷地内の店も、魔導アイスクリーマーの登場によって混乱も収まり、いつしか“辺境伯の店”と呼ばれ親しまれるようになった。
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蓬莱村にある御厨教授の研究所。その地下には、助手の榎田も知らない部屋がある。土属性魔法で作られた秘密の部屋には、さまざまな実験道具が並んでいた。まさに、マッドサイエンティストの名に恥じぬ怪しげな実験室であった。
「思わぬところで材料を使ってしまったなぁ。まぁいいか」
そう呟く御厨教授の目の前には、銀色に鈍く光る金属の筒が置かれていた。アイスクリーマーに利用した断熱構造材を筒状にしたものだ。いや、この筒の一部をアイスクリーマーに利用したと言った方が正確か。
「アイスクリーマーのデータは、こっちにも反映できるし、材料をたくさん購入しても疑われないしね。ふふん♡」
教授が完成を目指しているのは、魔導砲――魔法を打ち出す兵器だった。ヒントはこれまでにいくつもあったが、実際の形になったのは、魔素駆動機の理論ができてからだ。
「課題は小型化だねぇ。帝国との戦いに間に合えばいいけど。くふ♡」
帝国と戦争になるかどうかはわかりませんが、御厨教授はそれに備えている(勝手に)ということです。彼女が戦争を起こしたい、ということではない……はずです。




