王子の不安
翌朝、といっても10時過ぎから、ヘルスタット王ご一行は、4グループに分かれて蓬莱村の見学をすることになった。電動カートで、というアイディアもあったが、結局異界の人が慣れている馬と馬車を使うことになった。
見学ツアーには、私も参加することになった。本来であれば、私は昨夜の内に送った王からの依頼内容について、日本からの返信を待っていなければいけないのだけれど。
「サクラ、サクラ、あれはなんだ!」
カイン王子が指さす先には、私たちにとっては何の変哲もない――でも異界には存在していない――小型トラクターで、土を掘り返している村人の姿があった。
「トラクターという機械ですよ、王子。ああやって土を掘り返しているのです」
「そうか……ニヴァナには、魔法がないんだったな……」
そう、このカイン王子が、どうしても私に案内して欲しいと駄々をこねたのだ。日本人の感覚からすれば、『このくらいの子は、無理を言うわねぇ』と、ほのぼのした眼差しで見ることができるのだろうが、ここは異界だ。日本の常識なんか通用しない。王子だって、この年齢にしては、実に老獪な手練手管を使ってくる。馬の上で揺られている小さい身体からは、想像も出来ないけどね。
「魔法が使えない代わりに、あぁした機械が発展したんですよ」
私は、乗っている馬をカイン王子の馬に寄せて解説した。異界に来てから、ずいぶん乗馬も上手くなったと思う。お尻が痛くなるから、長時間は勘弁だけど。
「それはわかってる。そうではなく……なぁ、僕がニヴァナへ行ったら、能なしになっちゃうんだろうか?」
“能なし”、つまり異界で魔法が使えない人々のことだ。ほぼ全員が(能力の差はあっても)魔法を使える異界では、『魔法が使えない=能なし』と判断され、差別を受ける。王国だって例外じゃない。
「大丈夫ですよ、日本の、ニヴァナの民と同じになるだけです」
「……違うよ。魔法が使えないという状況が、想像できないんだ。それに、帰ってきた時に魔法が使えなかったらと思うと……」
王子の不安もわかる。反乱を起こしたアズリン師は、命は助かったけれど魔法は失った。あの時は、命を助けるべきだと思っていたけれど、違っていたのかも知れないと振り返ることもある。正解なんて、ないのよね。日本の官僚に過ぎない私に、この世界を変える力なんてないもの。
でも、王子の不安を少し解消する情報を、私はもっている。
「先日、ダニエール・ジョイラント師が日本を訪問した際、魔法が使えたそうですよ。もちろん、彼は帰国後も魔法を使っていますよ」
「ほんとにっ!」
「えぇ、日本で使ったのは、簡単な魔法だったそうですが」
あちらの世界では魔法が使えない、とダニーさんも私たちも思い込んでいたが、ある出来事があってダニーさんが思わず詠唱したら魔法が使えたのだと言う。確かに数年前は、魔法は使えなかった。もし使えていたら、あの悲劇はもっと大きなものになっていたかも知れない。
ダニーさんの話を聞いて、ヴァレリーズさんは「ニヴァナでも魔素が濃くなっているのかも知れない」と言った。もしそうなら、“穴”を通じて、魔素があちらに漏れているのかも知れない。今のところ、魔素を検知する技術がないので、想像するしかないのだけれど。
「そうか……なら、少し安心だな」
カイン王子が思っているほど、魔法を異界と同じように使えるとは思えないけれど、それは黙っておこう。今更、行きたくないなんて、駄々を捏ねるとは思わないけどね。
「王子。王子は魔法を使わなくても、日本で問題なく過ごせるはずですよ。留学の目的は、お互いの世界を理解することですからね」
「そうだな……サクラの言う通りだな……」
こういう様子を見ると、年相応の子供だな、と思う。それに話し方も、以前のような“世間知らずな横暴王子”という仮面を脱ぎ捨てたからだろうか、すごく素直な感じになっている。
「安心してください。王子が日本でも困らないよう、万全の態勢を準備中ですから」
「うん。助かる」
実際、日本政府も言わば国賓を迎えることになるわけで、それなりの準備をしていると聞いている。ありがたいことに『阿佐見の独断専行、許すまじ』という声はないようだ。政府も国民も肯定的に受け止めてくれている。逆に、日本の学生をこちらに留学させる、という話も出ているらしい。カイン王子の留学が上手く行けば、日本と王国の交流ももっと活発になるかもしれない。
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日本政府からの返答は、その晩遅くに届いた。意外に早かったなぁ。異界の生活が長いからか、どうも霞ヶ関用語は目が滑る……内容を要約すると、『政府としても王国と帝国の和平は望ましい。阿佐見桜が調整官として会合に参加する方向で検討中。また、それに付随した人員と装備についても準備中』というもの。なんだか、人身御供なんじゃぁないのかという気がしないでもない。たぶん、私の安全を守るために人員やら資材やらを送ってくれるらしいから、あまり文句を言わずに待っていよう。その間、こちらで出来ることをやるだけだ。
とりあえず、少し気になるので賢王アレグラスと賢者について、マルナス伯爵夫人に資料を送ってもらおう。とはいえ、王国にはあまり歴史的資料って、残ってないみたいなのよねぇ。記録としては残っているはずなんだけど、どこかに隠されているのかも。




