王の依頼、ふたたび
「まずは、そなたらに感謝の言葉を。ありがとう」
ヘルスタット王は、私たちの目の前で深々と頭を垂れた。
急遽、用意したこの部屋には、王の他に私と迫田さん、そして内務大臣補佐のエイベンさんしかいないのだけれど、一国の王が平民に対して頭を下げるなどあっていいものだろうか? 王国の儀礼に詳しい訳ではないけれど……いや、いろいろとまずいでしょ。
「頭をお上げください。過日の騒動についてであれば、過分の礼をいただいております」
王はゆっくりと頭を上げ、さらにゆっくりと頷いた。
「国が滅びるところを救ってもらったのだ。あの程度の礼で済むとは思っていない」
いやー、あれは成り行きもあったから、そんなに感謝されると居心地が悪いわ。私が返答する前に迫田さんが助け船を出してくれる。
「友好国を助けるのは日本国国民として当然のことです。返礼を求めた行動ではありません。阿佐見が申しておりますように、王国からは十二分なお返しをいただいております。どうか、お気になさらずに」
迫田さんの言葉に納得したのだろうか? それは分からないが、ヘルスタット王は椅子に深々と座り直し、深い嘆息をついた。
「それだけではないのだ。……カインのことだ」
はて? 日本への留学を提案したけれど、他に特別なことしたかしら?
「アレが悩んでおることには気付いておった……が、何もしてやれなんだ。父親としては、悩みを聞き、道を示してやらねばならなかったのだろう……。しかし、王として、我はいずれ国を担う者を選ばねばならぬ。できるだけ公平に見ているつもりであったが、それが故に、アレと正面切って向き合うことを避けてしまったのかも知れぬ」
ヘルスタット王の瞳には、苦悩の色が浮かんでいた。遅々としての立場より王としての立場を優先してきたことに対しての後悔? でも、それが間違っているだなんて、私には言えない。
王の懺悔にも似た自戒の言葉は続く。
「出来の良い兄がおることも、アレの不幸だったのかも知れぬ。親の贔屓目を差し引いても、兄は良い王となる資質を持っておる。そして、周囲の者にも恵まれておる。だが、アレの周囲には……いや、よそう。いくら悔いても過去に戻ることは出来ぬ。……歳は取りたくないものだな。話が長くなっていかん」
「カイン王子は……乱暴な行動を取ってはいますが、根は良い子だと私は思いますよ」
「ふふ、良い子と言うてくれるか。我も最近のカインは良い子になったと、そう思えるよ。それもみな、そなたらのおかげだ」
「いえ、私たちは何も――」
王は、慈愛に満ちたほほえみを浮かべている。厳しい王の顔ではなく、父としての優しさに満ちた顔だわ。
「そなたらに説教された後、アレは我に自分の心情を語ってくれたのだよ。数年ぶり、いや、初めて父子が胸の内をさらけ出して語り合った一夜であった。辛くもあり、また楽しくもあった」
「そう……お話ができたのですね。よかった」
「我もそう思う。また、王国としても良いことであったと思う。親子喧嘩や兄弟喧嘩で民を苦しませずに済んだのだからな。そなた達には、感謝してもしきれぬよ」
「私は、私がすべきだと思ったことをしたまでです。そのことに感謝していただくのはうれしく思います。けれど、そんなにたいそうなことはしていません。お気持ちだけありがたく受け取っておきます」
あの夜。カイン王子に日本の動画を見せ、留学を勧めたことに後悔はないけれど、迫田さんから「内政干渉と言われかねない」と指摘されて、少し怖かったのも事実。たぶん、王国内でも不満は出たんじゃないかな。特に、カイン王子を擁立して権力を握ろうとしていた人たちは。そうしたゴタゴタを、たぶん王は押さえ込んできたのだと思う。だから、王に感謝されるよりもゴタゴタさせた叱責を受けるものだと思っていた。
「そうか。そう言ってくれるか。我としては、財宝や魔石で感謝をしてしたかったが」
ちょうど会話に間が生まれたとき、ドアをノックする音が聞こえた。私は王に許可をもらい、ドアの外に向かって「どうぞ」と声をかけた。「失礼いたします」と言って入ってきたのは日野二尉だった。彼女が押しているワゴンにはティーポットとカップが載っていた。
「お茶をお持ちしました。カモミールティーです」
そう言いながら彼女は、各人の前にティーカップを置いていく。そして、それぞれのカップにゆっくりとポットからお茶を注ぎ込む。湯気が立ち上ると同時に、さわやかな香りが広がった。
日野二尉がポットをワゴンに置いたとき、私にアイコンタクトを送ってきた。何かを問いかけるような表情に、にっこりとほほえみを浮かべて応えた。おそらく上岡一佐の指示なのだろう。
王との会談を行うためにこの部屋を用意したとき、録音録画機器は撤去してもらった。両国の信頼関係を壊さないためにも、相手が知らない技術だとしても、誠意を見せるべきだと思ったからだ。上岡一佐にしてみれば、心配して日野二尉を送り込んできたのだろうけれど、大丈夫。迫田さんもいるしね。
日野二尉は、少し安心したような表情を浮かべて退出していった。残されたワゴンには、紅茶のポットが残されている。
「どうぞ、お飲みください」
そう言って、私からカップに口を付けた。日本なら失礼なことだけど、こちらではホストが最初に飲む。毒なんか入っていませんよと示すの。私もマルナス伯爵夫人に教えてもらう前までは知らなかったんだけどね。
私に続いてヘルスタット王とエイベンさんもカップに手を伸ばす。
「ふむ。エルカの香りに似ておるかな……うむ」
「これは、爽やかな後味の茶ですな」
「カモミールと言う花のお茶です。よろしければ、お土産に20ガイルス(およそ300グラム)ほどご用意します」
「おぉ、それはすまぬな」
しばし、ゆっくりとした時間が流れた。
「我が君、そろそろ本題を……」
「そうだな」
エイベンさんに促されて、ヘルスタット王が私の目を見た。
感謝を述べるためだけに人払いをした、とは思っていなかったが、いったい何の話だろう?
「では、単刀直入に語ろう。実は、ファシャールと平和的な解決を目指す会談を開くこととなったのだ」
「それは……また、急な話ですね。詳しく伺ってもよろしいでしょうか?」
迫田さんの言葉に、王はゆっくりと頷く。
「うむ、エイベン、説明せよ」
「はっ。では小職より詳細をお話させていただきます」
エイベンさんは、そういうと何枚かの羊皮紙を目の前のテーブルに広げた。当然ながら、異界の言語で書かれている。ところどころ単語は見て取れるけれど。王国……と帝国……? 境界がどうとか……こっちは会談、かな?
エイベンさんは、羊皮紙を指さしながら説明を始めた。
「今より二十日ほど前、突如としてファシャール帝国からの使者が参ったのであります。その使者が運んできた親書によれば、戦争を回避するための会談を開きたいと――」
要するに、帝国側が和平交渉に乗り出してきたと。しかし、なんで今? 王国の重鎮や日本の外務省、防衛省の専門家は、帝国が攻めてくるなら秋だろうと予測を立てていたのに。秋に侵攻を開始する理由は、進路上の村から略奪するものが多くなるから。そして雪が深くなる前に王都を電撃的に侵略するか、じわじわと王国の領土を削っていくか。専門家でも意見が分かれていたらしい。でも、だれも帝国が和平を求めてくるとは考えていなかった。
「帝国の思惑がわかりませんねぇ」
「そうです。あの竜騒動で一瞬即発の事態は避けられたものの、近いうちに帝国は間違いなく我が王国に戦を仕掛けるものと思っておりました。しかし、王国としても戦争を避けられるのであればそれに超したことはありません。帝国の真意がどこにあるのかはわかりませんが、王国としては会談の提案は受けようと」
「それは日本としても、喜ばしいことです」
「ただ、ですね。会談の開催にあたって、帝国からある条件が提示されまして」
「条件?」
「ええ。会談には、日本の――いえ、アサミ殿、貴女の参加が必要であると」
「えぇーっ?!」




