それさえもおそらくは平穏な日々(1)
竜討伐が終わって、村の開拓を再開です。
狂乱の王都から蓬莱村に帰還して、一ヶ月が過ぎようとしていた。
帰った直後は、私たちの冒険譚に蓬莱村でお留守番していた人たちも浮かれ気味だったけど、ようやく落ち着いてきたみたい。村は落ち着いてきたけれど、日本は大変らしい。何しろ竜が存在して、その動画が撮影できたのだ。以前にも増して、蓬莱村への移住希望者が殺到していると聞いた。今のところ、移住者は募集していないし、移住者の受入体勢もないんだけどね。
日本のメディアでは、竜フィーバーともいうべき現象が起きているらしい。竜討伐に参加したメンバーへのインタビュー申し込みがひっきりなしにあると、窓口になっている外務省の担当者がメールで知らせてきた。私への指名が一番多いらしいけど。ぶっちゃけて言えば、政府のお偉いさんたちへの対応で疲れてしまって、取材を受ける気力がないのよね。遠征後、一度だけあっちに戻ったけど、必要最低限のことだけやって、実家に顔も出さずそのまま蓬莱村に帰って来ちゃったくらいだし。本当は、実家に帰って少し調べたいこともあったのだけど、しばらくは無理ね。
「ふぅ」
報告書作成も一区切りついた。一休みしよう。
不安なときはペンダントを触る癖は相変わらずだけれど、最近は手が空いた時間に右手の薬指に光る指輪を見つめるようになった。古代竜からの贈り物。ゴクエンさんは、これを“竜の護り”と言っていた。お守りのようなもの、なのかな? 会っていたのはほんの短い間だったけれど、ゴクエンさんは悪い人――じゃない、悪い竜には見えなかった。だから、これも悪いモノではないはず。だって、あの時、私を害するつもりなら、簡単にできたはずだし。
それに。ゴクエンさんが言った、あの言葉。
“秘すれば花なり”
世阿弥の言葉だ。「秘すれば花なり 秘せずば花なるべからず」。ゴクエンさんは、なぜこの言葉を知っていたのだろう? いくつか仮説は立てられるが……。
「桜ぁ~? いるぅ~?」
詩がノックもせず、私の執務室に入ってきた。
「入る時はノックくらいして」
「まぁいいじゃん。それより仕事は終わった?」
「ん~? 今、現実逃避中よ」
異界調整官の業務として、毎日毎日、目を通さなければならない書類が山のようにある。えっと、山のようには比喩ね。実際には紙で回ってくる書類はほとんどなく、みんなタブレット上で目を通しサインしている。現実の机は、書類の紙が山積みになる、なんてことは起きない。けれど、メールやメッセージのアイコンに、新着が“99+”なんて表示されるから、どうにもこうにも気が滅入ってしまう。やる気が起きない……って、もしかして燃え尽き症候群?!
「あ~だろうねぇ。とりあえず、私ができるとこは、やっておいたから、メールだけはちゃんと見てよ」
遠征後、最大の変化と言えば、詩がやる気を出してちゃんと村の運営に乗り出したことだ。私がいない間に何かあったのかな? 良い変化なので深くは追求しないけど。
「30分後に、小早川先生の《《あれ》》、テストするって。桜も観に行くでしょ?」
「あぁ、もう準備できたの? 先生、気合い入っているわね。わかったわ。場所はいつもの実験場でしょ?」
「そうよ。なんだったら今から一緒に行く? 私カートに乗ってきたんだけど」
それはラッキー。詩のカートに同乗させてもらうことにした。竜フィーバーのお陰か、蓬莱村の予算が増額され、前から頼んでいた設備や備品も充実してきた。
詩の乗って来たカートは、蓬莱村特別仕様の二人乗り電動小型車だ。GPSがないが村独自の位置計測システムを使ったナビゲーションが付いている。場所を指定すれば、自動でそこまで連れて行ってくれる。安全装置も組み込まれていて、運転手が意識を失うなどした場合には、自動で村の中央まで戻ってくる機能もある。幸い、これまでにその機能が使われたことはない。
カートは、電動モーター特有の回転音を響かせながら、ゆっくりと西へ向かった。途中、いくつかの仮設住宅を建てているエリアを通過する。政府から、蓬莱村の増員を命じられているのだ。幸い、上下水道工事は完了しているので、衛生面の問題は何とかなりそう。
それにしても、そろそろ中央管理センター以外に恒久的な建物を作る必要があるなと思う。というのも、ヴェルセン王国のヘルスタット王や王子たちが村を訪問したい意向を示しているのよ。まさか、王族をプレハブで迎える訳にもいかないでしょ!
「あぁ、迎賓館的な、あれのこと?」
その迎賓館的な奴は、詩と迫田さんを中心に計画してもらっている。
「一応、青図は引いてもらったし、基礎工事も始まってる。ただねぇ、魔法を利用する部分に関しては、ヴァレリーズさんに協力してもらいたいんだけど……」
最近、ヴァレリーズさんは村と王都を行ったり来たりしている。調整官としての仕事なのだから、仕方ない部分はあるけれど、ちょっと寂しいな……ハッ! 何考えているんだ、私!
「か、彼、忙しそうだもんね」
「みたいねぇ。何してんだかわかんないけど。桜さぁ、ちょっと異界側の調整官、増やしてもらえるように頼んでくれない?」
「そっ、そうね。うん、頼んでみましょ! そうしましょ!」
詩がハンドルを握りながら、顔をこちらに向けた。じっとりとした目つきで私を見る。やーめーてー!
「なによ、その変なテンション。何かあんの?」
「やーねー、何もないわよぉ」
詩が追求の手をさらに絞ろうとした時、カートが科学部門の実験場についた。助かった。
境界線やフェンスで区切っているわけではないが、人の集まり具合でそれと判る。村の人数が増えるなら、安全のためにフェンスとか必要になるかも。
「ここらでいいかな?」
詩は、人がたくさん集まっている場所の手前で、カートを停めた。
「はい、これヘルメットです」
カートを降りた私たちに、榎田さんがヘルメットを渡してくれた。
「榎田さんもかり出されたの? 教授は?」
「科学部門で手の空いている人間は、みんな手伝っていますよ。ただ教授は、防衛装備庁から来た人たちと、実験室にこもりっぱなしですけどね」
へぇ。何しているんだろう? また怪しげなことをやらかさないか、ちょっと確認しておかないと。
「小早川先生は、テントにいるはずです」
「ありがとう」
私と詩は、少し離れたところにあるテントに向かって歩き出した。
実験場には、様々な機材に囲まれたテントが三つ置かれており、その先に大きな白い気球が鎮座していた。気球の周りでは、大勢が何か作業をしている。その奥、実験場の外れにワイヤで支えられた長い棒が立っている。
「あれ、何?」
私が指さす先に、詩も視線を移す。
「あぁ、あれ。実験用電波塔……って、やっぱりメール読んでないな」
あー、そういえば、そんな話もあったな。電離層が確認できたので、実験的に電波塔を建てて長距離通信を試すって奴。
「上手くいったら、中央管理センターの村内通信用の電波塔を改築するって、小早川先生の計画書に書いてあったでしょ」
「そうだっけ? まぁ、村のことは詩に任せたよ」
「やぁ、来たね。いらっしゃい」
テントに着いた私たちを、上機嫌の小早川先生が出迎えた。今日は、彼が願ってやまなかった気象観測ユニットを実運用する前のテストなのだ。
「今日は、とりあえず三キロまで飛ばそうと思っているんだよ。ゾンデからの信号がきちんと受信できるのかも見たいしね」
ラジオゾンデは、ぱっと見は白い箱だ。中には高度計や気圧計、風速計などの観測機器が詰め込まれている。このラジオゾンデをゴム気球にぶら下げて、上空へと飛ばすのだ。
このように観測機器を満載したラジオゾンデを、ゴム気球で飛ばす気象観測は日本でも行われているが、異界ではたぶん初めての試みだ。これまで許可が下りなかったのは、主に回収方法がなかったから。じゃぁ、回収方法が確立したのかといえばそうではなく、「できたら回収する。できなかったら諦める」という方針になったからだ。十中八九、流されて魔物がいる森の中に落ちることになるんだろうなぁ。
「今日は、有線で飛ばして、三キロに到達したら回収するよ。本番は一週間後かな。その時には高度三十キロまで飛ばすつもりだよ」
いつになく饒舌な小早川先生。これまで観測できたのは、せいぜい地表から五メートル程度までだもんね。
「じゃぁ、カウントダウン初めてくださぁ~い。一分前から」
「放球一分前……五十五秒前……五十秒前……」
女性研究員の声が、放球、つまりアンカーから外して気球を空に飛ばすまでのカウントダウンを刻んでいく。
「四、三、二、一」
「ロープ切り離し!」
小早川先生の合図とともに、丸いゴム気球がゆっくりと浮かんでいく。青い空に、白いゴム気球が浮かんで、どんどん小さくなっていく。なんだかワクワクする光景だわ。
「高度、二千メートル超えました」
「ゾンデからの情報は順調に受信できています」
観測用気球は、順調にどんどん上空へと吸い込まれるように昇っていく。
「三千メートルに到達しました」
「データのコンペア、よろしく」
「了解です」
小早川先生が、水を得た魚のように生き生きと指示を出し、他の研究者たちも慌ただしく作業している。テストは順調のようだ。
「予定では三時間ほど滞空させて、その後ワイヤを引いて回収します」
いつの間にか隣に並んで空を見あげていた榎田さんが、私たちに説明してくれた。回収した後、装置の様子やゴムの劣化などを確認するという。科学技術は一日にしてならず、なのよ。あ、約一名は除いた方がいいか。




