ドラゴン襲来(3)
それは、まさしく黒いオーラに包まれた闇竜とも呼ぶべき存在だった。黒い身体の中で、目だけが赤い。さっきまでの竜と同じものだとは思えない。凶悪で、禍々しさが増している気がする。先ほどまで竜に感じていた憐憫の情も、闇竜には感じない。
ズン! 闇竜が一歩、こちらに脚を踏み出した。地面が揺れる。近寄らせてはだめだ。
「大地よ、槍となりて彼の者を討ち滅ぼせ! 岩槍!」
ヴァレリーズさんの土魔法は、しかし、闇竜の黒いオーラには通じなかった。闇竜の身体に触れることなく、岩の槍は無残に砕かれてボロボロと崩れ落ちていく。
「ならば! 風よ水よ、凍てつく氷の刃となりて切り裂け! 氷刃!」
再び、ヴァレリーズさんが詠唱とともに魔法を放つ。闇竜の周りに風が渦巻いた。渦の中にキラキラと光る氷の刃。だが、闇竜は痛痒を感じないようだ。ヴァレリーズさんの魔法を無視して、もう一歩を踏み出す。
「よしっ! 氷結!」
ヴァレリーズさんが叫ぶと、闇竜が一瞬にして凍り付いた! ヴァレリーズさんの狙いは、氷の刃による攻撃ではなく、竜を凍らせてしまうことだった。氷の刃は下準備だったのか!
「おぉ……」
街の方からも歓声が聞こえる。高位の魔導士って、すごいな。そう思ってヴァレリーズさんを振り返ると、そこには全身汗まみれのヴァレリーズさんが、地面に片膝をついていた。
「ヴァレリーズさん!」
賭けよって肩を貸す。息が荒い。魔法は体力を削る。“魔力”などというステータス値は、異界にはない。魔導士は、自らの体力と生命力を削って、魔素を魔法へと変換するのだ。
四駆のバックドアを開き、積んであった荷物を日野二尉にどけてもらう。空いたスペースにヴァレリーズさんを降ろした。クーラーボックスからペットボトルの水を取りだす。キャップを開けてヴァレリーズさんに手渡すと、彼はそれを一気に飲み干した。
うん、水を飲めるだけの体力があるなら、大丈夫ね。ちょうど、駆けつけて来た巳谷先生にヴァレリーズさんを任せ、私は指揮車へと向かった。
「どうですか?」
「変化なし……これで退治できたのでしょうか?」
「わからない。あ、ダニーさん、どう思いますか?」
ダニーさんは、凍り付いた闇竜をじっと見つめたまま、考え込んでいる。
「ダニーさん?」
「えっ? あっ、あぁ……なんでしょう?」
「いえ、これで竜を倒せたのかなと」
ダニーさんが首を横に振る。
「竜は魔法では倒せませんよ。あれはたぶん……体力の回復を図っているのかと」
「え?!」
ガアァァッ!
いきなり闇竜が動き出した! ダニーさん! 早く言ってよ、そういうことは!
「上岡さん! レールガンを!」
『準備ヨシ! いつでもいけます!』
「お願いします!」
「三点五連、てぇっ!」
必殺の高速弾が、再び動き出した闇竜に突き刺さる。
グェェッ!
闇竜は苦悶の声を上げたが、動きは止まらない。あの黒いオーラが、レールガンの威力を減らしているの?
「レーザーもお願いします!」
「光学砲、どうか?!」
『行けます』
「よし、慎重に狙って、自分たちの判断で撃て」
『了解!』
レーザーは目に見えない。見えるのは、空気中の塵に反射した光だ。そして、黒いオーラに当たったレーザーは、そこだけが白く輝いていた。だが闇竜本体には、なんの効果も見られない。
「レーザーが当たったところに、レールガンを撃ち込めますか?」
「難しいがやってみましょう。聞こえていたな、射撃班?」
『はい。狙ってみます。タイミングを指示願います』
「よし。光学砲、こちらの合図であいつのドテッ腹を狙え」
腹を狙うのは、そこが一番大きいからだ。大抵の生物は腹が弱点だけど、竜はどうなんだろう?
『了解』
「よし、三……二……一、てっ!」
レーザーとレールガンの弾が、闇竜の腹を目がけて集中する。
グギャァァァッ!
闇竜が腹を押さえ、うずくまるように倒れた。イケる!と思った。でも。
『こちらソニック班。加熱警告で、射撃不可。繰り返す、射撃不可! 冷却に三分ください』
ああぁん、もうっ!
「どうしたのですか? は、はやく追撃をっ!」
ダニーさんはインカムを付けていない。レールガンの砲塔が熱くなって撃てないんですよ、と簡単に説明する。
「ふむ、冷やせば良いのですね? そのくらいなら……風よ水よ、冷やせよ冷やせ、冷竜巻」
ダニーさんの魔法で、ソニック君の周りに風が渦巻いた。
「おい! 竜が!」
誰かの叫びが聞こえる。前方に目をやると、倒れていた闇竜がゆっくりと首をもたげ、その口を大きく開けていた。ブレスを吐く気だ! でも、ヴァレリーズさんはまだ回復していない。このままだと、ソニック君だけでなく私たちもブレスの餌食になってしまう!
ゴォォォフゥッ!
地響きにも似た獣のごときうなり声。 闇竜の顎門から、今、まさに黒い光があふれ出ようとしたその時。
「爆炎槍!」
闇竜の首元で、爆発が起きた。黒い炎のブレスは、私たちの横を通り過ぎていった。
「マグネスさんっ!」
マグネス隊長さん以下、数名が再び竜に攻撃を仕掛けたのだ。
闇竜は、マグネス隊長さんたちを尻尾でなぎ払おうとする。危ない! 間一髪で竜の攻撃を避けた彼らは、今度は剣を抜いて突っ込んでいく。いけない、なんとかしないと。
「レールガン、行けますか?」
『もう少しで使用可能になります!』
「レーザーは?」
「阿佐見さん、一基使用不能です」
上岡一佐の報告に、私はめまいを覚えた。一基でなんとかなるか?
「その、“れーざー”というものを、私に貸してくれないか?」
ふらふらになったヴァレリーズさんが、いきなり現れて無茶な要求をしてきた。何するつもりなんですかっ!
「詳しい説明をしている暇はない。“れーざー”を魔法で増幅して奴にぶつける。そこを“れーるがん”で射貫なさい」
迷っている暇はない。
「レーザーのところまで行きましょう。誰か手伝って!」
「阿佐見さん、危険だ。貴女が行く必要はない」
「いえ、上岡一佐。これは私の仕事です。行きます」
駆け寄ってきた日野二尉とともに、ヴァレリーズさんを抱えるようにして、コンテナを掩体代わりにしているレーザー砲のところまで前進した。すぐ目の前では、闇竜が暴れている。
「ここで、いいですか?」
「あぁ。ここから光が出るのだな?」
「はい! ここが引き金です」
ヴァレリーズさんに問いかけられた陸自隊員が答える。うなずくヴァレリーズさん。なんだかいけそうな気がしてきた。
「わかった。サクラさん、貴女の合図で始める。いつでもいいぞ」
「判りました。その前に……ソニック君?」
『こちらソニック号射撃班。冷却完了、射撃可能です』
「いいわ。合図したら全弾ぶちこんじゃってください。それから、チャンネル4を外部スピーカーに繋いでくれる?」
『接続、完了しました!』
「ありがと」
インカムのチャンネルを合わせて、大きく息を吸う。
「ルガラントのみなさぁ~ん! 危険ですから、退避してくださぁぁ~い!」
ソニック君のスピーカーから、私の声が木霊する。私、こんな声だったっけ? 変な声でも届いたようだ。騎士さんたちが闇竜から離れて行く。
闇竜は、逃げていく騎士さんたちに興味を失ったのか、再びこちらに向き直り、ゆっくりと近づいてくる。ブレスを撃たないのは、連続使用できないってことかな? こちらとしては助かるけど。
「よ~し! 今! お願いします!」
私の合図でヴァレリーズさんがレーザー砲のトリガーを引くと、闇竜の眼前に光り輝く巨大な魔法陣が現れた。レーザー光で描かれた魔法陣だ。光をどうやって曲げているのかとか、細かいことはもうどうでもいい! 光の魔法陣に向かって、レールガンが発射される。弾が魔法陣を通過すると、光を纏ったように輝いて闇竜の黒いオーラを切り裂いた!
何分経ったのか、いや、何秒経ったのか。レールガンは全弾撃ち尽くし、光の魔法陣はかき消すように消えた。大地の上には竜。だが、黒いオーラは消えていた。そして竜は、ゆっくりと前のめりに倒れていった。
ズゥゥゥンッ!
激しい地響きを立て、砂塵が舞う。私の目の前、ほんの数メートル先に、竜の頭があった。まだ動いているものの、もう起き上がる力はないのだろう。その目は、赤色ではなく、輝くような薄い黄色だった。その目を見た瞬間、そこに知性の光を見た。私は、衝動に駆られて竜に駆け寄った。
「桜さん! まだ危険です!」
「阿佐見さん! 戻って!」
後ろから声が聞こえる。何人か私を追いかけてきた。連れ戻そうとした彼、彼女らに手を挙げて制止する。
「大丈夫。確かめないといけないの」
何を? 自分でもよく分からない。けれど、竜の話を聞いてからずっと思っていたこと。
「竜さん」
「ヒトカ……」
やはり言葉が通じる。たどたどしいかすれた声だけど、コミュニケーションが取れる。
「なぜ、こんなことを?」
「我ノ本意デハナイ……我ハ……巨大ナチカラニ負ケタノダ」
あの黒いオーラ。何らかの理由で、この竜は正気を失ったのだ。であるなら、あの獣のような振る舞いも理解できる。私の中に、憐憫の情が沸き上がった。不憫だ。やったことはやったこととして、なんとかできないだろうか?
「私たちに、あなたを助けることはできますか?」
周囲にいる人たちがざわついた。相手はさっきまでこちらの命を奪おうとしていたのだぞ、そんな声が聞こえた。
「無理ダ……モハヤ命ノ火ハ燃エ尽キル……因果応報ト言ウノダロウ?」
竜は、もう死期を悟っていた。
「そうですか、仕方ありませんね……ならば、聞かせてください。この戦いは約定に反していますか? 我々人間は、あなたたちから報復を受けるのでしょうか?」
「案ズルナ……コレハ我ガ身ノ不始末。約定ニハ触レヌ」
「……安心しました」
「ムシロ我ラノ王ガ……」
その時、太陽が一瞬、陰った。そして。
「グワッ!」
竜がうめき声を漏らすと動かなくなった。
「竜さん!」
見あげると竜の首には、一降りの剣が尽きたっていた。
「邪悪な竜は、このルガラント領主、ハーヴィン・エトナーが討ち取った!」
竜の背に乗ったエトナーが、誇らしげに勝ち鬨を上げた。
「何をしてるんですか、あなたはっ!」
人が竜と話しているのに、台無しにしてっ! しかも倒れて瀕死の相手を後ろからなんて!
「何をだと? 街を襲った厄災は、領主自らが打ち払わねばならないのだ!」
「竜さんは、もう息絶えるところだった! 貴方のしたことは、自分勝手な自己満足だわ!」
領主の勝手な言いぐさに、無性に腹が立つ。貴方は何もしていない。隊長さんたちに命をかけさせておいて、こんなことをするなんて許せない。
「ふわはははっ! 今日の私は機嫌が良い。だからお前の不敬なる発言は見逃してやろう。とっとと異世界とやらに戻るがいいっ!」
エトナー領主は、竜の首から剣を抜き放つと、それを天にかざして叫ぶ。
「皆の者、ご苦労であった。しかし、もう安心だ! この私がいる限り、ルガラントの繁栄は続くのだっ!」
その時だった。
その場にいる全員が見た。エトナーの背後に黒いオーラが出現し、彼を飲み込もうとしたのを。
「ぬ?! なんだ、これは?」
振り払おうとするエトナーだったが、黒いオーラは霧のように彼の身体を包み込んでいく。
「うぐっ! は、放せっ! 誰か! これをなんとかせよ!」
数人の騎士が掛け寄ろうとした時には、すでに彼は黒いオーラに飲み込まれた後だった。
『ウグァァァッグゥゥッ』
オーラの中からくぐもった苦悶の声が聞こえる。思わず、後ろに後ずさりしてしまった。
『ぐがぁっ!』
耳をふさぎたくなるような叫び声が聞こえた直後、黒いオーラが大きさを増し、空中へと飛び出した! 空中で停止した黒いオーラが、黒い光を放つ。
黒い光が消え去った後、そこにはかつて ハーヴィン・エトナーだったものが浮かんでいた。肉体は肥大化し、醜く歪んでいる。その歪んだ身体には、ところどころに鎧の残骸が食い込んでいる。誇らしげにかざしていた剣は、自らの腕と融合しにぶい光を放っている。それの顔は、領主だった男の面影を残しつつも、まるで魔物のように口が大きく裂け、牙が覗いている。そして、目は血のように赤い。
ガアァァァァァッ!
もはや魔物と化したエトナーが、咆哮を上げて周囲を睥睨する。それは獲物を選んでいる目だ。もはや人とは呼べない。私の中で、嫌悪感が溢れてくる。うぅ、吐きそう。
ぴたりと、かつてエトナーだった魔物の動きが止まった。私を見つめている。やっぱりか。そんな気もしたんだ。さっきも竜と目があっちゃったし。でも、こちらにはもう戦う武器もないし、あぁ、ここで詰んだかな?
魔物がにやりと笑った、気がした。次の瞬間。
世界が光で満たされた。
光が消え去った後、そこには何もなかった。領主の肉体も、魔物も、黒いオーラも。そして、天を影が覆った。ゆっくりと羽ばたきながら地面へと降りてくるそれは、巨大な黄金の竜――。
「古代竜……」
いつのまにか私の近くに来ていたダニーさんが呟いた。
ドラゴン討伐完了、と見せかけてw
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