幕間 合い言葉は“FKA”
【ヨーロッパ某国】
鬱蒼とした森の中に、その館は建っていた。夜の帳と静寂が、周囲を支配していた。広々とした庭園の噴水は、来客の予定がない今は、静かに佇んでいる。過度に華美でもなければ、質素すぎることもない。趣味人の隠れ家といった趣の邸宅だ。目立たないが随所に金が掛けられていて、週末に開かれるささやかな集会に呼ばれた者は、主の持つ力の大きさを目の当たりにすることになる。
石造りの館の三階、北向きの部屋にいるこの屋敷の主人は、数秒前に鳴り始めた電話の受話器を手に取った。ここには、携帯電話などという無粋なモノは存在しない。
「なんだとっ!」
白磁に金の縁取りがある受話器を握りしめた男は、声を荒げた。どうやら、彼にとっては良くない報せであったらしい。彼は、怒りっぽい性格ではない。むしろその逆で、感情を表に出すことはあまりなかった。権力者の家系に生まれた彼は、幼い頃から感情を表に出すことを“悪”と教えられてきた。ヨーロッパの社交界に出るようになって、表面的には笑顔を浮かべつつ、怒りや侮蔑、悲しみといった感情を押し殺す術を身につけた。それが、彼の家の権力を維持し発展させ、さらには彼自身の財を増やすために必要不可欠だったからだ。
そんな彼が、電話の相手に感情を爆発させている。
「“一流のプロ”を頼んだはずだ。“失敗しました”では話が違うだろう! いいから、次の手を考えろ。一日も早く“アレ”を入手するんだ、いいな!」
受話器の隙間から漏れ聞こえる声は、しきりに平伏し謝罪を続けているようだったが、火が付いてしまった彼の怒りを収めるには十分ではなかった。彼は受話器をフックに叩きつけるように置くと、悔しそうな表情を浮かべながら立ち上がり、部屋の中を歩き始めた。
五十を超えていながら、身体は引き締まっている。髪には白いものが混じりだしているとはいえ、まだ若々しさを感じさせる。財も権力も手にしているというのに、彼は一体何を求めているのか。
電話越しに怒りを吐き出したからだろうか、彼は少しずつ落ち着きを取り戻し始めていた。そして、自らの欲する物を手にするための、新たな方策を練り始めた。
「アレらが失敗したとなると、当然警備は厳しくなる……同じ手は使えまい。いっそのこと、日本政府に働きかけるか? ……いや、それは最後の手段だ。だとすれば、あちらの人間を買収するか、脅迫するか……移住者の情報は、金を積めばなんとかなるだろうが、連絡手段をどうするか……」
彼は、椅子に座り直し、頭に浮かんだアイディアを具体化しようとした。その時、突然ガチャンという音とともに屋敷の電気が落ちた。
「何事かっ! ライアン! ライアン!」
暗闇の中、僅かな光と記憶を頼りに、男は卓上にあったベルを見つけて鳴らし、長年使えている執事の名を呼んだ。だが、いつもであれば30秒もしないうちに駆けつけるはずの男は、2分を過ぎても主人の前に現れることはなかった。
何かが起きている。賊か? それとも敵対勢力か? 落ち着け、すぐに非常用電源に切り替わるはずだ。彼がそう思い出した時、屋敷の電気が復活し、天井の灯りが再び点った。間を置かず、部屋の扉がゆっくりと開いた。
「ライアン……いったい何が」
しかし、部屋に入ってきたのは執事ではなく、コートを着た目つきの鋭い男たちであった。
「なんだ、お前た「ジョセフ・グローハリー、だな? おれは、オーウェン。この通り警察だよ」
彼の言葉を遮ってオーウェンと名乗った男は、警察のIDを掲げると背後に向かって顎をしゃくった。扉から、制服姿の警察官たちが雪崩れ込み、彼――ジョセフの身体を押さえつけ、後ろ手に手錠を掛けた。手錠の冷たい金属の感触が、突然の出来事に呆然としていたジョセフを正気に戻した。
「貴様、私が誰だか判っているのか! こんなことをして、只では済まんぞ!」
「はいはい、悪党の吐く言葉ってのは、定型文でもあるのかねぇ? ま、とりあえず罪状ね。まず、旅券法違反、公文書偽造、輸入規制法違反、それからなんだ、えーっと、めんどくせぇ、諸々数十件の犯罪容疑で逮捕だ」
「なにをふざけたことを! 冤罪だ! 誤認逮捕だ! 貴様ら、後悔することになるぞ!」
ジョセフは激高し自由になろうともがくが、屈強な警官数人にがっちりと捕らえられ身動きもままならない。そんなジョセフの耳元にオーウェンが囁いた。
「妖精を、誘拐しようとしただろう? もうネタは挙がっているんだよ。欧州刑事警察機構も動いているし、もう逃げようがないんだよ」
ジョセフは驚いた。決して自分の身元が分からないように、信頼できる人間だけを使い、念のためにと複数のダミー企業を中に立てて手配したのに、なぜ自分が妖精の誘拐を計画したことがばれているのか。日本で捕まったという運び屋たち? いやいや、あいつらは只のコマ、私のことは知らないはず……。
おそらく、確たる証拠などないのだろう。そうに決まってる。大方、敵対勢力の奴らが私をはめたに違いない。それなら、私の仲間たちが。
「あっと、そうそう、お偉いさんもあんたのこと、見限ったぜ。冷たいねぇ。ま、あんたが誘拐を指示する音声データがあるんじゃ、庇うこともできないか」
「なん……だと……」
オーウェンは身を起こすと、ジョセフを捕まえている警官たちに「連れて行け」と命令した。
「嘘だ……嘘だ……」
警官たちに脇を抱えられ、引き摺られるようにして部屋を出ていくジョセフ。オーウェンは、室内を捜索する警察官たちに声を掛けてから、ジョセフを連行する一団の後を追った。彼が部屋から出ると、三名のメイドが廊下の壁を背にして立っていた。逮捕された主人についての事情聴取を待っているのか、彼女らは意外に落ち着いた様子で連行されるジョセフを見送っていた。
ふと、メイドの中のひとりとオーウェンの目が合った。彼女は、目を伏せ小さく頭を下げた。その手は身体の前で重ね合わされている。誰が見ても、おかしな点はない――が、オーウェンは気が付いていた。彼女の手の組み方は、“FKA”のサインであることに。
FKAとは。
妖精の存在が確認されたその日から、インターネットを中心に広がった、任意団体だ。いや、団体として届けられている訳ではないし、どこかに本部がある訳でもない。自然発生的に生まれたコミュニティであり、ムーブメント。人種、性別、年齢を問わず、誰でもがそのコミュニティに参加することができる。唯ひとつのこと、すなわち『妖精を慈しむ心』を持っていれば良いのだ。
メンバーの中には、妖精の画像を見るだけで満足する者から、情報を基に等身大のフィギュアを作成し愛でるものまでさまざまだ。だが、FKAを自認する人々の中で、妖精に危害を加えることを容認するような人間はいなかった。
メイドである彼女も、メイドである前にFKAメンバーであり、主人の悪行を通報することに躊躇いはなかったのだ。
そんな彼女を見て、オーウェンもFKAのサインを返した。返ってきたサインを見て、彼女もほほえんだ。言葉を交わさずとも、通じ合うことができる。そう――妖精“カワイイ”同盟のメンバーであれば。




