資源国、日本
かつて日本は、資源のない国だった。それも今は昔、“穴”が発見され、異界との交易が始まったことで、状況は一変した。さらに派遣した調整官が、その功により辺境伯の爵位と領地を得てからは、日本の技術によって辺境伯領の開発が進み、鉄、ニッケルなどの鉱石や金、銀などの貴金属、レアメタルなども日本にもたらされている。もちろん、こちらの世界では未知の物質である“魔石”(およびそれがもたらす魔法効果)は、さまざまな価値を生み出している。欠片ですらも。
“穴”が存在する福島県を中心に、いまや東北は、精錬工場や製造工場など製造業が盛んとなり、爆発的な好景気を迎えていた。東北への首都機能移転論議が復活するほどだ。
異界から輸入される資源の中で、今もっとも重視されている物資は“石油”である。辺境伯領の鉱山開発に伴って行われた地質調査と、地元民からの証言から試掘を行ったところ、石油を掘り当てたのだ。辺境伯自身は、『掘り当てるなら、石油より温泉が良かったのに』と言ったとか言わなかったとか。
ともあれ、石油をほぼ輸入に頼っていた日本にとって、格安で輸入できるようになったことは、国策上とても重要なことだ。なお、開発した油田の埋蔵量は未確定となっているが、日本政府が数値を隠蔽しているという噂も絶えない。また、現在の産出量は年間三十万キロリットル、十九万バレル程度だが、徐々に産出量は増えていることからも、今後の成長に期待する声は大きい。
ただし、異界石油には、いくつかの制限もある。
第一に輸入方法だ。日本と異界をパイプでつなぐことができればいいのだが、“穴”にパイプを通すことはできても、パイプの中で物体を通過させることはできない。そのため、石油は、タンクに入れて”穴”を通さなければならない。また、一部から起こされた『環境破壊に繋がる』という批判を躱すためにも、一度に運ぶ量を急激には増やせない。異界から輸入しなくても結局石油は使うのだから、環境破壊には繋がらないのだが。
第二に、精製の問題がある。経済産業省と財務省は、異界側に精製工場を建設し、精製した重油や軽油を輸入する形にしたかったのだが、異界での精製は不可となった。調整官である阿佐見桜の意思が働いたとされるが、実際には外務省の思惑によるものだと霞ヶ関では言われている。その証拠と言われているのが、異界石油精製プラントの場所である。日本国内では、福島の太平洋沿岸に僅か一ヵ所だけにしか建造されないのだが、中国、台湾、韓国、フィリピンにはそれぞれ数カ所のプラント建設計画がある。台湾とフィリピンには日本のODAが使われ、中国では日本企業との合弁会社が運営する予定だ。もちろん、そこで精製された石油は、その国から輸出されたり自国で消費されたりすることになる。日本にも輸入される。原油を運んだタンカーが、帰りに精製された石油を積んで戻るのだ。とはいえ現在は、まだ試験段階で量はそれほど多くない。今後、異界での石油産出量が増えれば、プラントを建てた国にも利益が生まれるはずだ。これに対して国益を損なっているという意見や、環境問題を海外に押しつけているだけだとする環境団体もあるが、野党も反対せず、粛々と計画が進行している。
「なぜ、わざわざ海外に工場を建てる? 国内で精製した方がいいだろうに」
“穴”がある福島の通称“福島ピット”から出てくるタンクローリーを眺めながらDIMOエージェントのルースラン・レイアールは、隣に立つ同僚のクレア・ロバートソンに尋ねた。
「外交的、政治的判断でしょうね。ホール1からの利益を日本が独占していないという、一種のエクスキューズでしょう」
「こちらの世界に来て長いが、どうもその外交的判断とやらが理解できない。アメリカは、そんなことしないだろう?」
「まぁそこは。歴史的な背景もありますし。詳しくはサコタにレクチャーしてもらってください」
「丸投げか。そのサコタには、いつ会えるともわらかないのに」
ルースランの言葉に、クレアがため息をつく。
「そうなんですよ。まったく、わざわざ日本まで来たというのに」
ルースランたちの目的は、ホール1の向こう側にいるサコタに会うことだった。もともと、ルースランたちホール2の吸血鬼は、同族同士の連帯感が強い。まして同じ血を引くもの同士であれば、近くで固まって生活したいと考えるのが、本能として組み込まれている。霧化など無敵にも思える吸血鬼だが、本人たちはむしろまとまっていなければ弱い生物なのだと思っている。もちろん、その連帯感は、人間から吸血鬼になった迫田にも向けられている。直接会って迫田の無事を伝えることが、ルースランの目的なのだ。ちなみに生粋の人間であるクレアは、ただ単純に迫田と会いたいだけだ。いつもなら、ここでゲランから『クレアはサコタに逢いたいだけだろ』と茶々が入るのだが……。
「ところで、あいつはどこに行った?」
「あぁ、ゲランなら、例のVIPと一緒に福島県庁に行っていますよ。知事に挨拶するとかで」
「あいつが? 嘘だろ」
ルースランと同じく、ホール2出身のDIMOエージェントであるゲラン・トーチは、挨拶回りなどという面倒な仕事を買って出るような性格はしていない。
「何かネタを掴んで脅したか、薬でも使ったか。それとも、魔法やらで――」
「失敬な。脅したりするわけないでしょう。石油の臭いがきつくて、ここには来たくないそうですよ」
狼男であるゲランは、通常の人間よりも鼻が利く。人間形態の時は人間の数百から数千倍といったところだが、獣の姿になったときには、地球の犬以上に優れた嗅覚を発揮する。
「それに、人を従わせる魔法なんてありませんよ。あったら欲しいくらいです。そもそも、私たちの世界じゃ魔法は使えませんし」
「なんだ、報告書読んでいないのか? 異界から来た人間が、魔法らしき現象を起こした例がたくさんあるぞ。それに、ついこの間も日本に留学している異界の王子が、魔法で騒動を起こしたらしいじゃないか」
「読んでいますけど、私は異界人じゃないので――」
そんな会話をしている二人に、ダークグレイのスーツを着た男が近づいて来た。
「ルースランさん、クレアさん。お待たせしました。準備ができたので、ピットの方へどうぞ」
「“アリガト、ミヤザキサン”」
異界局の局員、宮崎に案内され、DIMOから来た二人は建物の中に入っていった。
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クレアたちが日本に到着する三週間ほど前まで、時計の針を戻そう。場所は――中東、某国、海を望む高級ホテルの一室。
広い部屋の開け放たれた窓から、揺れるレースのカーテンとベランダ越しに青い空、蒼い海が見える。部屋の内装や家具は白で統一されており、景色とのコントラストが目に眩しい。豪華なリゾートホテルの最上階にある、プレミアムスイートルームは、極々限られた人間しか利用できない。今、ここにいる彼らのように。
男性はアラブの民族衣装であるトーブを纏い、女性は全身を布で覆っている。彼ら彼女らは、それぞれの政府を代表している人間だが、その姿を外に見せることはめったにない。いわゆる暗部――アメリカで言えばCIA、ロシアで言えばKGBのような、影となって国益を護る組織のトップたちだ。そんな人物たちが一堂に会している、それだけでも欧米の諜報機関は大騒ぎになるだろう。
「さて、こんな機会はめったにないことだから、いろいろなことについて話合いたいとは思うが、今はまず、集まった理由でもある懸案事項――日本への対応について話したい」
この部屋に集まっている人々は、意図的に服装などを似せて個々人を区別することは難しくしている。もしも、この会合を中東に長く滞在している日本人が覗いていたとしても、見分けることは非常に困難だっただろう。分かるのは、男女の区別だけ……いや、性別すら偽っている可能性もある。
ここでは、最初に口を開いた男を、仮にAとしておこう。Aは言葉を続けた。
「OPECの報告は読んでいるな? ま、それぞれ独自に調査もしているだろう。それを踏まえて、今後日本をどのように扱うか、それぞれの意見を聞きたい」
対立か、協調か。“穴”の向こうで石油が発見される前から、オイルマネーによる支配構造は揺らいでいた。ひとくくりに中東と言っても、信じる宗派も違えば状況も異なる。それぞれの国にそれぞれの事情があるのだ。しかし、原油価格に関して、中東全体で足並みを揃えなければ自らの首を絞めることになる。そこにはある程度の妥協が必要なのだ。さて、日本に対しても、妥協する余地はあるのか――。
「日本政府は、原油の産出量を市場が混乱しないように管理するといっている」
窓際に座っているBが言った。それに対し、その向かい側に座っているCが反論する。
「それを信じるの? 結局、シェール(ガス)の二の舞になるのでは?」
シェールガスは、真岩層から採取される天然ガスだ。存在自体は百年以上も前から知られており採掘もされていたが、近年、採掘技術の発展により採算性が上がり、新しいガス資源としてアメリカなどでの産出量が増えた。そのことが、原油価格の下落を招いている。原油産出に依存している中東各国では、それぞれに危機感を頂いている状況だ。そこに、日本の原油(正確には異界産原油)が登場したのだ。ただ手をこまねいて見ている状況ではなくなった。しかも、“穴”は、日本以外にも三ヵ所見つかっている。さらに別の“穴”が見つかるかも知れない。現時点において石油が発見されたのは日本のホール1だけだが、他の“穴”からも見つかるかも知れないのだ。
「私は、日本人を信じるよ」
「はっ! ずいぶんと甘いのね」
「それは侮辱かね?」
「よさないか」
BとCが始めた口論を、Aが止めた。
「問題は、信じる・信じないではないよ、諸君」
それまで無言だったDが口を開いた。
「現実に、原油価格は下落を続けている。他方、ドル円の為替相場は安定している。つまり、現状を放置すれば、我々の石油はどんどん安く買いたたかれていくということだ」
「そんなことは分かっている。どうするか、を話合うのだろう?」
話に加わってきたEに向かって、Dがにやりと笑う。
「話合う? そんなことは表でやっていることじゃないか。なぜ、我々が集まったのか、集まった時点で明白だ。諸君らも、そう思って参加しているのだろう?」
その場を静寂が支配する。彼らはみな裏舞台の人間であり、国のためとはいえ人には言えないようなこともしてきた。ここにいる者同士でも、(紛争・戦争以外で)組織同士が殺し合いをしたこともあるのだ。言葉にしなくても通じる、共通言語が彼らにはある。
「私――我が国は、参加しない。その代わり、妨害もしない」
Bが口を開くと、数人が追従した。そして、計画に参加しない者たちは、その場を去った。
「では、詳細を詰めようか」
Dが自分の計画を話し出した。




