「第一章〜6」
それからしばらくたった小春日和のおだやかな午後、何の予定もなかった宿奈麻呂は、ぼんやりと娘が寝ているのを眺めていた。
横では妻と乳母が縫い仕事をしている。
娘の寝顔を見ていると、宿奈麻呂も自然と顔がほころんでいた。
ふと思いつき、自室から木簡を持ってきた。
先だって、興福寺の僧侶に頼んで上宮太子のことを簡略にまとめてもらったのだ。
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・推古天皇の御代、用明天皇の御子に上宮厩戸皇子がいた。甲午の年に産まれ、壬午の年の二月二十二日に薨逝した。墓は河内の磯長の丘なり。
・皇子は幼少の頃から聡敏、智ありと評判の人物だった。
・十九歳で推古天皇の皇太子となり、蘇我馬子大臣と共に天下の政を輔け、仏法を建立、三方を興隆した。また冠位を定め、十七条の法を立てた。そのため上宮法王、または法主王とも言う。
・后は推古天皇の皇子尾張皇子の女子伊奈部橘王。他に妃が蘇我馬子の女子刀自古郎女、膳部臣の女子菩岐々美郎女。刀自古郎女は山背大兄皇子を産んでいる。
・皇太子は推古天皇より先に薨逝し、人民は悲しみに暮れた。天皇はその後も皇太子を立てられなかった。
・推古天皇が薨逝した時、上宮皇子の御子である山背大兄皇子と彦人大兄皇子の御子である田村大兄皇子が皇位を争ったが、田村皇子が即位し舒明天皇となった。
・舒明天皇が薨逝すると皇后が立って皇極天皇となられた。
・皇極天皇の御代、蘇我豊浦毛人大臣の子、蘇我入鹿臣林太郎が、斑鳩宮にいた山背大兄皇子及びその昆弟等、合わせて十五皇子等を悉く滅ぼし、上宮王家は滅亡。
・二年後の乙巳の年、天智天皇が林太郎を殺し、明くる日、その父の豊浦毛人大臣と子等を皆滅ぼした。
・舒明天皇と皇極天皇の御子は天智天皇と天武天皇。天武天皇と持統天皇の御子は草壁皇子。草壁皇子と元明天皇の御子は文武天皇と元正上皇。文武天皇は今の帝の父君であらせられる。
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「いつの世でも陰謀やら何やらはあるのだなあ」
木簡を読み終えて目を上げると、縫い物をしていた妻が何か言いたそうな目で見ている。
「なんだ」
「幼子の教育にはずいぶん早いんじゃありません?」
そう言って笑いをこらえた顔をした。
「一人で部屋で勉強していても面白くないではないか。この子の側ならつまらぬことも楽しくなる」
妻は、宿奈麻呂が娘を愛してくれていることに満足していた。
「ほんに、この寝顔は心が安らぎます」
その時、家人が声をかけた。
「大伴様がお見えです」
家持はいつもなら、家人の取り次ぎを通さず庭から宿奈麻呂の部屋へ入ってくる。
「部屋を覗いたらいなかったので、帰ろうかと思ったのだが」
宿奈麻呂は娘との時間を終わりにし、家持とともに自室へ戻った。