「第一章〜5」
平城京の朝は早い。
冬が近い今の季節、午前四時半頃、京内の寺の鐘の音が夜の終わりを告げる。
まず起き出すのが家々の使用人たちだ。火を起こし、湯を沸かし部屋を暖めて、主人を起こす。
京内に住んでいるのは主に官庁に勤める官人とその家族等である。
まだ暗い中、官職に就いている者たちは支度をし、夜明けとともに開門する宮城へと向かい、それぞれの所属する官庁に出勤する。
平城京の広さは四キロメートル四方以上である。例えば京の南方に住む官人が、京の一番北方にある宮城に行くには徒歩なら一時間以上かかるのだ。身分の高い者ほど宮城に近い土地を与えられるし馬で出勤できるが、下級役人となるとそうはいかない。
官人たちは出勤後に給食の朝食、朝食と言っても粥と漬物程度のものであるが、で腹を満たし、それから仕事に励む。
正午になると就業時間終了の鼓が鳴り、特別な仕事をするもの以外は退庁する。
同時に京の東西の市が正午に開き、街は賑わいを見せる。
退庁した官人たちはゆっくりと時間をかけて家族や友人と昼食をとったり、思い思いの時間を過ごす。
夕方になると羅城門が閉まり、人々は家へ帰り、京内は暗く静かになる。
朝が早いので夜更かしをする者は少ない。貴族の家では遅くまで灯りをともしているところもあるが、基本的に皆、早寝早起きの生活をしている。
宿奈麻呂は官職についていなかったので、他の官人よりは朝が遅い。
日が昇る頃にようやく起き出して、のんびりと朝食をとる。
官位があるが官職についていない若者は、「散位寮」に通っていればいくらかの禄が貰えるのだが、宿奈麻呂や家持のような上流貴族の子息ともなると、それも格好が悪い、と行かない者がほとんどであった。
だからといって宿奈麻呂も毎日遊んで暮らしているわけではなかった。
午前中は書物を読んだり算術の勉強をしたり、或は弓の稽古をしたりして将来のための時間を過ごしている。
午後になると他の貴族たちと同様、家族や友人と食事を楽しみ、遊び、そうして毎日を送っていた。
翌朝、遅い朝餉を妻と取りながら、宿奈麻呂は訊いた。
「そなたは上宮様のこと、詳しいか」
妻の美奈とは政略結婚である。父が生前に決めた。貴族社会にはよくあることである。宿奈麻呂も当然と思って受け入れた。
妻は控えめでおとなしく面白みは無かったが、穏やかでよく気のつく女だったので何ら不満は無かった。面白い女と遊びたければ妾を持てばいいのだし、愛情がない結婚でも、肌を合わせ一緒に暮らしていれば愛着もわく。何より生まれたばかりの娘が可愛くてしょうがなかった。
「上宮様……と言いますと?」
「昔、斑鳩で皇太子として政を行っていた上宮様のことだ」
「いえ、よくわかりませんが。上宮様が何か」
「いや、なんでもない」