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「第三章〜12」

 斑鳩寺を後にした宿奈麻呂らは、行きとは違って寄り道もせずに馬を走らせ、官庁が引ける昼前には平城京に帰り着いた。

 宿奈麻呂の頭の中は、仏師の死や斑鳩寺で聞いた話で混乱していた。家持や田麻呂もそうなのだろう。周囲の景色を見ることなく、それぞれ馬上で思案顔をしていた。


 宿奈麻呂と田麻呂はそのまま家持の邸に行った。宿奈麻呂は「さすがに疲れたな。尻が痛い」と笑ったが、心ここにあらずと言った様子だった。


 やがて出された酒を口にすると、ようやく人心地がついた宿奈麻呂が言った。

「驚くことが多い旅だったな」

 それまで無口だった家持も、ようやく口を開いた。

「まったくだ。多加のこともそうだが、斑鳩寺の修行僧の話は驚きだ」

「おそらくあれは厭魅(呪詛の一種)なのだろう。多加は、造った仏像を厭魅に使うことを秘密にするために口封じだったのかもしれない」

「うむ。かわいそうな話だが。しかし、一体、誰を厭魅したのだろう」

「上宮様の怨霊じゃないか」

「怨霊を厭魅するなど、聞いたこともない。行信は、上宮様は怨霊にならないという話だったではないか」

「そのことですが」

 田麻呂が言った。

「斑鳩寺で話を聞いている時に、思い出したことがあるのですが」

「おお」

「以前、寺の僧に聞いた話なのですが、他国では木乃伊ミイラというものがあって、王が死ぬと、その霊に永遠の命を与えるため、遺体を白い布でグルグルと巻き立派な墓所に葬るのだそうです。先ほどの話を聞きながら私は、行信僧都が上宮様の移し身と言える仏像を木乃伊にしたのではないか、上宮様の霊に永遠の命を与えたのではないかと感じました」

「ミイラ?」

「ほお、興味深い話だ」

 家持が目を見開いた。

「怨霊ではないとすると、その、上宮様の霊に永遠の命を与えるとはどういうことだ」

 宿奈麻呂はきょとんとした顔をした。

「つまり、上宮様を仏にしたのだ。そういうことだな」

 家持が言った。

「もし行信が本当に上宮様を崇拝していたのなら、そのようなことをしてもおかしくない」

「わかったような、わからぬような」

 宿奈麻呂はまだ得心が行かない様子だった。

 田麻呂が更に説明した。

「行信僧都は呪の術を使えると聞いています。仏教で言う呪の術は、厭魅とは違います。善い霊を呼び出し、悪霊を善霊の力で制するという術のことを、呪、と言います。飢饉や疫病を引き起こす悪霊を、善霊に追い払ってもらうのです。ですから行信僧都は、善霊、則ち上宮様の霊を呼び出し、その力で天地の物事を思い通りに操る術を行おうと考えたのではないでしょうか。そして、もし呪の術を使える人間が他にもいたとして、上宮様の霊を使おうとしているならば、その前に自分が上宮様の霊を供養堂の中に封じ込め、自分だけが封印を解くことができるようにし、その力を独占しようとした、というのはどうでしょうか」

 家持は頷いた。

「うむ。行信の術力がどれほどのものか知らぬが、怨霊を呪詛するよりは納得できる。行信が帝に、上宮様の霊が守ってくださる、と言っていたこととも矛盾がない」

「それに上宮様は、今でも仏のように崇める者が多いと聞きます。行信は、上宮様の墓所ともいうような場所を作り、自分が中心となって供養を行うことによって、そういった者たちの頂点に立ちたいのかもしれないと」

「なるほど。尊敬する上宮様を善霊にしてその力を利用すると共に、自分はその上宮様を祀る人々の中心、新しい宗派の教祖になろうというわけか……。行信が供養堂を造った目的は何となくわかった。では、帝が恐れる者たちというのは」

「それについては道々考えてみたのだが……」

 家持が言いかけたその時、家持の腹がクウと鳴った。

「まずは腹ごしらえだ。それからにしよう」

 宿奈麻呂も自分の腹に手をやった。

「賛成だ」

 家持は家人を呼んで、昼食の膳を運ばせた。

 ・ ・ ・ ・ ・

 三人は、気分を変えて食事をした。

「奥方はお元気か」

 宿奈麻呂が家持に訊いた。

「うむ。近頃は竹田の別荘に入り浸っているよ。あちらで畑仕事に夢中のようだ。妻にとって京は退屈らしい」

「なるほど、大嬢殿らしい」

「人生を楽しむことにおいては母親譲りのところもあるかもしれん。ついていけぬよ」

「そんなことを言って、ただおとなしいだけの女は苦手なくせに」

 宿奈麻呂がひやかした。

 ・ ・ ・ ・ ・

 おおよそ食事が済んで、宿奈麻呂が腹をさすっていると、家持が言った。

「先ほどの斑鳩寺の僧侶の話、覚えているか」

「え」

「行信が、供養堂を上宮様の兄弟の子孫に譲るのではないかと言っていたが、おかしくないか」

「私も思いました。行信僧都は兄弟の子孫をよく思っていないはずです」

「僧侶も何か隠している気がした。つまり行信が言っていたのは、兄弟王の子孫ではなく、上宮様本人の子孫のことかもしれない。前に冗談で、橘殿が上宮様の子孫かも、なんて言っておったろう。あながち否定できないかもしれないぞ」

「左大臣、ですか」

「というか、お母上の三千代殿の話だ。三千代殿の供養堂が斑鳩寺にあるし、今回の供養堂も、北家や橘夫人が関わっていた」

「うむ。それには俺も驚いた」

「三千代殿が上宮様の子孫。面白い話ですね。そう言われると、供養堂に関わっているもうひとり、皇太子も三千代殿の孫にあたられる。三千代殿の女系の子孫が勢揃いですね」

「おお、そうだ、その通りだ。では、帝が恐れる者たちとは橘氏のことか」

 宿奈麻呂はポンと膝を打った。

「いや、それは違うと思う。三千代殿の血を引く内親王を皇太子にしているし、恐れているのならわざわざ橘氏の領地近くに京を造ったりしないだろう。三千代殿と上宮様には何らかの関わりはあるかもしれないが、それとは別だろうと思う」

「では一体誰のことだ」

「それでだ」

 家持は、一度咳払いをして話し始めた。

「先ほどの僧侶の話を聞いていて思ったのだが、そもそも、上宮様の一族は全員滅亡したと言われているが、それもおかしな話ではないか。上宮様が亡くなられてから一族が滅ぼされるまで二十年、男の王たちは別宮を構え、女王たちは嫁ぎ、それほど近く付き合っているとは思えない。斑鳩宮が攻められ、一族皆が自尽したと伝えられているが、そのようなことがあるだろうか」

 宿奈麻呂は腕組みをした。

「ううむ、どういう状況だったかわからぬが、まあ」

「俺が知っている話では、時の権力者と反目して、そう、長屋親王の時のように陥れられて、上宮様の大兄皇子が住む斑鳩宮が攻められ火をつけられたが、皆逃げ果せたということだ。その後、一族で話し合いをして、戦うのは多くの民の犠牲を払う、自分たちがいなければ争いは起きない、と、一族全員で自尽した。そのような話だ。おかしくないか。一度は逃げ果せたのだぞ。大兄皇子とその妻子が自尽するのはわかる。だが、一族全員悉くとはおかしいだろう」

「例えば、我が一族で当てはめると」

 と宿奈麻呂は言いかけて後の言葉を飲み込んだ。広継の事件当時のことを思い出したのである。

 式家の嫡男、広継が罪人として斬首刑となっても、広継の子や幼い弟たちには累が及ばなかった。

「……なるほど、ありえぬ」

「普通なら、何とか幼子の命を救う方法を考えますね」

 田麻呂の表情は硬かった。彼もまた、広継と綱手の子供らのことを思っているのだろう。

「そうだろう。せっかく無事逃げ果せたのに、皆で自尽するなどありえぬだろう。普通なら家の存続を考え、子孫を残すことを考える。たとえその後、捕らえられたとしても、全員の命を奪われることはないと思うのだ。長屋親王の時を思い出してみろ。嫡男や妻子は滅ぼされたが、妾の子らは許されている。それから壬申の戦の時もだ。子孫が全員滅ぼされたわけではない」

「まあ、確かに」

「長屋親王の御子たちも今も普通に官職についておられます」

「そう。長屋親王も壬申の戦の時も、その子孫は今も生きている。ならば、上宮様の子孫も許されたと考えてもよくないか」

「ううむ」

「では、上宮様の子孫が今でもどこかに存在する可能性が大いにあると」

「そう、生き残った子孫は、臣籍降下したかもしれないし、例えば男子なら出家、女子なら豪族の妻となり生き延びていると思うのだ」

「だが、出家した男子は子を成せまい。残っているのは女系の子孫だけだろうが」

 宿奈麻呂が異を唱えると、家持が答えた。

「いや、そうとも言えないかも」

 家持の言葉に田麻呂も頷いた。

「出家しても後でこっそり還俗することもできましょう。上宮様を慕う者の中には、そのようなことをして子孫を匿う人間がいても不思議はないかと思います。例えば斑鳩寺だったら」

「ううむ、そんなことができるのか。確かにそういう事情だったら、子孫の存在を大っぴらにできないな」

「想像に過ぎんが、どちらにしても、王族としての地位も名も捨て暮らしているのだろう」

「なるほどな」

 宿奈麻呂はゆっくりと頷いた。しかしすぐに言った。

「だが、もし上宮様の子孫が存在するとして、なぜそれを帝が恐れる」

「そうだ。それで俺は考えたのだ」

 ここからが本題だと言わんばかりに、家持が勢いよく言った。

「そなたら、継体天皇の話は知っているか」

「ええと」

 幼少の頃に学んだ記憶を辿ろうとする宿奈麻呂と田麻呂に、家持は言った。

「その昔、天皇の子孫が全員没し後継がいなくなった時、越前国に住んでいた応神天皇五世孫を天皇家を守る家臣たちが探し出し、即位させたのだ」

「五世孫と言うと、今で言うなら諸兄殿か山村王くらいか」

「もし天皇家の後嗣問題に何かあったら、例えば継体天皇のときのように、違う皇統の子孫を担ぎ出す連中がいてもおかしくない。実際に今、皇太子は内親王だ。その後をどうするか未だ決まっていないし、いや、それまで待たなくとも、近年の天災を帝のせいにして、何者かが反乱を起こすことも考えられる。人気のある上宮様の子孫を担ぎ出し、兵を挙げたらどうなる」

 さらに家持は言った。

「広継殿の時、俺は妙な噂を聞いた。帝が恐れているのは、これに乗じて帝を廃して他の人間を帝にしようとする一派が動くかもしれないと」

 それを聞いて、宿奈麻呂ははっとした。

「そういえば、あの当時、ある方が新しい帝を立てることが必要だと説いておった。皇太子でもないどなたか、心当たりがあるようだった」

「ふむ、噂は本当だったか」

「どなたかは、とうとう聞くことはできなかったがな」

「それはもしかすると、上宮様の子孫のことだったのかもしれないと言うことですか」

 家持は深く頷いた。

「つまり、上宮様の子孫が存在していて、その子孫を皇位につけたいと願う者たちがいると行信が知った。そのことを帝に伝え、そして彼らが上宮様の怨霊を使って近年の天災を引き起こし上宮王家に帝位を取り戻そうとしている、とでも言ったとする。帝の祖父君、父君に続いて帝の皇子が早世していることもあるし、上宮様の祟りだと言われて心当たりがなくはない」

「うむ。帝は恐れるだろうな。特にあの時期は祟りに怯えていた」

「それで、行信は、自分なら上宮様の霊を供養し彼らから帝を守ることができます、と上奏する。更に、上宮王家の子孫を自分が監視すると提案すれば、帝は飛びつきそうな話だ。子孫の存在はできれば他の豪族には内密にしたいところだからな。下手に関わって上宮様の祟りを呼ぶのも恐ろしいし」

 家持の言葉に、宿奈麻呂は唸った。

「ううむ……、行信は祟りだけでなく、帝の座を追われることを恐れた帝の心につけ込んだのか」

 すぐに宿奈麻呂が何かに気付いたように言った。

「ちょっと待て。だとすると、行信は自分の利益のために上宮様の子孫を売ったということか。矛盾してないか。上宮様を崇拝していたのだろう」

 それには田麻呂も同意した。

「私も気になります。上宮様を崇拝していたのならその子孫を帝にしたいと考えていてもいいはずなのに、なぜわざわざ子孫の話を帝に伝えたのか」

「ああ……」

 家持は思案にくれ、あご髭をさすった。

「しまった。行き詰まった」

「わからぬ」

 宿奈麻呂は、ごろんと床に寝転がった。

「兄上」

 田麻呂がたしなめるように言う。

「いいのだ。いつもこうだ。田麻呂殿もくつろいでかまわぬぞ」

「いえ、私は」

 田麻呂は姿勢を崩さなかった。

「田麻呂殿はしばらくこちらにおられるのだろう」

「いえ、明日には飛鳥に戻ろうと思います」

「従兄弟らと顔を合わせてあれこれ言われることが面倒なのだ」

 宿奈麻呂が横になったまま、田麻呂の気持ちを代弁した。

「わかるなあ。俺もそういうのが苦手だからなあ」

 家持が同情するように言った。

「ならば、続きはまた後日、というわけにはいかないか」

 家持の言葉に、宿奈麻呂が横になったまま答えた。

「別にかまうまい。またいずれでも」

「しかしなあ、何だかもやもやして」

「私もこのまま飛鳥に戻るのも、何だか……」

「なあ。行信は、上宮様の子孫をどうしたかったのだろう」

「……つまりは、行信は帝と同様、上宮様の子孫がじゃまだったのだろう?」

 宿奈麻呂が気怠そうに上体を起こしながら言った。

「どうだろう」

 家持は二人の杯に酒を注いだ。

「あ」

 田麻呂が突然声を発した。

「どうした」

 宿奈麻呂が驚いて起き上がった。

「いえ、くだらないことを思いついたのですが、あまりにもくだらないので」

「言ってみろ。この際なんでもありだ。先ほどから俺たちが話しているのも、全て当て推量の与太話だ」

「本当にくだらない思いつきなんですが……。行信僧都がそれほどまでに上宮様を崇拝していたのなら、自分が没した後、先ほど話した木乃伊というものにして、上宮様と一緒に供養堂に祀ってもらおうと考えている、というのはどうでしょう」

「ははあ。おもしろい。なあ、おもしろいじゃないか」

 宿奈麻呂は家持の肩を叩いた。

「うむ。ばかげているが、非常に興味深い。いや、あり得ぬ話ではないぞ。自分を愛する者と合葬して欲しいと望むのと似ている」

「ご自分が上宮様の一番弟子だと豪語しているくらいですから」

「今までの話だと、行信は我らの想像の及ばぬ人物のようだし、それくらいのことを考えるかもしれぬ」

「そうだ。それなら子孫の存在は必要ないわけだ」

「逆に、子孫がいたらそのようなことは許されまい」

「それに、先ほどの話のように、もし出家した子孫が還俗して子を成していたら、行信は僧侶として受け入れられないのではないでしょうか」

「そうでなくても、もし子孫が上宮様と比べ物にならないほどの俗物だったら、そのような子孫の存在は消してしまいたいわな」

「それなら最初から、子孫はいない、ということにする。自分だけが上宮様の遺志を引き継いだ者、か」

「こうして話せば話すほど、行信という人物と会って真意を測ってみたくなる」

 家持はあご髭を引っ張りながら言った。

「斑鳩で会えなかったのは少々残念だったな」

「その内、何か口実を作って会う機会を探ってみよう」

「まあ、会えたとしても、そう簡単に本心を明かす人物ではなさそうだがな」

「私も、飛鳥でまた調べてみます」

「田麻呂、そなたはもうやめておけ。多加も、何かを知ってしまってあのようなことになったのかもしれぬからな」

「……はい」

 宿奈麻呂はふと庭に目を向けた。

 どこからか、甘酸っぱい花の香りが漂ってくる。

「梔子の香が」

 家持も庭を見た。そこには梔子はなかった。

 家持が杯を片手に詠んだ。

「梔子は その花姿は見えねども どこぞに有ると香を漂わせ」

「まるで上宮様の子孫のようですね」

 田麻呂が手を叩いて喜んだ。

「帝は、百年も前に亡くなった御人の影にいつまでも怯えているのだ」

 宿奈麻呂は独り言のように呟いた。

 家持も言った。

「百年も前の影か……。帝だけではない。行信も、上宮様の子孫を祭り上げようとする人々も、皆、同じかもしれぬ」

「何だか、俺たちもその影に振り回されているような気がする」

「俺たちを振り回しているのは帝だけれどな」

 三人は苦笑しながら杯を空けた。

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