「第三章〜7」
五月の節句が過ぎると、宿奈麻呂と家持は休暇を取り、飛鳥に住む田麻呂も誘って斑鳩へ出かけた。
斑鳩旅行の前日、宿奈麻呂が昼に帰宅すると、家持と田麻呂が来ていた。
「早いな」
「俺は仕事が終わったらさっさと帰るのだ」
家持はしらっとした顔で言った。
田麻呂は今夜は宿奈麻呂の邸に泊まって、明日はそのまま斑鳩へ一緒に出かけることになっている。
「で、面白い話とは」
宿奈麻呂が田麻呂に問いかけた。
「文を送ろうかとも思ったのですが、何者かに見られているような気がしたので」
田麻呂が話し始めた。
「南淵の寺で、行信僧都について訊いてみました」
田麻呂は、飛鳥の南淵の庵に住み、付近の寺院に通い学んでいた。
南淵の地は、かつて飛鳥が京だった時代に南淵請安の住んでいた土地である。推古天皇の世、学問僧として隋国に渡った南淵請安は、帰国後、皇子や豪族の子弟に唐で得た知識を教えた。宿奈麻呂と田麻呂の曾祖父、藤原鎌足も、南淵請安に学んだひとりである。
南淵や飛鳥付近には多くの寺院が点在している。平城に京が移される前は京として長らく栄えた飛鳥の地、もとは天皇の宮だった寺院も少なくない。
「行信僧都は南淵で修行していた時期もあったらしく、知っている人間が何人かいました。でも誰も、行信僧都の詳しい出自を知らないのです。元は修験者で呪の術を使えるとかで、しかしその師が誰なのか、どこで修行を積んできたのか、知っている者はいませんでした。ただ、皆が口を揃えて言うには、行信僧都は上宮様を崇拝していた、ということです」
「ふうむ、上宮様を崇拝していたか」
「はい。自分は上宮様の教えを一番理解している、いわば一番弟子だ、と言っていたそうです。以前、京から来た者が天変地異は上宮様の祟りだと言うと、ものすごい剣幕で怒ったとか。上宮様は人民を救うために仏になられたのだ、人民を苦しめるわけがない、と」
「祟りではない、と言ったか。なるほど。上宮様ほどの徳を積んだ方が怨霊になどなりはしない、と思っていたと」
「ええ。ですが、飛鳥では行信僧都を悪く言う人もいるそうです。行信僧都が、上宮様の所縁の人間が墓を作り供養しないからじぶんがやるのだ、と言ったことが、村の長老たちの怒りを買ったようです。上宮様は遺言で、墓を作るなと言ったのだとか。だから、釈迦尊に倣い荼毘に付し、その舎利を所縁の寺や子孫などに配ったのだそうです。今でも上宮様をお慕いする者たちは、上宮様の舎利を祀り、上宮様所縁の寺に野菜や花を届けたり掃除したり、それぞれが供養の心を持ち続けているそうです」
宿奈麻呂は家持を見た。
「なるほど。以前そなたが言っていた、長屋親王が持っていた舎利瓶の話と同じだな」
「行信は舎利を持っているのだろうか?」
「それはわかりません。それから、行信僧都は、上宮様の兄弟王の子孫が斑鳩宮の跡をそのままにしているのが気に入らなかったそうです。特に、来目親王の子孫は、他の兄弟の子孫は皇籍を離れているから仕方がないとしても、来目親王の子孫は今でも王の身分なのに、と厳しいことを言っていたそうです」
「来目親王の子孫。先だっての山村王のことではないか」
「いや、その父親のことだろう。山村王は最近まで無位無官だった」
「その辺はわかりませぬが。そうして話を聞いていると、ある年配の僧侶が近付いてきて、そなたも行信のように出世したいのか、と訊いてきました。何のことか戸惑っていると、律師だった行信は、帝に近付き供養堂のことを上奏して僧都になり、それが完成した今では大僧都だ、と言いました」
「なんと、大僧都となったのか」
「私も驚いていると、世の中には上宮様の名を利用しようとする輩が少なくない、誤解されたくなかったら妙な動きはやめておけ、と忠告されました」
「行信が出世のために上宮様の名を使ったと言うのか」
「私はそう受け取りました。その後、私の周りに不審な者が現れました。京では次の太子を誰にするか決まっているのか、誰が有力なのか、と訊いてくる人や、庵の付近を見知らぬ修験者がうろついていたり。ですから、兄上に文を書くことも控えていたのです」
「上宮様を崇拝する一方で、出世のために利用する。よくわからぬな、行信は」
宿奈麻呂は腕組みをした。




