「第一章〜3」橘諸兄の話
ここで少し橘諸兄の話をしよう。
この橘諸兄という人物、今は橘姓を名乗り人臣として天皇に仕えているが、元は葛城王と言う名の皇族であった。
諸兄の父親は敏達天皇の四世孫の美努王であったのだが、皇族内での地位は高くなく、上位には天武天皇の子や孫世代の皇子、他の皇族たちがいた。
母親は豪族県犬養氏の娘、橘三千代である。三千代は、天皇の尚侍となり、天皇の乳母となり、天皇三代にわたって仕え後宮の実力者として君臨し、ついには橘の姓を天皇からもらうほどの人物だった。
だが諸兄も諸兄の父も、その恩恵を受けることはほとんど無かった。
三千代が諸兄の父と離婚し藤原不比等と再婚すると、諸兄はようやく従五位下の位を得た。それが、諸兄が二十七歳の時である。
特に目立った才能がある訳でもなく、不比等が生きている間の十余年、諸兄の位が上がったのは一度きりだった。
その後、母の口添えで不比等の娘を妻に貰い、自分の娘を不比等の次男房前に嫁がせ、不比等が死んだ翌年ようやく正五位下に昇進したが、その出世は遅かった。例えば同じ頃、藤原宇合は諸兄より十歳も年下でありながら正四位上を貰っている。
不比等の死後は、母三千代の力と、異父妹である安宿媛が皇后となったこともあり、みるみる昇進し、参議(現在の内閣のようなもの)となり従三位となったが、三千代が死ぬと、その昇進もまたぴたりと止まった。何しろ、藤原氏だけでなく、天皇の大叔父である舎人親王や新田部親王、鈴鹿王などの皇族が上位にいるのだ。諸兄にはこれ以上の出世は望めなかった。
若い頃は出世に対してさほどの欲がなかった諸兄だったが、一度権力を知ってしまうと、更なる高位を望むようになってしまっていた。諸兄は、皇族の頂点にあった長屋王の豪奢な邸宅、贅沢三昧の暮らしをずっと横目で見てきた。
しかし、諸兄が出世したい理由は、自分の欲だけでなかった。息子のためでもある。
諸兄の嫡男、奈良麻呂は、もうじき元服となるが、律令の規定により皇族待遇ではなくなる。諸兄が何もしなくても受けられた収入や税の優遇などを受けられないのだ。奈良麻呂は自力で出世していかなければならない。
しかし、藤原氏が牛耳っている政界で息子がどれほど出世できると言うのだ。現に三千代が死んだ途端、諸兄も出世が止まり、参議とはいえ、重要なことは藤原氏で決められ口を挟むことすら許されない。
三千代も生前、可愛い孫のために天皇に働きかけていた。
天平元年に出された「五世王の嫡子以上の者が天皇の孫を娶って生んだ男女は皇親の範囲に入れる」という詔は、正に諸兄の息子のために作られたようなものであった。
三千代も諸兄も奈良麻呂の妻となる皇族を探したのだが、適当な女性を見つけられなかった。適齢の女性が少なかったこともあるが、皇族の娘としては、今後さほどの出世が見込まれない諸兄の息子より、天皇になる可能性がわずかでもある皇子、例えば聖武天皇の皇子、安積親王など、そういった皇族と結婚したいのは当然である。
そうして奈良麻呂の妻を見つけられないまま、三千代が死んだ。
三千代がいなくなると、皇族の嫁探しもいよいよ難しくなってくる。
ならば、なんとか奈良麻呂を皇族に残れるように法を変えてもらうしかない。しかし、どのような理由で帝に上奏したらよいか、どうしたものか考えあぐねているとき、出会ったのが下道真備(後の吉備真備)であった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
下道真備は、この国随一の秀才と言われる人物である。地方の下級役人の子でありながら、二十歳の時、成績優秀の留学生として唐に渡り、十数年間様々な学問を学び、天平七年に帰国した後は、その知識量は誰も並ぶこと無いと言われていた。
諸兄と真備が出会った時期、真備は大学で学問を教えていた。
諸兄は、国一番の秀才と言われながら、藤原一族には評判が良くない真備に興味を持った。
「ならばいっそ、葛城王(諸兄)も皇籍を捨てたらよろしいのではないですか」
真備は、淡々と言った。
「何、皇籍を捨てる」
諸兄は腰を抜かさんばかりに驚いた。
「私が皇籍を捨てるとは。息子に皇籍を得ることを相談しているのに」
「逆の発想です。一つにとらわれると、最善策を見失います」
「しかし、なぜ」
「ご説明いたしましょう。何事も現状を把握することから始まります。まず、貴方様は、十分な地位も収入も手に入れており、皇籍を離れても何ら生活に支障が出ません」
「うむ、まあ」
「一方で、皇族でいる以上、これ以上の出世は見込めません」
「いやいや、そんなことはなかろう。舎人親王も新田部親王も、高齢だし、いずれは」
「甘い」
真備は諸兄の言葉を遮った。
「現状認識が甘いと申しておるのです。他の親王方の子孫が貴方様の出世を望むでしょうか。皇族とて地位の奪い合い。貴方様のご子息がこのまま皇族で無くなるというなら、それはありがたいことと思っているのではありませんか。ご子息との婚姻を望む皇族がいないというのはそういうことでしょう」
「……」
「皆、自分の子孫が大事なのです」
「ならば、私がもっと出世して、息子に良い位を与えられるようにするか」
「それも果たしてどうでしょうか。藤原氏が中枢にいる以上、貴方様がこれ以上出世するのは困難きわまりないと思われます。たとえ運良く貴方が皇族として出世しても、藤原氏はじめ豪族はもとより、他の皇族がよく思わない。帝さえ、自分の子孫の地位を脅かす者として貴方を警戒するでしょう。長屋親王の二の舞とならぬとも限りませぬ」
「うぬう」
諸兄は唸った。
「臣籍に下れば、少なくとも帝は警戒を解き、貴方を信頼なさるでしょう。皇后とは異父兄妹の間柄、その貴方が臣下となり帝に忠誠を誓えば、帝は大いに喜び、重んじるはずです」
「なるほど」
「臣籍ならば、藤原氏のように際限なく出世できます」
「際限なく出世できる」
諸兄は、改めて真備の知恵に感服した。
そして諸兄は、真備の言葉に従って、弟と共に臣籍に下り、帝から母と同じ橘の姓を賜った。
真備の言った通り、帝は非常に感激したのだった。
その後、諸兄は真備を自分の政治顧問として雇うことにした。
「そなた、出世がしたいか」
諸兄は真備を呼ぶと言った。
真備は、諸兄が自分の頭脳を利用したいのだと感じた。ならば、自分が諸兄を利用してやろう。
真備はまっすぐ諸兄の目を見て言った。
「はい。出世しとうございます」
諸兄は満足そうに頷いた。
「私も出世したい。どうだ、私に協力しないか。私が出世したら、そなたの地位も引き上げてやろう」
真備は諸兄の、敬意の微塵も感じられない物言いに失望した。
彼もまた、身分が低い家の出だからと真備を蔑んでいた藤原一族や他の貴族たちと同類だ。
唐の国では、知識者が重んじられ、三顧の礼を持って迎えられる。
この国へ帰って来たらどうだ。知識や能力を軽んじ、血統や身分が全てだ。どんなに頭が良くても優れた技能を持っていても、生まれが賎しければその能力が正当に評価されることはない。
何の為に遣唐使となって勉強したのか。何の為に遣唐使を送るのか。
この国はまだまだ蛮国なのだ。
ならば、自分が出世して前例を作り、後輩のために道を作ってやる。
真備は、そんな心の内を微塵も見せずに諸兄に従った。
その後は真備でさえも予想しなかった事態となり、諸兄は右大臣に任命された。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一昨年、国中を恐怖のどん底に陥れた疫病が収まると、帝は政府を立て直しにかかった。何しろ都の官人の三分の一に近い数がいなくなってしまったのである。政治中枢の最高位と言える右大臣には、死んだ藤原武智麻呂の代わりに、橘諸兄をすえた。また、武智麻呂の長男豊成を参議に任命するなど、死んだ人間の嫡男などを中心に取り上げ、新政府を作っていった。
右大臣となった橘諸兄は、上機嫌だった。
何もせずに、右大臣の座が転がり込んできたのである。
藤原氏が権勢を振るう世で、諸兄が右大臣という地位に就くなど、誰も、諸兄自身さえも想像していなかった。運が強かったとしか言いようがない。何しろ政府高官で生き残ったのは、長屋王の弟である鈴鹿王と諸兄、ただ二人だけだったのだから。
「もう、藤原氏の世は終わりだ。これからは、私の時代なのだ」と豪語するほどに、諸兄は浮かれていた。
右大臣になって一ト月ほど経った日、諸兄は真備を邸に呼んだ。
諸兄が右大臣に任命されても、真備の昇進は無かった。
「今日、帝から、阿倍内親王を皇太子としたい、と言われた」
阿倍内親王は、聖武天皇と光明子皇后との娘である。皇后が生んだ唯一の男子である基王が早世したため、若い女性の身でありながら強引に皇太子に立てられようとしているのだ。
真備は、諸兄の言葉にも動じなかった。
「おそらくは、皇后のご意向でしょう。皇后はまだ皇子を生むつもりではおられるようですが、年齢を考えるとそれも難しい。とりあえず実の娘の阿倍内親王を皇太子にして、皇子の誕生を待つのでしょう。もし皇子が生まれなくとも、娘が帝になればご自身の地位は安泰」
落ち着いた真備の口調に、諸兄は少々苛立ちを感じた。
「そんなことはわかっておる。問題は、どうしたら、阿倍内親王を皇太子にすることを阻止できるかということだ。安積親王というれっきとした皇子がいるのだ。なんとかして安積親王を皇太子にしたいのだ」
天皇には、他の妃、県犬養広刀自との間に息子と娘がおり、その長男が安積親王である。皇后との間に生まれた皇子は早逝し、他には阿倍内親王という娘がいるだけで、他の妃にも男子はいない。本来なら長男である安積親王を皇太子とするべきである。
県犬養広刀自は、諸兄の母、橘三千代の縁戚の娘である。
阿倍内親王も諸兄の姪になるのだが、そもそも皇后は藤原家の娘という意識が強く、諸兄の異父妹であることをほとんど意識していない。
父、不比等の家で教育を受けたせいであろうが、手紙や歌の署名に「藤三娘(藤原家の三女の意味)」と書くほどに、藤原家に染まっている。自分の娘にも、藤原家の一員としての教育をしているかもしれない。
諸兄としては、藤原氏を後ろ盾とする皇后の娘の阿倍内親王より、母の縁戚にあたり自分が操れる可能性がある安積親王の方が都合がよかったのだ。
それに、他の皇族や群臣からも、女性である阿倍内親王よりも安積親王を皇太子とすべきという反論が出るに違いない。
過去、聖武天皇が皇子の時に立太子する時も、安宿媛を皇后にする時も、大変な反発があった。それを藤原氏が力で押さえつけてきたのである。果たして自分がそれをできるかどうか、不安であった。
「大体、娘を皇太子にするなど聞いたことが無い。皇子がいるのにだぞ」
「かまわぬではありませぬか」
「何」
真備に、諸兄の思惑がわからないはずがないのに、なぜ。
「かまわぬではありませぬか。皇后は、ここ十年以上お子を生しておりませぬ。玄昉の話によると、帝は流行病が蔓延したこの春頃からは、ほとんど皇后と寝屋を共にしていないということです。皇后もそう若くはない、この先、皇子を生む可能性は高くないと考えていいでしょう。皇子が生まれなければ、いずれ安積親王に皇位が回ってくるのは必定。阿倍内親王が即位したら、安積親王を皇太子にせざるを得ないのですから」
「しかし、だ、皇后が皇子を生まなくても、阿倍内親王が婿を取るかもしれぬぞ」
「一体誰を。阿倍内親王が婿を取ることは不可能でしょう」
「なぜそう言える」
「皇太子の婿となるとそれなりの血筋の皇子でなくてはなりませぬ。そんな皇子を婿に迎えれば、その親兄弟が大きな力を持つでしょう。帝も皇后も、それは歓迎しない。第一、皇族の婿を取るくらいなら、始めからその皇子を帝にすればいいとの声も上がりましょう」
「なるほど。だったら、皇族でなく、豪族の婿を取れば」
「笑止千万。安宿媛様を皇后とする時だって、藤原氏の権勢をもってしても、皇族や群臣の反発があり非常に困難でした。そのようなことは、まかり通りませぬ」
「うぬう、ならば」
「ですから、こちらは安心して阿倍内親王を皇太子にしてしまえばいいのです。阿倍内親王が帝になっても、結婚できず、子を成すこともできない。黙っていても、いずれは安積親王に皇位は回ってきます。今、無理矢理、安積親王を皇太子にしようとしても、無駄に皇后の反感を買うばかり。この要望、素直に聞き入れるが得策と存じます」
「ううむ」
諸兄は、真備の言葉に唸った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
諸兄の邸を下がった後、真備は一人、呟いた。
「皇后はよほどあせっておられるようだな」
諸兄には言わなかったが、真備には、皇后が今、余裕を無くし、自分の保身しか考えられなくなっていることが感じられた。
賢明と噂高い皇后なら、娘を皇太子にしたら、娘は一生結婚できないことくらいわかっているだろう。その後の皇位継承に支障が生じる事もわかるはずである。
それでも、娘を皇太子にするとは、この国のことや娘の将来のことなど考えられなくなっているほど、あせっているのだ。
皇后になるにあたっても反対が多かった彼女は、政府高官の兄たちがいない今、皇后の座から降ろされることだってあり得なくはないと心配しているのだ。
天皇の後継である皇子を持っていない安宿媛皇后は、皇后でなくなればただの豪族の娘とさして変わらぬ。今まで藤原氏に踏みつけられてきた他の氏族の者たちに、この先どのような仕打ちを受けるかもしれぬ。
例えば、もし安積親王を皇太子にしたら、県犬養広刀自との地位が逆転する。いずれ帝が死に、安積親王が即位したなら、さらにその差は歴然とするだろう。
しかし、皇后が自分の娘を皇太子にすれば、その生母である自分の地位は安泰である。娘が天皇になれば、自分も皇太后としての権力は保持できる。いずれ、娘が死に、後継者が問題となるだろうが、その時には、光明皇后だって生きてはいまい。
自分が生きている間の保身しか考えていない皇后の気持ちを想像し、真備は少々落胆した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そうして阿倍内親王を皇太子とする詔が昨年の正月に出され、混乱していた政治も、諸兄右大臣政権の下で、だんだんと落ち着いていったのである。