「第二章〜6」
その後、宿奈麻呂は家持に宣言した通り、職務に励みまじめに生活していた。
宿奈麻呂も家持同様に単身赴任であったが、月に一度は妻子の住む平城京の邸に帰り、娘の成長を楽しみに暮らしていた。少しづつではあるが、堅実に生活を建て直していった。
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一方で社会情勢は一向にに良くならなかった。
恭仁京遷都は国民の大きな負担となっていた。
土地を造成し、宮城や住宅を造り、町人を移住させる遷都事業は莫大な労力と資金を費やした。土木工事にかり出された人民は疲弊し、やがて政権に対する不満が高まっていった。ただでさえ数年前の疫病で働き手が減少し、天候不順で食糧が不足しているところである。農村の働き手の男子が新京造りに取られため農作業の効率は落ち、収穫は減り、国民は貧しくなる一方だった。
また、天平九年の疫病災難から始まった天皇の物憂いが、広継の事件によって更に不安定になっていた。
広継の事件の直後、不幸から逃れるために平城京を出た天皇だったが、恭仁京に遷都しても心の平安は得られなかった。
元々、祖母や叔母、藤原一族に守られて育った天皇は、精神的に脆弱なところがあった。聖武天皇の即位に対しても、他の皇族や藤原氏以外の豪族からはよく思われなかったのを外戚である藤原氏が守ってきたのだ。その身内同然の藤原氏の中から反逆者が出たことは、天皇に大きな衝撃を与えた。天皇は、自分に兵を挙げる人間がいることを初めて知った。天皇の座から引き摺り下ろされ、殺され、全てが奪われる危機を実感した。
行幸や新京造りで気が紛れているときはいい。しかし、宮にいると、また不幸が襲ってくるのではないか、自分の身近な者たちが死ぬのではないか、広継の事件の時のように何か恐ろしいことが突然起きるのではないか、そんな不安に心が浸食されていくのだ。
恭仁京の美しい景色も、天皇の心を癒すことはできなかった。京内では常にどこかしらで建設作業をしていた。宮城もなかなか完成せず、疲れた顔の工人たちが行き交っていた。
「騒がしいのお」
聖武天皇は、京内に響き渡る鎚の音に耳を塞いだ。
「だいぶ京らしくなってきましたな」
右大臣橘諸兄は、満足そうに言った。
「ここではない……」
静かな山間の地も、人が増えると趣が変わっていった。恭仁京の狭い大路では余計に人混みが窮屈に感じるようになった。
「は?」
橘諸兄が聞き返した。
「しばらく紫香楽宮に行く」
恭仁京に遷都した翌年、まだその宮城が完成しないうちに、天皇は更に山奥へ入った紫香楽に離宮を造ることを命じた。
ただでさえ、恭仁京造営が人民の負担となっていたところへ更なる離宮造営である。費用がかさみ国の財政を圧迫していても、天皇は意に介さなかった。
しばらくすると天皇は紫香楽に京を作りたいと言い出した。さすがにそれは諸兄をはじめ公卿たち皆が反対し、あきらめたのだが、その代わりに行幸の回数が増えていった。
「またでございますか。そう度々、紫香楽宮に行幸なさっては、皆も忙しゅうございます。しばらくはこの恭仁京に落ち着いて政を執ってくださると……」
天皇は紫香楽離宮に度々行幸し、長いときは四ヶ月もの間、紫香楽に滞在した。その度に大勢の供を連れて行くのだから不経済であったし、国政に集中することもできなかった。
「ならば、そなたは恭仁京に残れ。ここで日々の仕事をせよ」
紫香楽宮造営は、諸兄の想定外のことであった。
諸兄の敵は、藤原氏だけだと思っていた。藤原氏から政権を奪ってしまえば、天皇を自分の意のままに動かせる、自分の望むような世の中になる、そう思っていた。
だが、それは間違いだった。むしろ歯止めが利かなくなった天皇は、諸兄の理解を超え、もはや諸兄には制御できなくなっていた。
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「度重なる宮の造営で、人民は疲弊しています。父上は一体どう思っておられるのですか」
右大臣橘諸兄の嫡男、奈良麻呂は、父と二人きりの時に強い口調で言った。
奈良麻呂は、周辺の貴族たちが父に不満を持っている空気を感じていた。
「帝が望んだのだから仕方がない。勅命だと言われれば、我らはそれに従うしかなかろう」
「しかし、父上ならお諌めすることだってできるはず」
諸兄も彼なりに天皇に意見を言った。しかし、その結果、紫香楽行幸の際には諸兄は恭仁京の留守居を命じられることになったのである。
「そなたは若い。いずれ自分が大臣になった時にわかると思うが、お身体の状態が思わしくない帝に、意見を言うのは難しいのだ」
奈良麻呂は唇を噛んだ。
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皇后も困っていた。
彼女の耳には人々の不満の声が入ってきていた。そんな不満を抑えるために、官人たちの官位を上げるよう天皇に提案したのも彼女だ。
この五月、官人たちの官位が一斉に引き上げられ、藤原南家の豊成は従三位の中納言、仲麻呂は従四位上の参議となった。橘諸兄は従一位の左大臣となり、豊成らの祖父藤原不比等の生前の位を越えた。同時に下道真備の官位も従四位下に上げられた。
天皇が紫香楽離宮に行っている間、皇后は恭仁京の皇后宮に藤原仲麻呂を呼んだ。広継の事件以来、皇后はすっかり仲麻呂を頼るようになっていた。
「帝は、立派な平城京をそのままにして、山奥の地をあちらこちらへと落ち着かず。いつまでこのようなことが続くのでしょう」
愚痴を漏らすほどに、皇后は仲麻呂を信頼していた。
「私はもう、帝が何を考えているのか、わからなくて」
皇后は科をつくって言った。
普段は気丈夫な皇后も、仲麻呂と二人きりになると途端にたおやかに振る舞う。聖武天皇と同い年、四十歳を過ぎた皇后は、美人ではないが気品ある色香を保っている。
「皆も不満に思っているであろうことは、私にはわかります。でも、帝には」
「皇后のご心労、お察しいたします。皇后は常に帝をお支えし、臣や民を気遣い御心の休まるときがないでしょう。もっと側に仕える者が皇后のご負担を軽くするよう配慮せねばならぬのに」
「兄上たちがいれば、もっと違っていたのかもしれないと思うと」
「いいえ、私どもの力不足のせいです。私がもっと力をつけていれば、皇后にこのようなお辛い気持ちにさせずに済んだのです。皆、私ども臣下の責任なのです」
「おお、仲麻呂殿、そなたは優しい。どうか、これからも私の、いえ帝の力になっておくれ」
皇后は、いつしか仲麻呂の要望も聞き入れるようになっていた。
下道真備が皇太子の教育係となったのも、真備を橘諸兄から遠ざけておきたい仲麻呂の意を汲んだものである。下道真備は東宮学士に叙任され、諸兄の政治顧問の職を辞した。
諸兄が左大臣となり、真備が自分とたいして変わらぬ従四位下となったことは仲麻呂は気に入らなかったが、一切態度には出さなかった。
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このような状況を、他の貴族たちは黙って見ていた。下手に動いて事態を悪化させれば責任をとらされるし、政権に不満を持っていても行動を起こせないでいた。
宿奈麻呂の叔父の乙麻呂もその一人である。
宿奈麻呂は恭仁京での単身暮らし、乙麻呂の邸には時々顔を出し夕餉を共にしていた。
「このままでは橘殿は危ういかもしれないな」
乙麻呂は言った。
「皆、それを待っているのだろう。この状態がそう長く続くとは思えぬ」
宿奈麻呂は、広継が以前から諸兄の政治力を批判していたのを見てきているが、今、正しかったのは広継だと感じていた。そう思っているのはおそらく宿奈麻呂だけではないだろう。
「上皇は一体どうしているのでしょう。何も言わないのでしょうか」
上皇は、聖武天皇の伯母であり、彼女なら天皇を諌めることができるはずだ。
「何をお思いになっているのかわからぬが、言えない、というのが正直なところではないだろうか」
「言えない」
「思うに、帝の健康状態は思ったより悪く、何か意見して悪化させてはならないと精一杯なのではないか」
「そんなにお悪いのですか」
「ううむ、何とも言えぬ。本当は位を譲ってのんびりと隠居生活をしたいのであろうが、このような時期に若い皇太子に譲るわけにはいかないと思っておられるのだろう。後継のこともまだ決まっておらぬからな。帝もお辛いのだろう」
現在、皇太子は阿倍内親王である。世が混乱している時期、若い娘に位を譲って自分の荷を降ろすことは、天皇としても親としてもできないと考えているのだろう。また、彼女が即位した時の後継を決めてからでないと、このような時期、何が起こるかわからない。
宿奈麻呂は、帝に田麻呂の姿を重ねた。
田麻呂は辛い現実から逃げ山中に籠った。帝も、何もかも捨てて逃げ出したいのかもしれない。しかしそれをしないのは、まだ帝としての矜持が残っているのだ。




