「第二章〜4」
あちこちへの挨拶も一段落した数日後、田麻呂が話があると言ってきた。
「私、僧になって父上や兄上の菩提を弔いとうございます」
宿奈麻呂にとって青天の霹靂であった。
考えてみると、自分でさえ流刑地で、このまま京に帰らず暮らしたいと思ったほどである。繊細な田麻呂が同じように思っても不思議ではない。
「京を離れ、山中の寺へ籠り修行したいと思います」
「いや、待ってくれ」
宿奈麻呂は慌てた。
ここで田麻呂までいなくなったら、自分ひとりが式家の全てを背負わねばならなくなる。下の弟二人が成人するまでまだ数年かかる。
「僧になってはならぬ。年が明ければそなたも位階を貰える。今、そなたが僧になっては困るのだ」
田麻呂は、年が明ければ二十一歳となり、蔭位で六位の位階を貰えることになっている。細かいことではあるが、今の式家には、田麻呂のそのわずかな位封さえも惜しいのだ。
「それはわかっております。でも私は、このような権謀渦巻く政治の世界で生きていく自信はありません。もう、政とは一切関わりたくないのです」
田麻呂の決意は固かったが、宿奈麻呂も引かなかった。
「そなたが官職に就かなくとも構わない。だが、僧になることだけは許さぬ。これは式家の長としての命令だ」
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その後、年が明けないうちにと、宿奈麻呂は恭仁京の豊成の邸を訪ねた。
恭仁京へは、平城京から歩いて二、三刻(十〜十五km程度)ほど、馬ならもっと早い。叔父の乙麻呂が恭仁京へ引っ越すと言うので、宿奈麻呂も一緒について行った。
初めて行く恭仁京は、土地が広く整備された平城京と比べると遥かに狭く、山間の離宮の周辺を無理矢理切り開いて造成した感が否めない。宮城も、大極殿さえまだ完成していない状態であった。
平城に京を造るときは約三年かけて土地を造成し街を造った。今回は、天皇が「ここに京を造る」と言ってからまだ一年も経っていないのだ。
豊成の邸も、兵部卿という地位に似つかわしくなく、使用人の家かと思うほど狭かった。
豊成は広継のことは何も言わなかった。
「これからそなたがしっかりして、藤原式家の名に恥じないよう、努めるのだぞ。そなたの官職については私からも皇后に頼んでみるから」
宿奈麻呂の帰京を喜んだものの、豊成の顔色は良くなかった。彼もまた、突然の遷都に振り回され、橘政権の中で苦労しているようだった。
その日、宿奈麻呂は乙麻呂の邸に泊まった。
翌日は恭仁京で単身暮らす大伴家持の邸を訪ねてみたが、案の定、内舎人の仕事で留守だった。家持には会わず、そのまま宿奈麻呂は平城に帰って来た。
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年が明けると間もなく、田麻呂は、興福寺の僧の紹介で飛鳥の南淵の寺近くの庵に移り住み、隠居生活を始めた。
田麻呂は、平城京の自分の邸を妹たちのために使ってくれ、と言った。
「いつか、父上や兄上のために供養堂を造ります」
そう言って田麻呂は京を出て行った。
「供養堂……」
宿奈麻呂の脳裏に上宮太子の供養堂のことが浮かんだが、一瞬で消えた。今はそのようなことに気をとられている状態ではないのだ。以前のように気楽に遊んで暮らせる身分ではない。早々に官職に就き、生活を建て直さねばならないのだ。
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そうして宿奈麻呂が何とか少判事に任官できたのは、春四月のことだった。
恭仁京に狭いながらも土地を与えられ、仮住まいのような家も建てることができた。家族を呼ぶことはまだできないが、宿奈麻呂は徐々に堅実な生活を築いていった。




