表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/49

「第一章〜2」

 宿奈麻呂の邸は右京の南方にあり、宿奈麻呂が成人した時に亡き父から貰ったものである。父は生前、別邸の敷地を区分けして、息子たちが成人するとそれらの土地に家を建て与えていた。

 息子たちが全員成人する前に父が死んだため、父の代わりに長男の広継が弟たちにそれらの敷地に家を建ててやっていた。

 宿奈麻呂は、二十一歳に従六位下の官位を貰った時、官位に応じて与えられた邸も持っていたが、そちらは別邸とし、ほとんどの時間を父から貰った邸で過ごしていた。この邸で妻と一人娘、それに数人の家人と暮らしていた。



 興福寺でのちょっとした出来事で、なんだか楽しくなり鼻歌を歌いながら宿奈麻呂が邸へ戻ると、部屋では大伴家持が酒を飲みながら待っていた。

「すぐに戻るというから、先にやってたぞ」

 家持は自分の家にいるようにくつろいでいた。


 家持は、前右大臣大伴旅人の長男で、今年二十二歳、宿奈麻呂より二歳年下である。宿奈麻呂の母方の叔父、石上乙麻呂の紹介で知り合った。

 宿奈麻呂と同様、家持も子供の頃に母を亡くし数年前には父も亡くしていて、似た境遇であるのだが二人には違いがあった。

 生まれたときから権力者藤原一族の一員として都で何不自由なく暮らしてきた宿奈麻呂に対し、父が藤原氏と反目し合って太宰府に左遷させられ慣れない地で母を亡くし苦労して育った家持。

 家持のほうが年下であるのに大人びているのは、そんな事情もあるのかもしれない。

 家持の父を左遷したのは宿奈麻呂の祖父、藤原不比等であったが、家持と宿奈麻呂はそのようなことを気にせずつきあっていた。



「また物好きの血が騒ぎだしたか」

 興福寺での出来事を、目を輝かせて話す宿奈麻呂に、家持はあきれた顔をした。

「面白いではないか。上宮様と言えば、もう百年以上も前に亡くなった御方だ。なぜ今になって供養することになったのだ。なあ、興味を引くではないか」

「どうせ、この数年の天災、上宮様の祟りに違いないと、どこかの陰陽師が言い出したに違いあるまいよ」

 家持は言った。

「長屋親王ならばわかる。親王が亡くなられてから我が父を含め主だった重臣が大勢死んだのだからな。しかし、上宮様は関係ないだろう」

「そなたは本当に恐れ知らずだな。皆が忌み嫌って口にしない御方の名前を平気で口にする」

「俺は怨霊も神も仏も信じていない。死んでしまったらそれで終わり、生きている人間が全てだ」

「まあ、俺も怨霊など信じてはいないがな。確かに、他にも祟りそうな方がおられるだろうに、なぜ大昔の上宮様を、と不思議に感じるところではあるが」

「そうであろう」

 宿奈麻呂は持っていた匙で、ポンと膳の縁を叩いた。

「何か裏があると思わぬか」

 家持は咳払いをした。

「そなた、そのようなことに気を取られている場合ではなかろう。おかしなことに首を突っ込んで、また橘殿ににらまれたらどうするのだ。広継殿が都を離れた今、そなたががんばって式家を盛り上げて行かねばならぬ時に」

 宿奈麻呂の兄、広継は、昨年末から都を離れ遠い太宰府に赴任している。

「そなたが日頃、叔母上に言われてるからって俺に言うなよ」

 宿奈麻呂は、軽く笑って言った。

「俺はそなたと違って次男坊だ。式家のことは広継ががんばってくれるさ」

「広継殿はお元気か」

「うむ。先だっても便りがあった。だいぶ腐っておるようだがな」

「太宰府もさほど悪い所でもないぞ」

「俺もそう言ったんだが。大体、兄は苦労知らずなのだ。そなたなど、もっと若い時期から苦労してるのに、なあ」

「そなたが言うか。都を出たことが無いくせに。何、広継殿なら人望も厚い。どこに行っても大丈夫さ。広継殿ほどの方、そのうち帝も都へお戻しになる」

「帝はよいが」

 宿奈麻呂の顔に翳りが落ちた。



 時は聖武天皇の時代、天皇に次いでの権力者は右大臣、橘諸兄である。

 数年前までは、藤原家の権勢は永久に続くものと思われていた。しかし、一昨年、宿奈麻呂の父ら藤原家の中枢にいた四兄弟が全員死に、その隙に橘諸兄が入り込むと、藤原家も以前のようにはいかなくなった。跡目を継いだ藤原四家の男子では、南家の豊成が一番年上で三十四歳、一方、橘諸兄は五十四歳と、さすがの藤原家でも太刀打ちできるものではなかった。


 藤原広継は、宿奈麻呂と同じ父母を持つ兄である。父は藤原不比等の三男である宇合、母は前左大臣の石上麻呂の娘という、生まれながらの貴族だ。

 藤原式家の嫡男として生まれ育った広継は、幼い頃から藤原家の英才教育を受け「切れ者」と評判高かった。

 父親の死後、式家の長となった広継は、二十代半ばで倭守(現在の東京都知事相当)に抜擢されるなど、末は右大臣間違いなしと噂されるほどだった。

 それが、昨年末に突然、遠い太宰府に赴任させられたのだ。左遷の他なんでもない。

 右大臣橘諸兄が政治顧問とする吉備真備と僧玄昡を、さらには藤原氏に替わって政権を掌握しようとしている諸兄の政治姿勢を広継が批判したからだ、と皆言っている。

 そのせいなのか、宿奈麻呂も二十四歳となるのに一向に官位が上がる気配もなく、官職にも任じられない。


 二十一歳の時、蔭位の制によって従六位下に叙せられた宿奈麻呂は、今、少ない位禄(官位に対して支払われる俸給)と両親の遺産で暮らしている。

 蔭位の制とは、父や祖父の官位によって、その子息は二十一歳になると自動的に決められた官位を与えられる制度である。父や祖父が高位であればあるほど、その子孫が受ける恩恵は大きい。

 藤原氏の場合、不比等が贈太政大臣、その息子達も位が高かったため、宿奈麻呂も、兄の広継も、他の従兄弟も皆、蔭位によって高い官位を与えられている。

 他の貴族も同様に、例えば大伴家持も父の蔭位によって正六位下に叙されている。


 本来なら六位の位禄だけでは、今の宿奈麻呂や家持のような贅沢な暮らしはできない。官職に就いていない場合、六位の位禄は家族を養うのがやっとという額なのだ。そういった人々の中には、田畑を持ちそこから収入を得たり、庭で野菜などを作ったりして生活を支えている者もある。


 それに対して五位以上は貴族と呼ばれ、国から位田や位禄、位分資人という使用人も支給される。六位以下にはそれらは与えられず、職封なども含めると、五位の収入は年間で六位の五倍にもなる。

 二年前の疫病で、宿奈麻呂の父や伯父、高位の役人たちが多く死んだ直後、その子供達は一斉に位階が引き上げられた。

 宿奈麻呂の兄広継もその時に従五位下に叙された。それには、このように六位と五位の大きな差があったからである。


 とはいえ、藤原氏などの上流貴族は恵まれていた。下位の役人は、従八位から始まり一生かかっても六位がやっとという人間が多いというのに、貴族の子息は、始めから六位前後を与えられるのである。そこから出世するのだから、貴族の子は貴族、と続いていくのである。


 今、宿奈麻呂が妻子共々、何一つ不自由なく遊んで暮らせるのも、祖父不比等と父宇合、そして子供の頃に死んだ母の遺産のお陰である。

 父の遺産である位田や位封、位階資人は、死後六年をすぎると官に接収されるが、父や祖父の功田や功封については永久に私有が認められ、そこから毎年収入がある。

 それらの遺産の半分以上は、嫡子である広継が相続し、残りを他の兄弟で分配したのだが、それでも、宿奈麻呂が相続した分の収入は、今の宿奈麻呂が貰っている位封よりも断然多いのだ。

 あと四年もしたら、父の遺産の内、位階分は貰えなくなるが、それまでには自分も従五位くらいには出世できるだろうと宿奈麻呂は考えていた。

 しかし、兄の広継は、太宰府に左遷されたまま帰ってこない。どうやら式家は、右大臣橘諸兄に睨まれているらしい。



 その頃、右大臣橘諸兄の別荘では、諸兄の政治顧問の下道真備と相談役である僧玄昉が密会していた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ