「第二章〜2」
宿奈麻呂が流刑先から平城京へ帰ってきたのは、天平十三年(西暦七百四十一年)の初冬の午後だった。
天平十三年(西暦七百四十一年)九月、恭仁京に遷都した理由で大赦の詔が出された。それによって、流罪となっていた藤原宿奈麻呂や田麻呂、他、多くの罪人が赦免されたのである。
帰京した宿奈麻呂が目にしたのは、閑散とした平城京の姿であった。
「お帰りなさいませ」
宿奈麻呂が約十ヶ月ぶりに自分の邸に帰ると、家人頭の夫妻が涙を流して出迎えた。主人が留守の間、彼らも式家の落日を悲しみ、辛い思いを耐えていたのだろう。
「宿奈麻呂様がお帰りになりましたあ」
家人頭が邸中に聞こえるような声を上げると、奥から妹たちや家人たちが相次いで出てきた。
妹たちも、両手を床について大人びた態度で挨拶をした。
「兄上、お帰りなさいませ」
「そなたたちにも心配をかけたな。何事もなかったか」
旅の支度を解き、身体を拭いて着替えると、宿奈麻呂はようやく人心地がついた。
「もうこれで兄上の流罪は許されたのですか」
一番下の妹がしっかりした口調で言う。少女が大人になるのは早いことを宿奈麻呂は感じた。
「うむ。そなたたちもさぞ心細かったろう。もう大丈夫だ。これからは、この兄が面倒を見る。何でも頼っておくれ」
宿奈麻呂は、広継がいない寂しさを感じさせないように言った。
宿奈麻呂が湯を飲みひと息入れていると、先に帰京していた田麻呂が現れた。家人が気を利かせて知らせたようだ。
「兄上、ご無事でのお帰り、真によろしゅうございました」
田麻呂は、元々線が細かったのがさらに細くなった気がした。
「そなたも無事で何よりだ。いろいろあったが、これからは、この兄を助けて式家の復興に尽力してくれ」
「そのことなのですが、兄上……」
田麻呂が何か言いかけた時、下女が酒と肴を運んできた。
「まあ、その辺の話は追々しよう。とにかく今日は疲れた。しばらくは寝て暮らしたい気分よ」
「大変な旅でしたでしょう。私もこのような長旅はしたことがなかったので、身体が痛くなりました」
「まったくだ。流刑地の暮らしより行き帰りのほうがよほど辛かった」
田麻呂と流刑地での話をしているうちに、食事の仕度が整った。
その日はそのまま、田麻呂と兄弟姉妹揃って食事をした。
久しぶりの我が家でくつろぎ、宿奈麻呂は安心しつつも、今後のことを考えると憂鬱でもあった。
・ ・ ・ ・ ・
流刑地での暮らしは、ある意味、気楽だった。
流刑とはいっても、小さい家を与えられ下人もつき、生活は質素だったがさほど不快な暮らしではなかった。日中は近隣の住民や下人と囲碁をしたり、簡単な庭仕事をして過ごした。
身分が高い人間に対する流刑は、精神的な罰である。京から遠く離れた地で、世の動向もわからず自分ひとりが置いていかれる疎外感、元の地位に戻れるかという不安感、それらを与えるための流刑であった。
宿奈麻呂がこうして流刑地にいる間、世の中は移り友人たちは出世していくだろう。
しかし、当時の宿奈麻呂にとって、その時間は苦痛ではなかった。京より時間が穏やかに流れているような田舎暮らしは、広継の事件以来、休まることのなかった宿奈麻呂の心を癒すには最適だった。
宿奈麻呂は努めて京のことを考えないようにしていた。
ここへ来るまでの数ヶ月間は、自分が自分でないような辛い日々が続いていたのだ。京へ戻れば否が応でも厳しい現実を突きつけられる。とにかく今は、心も身体も休めてのんびり過ごそう、そう思っていた。かりそめではあったが、平穏な暮らしを送れることが嬉しかった。
この暮らしがいつまで続くのかわからなかったが、正直なところ、宿奈麻呂は、このまま一生ここにいてもかまわない、京に戻りたくない、という気さえしていたのだ。
それでも宿奈麻呂は京に戻ってきた。




