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「第一章〜20」

 翌日になっても、何の連絡も来ず、京も静かだった。

 昼過ぎ、市場が開く時間になって、家人に、市場へ行くついでに人の話を聞いてくるよう申し付けた。

 宿奈麻呂は、今か今かと家人の帰りを待った。いっそ、自分が市場に行こうかと思ったほどである。

 一刻もすると、家人が帰ってきた気配がした。宿奈麻呂が立ち上がると同時に、家人が現れた。

「宿奈麻呂様」

「通りの様子はどうだった」

「はい、市にはいつにも増して大勢の人が集まり、皆、口々に噂話をしておりました」

「で、広継はどうしたのだ」

「それが、まだ京人も確かなことはわからないようで、何しろ広継様がそのような大事を起こす訳がない、とか、隼人が反乱を起こしたとか、新羅の軍が太宰府に攻めて来たのだとか、様々な噂を聞きました。中には、広継様はもう京のすぐそこまで来ていると申す者もおりました。皆の言っていることがてんでバラバラで、何がなんだかわかりませぬ」

「そうか、わかった、ご苦労であった」

 宿奈麻呂は家人を下がらせると、腕組みをして目を閉じた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 翌日も同じように、家人を市へやった。とにかく情報が欲しかった。

 しばらくすると、家人が、少々慌てた様子で宿奈麻呂の部屋へやってきた。

「宿奈麻呂様」

「何かわかったか」

 昨日とは違う家人の様子に、宿奈麻呂の心が騒いだ。

「市で、見知らぬ男に声をかけられまして、菜っ葉の入った籠を、宿奈麻呂様に召し上がっていただくようにと渡されたのですが」

「ほう、誰だろう」

「帰ってから籠の中を見たところ、菜っ葉の下にこのような木簡が入っておりました」

 と、家人は、一切れの木簡を差し出した。この家人は読み書きができない。

 宿奈麻呂は木簡を手に取った。

「うむ、庭の菜っ葉が沢山取れたので召し上がれ、と書いてある。遠慮なくいただこう」

 そう言って家人を下がらせると、宿奈麻呂は眉間に皺を寄せた。

 その後、しばらく木簡を見つめていたが、やおら立ち上がって、田麻呂の邸に赴いた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「これは一体」

 田麻呂は、木簡を読むと、真剣な顔になった。

 木簡には歌が一首、書かれていた。他には何も書かれていない。宿奈麻呂が、使人に読んで聞かせたことはもちろん嘘である。

「時じくの かくの木の実を落とすよな 西風吹くを 待つみやこびと」

 田麻呂は宿奈麻呂を見た。

「時じくのかくの木の実……非時香菓とは、たちば……」

「言うな」

「これは誰が」

「わからぬ。名乗らぬまま、あっという間に人ごみにまぎれてしまったそうだ」

「とにかくこれは」

 宿奈麻呂は、口の前に人差し指を当てた。

「この者が、何をしたいのかはまだわからぬが、ただ、広継にも味方がいる、勝機があるかもしれぬということだ」

 宿奈麻呂はそう言うと、田麻呂の手から木簡を取り上げ、腰から短刀を取ると、木簡の文字を慎重に削り取った。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 宿奈麻呂は自宅に戻ると、じっと腕組みをして考えた。

 今、この国の人民は、かつてないほどに貧困に喘いでいる。今の帝になってからというもの、度重なる日照りや地震などの天災、それらによる飢饉と病害に悩まされていた。帝の徳がないからだと陰で言う者も少なくない。


 三年前、宿奈麻呂の父が死んだ時の流行病では、国民の三分の一が死んだと言われていた。農村では働き手が減り、荒れ地も増え、石高が減少し税収も激減した。

 それに対して、右大臣橘諸兄をはじめとする現政権は、有効な政策を打ち出せぬまま、人民はますます飢えていった。

 ひと昔前は、権力を独占する藤原氏に対し反発する豪族も多かったが、今では、藤原氏の時代の方がまだましだったと言いだす者も出てくる始末である。更に、諸兄の偏った人事なども重なり、現政権に対する不満が次第に溜まってきた。


 宿奈麻呂の兄、広継も、以前から政治のあり方を批判していた一人である。

 広継のそれは、父宇合の存命中からであったが、藤原一族の政治についての批判を口にしては、父に叱られていた。

 宿奈麻呂は、そんな広継を、要領が悪い人間だと思って見ていた。

 たとえ正論だったとしても、正面切って言うことではない。今は心の中に留めておいて、将来出世して自分が権力を持った時に、思うようにこの国を変えればいい、そう思っていた。

 しかし一方では、広継の、腹の中に溜めておくことができぬ性格は、日頃藤原氏をよく思っていない豪族から人気があった。

「藤原氏の中でも、広継は見どころがある。広継が政治を執った時が楽しみだ」

 そんな風に言われていた。


 その広継が兵を挙げた。

 あの木簡をよこした者は、広継が現政権を倒すことを期待している。広継が京に攻め上ってきたら、京内にも味方する者がいる、と言っているのだ。

 このような木簡を宿奈麻呂に渡すということは、宿奈麻呂が一声懸ければ兵が集まる、と言っているようなものではないか、と宿奈麻呂は感じた。

 木簡を渡した者が誰だかわからぬが、それは宿奈麻呂の心に大きな勇気を与えた。

 謀反人の弟が、もしかしたら英雄の弟になるかもしれない。自分もこの世の中を変えることができるかもしれないのだ。

 宿奈麻呂は立ち上がると、大きな声で言った。

「弓矢の練習をする。着替えを持て」

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