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「第一章〜1」

 あおによし、奈良の都は菊日和。


 宮城の前を東西に伸びる二条大路、東に向けば興福寺の大きな門、その向こうにそびえ立つは、国で一番高いと言われる五重塔が見える。

 天平十一年(西暦七百三十九年)、秋の午後、柳並木の大路を、一人の若い貴族が、供の男を連れ馬で歩いていた。

 若者の名は、藤原宿奈麻呂ふじわらのすくなまろ。二年前の疫病災害で死んだ式部卿、藤原宇合の次男である。気晴らしに池でも眺めようと、外京にある藤原家の氏寺、興福寺に向かうところであった。

 

 宿奈麻呂がゆるゆると馬を進めていると、興福寺の門前で一人の若い男が寺の小僧と何やらもめているのが目に入った。

 男は、目の粗いあしぎぬの上着に質素な身なりで、清潔そうではあるけれど、身分の高くない人間と見てわかる。

「どうしたのか」

 宿奈麻呂は興味本位で供の者に聞いてくるよう、遣わした。

 少し離れた馬上から見守っていた宿奈麻呂の元へ、やがて使いが戻ってきた。

「あの者が寺の仏像を見たいと言っておるそうでして、どこの誰だかわからない者を寺へ入れる訳にはいかない、と押し問答をしているようです」

 この当時、寺院は誰でも自由に拝観できるものではなかった。仏教の法要が行われる聖なる場所であって、修行僧や学問を行う貴族以外の者が出入りする場所ではなかった。況してこの興福寺は藤原家の菩提寺、一般の民が入れる所ではない。

 宿奈麻呂は、あきらめず寺の門番に何度も頭を下げている男を見た。誠実そうな横顔をしている。

「ふうん」

 宿奈麻呂は、ゆっくりと馬を門に寄せた。

 寺の小僧は、上等の絹に身を包み見るからに貴族の子弟のなりをした宿奈麻呂の姿を認めると、ペコリと頭を下げた。

「このお方は、先の式部卿、藤原宇合様のご子息、藤原宿奈麻呂様にございます」と供の者が告げると、小僧は驚いた顔をして腰を屈め頭を下げた。

「どうぞ、お通りください」

 宿奈麻呂は、馬上から男に訊いた。

「そなた、この寺の仏像が見たいと」

「はい。私は斑鳩から来た仏師の多加と申します。実は、この度、今は亡き上宮様供養のための仏像を作ることを仰せられまして、私は何分未熟者、参考のためにあちらこちらの寺の仏像を、見て回っているのでございます」

 多加と名乗るその男は謙虚そうな口振りで説明した。

「上宮様?」

「斑鳩の宮で政をなさっていた上宮太子様です。なんでも宮の跡地に供養のお堂を建てるとかで」

 男の言う上宮太子様とは、推古天皇の時代に摂政として政を司り、六百二十二年に薨去した聖徳太子のことである。

「ほう」

 宿奈麻呂の目に好奇の色が浮かんだ。

「上宮様の供養とは、どなたの命じゃ」

「はい、帝の命だからしっかりやるようにと」

「と、誰がそなたに言ったのじゃ」

「行信様とおっしゃる偉い僧侶です」

「行信様。何故、上宮様の供養をなされると」

「さあ、私にはそこまでは」

「ふうむ」

 宿奈麻呂は馬から降り、供の者に馬を託すと、男に言った。

「ついてこい」

 この興福寺は、宿奈麻呂の祖父、藤原不比等が建てた藤原氏の氏寺である。中には不比等を祀るお堂もあり、藤原氏であれば自由に入れる。

 小僧は、ただうつむいたまま、宿奈麻呂らのために道を空けた。


 本堂に入った宿奈麻呂と多加は目の前の薬師如来像を眺めた。

「この仏像も参考になるか」

 宿奈麻呂が興味のなさそうな声で言った。横を見ると、多加が真剣な眼差しで仏像に見入っている。

「熱心に見てるのお」

 多加はその言葉に我に返り、宿奈麻呂に向き直って遠慮がちに答えた。

「はい。この目にしっかりと焼き付けて帰ろうと思いまして」

「ふうむ。勉強熱心なのはよいことだ。我らがいては邪魔だろう。僧侶と外にいる。気が済むまで眺めるがよい」

「お気遣いありがとうございます」

 多加は深々とお辞儀をした。

 お堂を出ようとする宿奈麻呂が振り返ると、もう男の心は仏像にあった。


 四半刻ほどたったろうか、宿奈麻呂が僧侶と世間話などしながら庭を散歩するのも飽きた頃、屹然とした顔の多加がお堂から出てきた。

「どうだ、満足したか」

 宿奈麻呂が声をかけると、多加はようやく現実に戻り、宿奈麻呂に頭を下げた。

「誠にありがとうございました。どのようなお礼をしたら」

 言葉を遮って。宿奈麻呂は言った。

「礼などいらん。また、何かあったら遠慮なく申すがいい。上宮様の供養の話、詳しく聞きたいし、都へ来た際は是非、訪ねてくるのだ」

「はい。ありがとうございます」

「しかし、そなた、他の寺に行っても、先程のように門前払いを受けぬとも限らぬぞ。帝の命なら、その行信様に一筆、通行符でも書いてもらったらどうだ」

「はい、そのようにいたします」

 多加は、深々と頭を下げたまま、宿奈麻呂の姿が見えなくなるまで見送っていた。

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