85 お人好しの愚者
それは予想すらしていなかった反応だった。
これまでの経験から、少なからず歓待を受けるものだと考えていたのだけど、待ち受けていたのは、なぜか静寂と沈黙だけ。
えっと、窮地を救って戻ってきたのだから、少なからず感謝の言葉が投げかけられても良さそうなものなんだけどさね。
だけど、北板連合の人達から向けられたのは、奇異の視線、恐怖を貼り付けた表情、異形を目にしたかのような慄き、そんな異質なものを拒絶する雰囲気だ。
少なからず、安堵の表情や熱い眼差しを向けてくる女性も居たのだけど、それは逆に氷華と一凛にとって、腹立たしいものだったみたいで、あからさまに不機嫌な様子を露わにしている。
「おいおい、助っ人にこの対応は酷いんじゃないか?」
不穏な空気を作り出す群衆を眺め、なぜか敵対しているはずの祭が肩を竦める。
実際、僕等が見せた力は、常軌を逸しているのかもしれない。
それを目にして、畏怖を抱くのも仕方ないと思う。
だから、歓声をあげろなんて言わないし、心から感謝して欲しいとも思わない。
ただ、この居心地の悪い雰囲気は、いくら何でもあんまりな気がする。
そう考えると、敵である祭でさえ、疑問視するのも当然だ。
というか、あまりの雰囲気の悪さに耐えかねたのか、一凛が呆れた様子で愚痴を零す
「完全にアウエーって感じだな。つ~か、さっさと帰りたくなってきたぞ」
「というか、この人達って死にたかったんじゃないの?」
いつもなら腹が減ったとか言いそうな一凛も、この雰囲気には嫌気が下のだろう。そして、その横では、片方の眉を吊り上げた氷華が容赦なく嫌味を放つ。
「まあ、二人の気持ちも分かるけど……感謝されたくてやった訳ないし、こちらにはこちらの思惑があったんだから、そこは割り切るしかないと思うよ。でも……」
二人を宥めながらも、実のところ、別のことに思考が向いている。
ただ、二人からすると、僕の疑念なんてお見通しらしい。
「やはり、疾しいところがあるんじゃないの?」
「てか、あれだろ。うちらが胡散臭がってるから、余計にそう思うんじゃね?」
そうなんだよね。こっちの態度が影響してるような気がするんだよね。てか、僕の思考って、そんなに読みやすい? なんか、そっちの方が落ち込むんだけど……
氷華や一凛の言う通りだと思う。ただ、二人から簡単に思考が読まれたことを不服に感じる。
まあ、それはいいとして、もしかしたら何も知らずに笑顔で戻ってくれば、この人達も喝采で迎えてくれたのかもしれない。
ところが、こっちが顰め面で戻ったものだから、余計に不安を与えているような気がする。
「それにしてもあんまりだろ。お前等、命の恩人だぜ?」
てか、あなたがこの人達に恐怖を叩き込んだ原因なんだけどね……
まるで他人事のように言ってのける祭を見やり、呆れて物が言えなくなる。
だけど、祭はこちらに視線を向けてくると、片方の眉を吊り上げたまま別のことを口にした。
「ところで、お前の腹は大丈夫なのか?」
ああ、そういや、すんごいのを食らったよね。めっちゃ痛かったんだけど……
今更ながらに思い出し、千切れた服をめくって見せる。
「おいおい、お前、人間か?」
まあ、驚くのも当然だよね。だって、がっつり開いていた大穴がすっかり治ってるんだからね。あ~らきれい、つやつやお肌ね。って感じだ。
ただ、祭の物言いは少しばかり癇に障る。
「ちょっと、それじゃ――」
「ふふふっ、私の彼氏は最強で不滅だもの。だって、バラバラになっても元通りになるもの」
「何言ってんだ。うちの彼氏だっての。てか、黒鵜は神だぞ。神! 迅兄みたいな紙の装甲じゃないからな」
即座にクレームを入れようとしたのだけど、氷華と一凛が称賛し始める。
でも、なぜか褒められているような気がしない。
そんなタイミングで祭が追い打ちをかけてきた。
「おいおい、それじゃ、神というよりもゾンビだぞ! てか、誰が紙装甲だっての」
「あのさ、いい加減にしてよね。それじゃ、僕が人外みたいじゃないか!」
もちろん、三人に向けて不満の色を見せるのだけど、氷華と一凛は全く気にしていないみたいだ。というか、二人そろって肩を竦めつつ否定してきた。
「何言ってるのよ。人外じゃない」
「確かに、人外だよな」
うぐっ……
もう好きにして……
この面子に反応するだけ無駄だと感じて、ガックリと肩を落としている時だった。これまで眞銅君の影の如く付き従っていた女性が現れた。
ああ、あの人、確か八尾井さんっていったかな。あっ、まずっ……なんか言われるかな……
「ありがとうございます。黒鵜さん達のお陰で、なんとか敵を撃退することができました。心から感謝します」
勝手に祭を連れてきたことを責められるかと、一瞬、ひやりとするのだけど、彼女はチラリと祭を見やり、不思議そうな表情を見せたものの、直ぐに頭を下げながら感謝の言葉を告げてきた。
あれ? 祭を知らないの? 向こうはこっちの情報採取に余念がなかったみたいだけど、こっちじゃ何も調べてないってこと? う~~ん。
「いえ、連合国に参加したのだから、当たり前のことよ」
八尾井さんの反応が気になって返事が遅れてしまうのだけど、それに気付いたのか、氷華がサラリと返答する。
すると、彼女は特に気にすることなく頷いた。
「お疲れかと思いますが、主が歓待したいと申しておりますので、一緒に来ていただけますか?」
どうやら眞銅君が待っているみたいだ。こっちも話があるので丁度いい。
「ああ、そうだね。色々と話もあるし、そうさせてもらおうかな」
「では、こちらに」
結局、僕等は祭の話していたことが事実であるかを確かめるべく、にこやかな笑顔で踵を返す八尾井さんから促されるまま、眞銅君の居る場所へと向かったのだった。
八尾井さんの後について眞銅君が居る所へ向かったのだけど、足を進めるにつれて怪訝に思い始める。
右隣に居る氷華もそう感じたのだと思う。コソコソと話しかけてきた。
「どこに行くつもりなのかしら」
そうなんだよね。これだと完全に帝京大学の建物から離れてるよね。
彼女に頷きで返すと、今度は左隣に居る一凛が顰め面を見せた。
「なんか気に入らね~」
さっきの頂けない反応もあってか、一凛はかなりへそを曲げているみたいだ。
もしかしたら、なんだかんだ言いながら、従兄である祭を信用しているのかもしれない。
まあ、確かに人間性的にも彼の方が真面そうだよね。というか、ほんと、どこに連れて行くつもりなのかな?
「ねえ、眞銅君はどこにいるの?」
無言で足を進める八尾井さんに声をかけると、彼女は笑顔で返してきた。
「説明が遅れてすみません。こっちには加賀中学がありまして、その体育館で歓待の用意をしてます。主もそこで首を長くして待っております」
歓待ね~。そんなことをやってる場合なのかな? なんか、一凛の言う通り、胡散臭くなってきたんだけど……
この状況で歓待と言われても、違和感しか浮かんでこない。
だって、なんとか戦いは収まったものの、沢山の人達が死んだり怪我をしているはずだ。浮かれている場合ではないと思う。
「ねえ、これって黒なんじゃない?」
氷華も同様に何か感じたのか、チラリと視線を向けていた。
すると、一凛もそれに頷く。
「まあ、行きゃ分かるんじゃね~?」
なんとも彼女らしい考えなのだけど、祭にとっては意外だったみたいだ。
「おいっ、一凛、なんでグレたんだ?」
「はぁ? グレてね~よ! このバカちん!」
詳しく聞いたわけではないのだけど、どうやら祭は一凛の母方の従兄らしく、もう何年も会っていたなかったそうだ。
普通なら、それだけ会っていないと気付かなさそうなんだけど、彼女からすると、祭はそれほど変わってないらしい。
そして、そんな祭からすると、一凛の変わりっぷりは半端ないようだ。
それはそうと、胡散臭いと思いながらも、案内されるままに案内されたのは、中学の体育館だった。
その見た目は武家屋敷みたいな造りで、体育館というよりも武道場ぽい様相なのだけど、中は普通の体育館で間違いなかった。
ただ、促されるままに中へと入ったところで、放たれた歓声に驚かされる。
「うわっ! びっくりした!」
見上げると、体育館内を四角く囲む二階に沢山の人達が溢れ、両手を打ち鳴らしながら、笑顔で喝采の声をあげている。
「どういうこと? さっきとは正反対の反応だけど……」
「なんか、気持ち悪いな……」
いきなりの喝采と打ち鳴らされる満場の拍手で、思わず足を止めてしまうほどに驚いてしまう。
氷華もびっくりしたようだけど、どちらかと言えば怪訝な様子を露わにしている。
一凛に至っては、少し顔色が悪くなっているような気がする。というか、歓待されているのは良いのだけど、なんか気持ち悪さを感じる。いや、無性に気分が悪いと言った方が良いかもしれない。
「ん~、なんか、ここって気持ち悪くないか?」
どうやら、祭も同じ感覚を抱いたみたいだ。顰め面で疑問の声をあげたのだけど、かなり顔色が悪いし、嫌な汗を掻いているようにも見える。
「そうね。その男に同意するのは悔しいけど、ここは変だわ」
「なんか、嫌な予感がするぞ。黒鵜、直ぐに外に出よう」
その方が良さそうだね……
氷華に続き、青い顔で進言してくる一凛に頷く。
「そうだね。直ぐにここから――」
「黒鵜君、よくやってくれたよ。本当に助かっちゃった」
すぐさま体育館から出ようと、口にしようとした途端だった。
バスケットコートのセンターサークルに立つ、眞銅君から感謝の声が届いた。
ただ、今はそれに応じる気になれない。だって、すこぶる気分が悪いのだ。
これを表現するなら、何日も不眠で勉強したみたいな気分だといえばよいだろうか。
「ごめん。話は後にして、ちょっと外に出たいんだ」
謝罪の言葉を口にしながら、直ぐに踵を返すのだけど、その途端に体育館の扉が閉じた。
えっ!? どうして閉めるのさ。まさか……
嫌な予感に駆られて、直ぐに視線を眞銅君に戻す。
すると、彼はニヤリと不気味な笑みを見せた。
「ああ、ダメダメ、ここから出ちゃダメだよ」
「どうしてさ! ここって、なんか変だよ? 悪いけど――氷華!」
明らかに何かを企んでいそうな眞銅君に、苦言を申し立てるのだけど、隣に居る氷華が床に膝を突いたのを見て、思わず声をあげてしまう。
「氷華、大丈夫? い、一凛!」
氷華に手を伸ばしたところで、反対側に居る一凛までもが倒れてしまった。
すると、厳しい表情で膝を突いている祭がぼそりと零した。
「こりゃ、嵌められたみたいだな」
やっぱりそうなんだ。この様子からして、問い質す必要もないみたいだね。どうやら彼の言葉の方が正しかったみたいだ。
現在の状況から、祭の話が真実だったと理解する。
ただ、いまさら言っても後の祭りみたいだ。
その証拠に、眞銅君、いや、奴は高らかな笑い声と共に、嘲りの言葉を浴びせかけてきた。
「くくくっ、あははははは。本当に愚かな人達だね。いや、お人好しというべきかな。なんでボクが君等に跪く必要があるのさ。なんてったって、ボクこそが王に相応しいんだからね。あはははははは」
はぁ……こういうオチなんだ。それすら読めないなんて、確かに僕等は愚かだったみたいだね。
まるで勝者の如く高笑いを轟かせる奴に感化されたのか、ぽつりぽつりと始まり、いまや体育館を揺るがすほどになった殺せの大合唱を全身に受けながら、自分が甘かったことを痛感させられるだった。
まるで地震でも起きているかのように揺れる体育館。
その震源は、殺せの大合唱と共に放たれる足踏みだった。
誰もが狂気に浸食されているかのように、気持ち悪い笑みを浮かべ、こちらに殺意を向けてくる。
これって、病気……いや、例の麻薬の効果なのかな? いや、そんなことはどうでもいいや。それよりも早くここから脱出しなきゃ。
あまりの気分の悪さに朦朧としつつも、死の宣告を告げてくる者達の様子を窺う。
ただ、誰が狂っていようがどうでもいい。僕にとっては、大切な者を守ることが最優先事項だ。
とにかく、あの扉をぶち壊してやる。氷華、一凛、もう少しだけ、辛抱してね。
いまや苦しそうにしている二人を見やり、強行突破すべく右手を体育館の扉に向ける。
「爆裂! えっ!?」
いつものように魔法をイメージしたのに、なにも発動しないことに驚く。
これまで嫌というほどに使ってきた魔法だ。いまさら魔法をしくじるはずもない。
「あ~、無駄無駄。今の君達は、魔法なんて使えないよ?」
「そ、それって、どういうことさ」
「どうもこうも、そんなことを教えると思ったかい? ほんとに愚かだね。頭に栄養が回ってないんじゃない? くくくっ」
くっ……なんて、嫌な奴……それよりも、どういうことなのかな? 魔法が使えない結界でも作ったのか……えっ!? どうして……
魔法が使えない理由を探るのだけど、そこで自分のマナゲージが空っぽになっていることに気付く。
方法は分からないけど、どうやら魔力を吸い取ったんだね。それで、気分が悪くなったのか……でも、どうやって……
「あら? 気付いちゃったみたいだね。魔法バカだと思ってたけど、案外、利巧なんだね。褒めてあげるよ」
こいつ、本当にムカつくよ。見た目からして小学生くらいなんだけど、どこまで人をバカにすれば気が済むのかな? てか、あっ、まさか……愛菜、萌、唯姉……
奴の物言いに憤りを感じるのだけど、その途端、愛菜や萌、唯姉達のことを思い出して肝を冷やす。
「ね、ねえ、まさかと思うけど、僕の仲間に手を出したりしてないよね?」
「仲間って、あれのことかい?」
唯でさえ気分が悪いのに、抱いた嫌な予感の所為で冷たい汗を流していると、憎たらしい笑みを浮かべた奴が背後を仰ぎ見た。
すると、それまで閉じられていたステージの幕が開く。
「愛菜! 萌! 唯姉!」
ステージの上に造られた十字架。
そこには、三人以外にも倉敷さんと穂積さんも磔にされていた。
力無く磔となっている五人は、どうやら意識がないみたいだ。ぐったりとしたまま、僕の声にすら反応していない。
無反応な五人を目にして、思わず声をあげてしまったのだけど、どうやらそれが奴の悦に入ったみたいだ。
「くくくっ、いいね~。その悲痛な叫びは最高だよ。さて、どうしようかな~、ただ始末するのは簡単だし面白くないよね、ここは余興でも楽しむかな~」
「余興? ふざけるのもほどほどにして欲しいんだけど」
「ふざける? ふざけてなんてないよ? だいたい、君等みたいな俺TUEEEしてる奴って大っ嫌いなんだよね。だから、これまで君等にやられてきた人の恨みを晴らしてあげるだけさ。ん~、よし、まずは狂犬にしよう。あの爆乳女とエッチしたい人~~~~」
奴が毒を吐きながらも、下種な誘いをかけると、二階部分を埋め尽くす者達から歓声が上がる。
吐き気を感じながらも視線を向けると、気色を見せた男達が我先にと言わんばかりに、両手を振りながらガッツいた声を張り上げていた。
くっ、このゴミ共……
胸中で沸々と怒りが込み上げてくる。
唯でさえ恩を仇で返された上に、下劣な行為に至ろうというのだ。
これが逆鱗に触れない訳がない。
「よしっ! じゃ~君にしようかな。確か、西東京侵攻で一番成果を上げたからね」
「やったーーーー! 眞銅さん、最高っす!」
奴が二階に向けて指を差すと、一人の男が喝采をあげて二階から飛び降りてきた。
選ばれなかった者達は、いっきにブーイングをあげるのだけど、奴はさらに卑劣な言葉を口にした。
「ああ、生きている間は、みんなの好きにしていいから、そんなにブーイングしないでよね。壊れるまでやっちゃってもいいからね」
奴が人とは思えない発言をすると、一気に体育館内が歓喜に包まれる。
「ふざけないでよね……もし、そんなことをしたら、絶対に許さないよ。灰も残さず焼き殺してあげるよ」
「はぁ? 君に何ができるのさ。魔力の無くなった君なんて、ゴミ同然なんだからね。ああ、そうそう、君は一番最後まで生かしてあげる。仲間の女がみんなから犯され尽くすのを見収めてから逝ってね」
怒りのままに罵り声を上げると、奴はさらに辛辣な毒を吐く。
それを耳にして、胸中で燃え上がっていた炎が一気に膨れ上がる。
「風刃! 爆裂! 大災害! 炎壁! 焦土! くそっ! どうして……」
朦朧としつつも、右手を突き出して魔法を放とうとするのだけど、どれだけイメージしても、どれだけ叫んでも、どれだけ願っても、何も発動しない。それでも必死に魔法を放とうと試みる。
その状況を目にして、奴は嘲りの言葉を口にしたかと思うと、涎を垂らさんばかりの男に向けて声をかけた。
「ああ、無駄無駄! だって、魔力がないんだからね。それじゃ、準備はいいかい?」
「いいっすよ! もう、やってもいいっすか?」
「ああ、そんなにがっつかないの。まずは、少しずつひん剥いてからの方が楽しいよね」
男は直ぐにでも唯姉を食い物にしようとするのだけど、奴はそれだと面白くないと考えたのか、下種な指示を出す。
ちくしょう! こんな時に! なんで……こんな時こそ、力が要るのに……葵香、ココア、僕に力を貸してくれ! お願いだ!
「僕に、僕に力を、僕に力を貸てくれ! 葵香ーーーーーーーーーー!」
力なく膝を突いたまま、僕は藁にもすがる思いで、女神である葵香へと手を伸ばすのだった。