80 目指せ楽隠居
この人は、何を考え、何を感じ、何を思い、何を企んでいるのだろうか。
絶えずニコニコとしている彼の姿を見ていると、これが同じ人間だとは思えない。
それこそ、宇宙人だと言われた方が納得できるかもしれない。いや、間違いなくその方がしっくりとくる。
ニコニコと微笑む九重さんを前にして、僕は少しばかり不躾なことを考える。
もしかしたら、彼は僕のこの考えすら読み取っているかもしれない。
そう思うと、背筋が寒くなってくるような気がする。
「マンティコアの大軍を撃退とは、素晴らしく活躍したようですね」
いやいや、まだそのことは一言も話してないよね? なんで知ってるのさ。てか、もしかして......いや、それは考え過ぎか......
葛飾で起こったことなど、一言も話していないのに、九重さんは何から何まで理解しているようだ。
実は千里眼の魔法でも持っているのではないだろうか。
怪訝に思った僕は、チラリと千里眼ならぬ遠見の魔法を持つ愛菜へと視線を向けるのだけど、彼女は無言のまま首を横に振った。
その態度からして、おそらくそういった類の魔法で情報を仕入れている訳ではなさそうだ。
そんな九重さんに、連合国の話を持ち出すと、全く驚く様子もなく嬉しそうに頷く。
「そうですか、そうですか。それは良かった。では、葛飾王国さんは連合国の案に乗ってくれるのですね」
「ふんっ、乗ってやるさ。だから、その気持ち悪い笑いを止めやがれ」
ああ、唯姉も不気味に思ってるんだ......
唯姉の態度を見て、彼女も九重さんに底知れないものを抱いていると察する。
まあ、彼を見てそう思わない方が異常だよね。
ああ、因みに、僕は彼女のことを眞知田さんと呼ぶことを禁じられてしまって、今じゃ唯姉と呼ぶことになってしまった。
さて、現在の僕等だけど、ヌイグルミとマンティコア親玉が一緒に居なくなったのは、つい昨日のことなのだけど、善は急げという唯姉と氷華に抵抗できず、一夜明けて足立国へと訪れているのだ。
もちろん、その急げというのは、連合国の締結についてだ。
「それじゃ、国主は――」
「そんなもんは、与夢に決まってる」
「やはりそう思いますよね」
なにがやはりなのかな......僕には全く意味不明だよ? てか、九重さんもなんで反対しないのさ。なんかおかしくない?
「あの~、正直言って、僕には無理です。辞退します」
「ダメよ!」
「うむ。今のはナシだ」
「そうよ。与夢。あなたしか居ないわ。というか、与夢がやらないなら、私は賛同しないわよ」
早々に拒否の姿勢をみせるのだけど、氷華、一凛、唯姉、三人が即座に拒否されてしまった。
拒否を拒否するって、もう最悪だよ......だいたい、僕が国主で上手くいくと思ってんのかな......
「あのさ、僕が国主になんてなったら、大変な事になるんだよ?」
僕としては、自信がないこともあるけど、これ以上やることが増えるのはごめんなのだ。だから、意地でも拒否したいところだ。
というか、そもそも、こういう展開になることすら予測していなかった。
だって、九重さんがウンと言うと思ってなかったからだ。
ところが、九重さんはニコニコとしたまま、さらに想定外の言葉を口にした。
「黒鵜さん。勘違いしてますよ。王様は何もしなくていいんです。働くのは臣下の者達ですから」
えっ!? マジ? そうなの? なんか大変そうな気がしたんだけど、それならアリかも? いやいや、そんなはずはない。騙されちゃダメだ。これは、間違いなく僕を釣るエサなんだ。
「そんなこと言って、僕を嵌めようとしてるでしょ? というか、そもそも九重さんの方が向いてると思いますよ」
騙そうったって、そうはいきませんよ。そう簡単に引き受けたりしませんからね。僕はどこか静かなところでのんびりと暮らすんですから。
「あははははは。別に騙したりしませんよ。それに、私は王者の器ではないです。その証拠に、ほら」
九重さんは笑いながら視線を僕の横へと向ける。
それに釣られて横を見やると、氷華をはじめ、一凛、萌、愛菜、唯姉、倉敷さんが首を横に振っていた。いや、それどころか、唯姉が渋い表情で自分の気持ちを吐き出した。
「与夢、こんな何を考えているかも分からない男が王様になって、落ち着いて暮らせる国民がいると思う? 私なら即行で逃げ出すわよ?」
まあ、確かに、その意見は一理あるんだけど......王様が何もしなくていいというのは、どう考えても嘘だよね? 間違っても僕は釣られないよ?
人との関わり合いが苦手な僕としては、どうしても九重さんの発言が信じられてなくて、疑心暗鬼になってしまう。
ところが、そこに氷華が割って入った。
「何もしないというのは語弊があるけど、汗水たらして働くのが臣下なのは間違ってないわ」
「じゃ、王様ってなんなのさ」
どうにも腑に落ちないんだけど。みんながグルになって僕を陥れようとしているとしか思えないんだけど......
氷華の説明を聞いても、僕は全く以て納得できない。
だって、王様だよ? 国の代表だよ? 楽な訳ないじゃん。
僕の様子から、いまだに納得していないと察したのか、今度は一凛が自分の思う王様像を教えてくれた。
「王様なんて、象徴だろ? いざという時に、敵をやっつければいいだけさ。国民はそれだけで王様を頼りにするんじゃないのか?」
まあ、一凛の発想だけあって、やたらと単純な王様像だけど、それなら何となく理解できる。
でも、それだけで国が成り立つとは思えないんだよ。だって、俺TUEEEだけじゃ国は路頭に迷うよね?
「象徴なのは分かるけど、国の運営はどうするのさ。僕にそんな能力は無いからね」
「何言ってんのよ。与夢にそんな能力を求めてないわよ。あなたはドンと構えて、敵に畏怖を与えればいいのよ。国の運営は全て臣下がするんだから」
「そうよ。王様といっても、王国じゃないんだし、なんでもかんでも王様の裁量で片付けるなんて訳にはいかないわよ? だから、普段は呑気にしていていいのよ。ただ、魔獣や敵が現れた時に、あなたの力を見せつけるのよ」
実際、国を動かすなんて、何をしたらいいのか全く分からないのだけど、それを正直に告げると、唯姉と氷華が僕の考えを否定してくる。
というか、それじゃ、まるで......
「ねえ、王様って、抑止力なの? 二人の説明だと、核ミサイルと大して変わらない気がするんだけど......」
「ああ、そうですね。悪く言えば、それです。だから、普段はやることがないんですよ。さすがに、核ミサイルで国を運営する訳にはいきませんからね。それで分かりましたよね? 私には向いていないんですよ」
そう言われると納得なんだけど、なんか九重さんの説明って身も蓋もないんだよね。全然、褒められてるようには思えないんだけど......でも......
「それなら、やってみてもいいけど、もし話が違ったら、直ぐにやめるからね」
結局、難しいことはやらなくていいという話から、僕は連合国の代表となることに頷いたのだけど、その途端に、みんなの顔がニヤリとしたような気がして、もしかして愚かな間違いを犯したのではないかと、悩み始めることになるのだった。
連合国に同意することになった僕等は、一応、形だけとはいえ約束を違えないようにと調印することになった。
ただ、そこで僕が疑問に感じたのは、こうなることが分かっていたかのように、調印の文書が登場したことだ。
その用意周到な様子からして、明らかに予め用意されていたとしか思えない。
ところが、氷華は全く驚いていなかった。というか、彼女はボソリと告げた。
「さすが九重さんね。初めからこうするつもりだったんだわ」
それを耳にした僕は、同盟が決裂した時の九重さんを思い出し、初めから嵌められていたことを理解した。
ほんと、とんでもない策士だよね。いや、どちらかというと詐欺師に近いかもしれない......
少しばかり不満を感じながらも、目的が私利私欲でないことを察して我慢することにした。
ただ、僕の判断が愚かだったと知ることになったのは、調印から一週間が経った時だった。
「黒鵜さん、北板さんが救援を求めてきてます」
いつものように、ニコニコと笑顔を絶やさない九重さんが、緊急事態を知らせてきた。
ただ、彼の表情を見ていると、全く緊迫した状況ではないように思えてくる。
そう考えると、いつもニコニコ顔というのも、少しばかり問題があるような気がする。
なんかな~。これでピンチだったら最悪なんだけど......
それはそうと、連合国の調印を済ませてた僕等は、配置の見直しを行っていた。
本拠地を中央の足立区に移し、主要なメンバーはそこに常駐するようにしている。
というのも、いつどこで何が起きても、直ぐに向かえるように主要メンバーが集まり、いざという時には、転移の魔法を持つ倉敷さんに活躍してもらう予定なのだ。
その代わり、連絡役が必要だということで、携帯を使用できるメンバを葛飾にも配置し、荒川自治区で足らなくなった人員を逆に葛飾や足立から補充してもらった。
そんな訳で、ここには僕のみならず、氷華、一凛、萌、愛菜、唯姉、倉敷さん、穂積さんと、そうそうたるメンバーが揃っている。
「ん? 北板のクソガキ、確か、連合国の誘いを断ったんだよな?」
唯姉があからさまに不機嫌な様子で、片方の眉を吊り上げた。
というのも、現在はマスカレードはしていないので、彼女の不機嫌度合いがよくわかるのだ。
「それなんですが、連合国に参加すると言ってきました」
なぜか九重さんは、とても嬉しそうだ。
まあ、僕等のピンチではないけど、そこまで嬉しそうにするのもどうかと思う。
あまりにも露骨な態度を見せる九重さんに呆れていると、僕の隣に立っている氷華が溜息交じりに結論を口にする。
「はぁ~、なんとも都合のいい人ね。でも、そうなると、助けなきゃいけなくなったわね」
「まあ、文句は後にして、敵は何処なんだ? 埼玉か? それとも品川か? ああ、渋谷もあったな」
氷華に続き、一凛が敵について尋ねると、九重さんが首を横に振った。
「それがですね。向こうの情勢も色々あるみたいですね。どうやら西東京グループが新宿を押さえたと言ってましたから、おそらくそのグループでしょうね」
「なんだ、都下組か! 今すぐ田舎に送り返してやる」
ちょっ、ちょっ、唯姉、それはさすがに言いすぎだよ。都下だって東京だからね。
九重さんの説明を聞いた唯姉が、恐ろしく失礼な発言を口にするのを見て、呆れて溜息を吐いてしまう。
「それはそうと、助けるのは良いとして、倉敷さんの転移で行けるの?」
そう、倉敷さんの転移には、大きく二つの方法がある。
一つ目は見えている範囲に移動する方法であり、二つ目が一度行った場所に転移するというものだ。
ただ、足立区から北板連合が本拠地にしている帝京大学まで、見える範囲の移動を繰り返す方法だと、少し時間が掛かってしまうのだ。
「それなら大丈夫よ。ポイントをマーキングしてるわ」
僕は倉敷さんの返事を聞いて安堵する。
ただ、気になっていた別のことを尋ねる。
「ねえ、九重さん」
「はいはい。何でしょう。国主様」
国主様って......まあいいや......
「あのさ、王様はいざというときに戦えばいいんだよね?」
「そうですよ。今回の事態が、いざという時ですけどね」
「やっぱり、そうなりますよね?」
「なにか、疑問でも?」
「いえ、疑問というか、気になったことがあるんですが......」
「はい。どうぞ! 遠慮なく仰ってください」
「この前の関東圏が抗争状態に突入するという話からすると、これから、いざという時ばかりなんじゃないですか?」
「あらら......気付いちゃいましたか」
そんなもん、気付くに決まってんじゃん。てか、何でみんな視線を逸らすのさ。もしかして、みんなでグルだったの? みんなで僕を嵌めたの? そうなんだね!
「あの~、王様、引退してもいいですか?」
戦うのが嫌な訳じゃないけど、いいように使われるのは、どうにも腹の虫がおさまらない。
だって、これって酷くない? 完全に騙し討ちだよ?
だから、即座に引退の意思を明らかにする。
すると、途端に、氷華が慌て始めた。
「まあまあ、そんなに急いで結論を出さなくてもいいじゃない。それに、頑張ればすぐに楽隠居できるわよ?」
「楽隠居? じゃ、戦いが落ち着いたら、僕は一抜けでもいいよね?」
普通に考えれば戦い方が激務なのだけど、僕にとっては国の運営の方が、裸足で逃げたいほどに難題なのだ。
だから、楽隠居という言葉に魅力を感じてしまう。
だって、関東の戦いが片付けば、後事を託して呑気に暮らしていけるのだ。
う~む。ここで放り投げるのは、ちょっと格好悪いよね? でも、関東の戦いに終止符をうてば......よし、ここは少しだけ辛抱しようかな。
「分かったよ。その代わり、戦いが収まったら僕の好きにさせてもらうからね」
「それで構いませんよ。強き王が必要なのは戦乱の世ですから、戦いさえ収まれば、今度は知の王が必要となるでしょう」
「ちょ、ちょ~! それじゃ、僕に知能がないみたいじゃないですか!」
「あっ、すみません。そういう意味ではないんですよ」
承知してもらったのは嬉しいのだけど、九重さんの物言いは、いくらなんでも酷すぎるよ。それじゃ、まるで僕が脳筋みたいじゃないか。
「って、なんで、みんな視線を逸らすのさ! ねえ、ちょっと! 氷華! 一凛! 萌! 唯姉! 愛菜まで......」
「まあまあ、黒鵜、それよりも急がないと拙いんじゃないのか?」
うぐっ......納得できないけど、確かに一凛の言う通りか......
「ふんっ! 分かったよ。取り敢えず、向こうに移動すればいいんだよね。さっさと行こうか」
色々と言いたいことはある。だけど、いつまでも腹を立てて文句を言っている場合ではないと考え、僕は少しばかり膨れっ面のまま、みんなと一緒に北板連合の本部である帝京大学へと転移したのだった。