53 パワーバランス
荷馬車から飛び降りた僕は、身体強化の魔法を使って村に向かっている。
後ろからは、今にも悲鳴をあげそうなロンロンが付いてくる。
恐らく、動けない者がいると聞いて、カラクが気を利かせてくれたのだろう。
ただ、その様子からして使い物になるかは怪しいところだ。
というか、申し訳ないのだけど、僕の頭の中は、彼女のことよりも別のことで埋め尽くされていた。
いったい何を考えていたのだ? そんな考えばかりが頭の中を駆け巡る。
愛菜から残っている者が居ると聞いて、思わず荷馬車から飛び降りてしまった。咄嗟のことだったとはいえ、僕自身がその行動を全く理解できなかった。
確かに、罪のない者が虐げられるのは、僕としても嫌な気分になる。だからと言って、率先して助けに向かうほどの正義感を持ち合わせている訳ではない。いや、どちらかといえば、見て見ぬ振りをするような性格のはずだ。
なにしろ、触らぬ神に祟りなしというのが僕の信条なのだ。
だから、僕は自分の行動原理が分からずに悩んでいた。
竜神様なんて呼ばれて、格好を気にしてる? いや、別に誰になんと言われようと関係ないはず......じゃ、使命感? 僕にそんなものは存在しないよね? 闇精霊に取り入るため? いやいや、あの瞬間にそこまで考えられなかったし......それじゃ、なんで?
あまりに理解不能な行動であるが故に、僕は愛菜を抱いたまま自問自答を繰り返す。
しかし、どれだけ考えても答えは出てこない。
でも、そこで不可解な行動理由を突き止める思考は、愛菜の言葉によって遮られた。
「黒鵜さん、あそこの建物を過ぎて左です」
お姫様抱っこされた愛菜も、さすがに空気を読んでいるみたいだ。いつものように顔を赤くするどころか、緊迫した表情で取り残された親子が居る方向を指さす。
それに、空気を読んでいるのは彼女だけではないみたいだ。
視線をチラリと肩に向けると、愛菜を抱き上げようものなら、煩くクレームを入れてくるはずの氷華と一凛も、いつもと違って真剣な顔つきとなっている。
「あそこです」
言われたとおりに建物の間を過ぎて左に曲がると、今にも壊れそうな小屋に向けて愛菜が指さす。
「あれが、人の住む家なの?」
「もしかして、虐げられてるんじゃないのか?」
氷華と一凛が顔を顰めるのも道理だと思う。なにしろ、その小さな家は、まるで家畜の小屋であるかのようにみすぼらしかったからだ。
あまりと言えば、あまりに粗末な建物を見やり、僕は率直な感想を吐き出す。
「あの村長、叩けば埃が出そうだね。もう少し叩いとけば良かったかな?」
「そうね。でも、それは後にしましょ」
「うん。そうだね。愛菜、敵は?」
同感だと頷く氷華なのだけど、現在の状況はそれどころではないのだ。
彼女の言葉に頷き、直ぐに敵の進行具合を確認する。
「もう村の南に到着したみたいです。急がないと......」
「ちっ、敵は五十?」
「はい。変わりなしです」
「くっ、多いな......いや、とにかく、親子を連れて逃げる方が先だ。ロンロン、親子を説得してもらえないか」
「はひ、はひ、はひ......了解ですぅ」
行き成り人族と同じ姿の僕が顔を出すと驚くかもしれないと考え、ロンロンにお願いするのだけど、彼女は息絶え絶えといった様子だ。
ただ、それでも自分の役割を理解してるのか、荒れた呼吸を整えつつコクコクと頷くと、すかさず小さな家――小屋の扉を開いた。
「魔王軍の者ですぅ。直ぐに脱出するのですぅ」
ちょ、ちょ~、それじゃ、何がなんやら分からないよね?
僕のツッコミは物の見事に的中したようだ。
粗末な布団の上に横たわっていた女性が上半身を起こすと、咳き込みながらも何事かと問いかけてくる。
「ごふっ、ごふっ、ごふっ、魔王軍? どうしてこんなところに? いったい何が?」
「おかあさん、だいじょうぶ?」
訝しげな表情を作る母が酷く咳き込む。すると、不安そうにする少女が必死に背中を摩りながら支えている。
未だ若々しいながらも見るからに病んでいると感じる母親。あからさまに粗末な衣服を身に着けている十歳くらいの少女。そんな二人を見やり、僕は胸が締め付けられるような気分になる。
僕って、こんなに感受性が高かったっけ? どうしてこんなに胸が苦しいんだろう......いや、それよりも、なんかムカムカしてきたぞ......誰がこの親子をこんな状況に追いやってるんだ? あの豚村長か? あとでぎゃふんと言わせてやる。
明らかに虐げられているように見える、いや、虐げられているようにしか見えない親子の姿は、僕の心に怒りの炎をふつふつと燃え滾らせる。
しかし、今はそれどころではないし、丁重に説明している時間もないのだ。
「ロンロン、母親をおぶって! 愛菜は女の子を!」
「は、はいですぅ!」
「ちょっと、どういう、ごほっ、ごほっ、ごほっ」
「お、おかあさん! おかあさんをはなして!」
僕が指示を送ると、ロンロンは頷いて母親を強引に背負おうとする。
途端に、混乱した母親が抵抗を試みて咳き込み、少女はロンロンに食って掛かる。
さすがに、そのやり取りを見かねたのだろう。僕の肩に乗っていた氷華が宙に飛び立つ。
「大丈夫。人族軍がこの村に押し寄せてきてるの。早く逃げないと酷い目にあうのよ」
「えっ!? 精霊体?」
「せいれいたい? それってなに?」
恐らく氷華は自分の姿を露わにしたのだろう。母親は驚いてあんぐりと口を開けたまま呆然とする。ただ、少女の方は精霊体の存在自体を知らないようだ。首を傾げた状態で不思議そうに、宙を舞う氷華を見ていた。
でも、ここでも精霊体の効果は抜群だったみたいだ。
何気に役に立ってる......てか、僕が一番役に立ってないのかな?
僕の疑問を他所に、母親は震えながら首を横に振る。
「人族軍がきてるのですか? ごほっ、ごほっ」
「そうよ。だから、みんな逃げたのだけど、あなた達だけ取り残されたの」
「えっ!? 私達だけが?」
氷華の説明を聞いた母親はショックを隠せなかった。
それも仕方ないと思う。だって、村の者達は誰も彼女達に逃げることを伝えていないのだから。
だけど、そんなことよりも、今は切羽詰まっているのだ。
「その説明はあとだよ。とにかく、今は急いで逃げるからね」
呆然とする母親を急かしてみたのだけど、どうやら時すでに遅かったようだ。
「あっ、く、黒鵜さん、外に敵兵がきました......」
瞳を閉じた愛菜が首を横に振りつつ、既に手遅れである事実を僕に伝えてきたのだった。
派手に家々を荒らす音が聞こえてくる。
戸を蹴破る音、ガラスを叩き割る音、家の中の物を蹴散らす音。
それに交じって、その悪行を当たり前のように、そして、腹立たしさを紛らわすかのに行う者達の声が聞こえてくる。
「ちっ、誰もいね~じゃね~か」
「くそっ、一番乗りで楽しめると思ったのによ~」
「ほんとだぜ! これくらいしか楽しみがね~つ~のによ~、やってらんね~ぜ」
村の様子を探る人族軍の兵士達が、如何にも不機嫌そうな様子で悪態を吐く。
その態度からして、邪な欲望を抱いていたに違いない。
なんて奴らだ。楽しむだって......死ねばいいのに......いや、死を与えるのは僕の役目かも......
「こいつらは下種ね。生きる価値がないわ」
「このゴミどもは、万死に値するな」
憤る僕と同じように、壁というのもおこがましい薄い板の隙間から、外の様子を見ていた氷華と一凛が毒を吐く。
その気持ちは僕も同じだ。男である以上、邪な欲望を抱くのは仕方ないとしても、それを弱い立場の者に強いるのは卑劣極まりないと思う。
勿論、相手が合意の上なら問題ないと思うのだけど、どう考えてもそういう状況ではない。
「愛菜、状況を教えて」
沸々と込み上げてくる怒りを感じつつも、僕は憤慨する二人に取り合うことなく、愛菜に外の状況を尋ねる。
というのも、僕等が見える範囲はごく一部であり、村の中には五十人以上の敵兵がうろついているはずなのだ。
「近くに居るのは四人、少し離れたところに五人、あとは方々に散らばってます」
「はぁ、気付かれないよう四人を倒すのは難しそうだね」
「でも、見つかるまでここに居るのは愚策だわ」
「黒鵜、先手必勝だぞ! てか、木っ端微塵にしちまえよ」
愛菜の返事を聞いて溜息を零す僕に、氷華と一凛が進言してくる。
というか、一凛は烈火の如く怒りを燃え上がらせていた。
ベヒモスと戦う前の僕なら、別に気にしないんだけど......今の力だと身体強化が精々だし、撃ててもショボイ爆裂一発で終了だよ......残りの敵のことを考えたら、派手にぶっ放すわけにもいかないっしょ......
今更ながらに劣化した自分の力を思い知らされ、ギリギリと歯噛みする。
そう、今の僕は、初めて飛竜を倒した頃よりも、更に弱体化しているのだ。
だから、必死に身体強化を身につけ、少ないマナで効率的な戦いができるように鍛錬したのだけど、四人の相手を瞬時に倒すのは難しいと思う。
でも、氷華が言うように、このまま見つかるまでジッとしているのは得策ではないのも確かだ。
「やるしかないみたいだね。僕が敵を引き付けるから、ロンロンは母親をおんぶして先に逃げて! 愛菜は敵のいない方向に先導して」
「はいですぅ。了解ですぅ」
「はい。ミロラちゃん、お姉ちゃんの手を放しちゃだめだからね」
「う、うん」
愛菜が少女に声をかけると、彼女は少しびくびくしながらもコクコクと頷く。
それは愛菜のことが怖いからではなく、外で悪態を吐いている男達に恐れを感じているのだろう。
というのも、彼女は愛菜の手を握るどころか、体にしがみ付いた状態で震えているのだ。
やっぱり怖いよね......だって、僕も怖いもの......でも、こんな小さな女の子でも、奴らに捕まったら何をされるか分かったもんじゃないよね......況してや、愛菜やロンロンが捕まろうものなら......うっ、想像したくない......くっ、僕が何とかしなきゃ。
少女のみならず、愛菜やロンロンが奴らの慰み者になることを想像しそうになり、僕は首を横に振って頭の中から悪夢を追いやると、震える右手で刀の柄を掴む。
「じゃ、いくよ!」
「はい」
「了解ですぅ」
愛菜とロンロンが頷くのを確認し、僕は薄い入り口の戸をゆっくりと開けると、瞬時に身体強化の魔法を使って飛び出す。
そして、次の瞬間には、鞘から抜いた刀を持つ手に嫌な感触が伝わってくるのだけど、相手は魔物以下の存在だと自分に言い聞かせて、思いっきり降りぬく。
「ぐぎゃーーーー! ひゃっ、うあっ、うひゃ、お、オレの腕がーーーー!」
その男は肘から先が無くなった右腕を左手で押さえ、鮮血を撒き散らしながら呻き声をあげる。
しかし、それを気にしている暇はないのだ。
「くそっ! 敵がいやがった!」
「なんだと!? 魔族じゃないぞ」
「なんで人族の子供が!?」
混乱してるな。よし、この勢いのまま押し切る!
慌てる男達を目にした僕は、少しだけ心が落ち着くのを感じながら、バスケットのようなフェイントを入れて背後に回り込む。
身体強化といっても、相手の目に留まらないレベルの速度ではない。だから、緩急をつけて相手の裏をかく必要があるのだ。
「ぐぎゃーーーー!」
僕に背中を切り裂かれた男が悲鳴をあげる。
「ちくしょう! こいつ強~ぞ」
「なんで人族の子供がオレ達を襲うんだ!?」
四人の内の二人がやられたことで、残った男達が動揺しているようだ。
この機を逃がす手はない。
「いまだ! 愛菜! ロンロン! 行って!」
二人の男の前に立ちはだかり、刀の切っ先を突きつけると、すぐさま脱出の合図を送る。
その途端に、小屋の中に隠れていた愛菜が飛び出す。
愛菜は右手に杖を持ち、左手で少女の小さな手を握っている。彼女に続いて飛び出してきたロンロンは、背中に少女の母親を背負っている。
「あっ、くそっ、女だ!」
「このガキ、魔族とグルなのか。ちっ、あの女を頂くぞ」
逃げ出す愛菜とロンロンを目にした二人の男が、色欲に染まった目を見開き、欲望に塗れた声をあげる。
しかし、こうなったら、そう簡単に捕まろうはずもない。
「女が居ようが、居まいが、あなた達には関係ない話だよ。痛い目に遭いたくなかったら、さっさと逃げた方がいいよ」
できれば無駄な殺生をしなくないと感じていた僕は、刀を構えたまま忠告するのだけど、どうやらそれは逆効果だったようだ。
「うっせ! ガキが!」
「このガキ、ヌッ殺してやる!」
だめだこりゃ......まあ、あとはこの二人を倒せば問題なく逃げられるんだし、思ったよりも楽勝だったか――なんだって!
万事うまくいったと考えたのが拙かったのか、こんな時に限ってマーフィーさんが活躍する。
なんで、この世界に拳銃があるのさ! くそっ、転移者のバカちん! この世界のパワーバランスが完全に崩れてるじゃんか!
残った二人が、腰のホルスターから銃を抜くのを見やり、僕は心中で悪態を吐く。
あの銃から鉛の弾が出るか、それとも魔弾が出るかは分からない。でも、転移者の入れ知恵なのは間違いないはずなのだ。
なにしろ、僕でも分かるほどに、その形状は地球で使われている拳銃――リボルバー式の銃に酷似しているからだ。
くそっ、どうする!? 取り敢えず射線に入るしかない。
僕は素早く盾になるかのように、逃げる愛菜達と敵の間に立ち塞がる。
ただ、これが失敗だと気づいたのは、奴等が銃を撃ち放った時だった。
「クソガキ! 人族もクソもねえ! 死ね!」
「おらっ! 食らえや!」
二人の男は遠慮なく僕に向かって引き金を絞った。
やばっ、これじゃ、避けられないじゃん。
僕の目は不思議と拳銃から射出される弾を捉えていた。
恐らくは、例の瞳のお陰だろう。それは魔弾ではなく、物理的に質量を持った弾丸だった。
しかし、盾になるように立ち塞がった所為で、見えていても避けるわけにはいかない。
くそっ! 一か八かだ!
けたたましい銃声に耳を塞ぎ、少しばかりヤケクソ気味に向かってくる弾丸を刀で斬りつける。
勿論、奴らが放った弾は一発ではない。
一発目を刀で斬り飛ばし、瞬時にもう一発を鞘で弾く。
そして、次の瞬間には、奴らの背後へと回り込むべく身体を加速させる。
「な、なんだと!」
「なんなんだ、このガキ! 拳銃の弾を斬ったぞ!」
正直、弾が見えてるのは確かだけど、上手くいったのはマグレだ。
内心では、かなり冷や冷やとしている。それこそ、ちびりそうなほどにビクビクしていた。
あちゃっ、鞘がボロボロだ......あとで愛菜に直してもらわないと......でも、上手くいって良かった。それに、お漏らしなんて恥ずかしいからね......
「なに焦ってるのよ。どうせ、直ぐに治るくせして」
「当たっても平気だ! ビビることないぞ。気合い入れろよな」
僕の心中を悟ったのか、氷華と一凛が叱咤してくる。
なに言ってんのさ。確かに直ぐに治るかもしれないけど、当たったらすっごく痛いんだよ?
「ぐぎゃーーーー! くそったれ! 死ね! 死ね! 死ねーーーー!」
心中で二人に反論しつつも、即座に刀を振り切ると、男の左腕が地面に転がる。
くそっ、失敗だ......
僕は銃を持った右腕を切り落とすつもりで刀を振り下ろしたのだけど、相手が庇うように左手を突き出した所為で予定が狂ったのだ。
更に悪いことに、奴は自暴自棄になったのか、右手に持つ拳銃をやたらめったらと撃ち放った。
「ぐあっ! なにしてんだ!」
素早く移動する僕を追っているのか、将又、運に任せて適当に撃ち放ってるのか、奴の放った弾丸は仲間の男の足を穿つ。
見事にフレンドリーファイアを食らった男は悪態を吐くのだけど、僕はそれどころではない。
なぜなら、奴の持つ銃口が、必死に逃げている愛菜達の方に向いたからだ。
なんだってんだよ! こんちくしょうーーーー!
僕は全速力で愛菜達との射線に入る。
ただ、さすがに刀で斬り飛ばす余裕なんてない。
というのも、タイミングが悪すぎたのだ。
僕が移動している間に奴の指が引き絞られ、銃口から放たれた弾丸が螺旋を描いて突き進んでいるのだ。それもでたらめに撃ち放った所為で、放たれた三発の弾丸がバラバラの射線を描いているという最悪の状況だった。
「くそっーーーー! ふざけんなよ! あとで見てろよ!」
僕はいつになく口汚く罵り声をあげると、三発の弾丸を止めるべく邪魔になる刀と鞘を投げ捨て、両手で頭と胸を庇い、人盾となって射線に立ちはだかるのだった。