51 なぜか最最前線
異世界アイノカルアへやってきて、いまだ丸一日も過ぎていないのだけど、次々に起こる出来事に僕は目を回していた。
なにしろ、この世界にやってきて、右も左も分からずに人里へ向かえば恐れられ、それに首を傾げていると飛竜でのお迎えが到着し、促されるままに連れられて魔王と会ってみれば人族と戦うという話になり、それも仕方なしかと思い始めたころには、人族軍の侵攻が再開されたということで最前線の砦にきたのだけど、今度は街や村が放置されていると聞いた魔王イリルーアが飛び出すという事態に陥っている。
ちょっと一日の出来事にしては過密すぎない?
心中でボヤいてみたのだけど、イリルーアを放置する訳にもいかず、僕は慌てて後を追っている。
というのも、魔王国......この世界での伝手は彼女しかいないのだ。ここで見放されたらどんな目に遭うことか分かったものではないのだ。
必死に引き留めようとする臣下たちを「黙りなさい!」の一言で沈黙させた彼女は、直ぐにでも砦から飛び出さんばかりの勢いで足を進める。
「これはさすがに拙いわね。もうすぐ陽が暮れそうよ。それに、街や村に向かうなら最低でも愛菜の遠見が欲しいわ」
魔王のオーラで臣下を寄せ付けないイリルーアを見やり、僕の肩に乗る氷華が焦った様子で囁く。
確かに、時間的にも夕方に差し掛かっているし、敵がこちらに向かっていることを考えたら、愛菜の遠見は必須に思える。
「魔王! イリルーア! まって、少し待って!」
「待てません。今この時も抵抗すらできない者達が、人族に蹂躙されているかもしれないのです」
「その気持ちは分かるけど、闇雲に向かっても誰も助けられないよ? 君は何のために向かうのかな?」
僕の厳しい言及を耳にした途端、彼女はピタリと足を止めた。
頭に血がのぼった様子のイリルーアだけど、僕の言葉に耳を傾ける程度には冷静さを残していたようだ。
しかし、彼女は足を止めたものの、キツイ表情と鋭い眼差しを僕に向けてくる。
うっ、そんな目で見るはやめてくれないかな? まるで僕が悪いみたいじゃん......
「では、どうしろと」
「もうすぐ陽が暮れるし、暗くなっても問題ない装備、それと食料。あと、できれば村人を運べる手段だね。それに愛菜を連れていきたい」
彼女に凄まれて思わず後退ってしまったのだけど、肩に乗る氷華から「しっかりしなさい」と叱咤され、僕は必要だと思うことを口にする。
勿論、僕は暗くなっても何の問題もない。しかし、彼女も行く気なら、暗闇でも行動できる準備が必要だろう。当然ながら、街や村の人々も然りだ。
更に付け加えるなら、食べ物や移動手段は必須とも言えるだろう。
必死になって何とか助けても、飲まず食わずでは逃げられないだろうし、徒歩で逃げるなんて限界があると思う。
ところが、彼女は眉間に皺を刻んで可愛らしい顔を歪ませると、それは難問だと告げてきた。
「装備と食料は何とかなりますけど、街や村の人々を運ぶほどの手段となると、それは不可能です」
「やはりそうなるよね......ちなみに、この世界の一般的な移動手段は?」
「馬車です。沢山の人を乗せるのなら荷馬車ですが、それでも二十人も乗ればいっぱいになります」
「二十人か......それは少なすぎるね。まあ、取り敢えずそれでもないよりはマシか......子供やお年寄りを乗せるだけでも全然違うし......まあ、助ける規模にもよるけどね......」
結局、僕の忠告を聞き入れたイリルーアは、渋々といった様子で臣下の者に準備するように告げ、僕等は愛菜を迎えに来たのだけど、負傷者を収容する建物は飛んでもない状況になっていた。
その建物の中に居る負傷者の数にも驚かされたのだけど、それ以上に愛菜を崇める者達の姿に唖然としてしまった。
「女神の降臨だ。見てくれ、オレの千切れ飛んだ右腕がくっ付いたぞ」
「オレもだ。潰れていた左目が見えるようになったんだ」
「お前らなんて大したことないぞ。あいつなんて虫の息だったのに、今じゃ自分で立ち上がってるし。女神様のお力は半端ないぞ」
「女神様、感謝します」
「本当にオレ達は運がよかったんだな。女神様に助けてい頂けて......」
未だ治療に専念している愛菜の邪魔をしないように気を使っているのか、既に治癒の終わった者達が彼女を遠巻きで眺めながら、感謝の言葉を口にしたり、頭を下げて拝んでいたりする。
「どうやら、治癒魔法を使えない魔族からすると、再生魔法が使える愛菜は女神に思えるのね。まるで信者が祈りを捧げているみたいだわ」
僕の肩に座ったままの氷華が、少しばかり呆れた様子でその光景の感想を述べた。
まさに、彼等からすると神の所業なのも当然だと思う。
なにしろ、愛菜の使っている魔法は治癒魔法ではなく再生魔法なのだ。だから、潰れようが、千切れようが、砕けようが、その存在が残っていれば、元の通りに直すことができるのだ。
勿論、無くなったものを再生することはできないので、なんでも元に戻せる訳ではないし、目に見えない部分――臓器などに関しては、上手く直せないこともある。
ただ、治癒魔法ではないだけに、治すというよりも、直すと言った方が適切かもしれない。
「ほ、他に深手の方はいますか? あっ、黒鵜さん」
酷く疲れた様子の愛菜が、立ち上がって周囲を見渡したところで、僕の姿を目にしたようだ。直ぐにこちらに歩み寄ってくるのだけど、その途端に彼女はよろめいた。
「ま、愛菜!」
僕は慌てて駆け寄ると、今にも倒れそうな彼女を抱きとめる。
「あ、ありがとうございます。すみませんマナが少ないのに、魔法を使わせてしまって――」
「あっ、無意識に使っちゃったみたいだね。でも、これくらいなら何の問題もないし、愛菜が冷たい床に倒れるくらいなら、マナが消費されることなんてどうってことないさ」
咄嗟に身体強化の魔法を使ってしまった僕に、愛菜はそれを申し訳なく思ったのか頭を下げてきた。
しかし、気を使わせたくないと感じて首を横に振ってみせると、彼女は抱き着いたままキラキラと輝かせた瞳で見上げてくる。
ぬおっ! 愛菜、可愛い......
真摯に見つめてくる彼女を愛おしく感じていると、僕の頬に小さいながらも力強い一撃が見舞われた。勿論、氷華の右ストレートだ。
「ぐほっ! ひょ、氷華、なんで殴るのさ!」
「空気を読みなさい」
不服に思いながらも、氷華の視線を追って周囲に目を向けたところで、僕の背筋が凍り付く。
愛菜のことが心配で周囲のことなど全く気にもしてなかったのだけど、部屋に居る魔族の兵士達から殺気の籠った視線を向けられていることに気付いたからだ。
「あの人族は何者だ?」
「オレ達の女神に......」
「許せん」
「やっちまうか」
「ああ、もちろんだ。女神を、オレ達の女神を救うんだ」
ちょ~、僕が何をしたっていうんだよ。そんなに睨まなくてもいいじゃん......てか、このままだと襲われそうなんだけど......
ゆっくりと立ち上がり始めた兵士達を見やり、危機感に襲われた僕は、愛菜を抱いたまま脱兎の如くその場から逃げ出すのだった。
ガルアス大将軍をはじめ、臣下の者達が必死にイリルーアを押し留めようとしたのだけど、どうやら見事に失敗したようだ。
用意された大型の馬車の近くに、ガルアス大将軍やルーシャルと呼ばれていた女性などが困り顔で佇んでいる。
「イリルーア様、本当によろしいのですか?」
馬車の御者席に腰を下ろしたカラクが、困惑した表情で荷馬車の後部に居るイリルーアへ問いかける。
恐らく、大将軍のみならず、沢山の臣下の者が向けてくる縋るような視線を気にしたのだろう。
しかし、問いかけられたイリルーアは憮然とした様子で首を横に振った。
「構いません。彼等にはここで防衛の準備をしてもらいますから」
「ですが......何かあったら一大事です」
「大丈夫です。私の力を知らないわけではないでしょ?」
「姫様......いえ、魔王様のお力は存じておりますが......」
村人を助けるためだとはいえ、さすがに魔王が直々に前線へ向かうことを不安に感じたのだろう。カラクは必死に食い下がるのだけど、イリルーアは頑として聞く耳を持たなかった。
「何をしているのです? さっさと出発しなさい」
「は、はぁ......」
イリルーアから強引な命を受け、カラクはチラリと大将軍へ視線を向ける。
豪奢な眉をハの字に下げた大将軍がコクコクと頷くのを見ると、渋々といった様子で荷馬車を動かし始めた。
いやはや、困ったもんだね......
頑なに己が意思を貫くイリルーアを見やりながら、僕は溜息を吐く。
なにしろ、同行するのは、僕らを除くとカラクとその部下二人だけなのだ。とても魔王が前線に出る軍勢ではない。
もし敵と遭遇しようものなら、逆に美味しく頂かれてしまうのではないかと思えてしまう。
「もしかして、僕に期待してる?」
「ん~、彼女自身が自分の魔法に自信があるんじゃないの?」
コソコソと僕が自分の疑問を口にすると、氷華は違う印象を受けたようだった。
「だって、とても自信ありげじゃない?」
ああ、そうだね。そういう意味では、君とよく似てるよ。
僕は同意の言葉を声にすることなく頷く。
少なからず、僕にも学習能力なるものがあるのだ。迂闊なことを口にして藪から蛇を炙り出すようなことはしない。
「それはそうと、愛菜、少し休んだほうがいいよ」
「は、はい。申し訳ありませんが、そうさせて頂きます」
再生魔法で負傷者を直し続けていた愛菜は、かなり疲れているように見えた。
それに、食事をとったということもあり、かなり眠そうにも見える。
「こちらを使ってください」
「あっ、ありがとうございます」
「いえ、巫女様のお力で沢山の者が助かりました。本当にありがとうございます」
僕の隣に座る愛菜に、カラクの部下であるリーリャが厚手の毛布を差し出しつつ、頭を下げて感謝の言葉を口にした。
「そ、そんな......私は自分のやりたいことをしただけですから......」
「す、素晴らしいですぅ~、さすがは巫女様ですぅ」
頭を下げるリーリャに向けて、愛菜が頬を赤く染めて首を横に振ると、御者席に腰を下ろすロンロンが、瞳を輝かせながら褒め称えた。
「うおっ、こ、こら、ロンロン、よそ見をするな!」
「あう......すみませんですぅ」
カラクの隣に座って馬車を操っているロンロンが、よそ見をしたことで馬車が揺れる。
当然ながら上官であるカラクに怒られてしまい、彼女はしょんぼりと項垂れる。
まあ、魔王が乗っている馬車なのだから、叱られるのも当然といえば当然だろう。ただ、僕としては魔王が荷馬車に乗る方が異様に思える。
「それよりも、イリルーア様。この先、どういう行動を執りますか?」
しょんぼりとするロンロンを見て、少し可哀想だとか考えていると、カラクが僕の差し向かいに座っているイリルーアへと問いかけた。
すると、彼女は悩むことなく己が意見を口にした。
「勿論、全ての村に向かいます」
ちょ、ちょ~、それって現実的じゃないよね? 確かに、気持ちは分かるけど、だいたい、馬車で移動できる距離なんて知れてるでしょ?
「ここから国境までの間に、街が二つあります。村となると全部で十になりますが、全てを馬車で回ろうとしたら一ヶ月は掛かります」
「ふぐっ......」
僕が非現実的な発言にボヤいていると、カラクから現実的な指摘がなされ、イリルーアは顔を引き攣らせた。
しかし、次の瞬間、彼女は何を考えたのか、僕に視線を向けてきた。
ちょ、ちょ~、なに、その期待の籠った眼差しは......はぁ~。
熱い視線を浴びて、知らぬ顔もできないと感じた僕は、溜息を吐きつつも情報の整理から始める。
「ごめん。正直、状況がきちんと掴めてなくて......確か、人族軍の規模は二万だっけ? それが国境から一番近い村に辿り着く日数、街に辿り着く日数、砦までやってくる日数はどれくらいなの?」
軍議室では大した情報のやり取りがないままイリルーアが飛び出すし、そのあとも愛菜に心酔した者達から襲われそうになるし、全く以て情報を得る機会がなかったのだ。
「国境から一番近い村で通常だと十日くらいだと思います。ですが、万の軍勢ならもう少し掛かるでしょう。街までとなると二十日くらい、砦まで一ヶ月というところでしょうか」
「ん~、ここからその村まで馬車でどれくらい掛かるの?」
「恐らく、飛ばしても十日は掛かります」
「ぐあっ! ダメじゃん......」
カラクの説明を聞いて絶句する。
というのも、彼女の話からすると、一番遠い村の者を逃がすだけでも精一杯ということになるのだ。
全ての街と村の者を避難させるなんて、どう考えても不可能だと思える。
「これって、飛び出してきたのは失敗だ。今からでも街や村に避難勧告を伝える使者を出さないと、一番遠い村を救ってる間に手遅れになるじゃん」
あまりのダメさ加減から、思わず本音を零した僕の頬に、氷華の華麗なコークスクリューブローが叩き込まれる。
「ごふっ! な、なんで殴るのさ」
「少しはオブラートに包みなさいよ」
このところの暴力的な行動にムカつき、すかさず苦言を叩きつけるのだけど、彼女は冷たい眼差しで僕を窘めたあと、チラリと向かいのイリルーアに視線を向けた。
やっば......
そう、目の前の魔王は、まるで地縛霊であるかのように、両膝を抱いて陰々鬱々としていたのだ。
しかし、彼女は屍のような表情になりつつも、ぼそぼそと己が気持ちを吐露した。
「ご、ごめんなさい。でも、でも、できるだけ民に被害を出したくなかったのです。だけど、冷静になってみると、私の行動は軽率ですよね。愚かですよね。間抜けですよね。無知で、おっちょこちょいですよね......」
あっちゃ~、完全に自虐モードに入っちゃったよ......どうしよう......
今更ながらに、己の短慮な行動が軽率だったと気づいたのだろう。イリルーアは自分を責め始めた。
その原因を作った僕は、どうしたものかとオロオロしてしまうし、カラク達から冷たい視線を浴びてしまうし、正直最悪な状況だった。
すると、私の出番がやってきたとばかりに、肩に座る暴力精霊が胸を張った。
「イリルーア、それなら大丈夫よ。近辺の街や村には使者を出しているわ」
「えっ!? それはどういうことですか?」
自慢げにしている氷華の言葉を聞き、塞ぎ込んでいたイリルーアが勢いよく顔を上げる。
「現状についてはカラクから聞いていたの。だから、少し遅いかもしれないけど、避難勧告を出すように大将軍へと進言したのよ」
「そ、そうだったのですか。ありがとうございます」
「ちょ、ちょ~、いつのまに? てか、状況を知ってるなら教えてくれてもいいじゃん」
「あなた達が食事をしている間に段取りしたのよ。感謝してよね」
イリルーアは感謝の言葉を口にするのだけど、僕としては鼻高々にしている氷華の態度にムカつく。
それならそうと言ってくれたら良いのに、きっと、私SUGEEEしたいがために黙っていたはずなのだ。
ただ、彼女のお陰で助かったのも事実なので、今回は苦言を口にするのをやめて、これからについて話し合うことにした。
「それじゃ、取り敢えず一番遠い村に直行するでいいのかな? かなりギリギリだから、戦いになるかもしれないけど」
「それでも、一人でも多く助けたいのです。黒鵜様さえ良ければ、そうさせてください」
結局、瞳を潤ませて懇願してくる彼女を無下にもできず、僕は最前線の更に最前線へと向かう羽目になるのだった。