50 レギッシュ砦
このアイノカルアという世界は、大きく四つの種族で成り立っていた。
大陸の北の寒冷地帯に領土を持つ魔族。温かく緑の多い南に生息する妖精族。森と荒野の二面性を持つ西国の獣族。そして、大陸を手中におさめるようと企む東国の人族だ。
イリルーアから聞いた話によると、比較的に物静かな魔族は強大な魔法を使い、自然を愛する妖精族は霊術を操り、裏表の少ない直情型の獣族は発達した運動神経を持ち、人族は知恵と野心を持っているようだ。
まあ、僕が劣等意識の強い人間なだけに、人族の在りようは分からなくもない。他よりも能力が劣っているが故に、知恵と工夫で乗り切るほかないのだ。そして、無い者が持つ羨望という感情は、容易に嫉妬となり、欲望や願望が生まれる。
所謂、無い物ねだりというやつであり、自分より優れた者が居なくなれば、自分が一番に成れるという愚かな考えだ。
そんな四つの種族が生息する大陸がアイノカルアの全貌なのだけど、少しばかり想像と違ったのが、魔族が僕に与えたイメージだ。
アニメやラノベに毒されている僕としては、魔族といえば、どうしても悪しき存在を想像してしまう。
しかし、彼等は僕の知る空想の存在とは違って、ただ単に魔法を使う種族というだけで、どちらかと言えば、人間よりも遥かに誠実な者達だった。
その証拠に、僕等のためになればと、出し惜しみすることなく宝物庫の中にあった魔具を提供してくれた。
とうのも、現在の僕が様々な聖具を持つという勇者に立ち向かうのは、小動物が竜に立ち向かうほどに無謀な戦いだと伝えたからだ。
僕の言葉を聞いたイリルーアは、神妙な面持ちとなったのだけど、ならばと宝物庫に案内してくれたのだ。
という訳で、魔王城の宝物庫で準備を済ませた僕等は、速やかに国境に一番近い砦へとやってきた。
ただ、その方法は僕等の想像を絶するものだった。
「ふっ、ここが砦? 暗い部屋だけど......それにしても凄いね。文明の利器なんて比じゃないよ」
未だ薄っすらと輝いている魔法陣の上に立ち、狭く薄暗い部屋を見渡した僕が疑問の声を零すと、透かさずイリルーアが笑顔で頷いた。
「はい。ここはレギッシュ砦、魔王国の南東にある砦です」
「確かに、転移魔法陣とか凄すぎだわ」
「これって、地球に持って帰れないかな?」
「でも、少し酔ったような気が......」
イリルーアの返事を聞き、氷華、一凛、愛菜の三人が転移魔法について感想を口にする。
愛菜に関しては、どうやら乗り物酔いの状態となっているようだ。少しばかり足元が覚束ない様子でフラフラとしている。というか、よろよろと倒れたかと思うと、そのまま僕にしがみ付いてきた。
「ちょ、ちょっと、もう少し離れなさい」
「お前等、不順異性交遊だぞ。補導だ!」
「ちょ~、これで不順異性交遊はないよね」
僕の腕に抱き着く愛菜を見やり、氷華と一凛が眦を吊り上げる。
そんな二人に抗議の声をあげるのだけど、秋の枯葉の如く簡単に吹き飛ばされてしまう。
「黒鵜君は黙ってて! なに鼻の下伸ばしてるのよ」
「この女たらしが!」
伸びてないから。全く伸びてないからね。てか、女たらしって......それはないよね......
僕は氷華と一凛の言葉に不満を抱くのだけど、愛菜の方は気分が悪いようで、それどころではないようだ。
まあ、転移魔法で乗り物酔いになるかについては疑問だけど、本人がそう言うのだから、向き不向きがあるのだろう。
「大丈夫? 愛菜」
「は、はい。ごめんなさい。でも、少し気分が悪くて......もう少しこのままで......」
調子の悪そうな愛菜を気遣うと、彼女は更に身体を寄せてきた。
おおっ、いまだ育ち切っていないとはいえ、こんなに女の子がくっ付いてくるとドキドキしてくるんだよね......
女の子に対する免疫の少ない僕がドギマギしていると、イリルーアがわざとらしい咳払いをしつつも先に進むことを告げてきた。
「コホ、コホンッ! 取り敢えず、軍議室へ行きましょう」
「そ、そうだね。ああ、そういえば、あの転移魔法陣って、瞬時にいどうしてるの?」
少しばかり恥ずかしくなった僕は、話を変えるべく急かしてくるイリルーアに魔法陣について尋ねる。すると、彼女は一気に笑顔を作って見せたかと思うと、自慢げに転移魔方陣について説明を始めた。
「はい。あの魔法は亜空間移動を可能にしてますので、転移している間の時間は無に等しいです。ああ、それと、国宝級の魔法なので他言無用でお願いします。悪用されたら困りますからね」
確かに彼女の言う通りだろう。便利な魔法ではあるのだけど、悪用されることを考えたらとんでもない魔法だと言える。
しかし、イリルーアはニコリと微笑みながら、その可能性の低さについて補足してきた。
「でも、一応は行使者を限定していますし、出発地点と到着地点に魔法陣を用意する必要がありますので、決まった場所にしか転移できないです。だから、そうそう悪用されることはないと思います」
「なるほど、どこでも行けるという訳じゃないんだね」
「はい」
「ひっ!」
イリルーアの説明を聞きながら、石造りの通路を歩いていたのだけど、僕の腕にしがみ付いていた愛菜が、突如として慄きの声をあげて顔を引き攣らせる。
「どうした――」
「酷い......」
ガタガタと震え始めた愛菜を見やり、直ぐにその理由を尋ねようとしたのだけど、それより先に彼女が青い顔で声を漏した。
現在はただの通路を通っているだけで、特に驚くようなことは何もないはずだ。そのことを踏まえて考えると、恐らく彼女は遠見の能力で何かを目にしたのだろう。
彼女は僕の腕から手を放すと、先端に紫の宝珠が取り付けられた短杖を両手で握りしめ、視線をイリルーアへと向けた。
勿論、その短杖は宝物庫の中にあった魔具であり、イリルーアから借りている物だ。
「あの~、けが人が沢山いるみたいなんですけど......」
彼女がやや震える声で問い掛けると、イリルーアは表情を沈ませた。
「先の戦いから、まだ一ヶ月半程度しか経ってません。だから、傷の癒えていない者が沢山いるのです」
「魔法で治癒とかできないんですか?」
「魔族は魔法を使えますが、癒しの魔法は存在しないのす。だから、自然に回復するしかないのです」
イリルーアの発言は驚くものであり、まさかと思える内容だった。そして、愛菜との会話から察するに、かなりの怪我人がいるようだった。
しかし、僕は再生魔法を習得して居ないので、どうにかしてあげたくても何もできないのが実状だ。だから、残念なことに、悲しげな表情を見せるイリルーアを励ます術を持っていない。
まあ、再生魔法を覚えていても、今の僕じゃそれほど役に立つと思えないんだけどね......
力になれなくて少しばかり申し訳なく感じていると、胸の前で短杖を強く握りしてめている愛菜が決意の表情を見せた。
「わ、私が再生......いえ、治癒します」
「えっ!? もしかして、竜神の巫女は治癒の力をお持ちなのですか?」
愛菜の言葉を聞いたイリルーアが瞳を見開いたまま迫りくる。
僕を竜神と呼ぶイリルーア達は、愛菜のことを竜神の巫女と呼ぶのだ。
「は、はい。全員は無理かもしれませんが、せめて重体の方だけでも何とかしてみます」
「ありがとう......本当に、ありがとう御座います。カラク、案内をお願いします」
「はっ! 竜神の巫女様、感謝します。こちらです」
金色の瞳に涙を浮かべたイリルーアが頭を下げつつ感謝の気持ちを伝えると、直ぐにカラクへ案内するようにと告げた。兵士達が傷ついていることに酷く心を痛めていたのだろう。頭をあげた彼女は満面の笑みにキラキラと光る涙を流していた。
この子は本当に心根が優しいみたいだ。でも、これで魔王なんてやっていけるのかな? いや、それよりも......
「ねえ、一凛」
「ん? なんだ?」
「愛菜について行ってあげてよ」
「うちが? まあいいや。分かったよ」
愛菜一人に行かせるのが心配だと感じて、僕の肩に座る一凛に頼み込むと、彼女は少しばかり顔を顰めつつも頷いた。
勢いよく飛びたった彼女は、愛菜の頭の上に乗ると、そもままドスンと胡坐を掻く。
それを見て安心した僕は、カラクに連れられて怪我人の集まる場所へと向かう愛菜を見送る。
「じゃ、愛菜、気を付けてね。何かあったら、直ぐに携帯で知らせて! 一凛も頼むよ」
「はい。頑張ってきます」
「任しとけ!」
何も無いとは思うけど、一応は注意するようにと声を掛けると、愛菜はコクコクと頷き、一凛は右手を上げて答えてくるのだった。
まるでお通夜のような部屋に辿り着いたのは、愛菜を見送ってから暫く脚を進めたあとだった。
その部屋は砦の軍議室だけあって煌びやかさはなく、大きな木製のテーブが置かれ、それを囲むように椅子が並べられているだけだった。
ただ、その重苦しい空気は、部屋の質素さから来ているのもではなく、戦況の劣勢から生まれているのだろう。誰もが腕を組んで、苦虫を噛み潰したかのように顔を顰めていた。
「あっ、姫様......いえ、魔王、ここは危ないです。直ぐに王城にお戻りください」
イリルーアが先に軍議室に入ると、立派な口髭を生やした年配の男が慌てて立ち上がった。
しかし、僕が続いては言った途端、他の者達が罵り声をあげはじめた。
「なにゆえ、ここに人族が!」
「姫様にまで手が伸びていたのか! くそっ!」
「なんて卑劣な奴等だ!」
「くっ、こうなったら、我が身を賭しても姫様をお救いせねば」
室内に居た誰もが立ち上がって剣を抜く。
どうやら、僕を人族の兵だと判断したようだ。
「お静まりなさい。この方は竜神様です。敵ではありません」
「ん? 竜神様? それはいったい何の話ですかな?」
イリルーアが首を横に振りつつ、いきり立つ者達を諫めると、口髭の男が腕を組んだまま首を傾げた。
もしかしたら、ここに居る者達は前線に出ていたことから、闇精霊のお告げを知らないのかもしれない。
「精霊王グルアダからお告げがあったのです。竜神様が降臨するので助けてもらえと。そして、こちらが竜神の黒鵜様です」
「な、なんと、そういうことですか!」
「本当ですか? 竜神......」
「もしかしたら、人族を追い払えるかもしれんぞ」
「グルアダ殿のお告げなら、おお、勝利の兆しが見えてきた」
イリルーアの説明を聞いた者達は抜き放っていた剣を下ろし、複雑な表情をしながらも希望を見出したのか、期待の言葉を漏らし始める。
いやいや、そんなに期待されると困るんだけど......
プレッシャーに弱い僕は喜び始める者達を見やり、少しばかり怖気づいてしまう。
なんたって、元々は日陰でコソコソとしていた引き篭もりであり、注目を浴びると緊張していしまう体質なのだ。
悪鬼のごとく眦を吊り上げていた者達が、一瞬にして笑顔を向けてくるのだけど、僕は思わず後退ってしまう。そう、視線の集中砲火を浴びて、塩をかけられたナメクジの如く縮こまってしまう。
しかし、イリルーアは気にすることなく僕に席を勧めてきた。
「さあ、どうぞ、竜神様。こちらにお座りください」
「えっ!? ちょ、ちょ~、そ、そんな真ん中じゃなくていいから、もっと隅っこが......」
「何をおっしゃる。さあ、どうぞどうぞ、竜神――黒鵜殿。あっ、私は魔王軍で大将軍の任を承っているガルアスと申します」
モロに主役っぽい席を勧められてドン引きしていると、口髭の男が自己紹介をしつつ、僕の背中を押して強引に中央の席に座らせた。
その雰囲気は、見るからに藁にも縋るといわんばかりだ。
なにしろ厳つい魔族の男が、僕のような小僧に対して腰を低くしてくるのだ。それなりの期待をしているに違いない。
こりゃ、こまったな......何とかしないと僕の目的も果たせないんだけど、今の力じゃどうしようもないんだよね......一応はイリルーアから奥の手を貰ったんだけど、それもどれだけ効果があるか......なんか、胃が痛くなってきた......
「それで、人族の侵攻状況はどうなってますか?」
何とかしなければという重圧に押しつぶされそうな僕を他所に、イリルーアは席に腰を下ろした途端に本題へと突入した。
本来であれば、父である前魔王の最後について知りたいはずだ。しかし、彼女はそれを口にすることなく、戦況について尋ねる。
恐らく、現魔王である役割を果たしたいと考えているのだろう。
痛々しいまでに健気な雰囲気を感じさせるイリルーアの言葉に、誰もが僕と同じように考えたのだろう。沈痛な面持ちで首部を垂れている。しかし、それでは話が始まらないと考えたのか、大将軍ガルアスが神妙な面持ちで説明を始める。
「レルラウガ様のお陰で勇者は深手を負っているようです。そのため、人族の兵が前面に出てこちらに向かっています。この砦に辿り着くまで一ヶ月は掛かるでしょう」
一ヶ月か......あれ? 一ヶ月? こっちの一ヶ月ってなん日なんだろ? いや、それ以前に単位が同じなのはなんで? もしかしたら、精霊の自動翻訳って、単位も合わせてくれるのかな?
ガルアスの説明を聞いて、思わず素朴な疑問を抱くのだけど、それは本題ではないし、取り敢えず精霊の能力だということにした。
「父上......いえ、それよりも、被害はどうなってますか? 国境から砦までの街や村はどうなってますか?」
思わず父親のことを尋ねようとしたイリルーアだったのだけど、その言葉を呑み込み、直ぐに避難状況について問いかけた。
しかし、その途端にガルアスが押し黙ったまま唇を噛みしめる。
「どうしたのですか? なにか拙いことでも?」
ガルアスの様子がおかしいと感じたのだろう。イリルーアがすかさず尋ねると、ガルアスの隣に座っている女性が勢いよく立ち上がって頭を下げた。
「申し訳ありません。私の手違いで街や村に連絡が行き届いてませんでした」
「ルーシャル、それは違う。全ては私の判断ミスなのだ。魔王、どうか私を罰してください」
ガルアスは立ち上がると、頭を下げる女性を庇うかのように、その場で頭を下げた。
ところが、イリルーアが気にしたのは、そんなことではなかったようだ。
「誰が悪いなどと、そんなことはどうでも良いのです。現状は......街や村の状況は? どうなっているのですか」
誰もが押し黙ったまま首を横に振る。
恐らく、誰もがその状況を把握していないのだろう。
その途端だった。イリルーアは物凄い勢いで立ち上がると、席を離れてツカツカと部屋を出て行こうとする。
「姫......魔王、どこへ行かれますか?」
無言で退室しようとするイリルーアに、ガルアスが慌てた様子で問いかける。
すると、彼女はピタリと足を止めると、頭だけをゆっくりと動かし、視線をガルアスのみならずこの場に居る臣下全員へ向けた。
「魔王国の民を救いに向かいます」
その言葉を発したイリルーアの姿は、これまでと打って変わって魔王の威厳が備わっているように思えた。そう、少なくとも僕は彼女を真の王だと感じたのだ。
ただ、僕が凛々しい姿のイリルーアに感動している間に、彼女は呆気にとられた臣下を他所に、そのまま軍議室から飛び出したのだった。