44 最強魔法
ここから見えるベヒモスは巨大な岩のようだ。
その巨岩に攻撃を仕掛ける氷華と一凛は、恰も羽虫がブンブンと飛んでいるかのようであり、思わずぺしっと手で叩き落したくなってくる。
まあ、そうした途端に、僕はこの世の者では無くる気がするので、決して試みたりはしない。いや、それどころか、その想像を口にしただけで酷い目にあうだろう。
だから、今の感想は忘却の彼方へと送り出す。
それはそうと、視線を変えるとそこには百人くらいの者が、遠巻きに僕を凝視していた。
そう、現在の僕は人の声が聞こえた学校の屋上に立っている。
僕が舞い降りたことで、そこに居た者達は、蜘蛛の子を散らすが如く一斉に逃げ始めた。
ところが、逃げ遅れてしまったのか、はたまた、興味が勝ったのか、視線の先に居る者達は距離を置きつつもここに残って僕の様子を覗っている。
「あの~」
取り敢えず、黙っていても仕方ないので話し掛けると、様々な囁き声が耳に届く。
「に、日本語よ。日本語をしゃべってるわよ」
だって、日本語しか知らないし......
「てか、日本人に見えるぞ」
だって、日本人だし......
「こ、子供に見えるんだが」
まあ、子供といえば子供かな?
「中学生くらいかしら」
おめでとう。正解です。
「つ~か、空を飛んできたし、人間じゃないだろ」
いえ、残念ながら人間なんですよね......
「人型の魔物か!?」
魔物......普通の人からすればそう見えるのかな?
「それはあるかも......」
いやいや、ないない......少し想像力がぶっ飛び過ぎてるよ。
「いや、炎とか出してたし、異世界から転移してきた魔法使いじゃないのか?」
魔法使いなのは確かだけどね。てか、あなた達にも出来る筈だけど......
「ま、まじ? なんかちょっと格好いいかも」
マジ! ねえ、お姉さん、ほんとに? カッコイイの? マジマジ?
見るからにやつれて、痩せ細っているのだけど、きっと空腹よりも好奇心が勝っているのだろう。僕を見て好き放題の憶測を並べている。
思う処は多々あるのだけど、僕としては、ここの人達がよくこんな状態で生き残れたものだと感じてしまう。
ん~、この様子からすると、ここの人達って能力のことを知らないのかな? どうやって、これまでやってきたのかな? この人達が生き延びている事の方が、僕の魔法よりもよっぽど不思議なんだけど......
まあ、能力のことを知っていても、僕等の力は異様なものだろうから、とても現実世界の人間だとは思わないだろう。
ただ、魔物が徘徊するこのご時世に、ここの人達はどうやって食料を確保し、どうやって命を繋いできたのだろうか。
色々と疑問を感じてしまうのだけど、取り敢えず話を進めることにする。
「あの~、あの魔物――ベヒモスを倒すんで、非難して欲しいんですけど......」
少し話が戻るけど、僕等は色々と考えた結果、学校に避難している者を守ることにした。
ただ、この学校に居る者達を守るためには、大きな問題を解決する必要があった。
それはベヒモスとの距離であり、この距離は僕や氷華の魔法の影響範囲になると思えたのだ。
そんな理由で、現在の氷華と一凛はベヒモスをなるべく遠ざけるために戦っている。
そして、僕がここの人達に避難を呼び掛ける担当となってしまったのだ。
「あれってガメラじゃないのか?」
「オジサン、それ古いよ」
「てか、ベヒモスでもいいけど、あれを倒せるのか? マジで? あんなの自衛隊でも無理じゃね?」
「非難ってどこに?」
「というか、どうやって飛んでるの? わたしも飛んでみたい」
「何言ってるのよ。あなたは頭の中がぶっ飛んでるじゃない」
これじゃ、話しになんないや......誰か、代表者とかいないのかな......
問い掛けに対して、様々な返事とも呼べない声が返ってくるのだけど、全く収集の付かない状況に僕は困り果てる。
すると、そこで、僕のスマホがブルブルと震え始めた。
どういう原理か定かではないけど、電源すら入らないスマホの画面に和理の名前が浮かび、僕は直ぐに着信のボタンをタッチする。
「あっ、和理?」
『区長ですか? 今、学校の前に到着しました。恐らくグランド側の門だと思います』
耳に当てたスマホから和理の声が聞こえてきたことで、僕は屋上からグランドを見下ろす。
そこには燃料の入っていないはずの大型軍用車両が止まり、煌々と光るヘッドライトが門を照らしていた。
「了解。僕は屋上にいるんだけど......そのまま入っちゃって。段取りを済ませたら直ぐに行くよ」
『了解しました』
和理との会話を終わらせてスマホの切断をタッチする。
「ちょっと、携帯が使えるの?」
「どうやってるの? 私のは全然使えなかったわよ」
「いったい、どういうこと?」
「どうやって充電してるの?」
「電波が届いてるの?」
僕がスマホを使っていることが、なによりも驚きだったのだろう。
次々に質問が飛んでくるのだけど、それの相手をしている場合ではない。
「あの~、代表者とか居ないんですか? あれを早く倒したいんですけど......」
二進も三進もいかない状況に、僕はほとほと呆れ果て、代表者を出してくれと頼むのだけど、誰もが顔を見合わせて悩んでいるように見える。
どうやら、ここには代表なんて存在しないのだろう。
ほんと、よくこれで遣ってこれたね......まあいいや、もう時間の無駄みたいだから勝手に進めさせてもらおう。
結局、時間ばかりを無駄に消費し、僕は立ち寄るんじゃないかったと後悔しながら、ここの避難者を説得するのを諦めてグランドへと飛び降りるのだった。
少しばかり疲れた僕が広いグランドに舞い降りると、大型車両から続々と降りてきた特務隊『翔』がテキパキと整列を始めていた。
整列を指揮しているのは、生徒会長である明里であり、他の生徒会の面々は彼女の後ろに並んでいる。
「悪いね。こんな危ないところに来てもらって」
「いえ、これは私達にも関係する事ですから」
明里は当然だと答えてくるのだけど、その顔は少しばかり強張っている。
なにしろ、敵はここからでも巨大な甲羅が見えるベヒモスなのだ。彼女達が臆したとしても責めることはできないだろう。
ただ、特務隊『翔』の面々は、どちらかというと好奇心に瞳を輝かせていた。
その時だ。茜が声をあげた。
「あっ、氷華教官と一凛教官が飛んできた......」
彼女が声を発した途端、誰もが見上げて驚きを露にし始めた。
「ほ、ほんとだ! 飛んでる」
「飛行魔法まで編みだしたんだ......すっげ~~!」
「でも、すごい衣装だよ」
「きゃーー! カッコイイ! うちらもあんな戦闘着がいい」
「だけど、スカートが短すぎる気が......」
男の子は飛んでいることに熱中し、女の子は氷華と一凛の服装に興味を示している。
なんて健全なんだ......僕なら真っ先に胸とパンツに意識が向くんだけど......この子達って純粋なんだね......
少しばかり場違いと思いつつも、子供たちの純粋さに感動していると、僕の横に氷華と一凛がズサっと降りてきた。
二人の出で立ちや振る舞いは、僕が見ても格好いいと思えるほどで、翔のメンバーは誰もが声すら出すことなくウットリと見入っていた。
「かなり引き離したわよ。それよりも、どうだった?」
氷華は子供たちの視線を意識ているのか、少しばかり恰好をつけているように見える。
「うん、かなり距離ができたみたいだね。助かるよ。こっちはぜんぜん駄目だったんだ。統率がとれてないから、話にならなくてさ......」
「それは残念ね。でも、それでよくやってこれたわね」
「僕もそう思うんだけど......憶測ばかりしていても仕方ないし、勝手に守るしかないよ。まあ、ベヒモスさえ倒せば、それ以降はあの人達を守る義務もないし、さっさと終わらせよ」
「そうね。それがいいかも。別に私達の自治区の活動に参加してもらう必要もないし、勝手にやりましょ」
いつもなら見せない仕草をチラつかせながら、氷華が僕の意見に賛成してくる。どう見ても子供達を意識してる。
それに、少しばかり呆れていると、今度は一凛が作戦の確認をしてきた。
「それで、うちはトリでいいんだな?」
「うん。それでお願いするよ」
一凛は返事を聞いて満足そうにする。
ただ、僕としては、トリを一凛に任せているのに、ニヤリとしている氷華の態度が不思議でならなかった。
いつもなら、不服そうな態度を執るはずなのに、なぜ彼女は楽しそうにしているのだろうか。
まあいいや、ここでそんなことを考えても仕方ない。それよりも、さっさと作戦を始めよう。一凛じゃないけど、さすがにお腹が空いて倒れそうだよ......
氷華の態度を訝しく思いながらも、お腹が空いて堪らない僕は、さっそく作戦に取り掛かることにする。
「明里、生徒会と翔のメンバーは、土魔法と氷魔法でこの学校を守ってもらえる? 本当はここの人達を一か所に集めて守る範囲を小さくしたかったんだけど、ぜんぜん話にならなくて......ごめんね」
「いえ、それは私達に任せてください。なんとかしてみます」
「そう? それなら任せるよ。ありがとう」
なぜか怪しい笑みを浮かべながら答えてくる明里を怪訝に思いながらも、それについては彼女に任せることにした。
すると、隣に立っていた千鶴が、両手で持っていた物を前に出しながら声を掛けてきた。
「区長、氷華教官、一凛教官。これをどうぞ。なにも食べてないんですよね? 汐入のおばちゃん達が作ってくれたんです」
そう言う彼女が手にした物は、おにぎりやオカズの入った大きなタッパだった。
「マジか! 食うぞ! 食う。超腹減ってたんだよ~。ふがっ、ぐがっ、うめーーーー!」
「ちょっと、一凛、行儀が悪いわよ。手だって洗ってないし」
チラリと子供達に視線を向けた氷華が、千鶴からおしぼりを受けとりながら、両手におにぎりとオカズを持った一凛を窘める。やはり、子供達の眼を気にしているようだ。
しかし、空腹に勝る敵無しと言わんばかりの一凛は、全く気にしていない。
「ちょっと亀を殴っただけだし、それにトイレも三回しかしてないぞ。さあ、食えよ。ほら、黒鵜も食えよ!」
彼女はベヒモスを殴った挙句、三回もトイレに行ったのに、全く洗っていない手で僕におにぎりを差し出した。
ちょ~~~~! その手で握ったおにぎりを僕に食えと!? 実を言うと、君はバイキンマンだろ? さあ、姿を現せ!
知らぬ間に三回もトイレに行っていたことにも驚きだったのだけど、それよりも差し出されたおにぎりの上でバイ菌が踊っているような気がして、僕は一歩後ろに引いてしまう。
しかし、ニコニコとおにぎりを差し出す一凛の善意を無碍にできず、おずおずと受け取ってしまう。
なにしろ、彼女が食べ物を誰かに勧めるなんて滅多にないことなのだ。
これ、食べても大丈夫だよね? 三秒どころか一分は過ぎてるけど......セーフだよね?
結局、僕は清水の舞台から飛び降りる気分でおにぎりを頬張るのだけど、少しばかり塩分が強いような気がしたのは、きっと気のせいだろう。いや、完全なる思い過ごしだと言ってくれ。
頭上では、星々が己の命を燃やすかのようにキラキラと輝き、馴染みのある青き月と未だ異様に感じる赤い月が柔らかな光を放っている。
そんな夜空に飛びたった僕は、一凛菌に汚染されたかもしれないと不安になりながらも、ベヒモスの様子を確かめる。
ふむ。どうやら、やつも疲れているみたいだ。殆ど動きがないや。
まるで寝入ったかのように大人しくしているベヒモスを見やり、ホッと安堵の息を吐く。
そんな僕の隣に、やたらと子供達から羨望の眼差しを浴びていた氷華と一凛が舞い上がってきた。
ただ、二人とも格好良く宙を舞いながらやってきたのだけど、それが体力や魔力の無駄な消費に繋がっているとは考えないのだろうか。
「どう? 大人しくしてるみたいね」
「エネルギー満タンだぜ! なんでもかかってこい!」
無駄の多い行動に細やかな不満を抱いた僕は、少しばかり冷やかな視線を向けたのだけど、彼女達は気にする様子もなく自分達の思いを告げてきた。
まあいいか......些細なことさ......いや、一凛菌は細やかな問題じゃないかもだけど......
一凛から受け取ったおにぎりを思い出し、少しばかり身震いしながらも、僕は段取りの確認を始める。
「じゃ、先ずは僕が熱を加えるでいいよね?」
「ええ、いいわよ」
「よっしゃ、止めはうちがガツンと決めてやるからな」
氷華は納得の表情で頷き、一凛は元気よくガッツポーズを作る。
それを見て満足した僕は、次の確認を行う。
「下の障壁はどう?」
「もうすぐ完成するはずよ。出来上がったら美奈が信号弾を上げるって言ってたわ」
信号弾? ああ、炎弾を打ち上げるってことか......
「それよりも、黒鵜君の魔法の方は大丈夫なの?」
信号弾とはなんぞやと考えていたところに、少し不安そうな面持ちの氷華が問い掛けてきた。
恐らく、僕の魔法を信用していないのだろう。
まあ、これまでにやってきたことを考えれば、まさにオオカミ少年と大差ないとも言えるので、声高らかに否定する訳にもいかない。
「ん~、あんまり自信がないけど。多分、大丈夫だと思うよ」
「どうしてそう思うの?」
自信がないと言いつつも、少しも自信なさげではない僕の態度が不思議だったのだろう、彼女は続けて尋ねてくる。
ただ、その理由は思ったよりも簡単なのだ。
「僕って、炎の魔法を失敗したことがないんだよ。ああ、規模を間違えたことはあるけどね」
「なるほど......そう言われるとそうね。何度、焼き殺されるかと思ったことか......」
「うぐっ......」
「まあ、いいじゃね~か! さっさと倒して、またバーべキューでもしようぜ」
「「ちょ~~~~! それフラグ!!」」
氷華のツッコミに思わず呻いたのだけど、そこで一凛が思いっきりフラグを立てた。立てやがった! こんちくしょう!
「うはっ! す、すまん......うおっ!」
「ちょ~~!」
「どこ狙ってるのよ!」
さすがに、死亡フラグは拙いと思ったのか、一凛がアセアセになりながら謝ってくるのだけど、そのタイミングで地上から放たれた炎の弾が、僕等に向かって襲い掛かった。
「おいっ、こら! 美奈! 補習だ! 補習!」
両手をブンブンと振り回しながら文句を口にしている一凛を他所に、サクッと炎の弾を避けた氷華が僕に視線を向けてくる。
「まあ、今の私達ならアレを食らうこともないけどね。それよりも、準備できたみたいよ」
「そうみたいだね。じゃ、さっそくやるとしようか」
僕は頷くと、一気にベヒモスへと近づく。
すると、氷華と一凛も付いてきてしまった。
正直、僕の魔法がどれほどの規模になるかも分からないのだ。だから、彼女達の行為を危険だと感じて、直ぐに引き返すように言う。
「ちょっ、危ないって! 下がってた方がいいよ」
「黒鵜君一人に任せておくのも心配だし......まあ、危ないと思ったら直ぐに逃げるわよ」
「そうだな。その時は黒鵜も連れて逃げることになるし、一緒にいた方がいいんじゃね? うちらは仲間だからな」
氷華と一凛は、少し照れ臭そうにしながら、色々と言い訳を口にした。
でも、正直いって、僕はその言葉の内容をあまり聞いていなかった。というのも、彼女達の気持ちが直ぐに理解できたからだ。
そう、彼女達は僕と一心同体だと言いたいのだ。そして、僕は彼女達の何があっても一緒に戦うという気持ちを感じてしまったのだ。
「あはっ! ありがとう。氷華、一凛。僕は果報者だね」
「ふふっ、そうよ。あなたは果報者よ。私みたいな可愛い女の子が一緒に居てあげるっていうんだから」
「おいおい、自分で可愛い女の子はね~よな。でも、うちも一緒にいるぞ! だから、安心してぶっ放せ!」
少し恥ずかしかったけど、熱くなった胸の内を素直に曝けだすと、氷華がニヤリとしながら頷いてき、一凛はツッコミを入れつつも笑顔で右手を突き出してきた。
僕は自分の拳を彼女のそれに軽くぶつける。
「うん、そうだね。ありがとう。じゃ、やるから。危ないと思ったら逃げてね」
「ええ」
「ああ」
氷華と一凛が頷く姿を見て、僕も力強い頷きで応じると、未だジッとしているベヒモスへ向けて右手を突き出す。
そして、最強最悪の魔法を口にしたのだった。
「紅炎!」