23 変わり者
変わり者。
普通ではない。
一般的ではない。
常識に当てはまらない。
それを考えると、普通とは、一般的とは、常識とは、いったいなんだろうか。
それらは、そもそも不変ではないはずだ。
時代、流行り、技術の進歩、国の政策、人の機微。そんな様々な要因によって変わるものだと思う。
実際、挨拶をするのが美徳とされているのだけど、別に挨拶をしなくても病気になることもなければ、死ぬこともない。
それでも、世の中を円滑にするために推奨されている。
それ故に、学校などで常識を規則として教え込むことも已む無しだとは思う。
ただ、それは良い意味で言うなれば、処世術や社会適用を身に就けるためだと言えるのだけど、穿った見方をすれば、刷り込みや洗脳だと言えなくもない。
ということは、普通、一般的、常識、なんて、大多数が支持しているだけのことであり、それも発端は刷り込みや洗脳から発しているようにも思う。
まあ、人に感情がある以上、相手の神経を逆撫でするような行動、周囲に迷惑となる行動を戒める常識は少なからず必要だろう。
そんな世の中で、日本には全体責任という意味不明な言葉がある。
それを意味不明だと思う辺りが、既に普通という世界からズレているとも言えなくもない。
だけど、敢えて言おう。全体責任なる言葉が大っ嫌いだ。更に言うなれば、常識という言葉も大っ嫌いだ。
なぜなら、誰かが便利になるだけの言葉だからだ。まあ、それで得をするのは誰か分からない。
ただ、その言葉を使うものが得をするのは理解してる。
中学に入ったばかりの頃にあった話だ。
午後の授業開始という状況で、教室にパンの食べカスが落ちていた。
それに気付いた教師は、全体責任だと言い、全員に反省文を書かせた。
教師の言い分はこうだ。
「捨てた者も悪いが、見て見ぬ振りをした者も同罪だ」
それなら、そこにゴミがあることを知らなかった者はどうなるのだろうか。
叱られると知りつつも、その考えを反省文に書いた。
結果は、誰もが予想する通りだ。即行で職員室に呼ばれる事となった。
そして、教師が宣う。
「捨てるという行為、見て見ぬ振りをする行為、それを行うものが居る時点で全体責任だ。クラスメイトは一緒に学ぶ仲間なんだから、普段からゴミを放置しないようにみんなで注意すればいいんだ」
もう無茶苦茶だった。
なぜ、クラスメイトというだけで、他の人を注意する必要があるのだろうか? それが仲間外れやいじめの原因に繋がる可能性があると考えないのだろうか。
そんなのは、教師の責任転換でしかない。
僕から言わせれば、全体責任を謳うのなら、教師が一番初めに反省文を書くべきだ。そう、教育が至らないのだから。
それを生徒に押し付けるとは言語道断だと思う。
ここまで話せば解る通り、僕は偏屈で変わり者だ。
独りぼっちは寂しいけれども、変に干渉されるくらいなら一人の方が良い。
誰かと考えが一緒でないと落ち着かないということもない。
決めつけられるのが嫌いで、強制されるのも嫌い。
まあ、簡単に言えば我儘なのだ。
きっと、大人になれば社会に適用できなかっただろう。
だけど、今この世界は、そんな常識が消し飛んでいる。
そう、力こそ正義であり、力こそ全てだと言える世界になったのだ。
なにしろ、どれだけ常識を口にしても、それがまかり通らない魔物が闊歩する世の中になったのだから。
まさに、それを体現するかの如く、縮こまっている者達が目の前に座っていた。
さて、変わり者について考えていた所為で、色々とネガティブな話となった訳だけど、それは置いておくことにしよう。
現在の僕等は、フードコーナーへと舞い戻っている。
正直、さっさとこのショッピングモールからおさらばしたいのだけど、縋り付かんばかりの直樹と蔵人に嘆願されて、致し方なく戻ってきた。
「ところで、僕等にお願いとはなんでしょうか。頼まれても無理なこともありますけど……というか、無理なことの方が多いと思います」
借りてきた猫のようになっている直樹と蔵人を前にして、淡々と事実だけを告げる。
心なしか言葉に棘があるのは許して欲しい。なにしろ、二人は嫌いな部類の人種だからだ。
ただ、直樹の方も少しばかりバツが悪いのか、恐る恐る口を開いた。
「実を言うと、このショッピングモールは大きな問題を抱えてるんだ」
「問題?」
「ああ。かなり切迫した問題だ。君達がこの辺りの者なら、このショッピングモールが二棟建てだということは知ってるよね?」
直樹の言葉に頷くと、氷華と一凛も頷いていた。
一凛はまだしも、氷華が知っていることが驚きだった。だけど、取り敢えずそれについては先送りにすることにして、話の続きを聞くことにした。
こちらの反応を見ていたのか、直樹は頷きながら話を続ける。そして、僕等は驚くべき事実を知ることになった。
彼等は自衛隊の派遣部隊としてこの地域にやってきたのらしいのだけど、幾つかの班に分かれて物資の収集と逃げ遅れた者の救助を行っていたらしい。
ところが、日が経つにつれて、連絡が途絶える班が増えていき、最後は隊を預かる上官までもが戦死してしまったようだ。
すると、何人かの隊員が暴走し始めた。
それに釣られるように、殆どの隊員がその暴走組に流れ込み、最終的には直樹と蔵人二人だけしか残らなかったらしい。
まあ、そこまではまだ良かったのだけど、問題はその暴走組の行動が最悪だった。
暴走した自衛官たちは何を血迷ったのか、自衛隊の装備を我が物にし、西棟を占拠してしまった。
そして、このショッピングモールの物資を掻き集め、更には若い女性にまで手を出し始めた。
恐らくは自暴自棄になっているのだろう。
話を聞く限り、未来に絶望したその隊員たちは、犯罪だと知っても現在を謳歌すると決めたようだ。
そうなると、隊員以外の一般人も彼等に同調する者が出始めた。
そう、ここにきて初めに遭遇した不埒な男達――現在のカッパ隊はそんな者達の一部らしい。
そして、その暴走組はこのショッピングモールを牛耳るために、常に牙を研ぎ目を光らせているとのことだった。
そんな者達から一般市民を守っているのが直樹と蔵人だったという訳だ。
「それで、僕に頼みというのは、暴走組を何とかして欲しいということですか?」
話を聞き終えたところで、先読みして問い掛ける。
すると、申し訳なさそうな表情となった直樹が、切れの悪い首肯を見せた。
恐らく、正義感の強い直樹は、一般人に頼ることを不本意に思っているのだろう。
「あっ、誤解しないでくれ、君達に丸投げするつもりはないんだ。もちろん、オレ達も一緒に戦うつもりだ」
気持ちが顔に出ていたのか、直樹の隣に座っている蔵人が慌てた様子でフォローしてきた。
ただ、彼等には申し訳ないのだけど、非道で非情なことを考えている。
ここで暴走組を何とかして彼等を助けたとしても、それだと延々にここで守り続けなきゃいけないんだよね。仮に彼等の魔法が一人前になるまで待つとしても、いつまでここに居ればいい? いや、守られる者は、きっと守る側になることはないと思う。僕等がここに居れば、この二人はまだしも、他の人達が命懸けで自分を鍛えるとは思えない……
彼等の要望に頷くと、きっとここに居る者達の成長を妨げるはずだ。そして、彼等にとって都合のいい武器となって戦い続けることになるような気がする。
胸中でそんな答えを導き出した偏屈で変わり者の僕は、視線を仲間である氷華と一凛に向ける。
すると、二人は渋い表情をしたまま小さく首を横に振った。
彼女達が何を考えているのかは分からないけ。でも、たぶん同じ答えに辿り着いているような気がする。
二人が同じ結論だと察して、自信を持って直樹と蔵人に視線を向ける。
「とても申し訳ないんですが、お断りします」
「えっ!? なぜだ?」
「どうして? みんな困ってるんだぞ」
断られるとは思っていなかったのか、直樹と蔵人は驚きを露にすると、唾を飛ばさんばかりの勢いで理由を尋ねてきた。
彼等に話しても理解してもらえないと考えて、黙ったまま首を横に振る。
「理由くらい教えてくれ。納得できん」
「き、君は、困っている人を見捨てて平気なのか?」
無言の返事が気に入らなかったのだろう。直樹はムキになって理由を尋ねてくるし、蔵人はまるで犯罪者を見るような眼差しを向けてくる。だけど、議論をする気はない。なぜなら、分かり合う気がないからだ。
僕の行為は卑怯かもしれない。だけど、理解する気がない者と何を話しても無意味だろう。
ましてや、価値観の違う者が、その価値観について話し合っても時間の無駄なのだ。
水と油が混ざらないように、僕等は交じり合うことはない。ただ、お互いの存在を認めることはできる。
だから、彼等の考えを否定する気はない。彼等の正義が間違っていると異議を唱える気もない。その代りに、僕の考えも否定させない。いや、否定しても構わない。でも、彼等の正義を押し付けられるのは真っ平ごめんなのだ。
そう、彼等と話し合えば泥沼に嵌るだけなのだ。
それ故に、何を言われようとも黙って首を横に振る。
「話がそれだけなら、僕等はこれで失礼します。一凛が頂いたコーラの分は飛竜を倒したことでチャラでいいですよね?」
「うっ……」
「うぐっ……」
「うがっ……黒鵜……」
ムキになっていた彼等は、飛竜を倒した話を出されて、慌てて身体を後ろに退く。
オマケに一凛が呻き声を上げた。引き合いに出されて絶句しているみたいだ。
彼等が押し黙ったことに満足して立ち上がる。
というのも、しつこく食い下がられるのを避けるために、敢えて飛竜の話を持ち出したのだ。
そうすれば、彼等は間違っても手を出そうとしないだろう。
なにしろ、彼等が腰を抜かすような魔物を簡単に片づけてしまったのだから。
ドン引きしている直樹と蔵人を他所に、席を立つと静かにそこから移動し始める。
すると、遠巻きにこちらを盗み見ていた者達が、雲の子を散らすように逃げ始める。
ところが、そこから一人の少女がてくてくとこちらにやってきた。
「クロっち、マジでクロっちが飛竜を倒したの?」
小柄で可愛らしいその少女は、戸惑うような様子で声を掛けてきた。
「葛木……」
「ちっ」
首を少しだけ傾げたその可愛い少女は、葛木万葉という名のクラスメイトであり、真面に僕の相手をしてくれた唯一の存在だ。だけど、彼女の名前を口にした途端、隣に立つ氷華から胸を刺すような舌打ちが聞こえてきた。
彼女は身長は百四十センチくらいの小柄な子で、可愛らしい顔をしている。
ただ、彼女の肩よりも少し長い髪の毛が気になる。
恐らく、ファンタジー化が起こってから髪の毛を切っていないのだろう。僕の知る彼女は肩に届かないくらいのショートヘアだったはずだ。
だから、一瞬だけ違う人間に感じてしまったのだ。
それでも、彼女が可愛いことには変わりない。
なにしろ、こっそりと胸を熱くしていたほどの女の子なのだ。
今、密かに胸をときめかせていた少女――葛木万葉と二人っきりで向かい合っている。
彼女の名前を口にした途端、刺々しい舌打ちを放った氷華は、少し離れた場所で仏頂面をこちらに向けている。
その横では、何が可笑しいのか、笑いを必死に噛み殺している一凛の姿もある。
「生きてたんだね、クロっち。ほんとに良かった」
不機嫌な氷華を気にしていた僕の耳に、擦れた葛木の声が届き、ゆっくりと視線を向ける。
可愛らしい顔が嬉しさを湛え、更に愛らしい雰囲気を醸し出していた。
ただ、安堵なのか、不安なのか、それとも感極まっているのか、彼女の瞳は少しだけ涙を溜めているように思える。
「みんな怪物に襲われちゃったんだよ。お父さんも、お母さんも、トオルもスズも……」
彼女は嗚咽を漏らしつつ、その場にしゃがみ込んでしまった。どうやら、その涙は悲しみだったようだ。
トオルというのは彼女の弟で、スズというのは一番仲良くしていた友達のことだ。
泣き声を必死に押し殺している所為か、彼女の背中は大きく揺れる。
でも、その光景を見ても、彼女に掛ける言葉がない。
なにしろ、僕はこの悪夢のような世界を喜ばしく思っていたからだ。
だから、何もできずに、ただただ黙って彼女を見降ろすだけだった。
とても冷たい行動だと感じていることだろう。だって、背中を摩ることもなければ、慰めの言葉を掛けることもない。ただただ静かに彼女の悲しみを見届けるだけなのだ。
でも、それしかできなった。なぜかは分からない。本能的に、直感的に、彼女との間に隔たりを感じ取ったからだ。
どうしてだろう。彼女と一緒に居ても、前みたいにドキドキしない……というか、なんでこんなに冷静なのかな?
冷めた心で彼女を見ている自分が不可解に思える。
一頻り泣き続けていた彼女は、少し落ち着いたのか、それとも何も言わないことを不審に思ったのか、涙に濡れた顔を上げた。
赤くなった瞳は一心に見詰めてくるように感じるのだけど、それでも僕の心は静かな湖畔の水面のように穏やかだった。
「クロっち、なんか変わったね」
「えっ!? そんなことない……と思うけど……」
彼女は縋るような瞳を訝しむような眼差しに代えた。
ただ、全く心当たりのない。だから、首を横に振るしかない。
でも、彼女からすれば、これまでと違って見えのだろう。
まるで観察するかのように上から下まで見遣ると、彼女は徐に立ち上がった。
「そういえば、竜を倒したんだって? 能力者になったんだよね? 凄いな~。羨ましい」
誰かから聞いたのだろう。彼女は両手で涙を拭いながら能力について口にすると、少し悔しそうな顔を見せた。
そんな彼女に、首を振って見せる。
「別に凄くないさ。誰でもできることだよ」
ここまでくれば、さすがに鈍感な僕でも分かる。
彼女達が能力と呼び、僕等が魔法と呼ぶこの力は、別に特別な力ではない。
誰でも使える力であり、その気になれば彼女でも飛竜を倒せるようになるのだ。
でも、彼女はそれに気付いていないのだろう。
「そんなことないよ。凄いよ。もし、私にその力があれば……」
彼女は言葉を途中で止めてしまう。ただ、その眼差しを見れば何を考えているかなんて直ぐに分かる。
だって、彼女の瞳は復讐という名の色彩で染まっているからだ。
だから、一つだけ彼女に助言する。
「葛木にも使えるさ。その気になれば誰でも使えるよ」
「ほ、ほんと!? それってホントなの?」
「うん、強い意志があれば、きっと使えるようになると思う。でも、それが使い物になるかは、本人の努力しだいだけどね」
「そうなんだ……」
助言を聞いた葛木は、一瞬にしてその表情を引き締めると、赤く染まった瞳に決意を漲らせる。
この様子なら、直ぐに使えるようになるだろうな。まあ、コツを掴めば誰でも使えるんだから、それほど難しいことじゃないし。それよりも、そろそろ終わりにしないと拙いかも……
いよいよ爆発寸前と言わんばかりの氷華を見遣り、穏やかならぬ状況を察する。
「それじゃ、僕は行くよ。葛木も気を付けね」
「えっ!? どういうこと? ここに居てくれないの?」
どうも彼女は勘違いしてるみたいだ。僕がここに残るものだと思っていたらしい。
まるで狐につままれたような顔で立ち竦む。
「うん」
唖然とする葛木に頷くと、彼女は何を考えたのか、突如として縋り付いてきた。
「ここの状況を聞かなかったの? めっちゃ拙い状況なんだよ? 一緒に居てくれないの?」
懇願するような眼差しで訴えかけてくる彼女を見て、心が擦りつぶされるような気分になる。でも、ここは情に流される訳にはいかない。
ただ、どうやって彼女の願いを断ろうかと考える。
色々と悩んでみたのだけど、結局のところ、僕が断る必要はなかった。
「そろそろいくわよ」
氷華が絶対零度の声色を響かせると、なぜか一凛が僕の襟首を摘まみ上げた。
きっと、痺れを切らせたのだろう。気が付けば二人は隣に立っていた。
なぜか、いつもよりも距離が近いような気がする。いや、それよりも、僕を摘まみ上げてクスクスと笑っている一凛が気になる。
「あ、ああ、そうだね。そろそろいこうか」
葛木が驚きを露にしていたのだけど、直ぐに氷華や一凛を射貫くような視線に変わったのを見て取り、僕は慌ててその場から立ち去ることにした。
ショッピングモールをあとにした僕等は、夕方が差し迫っていることもあって、ベースキャンプであるコンビニに戻ることを諦めた。
そして、目を向けたのが、ショッピングモールを取り囲むように造られた独立店舗だ。
蔦で覆われている所為で、どれがなんの店舗なのかも分からない。それでも記憶を辿ってある店の前に遣ってきた。
「確か、ここがジーンズショップだったはずだよ」
「じゃ、さっさと入りましょ」
「クククッ」
氷華のつっけんどんな返事を聞いて、一凛が必死に笑いを堪えている。
ショッピングモールを出てからというのも、氷華はとても機嫌が悪かった。
その理由も、なんとなく察しが付く。
多分、葛木との別れ際に、ベースキャンプ地を彼女に教えたのが気に入らなかったのだろう。
それからというもの、素っ気ない返事しかしてくれない。
僕としては、知らない者ならどうでもいい――知っていてもどうでもいい者もいるけど、葛木に対して知らんぷりができなかったのだ。
だから、別れ際に困ったことがあれば、コンビニにくるようにと伝えたのだ。
どうやら、それが心底気に入らなかったようだ。
というか、葛木の姿を見た途端に舌打ちした事といい。氷華は彼女に何かの恨みがあるのだろうか。
氷華の態度を不可解に感じながらも、職人芸のような風の刃を披露する。
「切り裂け! 風刃!」
風の刃は、まるで医者の扱うメスのように、必要な部分だけを切り裂く。
もちろん、建物には傷一つ付けていない。
「うへ~~~、黒鵜の魔法って、どんどん桁外れになっていくな」
「ふんっ、ご都合主義の賜物よ」
見事に入り口の蔦だけ切り裂いた魔法を見て、一凛が感嘆の声を上げるのだけど、機嫌の悪い氷華は思いっきり腐してくる。
ちょ、ちょう! それを言ったらお終いだよ……
根底を揺るがすような言葉に絶句してしまうのだけど、一凛は気にすることなく扉の前に立つと、何も起きないガラスの扉を見て愚痴を零した。
「ああ、やっぱり自動ドアって不便だよな。電気がなきゃただの窓だ」
確かに、彼女の言う通りだろう。
ただ、それに同意することなく、別の言葉を口にした。
「一凛、ちょっと、どいて」
「おっ、ちょ、ちょっとまて、ウチを輪切りにする気か?」
ガラスを切り裂こうとしているのを察して、一凛が慌ててそこから飛び退く。
その動きは、人間とは桁外れであり、野性の豹を思わせるような俊敏さだ。
まさに雌豹のような一凛がその場から離れると、右手を振るって風の刃を繰り出す。
すると、自動ドアのガラスが、物の見事に切り裂かれる。
ただ、出来上がったばかりの入り口を見て、一凛が唖然としている。
「ちょ、ちょっとまて、なんでアーチ状に切れてるんだ? いったいどんだけだよ!」
「だから言ったじゃない。ご都合主義の賜物だって。もう何でもありよ」
驚きを露にする一凛に、肩を竦めた氷華が身も蓋もないことを口にする。
いつまでもご機嫌斜めの氷華を見て溜息を吐くと、用心しながら店舗の中を覗く。
「おおっ、そのまんまだ……」
店舗の中は全く荒らされておらず、当時のように沢山の服が並べられたままになっていた。
といっても、氷華や一凛にはハッキリと見えないだろう。
窓は蔦に塞がれ、照明も灯っていない状態だ。明るさと言えば今あけた入り口から差し込む日差しだけだ。
ただ、入り口が壊されていなかったことから察したのだろう。氷華が然も当然かのように持論を展開した。
「食料を扱う店じゃないし、ファンタジー化が夜中に起こったことを考えたら当然だわ。それに、まだ寒い時期じゃないもの。そうそう服が欲しいなんて思わないでしょ」
「そうだね。でも、スライムが入り込まなくてラッキーだったよ」
自慢げに状況を推察した氷華に、頷きながら素直な本心を口にする。
すると、なぜか彼女は顔を引き攣らせた。
あっちゃ……あの時のことを思い出したのか……
眼尻をヒクヒクとさせている彼女を見て、直ぐに自分の失言に気付く。
彼女は服を全てスライムに溶かされて、恰もローブを纏うかのように、カーテンを身体に巻いていたことを思い出したのだろう。いや、何も着ていない姿を見られたことを思い出したのかもしれない。
どちらかは分からないのだけど、今にも爆発しそうな彼女を見て、あからさまだとは思いつつも、直ぐに話を代えることにした。
「さ、さあ、ショッピングタイムだよ。好きな服をどうぞ」
まあ、お金を払って買う訳ではないから、これをショッピングとは言わないのかもしれないけど、僕は顔をヒクヒクとさせている氷華の背中を押して店内に入った。