11 ドラゴン御用達リゾートマンション
自分の人生とは、いったい何んだったのだろうか。
特に虐められることもなかったけど、友達と呼べる者もなく、学校でも一人でぼんやりとすることが多かった。いや、ほぼ一人きりだと言った方がいいと思う。
ただ、クラスメイトも別に阻害してきたり、あからさまに蔑んだ視線を向けてくることはなかったのだけど、彼等彼女等の心中までは分からない。
それこそ、裏では色々と噂されているかもしれない。いや、もしかしたら噂にすらならないほど眼中にないかもね。
いつからそうなったのだろうか。
小学生の頃は、それほど周囲とのギャップを感じていなかったように思う。
テレビで見たアニメの話題や漫画について、色々と話を交わしていたように思う。
もしかして、思春期のせいだろうか。
気が付くと、これまで友達だと思っていた者達の会話が、酷く面白くないと感じ始めた。いや、それに付き合うのが面倒になったと言った方が良いかもしれない。
別に、彼等が幼稚で自分が大人だった訳でもない。
唯単に、相槌を打つのが面倒だと感じたのだ。
というのも、否定の言葉を口にした時に見せた、彼等彼女等の反応に引いてしまったのだ。
そうだ。その頃からだ。彼等彼女等と同じ輪に居てはいけない、別次元の人間なんだと感じてしまったんだ。
それ以来というもの、なるべく周りに接することなく過ごすようになった。
その空気が伝わるのか、周りもあまり突っ込んだ話をしてこなくなった。
こうして孤独なマイワールドが始まったのだ。
ああ、そう言えば、似たような女子がいたっけ。確か、転校生だったと思うけど、髪をお下げにした黒縁眼鏡の女の子……かなり地味な女の子だったはずだ……名前は~、なんていったっけ……思い出せないや……
虚ろな意識の中で、自分に似たオーラを持つクラスメイトのことを思い出したのだけど、どうしても彼女の名前が出てこない。
てか、なんか聞こえてくるんだけど……
思い出せないことにヤキモキしていると、微かな声が耳に届く。
それは何を言っているのかなんて聞き取れないほどに小さな音量なのだけど、少しずつ大きな音に変わっていくにつれて、理解できるようになる。
ああ、僕の名前を呼んでいるんだね。苗字で呼んでくれるところがグッドだ。決して与夢と呼んで欲しくない。
「――黒鵜君! 黒鵜君! 起きて! もう限界なの! お願い……」
どれくらい叫んでいたのだろうか。
既に擦れかかった氷華の声で目を覚ました。
「つ~~、いてて……」
痛む頭を右手で摩ると、何やらぬるりとした感触が伝わってきた。
うおっ! 血だ……もしかして、自分の血?
己が血に動転しながらもキョロキョロと周囲に視線を巡らせると、側に氷華が座り込んでいるのが分かった。
「あっ、起きたのね。黒鵜君、大丈夫? というか、もう限界なのよ……」
「えっ、何が? 何が限界なの?」
氷華は今にも泣き出しそうな表情なのだけど、それが何なのか理解できない。
それでも視界に入った光景が、ただ事でないことだけは教えてくれた。
「これって、氷華がやってるの?」
「氷の障壁のことなら、そうよ」
そう、横たわる僕とその隣に座り込む氷華の二人を覆い隠すかのように、白い壁が張り巡らされていたのだ。
ただ、天井と床に関しては氷で覆われることなく、ベランダのコンクリートが剥き出しになっている。
しかし、その氷に少しずつヒビが入っているのが見て取れた。
「もしかして、竜が氷を割ろうとしてるの?」
「そうよ。何度も重ね掛けしてるんだけど、もうそのスペースがないの……」
ああ、内側から重ね掛けしてる所為で、氷の壁がこんなに迫ってるのか……
やっとのことで事態を把握した僕は、ゆっくりと身体を起こす。
そんな僕に、氷華は泣きっ面を向けてくる。
「どうするの? もう壁は作れないわよ……でも、このままだと奴等の食料になっちゃう……」
今にも泣き出しそうな氷華を見て、僕は何とかしたいという想いが込み上げてくる。
どうすればいい? さっきは上手く死んでくれたけど、そう簡単に倒せると思えないし……でも、やるしかないよね。後手に回るのは最悪だし……やってみるか……もし上手くここを離れることができたら、また彼女に氷の壁を張ってもらえばいいし……
次のアクションを決意した僕は、上半身を起こして彼女に告げる。
「氷華、部屋側だけ壁を消せる?」
「うん。できると思う」
「よし、じゃ、僕が合図を送るから、そのタイミングで消してくれないかな」
「う、うん、わ、わかった」
僕はゆっくりと立ち上がると、氷華を背に庇うようにして部屋側に両手を向けた。
「それじゃ、いくよ。さん、にい、いち、ゼロ! 消して!」
「氷壁解除!」
「爆裂!」
彼女が部屋側の氷を消したタイミングで、僕は爆裂の魔法を放つ。
その途端、猛烈な爆風と熱が襲い掛かってくる。
ぐあっ、こりゃ~失敗だ……こんなに威力が上がってるとは……ヤバいかも……
両手で必死に頭を隠しているのだけど、物凄い熱が襲い掛かってくる。
しかし、次の瞬間には、その灼熱の爆風が氷の壁で遮られた。
えっ!? あっ、氷華が壁を作ってくれたのか……
目の前にできた氷壁の存在から、氷華の機転に気付いた僕は、ほっと安堵の息を漏らしつつ、彼女に礼を述べる。
「ふぅ~、ありがとう。氷華。焼け死ぬかと思ったよ……」
「ううん、さっきの爆発力からして、きっとこうなると思ってたから……それより、大丈夫?」
「あ、ああ、うん。一応は大丈夫そうかな? ちょっと、頭がクラクラするけど……てか、もう一回やるよ。あれで竜が死ぬとは思えないからね」
「うん。私もそう思う……」
氷華が頷くのを見た僕は、部屋に居る飛竜が生きているかどうか確かめることすらせずに、氷の壁を解除して貰った途端に爆裂魔法をぶっ放す。
それを何度繰り返しただろうか、さすがに疲れが出始めた頃、氷華が僕の肩を叩いてきた。
「ん? どうしたの?」
「そろそろ確かめない? 死んでなくても動けないくらいにはなってるかもよ?」
「そうだね……じゃ、解除して、もし竜が生きてたら直ぐに合図を送るから、また障壁を展開してくれる?」
「うん。分かった。じゃ、解除するよ?」
「ああ」
「解除!」
彼女が氷の障壁を解除すると、目の前の氷の壁が消え去り、もはや原型を留めていない部屋の有様が露になる。
そして、そこには手足をあらぬ方向へと折り曲げた飛竜が転がっていた。
「うおっ! やった! やったよ! 飛竜を倒したよ!」
「ほんと? ほんとだ! やったわ! やったのね」
息絶えた飛竜を見て、僕と氷華が喝采の声を上げる。
しかし、次の瞬間、外に向けて張り巡らせていた氷の壁が砕け散る。
「ハギャーーーー!」
「ぐあっ! やばっ! 爆裂!」
「ゆ、油断したわ。氷壁!」
氷壁を砕き、雄叫びと共に突入してきた飛竜に、僕は慌てつつも透かさず爆裂魔法をぶち込む。
すると、即座に氷華が氷壁を展開させる。
その連携は、自分達でも見事だと思えるほどに素晴らしかった。
ただ、そんなことよりも、疲れ果てた氷華はその場にペタンと座り込み、僕もヨロヨロと尻餅を突く。
それほどまでに、僕等は精神的にも肉体的にも疲労の限界だったのだ。
それでも、飛竜を倒したお陰で気分が高揚していた所為か、僕等二人はニヤリとした顔を突き合わせてクスクスと笑い始める。
「ププッ、黒鵜君、酷い顔よ! ススで真っ黒だわ。逆パンダみたいよ? あははは」
「ちょ、ちょっ、笑うなんてひどいよ。氷華にヘルメットを貸したんだから、仕方ないじゃん」
「そうね……ありがとう」
「どういたしまして……あははは」
氷華に思いっきり笑われた僕だったけど、不思議と憤りを感じることはなかった。
それどころか、彼女とこうやっていることが幸せに思えてくる。
多分、僕一人でも彼女一人でも、既に飛竜の餌になるか、部屋で死を待つことになっただろう。
それを理解してるからこそ、僕等は笑い合えるのかもしれない。
そういう意味では、彼女と出会ったのも初めは最悪だと思ったけど、神が残してくれた望みなのかもと思えた。
実際、彼女がどう考えているかは分からないけど、僕は心中で彼女との出会いに感謝するのだった。
いまだマンションから脱出できていないのだけど、氷華と力を合わせることで飛竜を倒した僕は、最高に気分を良くしていた。
抑々、どう足掻いても敵わないだろうと思っていた魔物だけあって、その感激は一入だった。
そんな訳で、心の大きくなった僕は、史上最高に気前よく彼女の働きを労うことにした。
「ねえ、氷華。魔黒石を拾っていいよ」
「魔黒石? ああ、魔石のことね……これって、魔黒石っていうの?」
「あっ、ごめん。僕が勝手に名付けただけだから、魔石でもいいよ?」
「なるほどね。でも、私が貰ってもいいの?」
「うん。僕はさっき吸収したからね。それに、氷華の頑張りがないと、今頃は二人そろって唯の肉だったし。ああ、でも、結構キツかったんで気を付けてね」
「唯の肉……微妙な台詞ね……確かに竜だし、キツそうね……じゃ、貰うわよ?」
「ああ、いいよ」
僕の言葉を聞いた氷華は、自分のお腹を見て複雑な表情を作ったのだけど、気を取り直して魔黒石の転がっている場所までテクテクと歩いていくと、笑顔でそれを拾い上げる。
「じゃ、遠慮なく……ん? あれ?」
どうやら彼女も魔黒石の価値を理解しているみたいで、嬉しそうに拾い上げたのだけど、直ぐに首を傾げてしまった。
「どうしたの?」
女の子らしい線の細い顎に手を当てて思い悩む氷華を見て、不可解に感じた僕は思わず問い掛けるのだけど、彼女が右手に持つ魔黒石を目にして思い悩む理由を理解する。
もしかして、あれって倒した人間にしか効果がないのかな?
「今まで何も考えてなかったけど、これって倒した人にしか意味がないのかな?」
やはり彼女も同じことを考えていたようで、暫し黙考してたのちに、僕と同じ疑問を口にした。
「僕も同じことを考えてたんだ」
「ん~、取り敢えず黒鵜君が手にしたら分かることだよね。はい」
彼女は座り込んでいる僕の前まで歩いてくると、右手に持った魔黒石を差し出してきた。
せっかく譲った魔黒石だけど、効果がないのなら仕方がないか……
そう考えた僕は、素直にそれを受け取る。
すると、野球ボールサイズの魔黒石が僕の手の中で消えていく。
それと同時に、まるで高価な滋養強壮剤でも飲んだかのように力が漲っていく。
ああ、勿論、そんなものは飲んだことが無いのでイメージに過ぎない。
というか、少しばかりキツ過ぎて、どちらかと言うと、危険ドラッグに近いかも知れない。
当然ながら、危険ドラッグなんて見たこともない。
「やっぱりそうみたいね。今まで確かめる機会がなかったけど、これで一つ判明したわ」
「そうだね……って、氷華も他の魔法使いに会ったことがないの?」
新たな事実が判明して、氷華は納得の表情で頷くのだけど、僕は彼女の言葉の意味するところが気になってしまった。
というのも、この仕様は他の魔法使いと出会えば自ずと解ることだからだ。
「勿論、ないわよ。黒鵜君が初めてよ」
「なるほどね。そういえば、氷華が魔法使いになった話を聞いてなかったね」
「ん~、あんまり話したくないわ……それよりも、早く逃げ出さない?」
これまで氷華に興味がなかったというか、あまり近寄りたくないと考えていた僕は、彼女について何も知らない自分に気付く。
しかし、彼女的にはあまり触れて欲しくない話だったみたいで、僕もそれ以上は尋ねたりしなかった。
それよりも、彼女が言う通り、急いでマンションから抜け出す必要がある。
というのも、ここに至るまでに、既にかなりの時間を費やしてしまったのだ。
ただ、二人で力を合わせて飛竜を倒せたことは大きな収穫と言えるだろう。
「そうだった……うわっ、もう十時だよ……でも、僕と氷華が協力すれば飛竜を倒せるって分かったし、少し安心したよ」
思ったよりも時間が経っていることに焦りを感じながらも、前途の明るさに安堵の息を漏らしたのだけど、彼女は違った意見を持っているようだった。
「そうとも限らないわよ。だって、今回は条件が揃い過ぎてるもの。こんな好条件で戦えるなんてなかなか無いと思うわよ?」
そう言われると、確かにその通りかもしれない。
なにせ、直接戦った敵は一匹だし、こちらは防御を固めるためのスペースが確保できていたのだ。
それに対して、向こうは狭い室内に閉じ込められている状態だった。
「ごめん、そうだね。油断せずにいこう」
「うん。その方が良いわね。とにかく、ここから逃げ出さないと」
僕と氷華は頷き合って、その部屋の玄関へと向かう。
他人の家なのだけど、マンションの仕様からして部屋の作りはウチと同じのはずだ。
ただ、それは同じと思えないほどに散々な状態だった。
勿論、僕の爆裂の影響もあると思うけど、どうやらこの荒れっぷりはそれだけではないように思う。
なにせ、至る所に黒いシミがあるのだ。
「あ、あれって……血痕よね? 臭いも酷い……」
まるで生ごみに埋もれているかのような悪臭が漂う。
それがヘルメットの中に充満したのか、シールドを全開にした氷華が顔を顰めている。
「き、気持ちは解るけど……気にしないようにした方がいいと思うよ」
「そ、そうね……」
正直言って、人の死に未だ馴れていない僕は、なるべく周りを見ないようにしながら彼女に助言する。
抑々、ファンタジーな世界を望んだ僕は、全く以て自分が死ぬことや人の死を考えていなかった。
それを望んだのも、唯単に退屈な平穏から逃げたかっただけであり、自分や他人の痛みなど考えてもみなかったのだ。
そう、僕は幼稚だったのだ。
今更ながらに、愚かな自分の思考を呪いたくなるのだけど、何を言っても遅いのだ。
なにしろ、既に混沌はやってきたのだから。
その部屋に居た飛竜は一匹だけだったようで、僕等は何事もなく玄関までやってくる。
その間、食料や物資を漁るべきかと考えもしたのだけど、部屋の有様を見てそれも諦めた。
「大丈夫そうね」
玄関に辿り着くと、氷華が透かさずドアスコープから外を確認して頷く。
ベランダ側には、彼女が念入りに氷壁を張り巡らせているので、暫くは問題ないだろう。
「じゃ、ゆっくり開けるよ」
「うん。いいわよ」
氷華と立ち位置を変えた僕がドアの取っ手を握って合図を送り、ゆっくりと音を立てないように扉を開ける。
「何も居ないみたいだね」
「もしかしたら、ベランダの方に集まってるのかも?」
「そうだね。その可能性が高いかも」
僕等は頷きつつ共有通路へと出ると、透かさず非常階段へと向かった。
その間、スライムやラフレシア、ヘルドッグが時折現れることがあったのだけど、犬系の魔物は氷華が、植物系やスライム系は僕が倒した。
「やっぱり、魔物にも特性があるみたいね。犬の魔物は私の方が有利だし、植物系やスライム系は水系の魔法に耐性があるみたい」
「そうそう。僕もそう思ってたんだよ。ヘルドッグって僕が攻撃しても身悶えして喜んでるようにしか見えないんだよね……ドMかと思っちゃったよ」
「身悶え……ドM……ププッ。あははは」
「な、なに笑ってんだよ」
「あははは。だって、黒鵜君の表現って面白いんだもの……それに、ヘルドッグとか名付けてるし」
「ううううう……」
思いっきりウケている氷華の所為で、僕は自分の発想が恥ずかしくなっていく。
しかし、どうやら彼女は悪い意味で捉えている訳ではないようだった。
「ごめんごめん。でもね。変だと思ってる訳じゃないわよ。ユニークで面白いと思うし。今度から私も黒鵜君が名付けた魔物の名前を使うわね」
「う、うん」
彼女はこれまでに見せたことがないほどの微笑みを作る。
それにドギマギした僕は、ただただ頷くことしかできなかった。
それを見た彼女は、何が楽しいのかクスクスと笑い始める。
普段であれば、それにクレームを入れるのだと思うのだけど、今の僕には笑顔を見せる彼女のことが可愛く思えて、密かに心を高鳴らせる。
そして、僕はそれを隠すかのように、ただただ照れ隠しのために頬を掻くしかなかった。
一気に緊張感を失った僕等は、お互いに微笑みを交わし合いながらも、なぜか何ら問題なく一階まで降りることができた。
しかし、そこで無数の雄叫びが聞こえてくる。
「気付かれた?」
「ううん、こちらに気付いてないみたい。というか、飛竜って思ったより知能が低いみたいね」
氷華が思いっきり飛竜を馬鹿にするのだけど、彼女の言う通りこちらに向かってくる飛竜は皆無だった。
ただ、その雄叫びが気になった僕等は、マンションから逃げ出しながらもベランダが見える角度まで移動する。
「うっ……マジで?」
「うはっ! なに、これ!」
マンションから少し離れた場所で、見たこともない木々に隠れながらマンションの様子を確認した僕等は、その光景に驚きの声を漏らしてしまう。
度肝を抜かれた僕は、暫くその有様を眺めていたのだけど、落ち着いたところで自分が幸運だったのだと気付く。
「今まで気付かなかったけど、僕って恐ろしくラッキーだったんだろうね」
「そうみたいね。だって、これじゃ竜のマンションみたいだもの……」
氷華が感想を述べた通り、マンションの正面に回ると、無数の竜が飛び交い、彼女の作った氷の壁を攻撃していた。
そう、僕の住んでいたタワーマンションは、いつの間にか飛竜御用達のお住まいに変貌していたのだった。