その手が伝えた熱
差し出された手に戸惑う。
今までこんなことがあっただろうか。
いや、絶対にない。
あったらこんな風になっていなかったはずだから。
だからこそ、分からない。
この手を私はどうすればいいんだろうか。
***
事の始まりは、何だろう。
私の性格のせいかもしれないけれど、この性格を形成される過程まで引き出すと、ひどく長い時間を旅しなくてはいけない気がする。
だから今の私が全て悪い、ただそれだけなのだ。
どうしても学校と言う名の集団生活が苦痛。
人が多いところは苦手。
誰かに合わせるのは面倒。
無駄は省いていたい。
だからこそ私は嫌われる。
別に好かれたいとも思わないけど。
多分、というか絶対こういうところが原因。
まず手始めに行われるのは陰口。
悪口なんて誰しも一度は言われること。
そんなのでいちいち傷ついてたり、気にしたりは時間の無駄だし疲れるだけ。
その後は無視。
こういう時の女子の団結力は凄い。
だから私には友達がいない。
気にしてないけど。
次に来るのは物がなくなる。
ゴミ箱に突っ込まれてたり、隠されてたりと様々だけれどひどい時には使い物にならなくなっているから面倒。
処分する身にもなってほしい。
新しいのを買う身にもなってほしい。
だからなるべく安くて使い勝手のいいものを選ぶようになった。
元々機能性重視だったから、自分が使いやすければそれでいい。
その後に来るのがまちまちだけどどれも面倒。
直接的な暴力暴言呼び出しその他諸々。
暴力は跡の残らないように、見えないところに、というのが決めごとらしくバレたことがない。
そういうのはどこで学んで来るのか、私には到底理解出来ないのだけれど。
女の子の力なんてたかが知れてる。
ただ感情的になって平手打ちの代わりに、拳を振り上げるのは女の子としてどうかと思う。
暴言は人目のあるなし関わらず、言う側の人達が都合のいい場所でのみ。
教師がいたら黙って睨み付けてくる。
大人数で罵詈雑言を浴びせるのは勝手だけれど、それを全部聞き取れるだけの聴力と処理能力を私は持っていないので、そこだけは理解して欲しい。
呼び出しは校舎裏とかベタ過ぎる。
あの薄暗くてジメジメした場所は苦手。
薄暗いのはいいけれどジメジメと湿気が多いところは長時間いたくないので、もう少し人気の少なくて湿気の少ない場所がいい。
薄汚れた校舎裏の壁に背中を押し当てられた後なんて、制服の汚れが気になって仕方がない。
後、行くのが面倒。
慣れは恐ろしいもので、だから何、くらいで済ませてしまういる。
だからこそ嫌われるんだろうけど。
今日も今日とて学校は疲れた、と溜息が出たけれど、今日で何度目か分からない。
一日にどれくらい溜息を吐いているのか。
どれくらい幸せを逃がしているのか。
いつも通り説明通り、色々されたし言われたけれど私の表情は変わらなかったことだろう。
だから他の子達は私をきつく睨む。
化粧で固められた顔で睨まれると、少しだけゾワゾワして気持ちが悪い。
恐怖じゃなくて嫌悪だと思うけど。
帰ろうとしたら呼び出し食らって、相変わらず女の子らしさが欠けてしまう罵詈雑言を浴びせられた。
やっと帰れると思ったら、教室に携帯を忘れたことに気付いて戻る。
あったあった、なんて言いながら携帯を取り出して一息。
正直友達がいないから携帯はあまり使わない。
家族とは連絡を取るのに必要だから使うけど。
メールが届いていたから確認すれば、一人だけいるお兄ちゃんから晩御飯のリクエスト。
自分で作れよ、とか思うけど頼られるのは嬉しい。
美味しそうに食べてくれるから嬉しい。
そんなことを思い返しながら、了解と言う意味で空メールを送っておいた。
帰りにスーパーに寄ろう。
そう決めて机の上に突っ伏した。
少しだけ疲れていて、ほんの少しだけ休養を体が求めている。
だからちょっとだけ目を閉じるだけ、そんなつもりが大誤算を生むことになった。
「……さん、起きて」
名前なんて久々に呼ばれた。
家族以外に私の名前を呼んでくれる人なんて、いたっけ。
夢現の思考回路は全く持って別のことを考える。
肩に触れられて揺らされる感覚に意識が完全に覚醒して飛び起きた。
机から顔を上げた先には眼鏡。
黒縁眼鏡の良く似合う男。
その眼鏡の奥の瞳は男の癖に長いまつ毛に縁どられていて、飛び起きた私を見て驚いたように丸まっていた。
「おはよう」
彼は私の名前を呼んでからそう言った。
私は彼を知っている。
彼も私を知っている。
だからどう、という話でもない。
だって同じクラスだから、どんなに関わりなくても知っていてもおかしくない。
でもおかしい。
何で彼は私のことを名前で呼んで、私のことを起こして、私に話しかけているの。
「大丈夫?」
何が、と言おうとしたのに声が出なかった。
代わりに出たのは変な呼吸音。
それから咳払い。
目の前の彼はそんな私を見て笑う。
笑いながら私に手を伸ばす。
女の子に嫌われることは慣れっこ。
でもこうやって今まで不登校とかにならなかったのは、男の人から何かをされることがなかったから。
そこまで頭の回らない女の子が多いのか、自分の身も危うくなることを恐れているからなのかは分からないけれど、そういうこと。
だから彼が手を伸ばした瞬間に体が強ばって、肩が跳ねてしまうのはどうしようもない。
「跡、付いてるよ」
私の体が強ばったことにも、肩が跳ねたことにも気付いている彼は、なるべく優しく刺激しないように、まるで壊れ物でも扱うように私に触れた。
目尻からゆっくりと頬までを指先でなぞる。
その行動と言葉が意味するのは何か、考えるまでもなく分かってしまう。
だからこそ何も言わずに、僅かに身を反らして彼を小さく睨む。
それから目元と頬を乱暴に拭う。
彼は相変わらず笑っていた。
「送るよ。帰ろう?」
大きいエナメルバッグを肩から下げて、彼は笑顔で私に手を差し出した。
本当に優しく柔らかく守るように育てるように、私に接してくるのだ。
今まで同じクラスで話したこともないはずなのに。
どうするべきなのか分からない。
こんなことは初めてだから。
だから黙って彼の手を見つめた。
無骨な手、男の子の手。
手を取らない私。
手を差し出す彼。
痺れを切らして私の腕を掴んだのは彼。
侵食する熱に泣きたくなる。