2.歩いたよ
長い廊下を男と手をつないで歩く。
私も男も黒い髪であるのだから、第三者から見れば私たちは親娘に見えるのかしらとふと思う。
そうして男を見上げると、視線に気づいたのか男が私の方を見る。
「何かありましたか?」
にっこり笑うその男に、私の中に何ともいえない感情が芽生えるが、それが何なのかを思い出せない。
とても大切な事であったはずのその記憶の存在の大きさに驚きながら、それでもなんとか誤魔化すように言葉をひねり出す。
「ここには誰もいないのですか?」
男と私は、私の寝ていた部屋から出て神様のいる部屋を目指して歩いているのだが、起きてから今まで私と男以外の誰にも出会わず、そしてこの廊下にも人の気配がしない。
よくよく思い出してみると寝ていた部屋は、ずっと昔――まだ私の年齢が一桁だった頃に通っていた学校の保健室のようであったし、今歩いているこの廊下はその学校にあった廊下にとても雰囲気が似ているのだ。
そう思ったら――ここが何かしらの施設か学び舎かであるのならば、人に出会わないのは不思議な事に思え、誤魔化すように出した質問ではあったが、今では心の底から不思議に思った。
「今は授業中ですからね。みなさん教室で真剣に学んでいらっしゃいますよ」
その言葉になるほどここは学校なのかと納得し、神様なのに学校?とも思ってしまった。
それが顔に出ていたのか男はゆっくりと言葉を続ける。
「神様とお話になればわかると思いますが、ここはある技術を学ぶ為に神様がお作りになった学び舎なのです。私もつい先日まではこの学び舎に通っていたのですよ」
誇らしげに、そして少しだけ照れたように話す男の表情に、自然と私も笑んでいた。
男の言う神様の事を男自身が誇りに思い尊敬しているその様子が、私には小さな男の子が胸を張っているように見えて、とても微笑ましかったからだ。
「とても尊敬できる方なのですね、神様は」
私がそう言うと、男は嬉しそうにハイと頷いた。
そして、もうすぐ着きますよと言い、繋いでいた私の手を握りなおし、変わらずに私のペースに合わせて歩き始める。
そのままてくてくと数歩歩いた所で男がまた口をひらく。
「美和子様は驚かれないのですね」
「……何にですか?」
「今の、この状況についてです」
少なくない人数の人たちが私と同じような状況になると驚き、果てには混乱して暴れる人もいるのだと男は言う。
そんな事を言われても、私は自分が死んだ事を知っているのだし、今現在命を狙われているという訳でもなく、そして身体は小さく――若返ったようだが私には子供や孫がいて、わからないからと言って暴れても解決にならない事がわかるくらいには、私も大人であるのだ。
何よりどちらかと言えば、男が私の名前を知っている事に驚いたというのは……言ってもいいのだろうか?
なので、私はその返事に、答えにならない言葉を選んでしまった。
「私の名前を知っているのですか?」
それは男にとって予想外だったようで、少し驚いて歩みを止めた。
手をつないでいる私の足もつられて止まる。
男は私を見下ろし、そして少し屈んで私と視線を合わせて表情を改めた。
「失礼しました。そういえば名乗っていませんでしたね。私の事は十夜とお呼びください」
「トオヤさんですか?」
そうです、十の夜と書きますと男――十夜さんは頷き、そして立ち上がって私と手をつなぎなおす。
十夜さんのとても丁寧な言動にその姿に、やはり私の中の記憶をぐらぐらと揺らすけれど、思い出せない。
なんだったかなぁと首を傾げる私を見る十夜さんの表情はとても優しいもので心地が良い。
「私が美和子様のお名前を知っているのは神様が教えてくださったからですよ」
自分で聞いた事なのにすっかり忘れて考え込む私に、十夜さんはさっきの質問に答えてくれた。
なるほど、神様ならば何を知っていてもおかしくはないのだから、私の名前を知っていても不思議ではないだろう。
そもそもここは神様の作った学校で、そしておそらくは私はその学校に呼ばれるか何かしたとすれば、それは神様が私を招いたという事なのだろうから、知らない訳がない。
そこまで考えて、もしかして?と、ある事に気が付いた。
それを聞こうと男を見上げると、タイミングよく男が私の方を向き、つきましたよと告げたのだ。
「こちらが学校長の…、神様のいらっしゃるお部屋です」
男が扉を3回ノックをする。
すると扉の金具が軋む音と共に内側へ開き、一定の位置で扉が止まる。
自動ドアなのか何なのか、扉は木と金具で古めかしい感じなのにハイテクだなぁと考えながら奥を見て、それから私は姿勢を改めた。
男が失礼しますと言い私の手をひき、部屋へと入る。
部屋の奥の机の手前。
そこに、神様なのであろう男がひとり、立っていた。
敬語って難しい。
※2015年1月28日 ちょっと修正しました
※2014年12月19日 誤字修正しました。