前編
流血、自傷行為等を含む残酷描写、また同性愛的描写を含みます。
所詮世の中顔である。
顔さえよければ多少の失敗もなんのその、どうにかなる。
美少女は最低限の性格さえ保てば大体のことは許される。きっとしがない庶民であろうと美人ならばお貴族様のお眼鏡に適い玉の輿となり食いっぱぐれることはないのだ。ましてやそれが貴族のお嬢様だったなら人生楽勝だ。
「もうっ!そんなわがまま言わないでよぉ。私じゃないと嫌だなんて……皆にそう言われても、私は一人しかいないんだからぁ……」
私のような考え方はあまり褒められたものではない。それはわかっている。 顔が良ければどうにかなるなんてことを言う人は、世の中金だという人に向けるものと同じ蔑みの視線を向けられることだろう。
――それは、不公平で欲望に忠実な考えは多くの人にとって受け入れがたい真実だからだ。
真実だからこそ直視を避ける。
金の力も美しいものへの欲望も、白日のもとに曝け出すにはあまりにも残酷であるのだ。
「またあとでねっ。私はこれからライナちゃんとマネージャー同士で打ち合わせしなきゃいけないんだからっ!邪魔したら怒るからねっ!もうっ!」
だけど私は何度でも言ってやろう。
「もう、駄目だってばぁ。ライナちゃんもなんか言ってやって!」
所詮、世の中顔であると――!!
「………ウチアワセガハジマルノデ、ドッカイッテクダサイ」
私は内心泣きそうになりながらまるで射殺さんばかりに睨みつける美形どもを追い払った。
*****
私が昨年入学したこの学園は、幼等部から大学部までがエスカレーター式の超名門魔術学校法人だ。
魔術大国と言われるこの国で魔術の最先端を行くのがこの学園の研究施設であり、国家規模で運営されているといってよい。当然入学を許される者は魔力をもつ者、それも平均よりはるかに多い魔力量を保有する者だけだ。魔力は魔術に必要なものであり、人によって保有量は異なるが国民のほとんどが保有する。古くから魔力は重んじられてきたため、この国の王族や貴族など政治の中心部にいる人々は特に保有量が多い。よってこの学園の生徒も貴族の子女が半分以上を占めている。この学園の生徒である私はもちろん普通の人より多くの量をもつが、所詮生れは庶民、ここでは下の下と言ってよい。
実のところ、私がこの学園に入学出来たのはスポーツ特待生のようなもので、マネージャーとしての技術を買われたためである。
この国発祥であり、国技であるサカリカリアという競技は、チーム戦で、飛行する円盤の上にプレーヤー一人ひとりが乗り一つの球をパスをしながらゴールに運ぶというものだ。他国ではサカリーアやサッカーリアとも呼ばれている。落下や追突といった危険を伴う競技のため、主なプレーヤーは男ばかりだ。
私は国代表となり華々しい活躍で人気プレーヤーとなった叔父の影響で、幼い頃からサカリカリアに親しみ、手伝いと称してマネジメント技術を教えられてきた。おかげで田舎の中学に通っていた頃、弱小チームを奇跡の全国大会準々決勝まで導いたのだ。(もちろん私たちの世代にそれなりに優秀なプレーヤーが揃っていたからこその結果なので、私も少なからず貢献したということの誇張表現である。)評判をきいてスカウトに来たこの学園の職員がダメ元で私の魔力量を計測したら、幸運にもギリギリ入学条件に見合うだけの量があり、マネージャーとなることを条件に試験免除で入学できた。
ごく普通の田舎娘がこの学園に入学できるとは、あまりにも幸運といえる。
そう、私はどうやらその時に一生分の運を使いきってしまったらしい。
「ライナちゃん、ぼーっとしてるけど大丈夫?」
鈴の鳴るような可愛らしい声に、私は現実に引き戻された。目の前には視界に入って欲しくないほどまばゆい美少女が心配そうに私を見ていた。僅かに傾げた首に、サラリと長い金糸のような金髪が流れる。
「あ、ごめん、大丈夫です」
私のつまらない返事にも、彼女は「それならいいけど」と口元に微笑を浮かべる。背景に薔薇が飛んでいるように見えるのは気のせいか。
冒頭で世の中顔だと豪語した私だが、失礼、少し言い間違えたようだ。
この世は顔と地位と魔力がすべてである。たとえその陰でどれほど平凡が犠牲にされようとも、人々の心は、賛同はその三つのどれか、もしくは全部を持つ人のもとへ行くのだ。残念で哀しい世の中である。……こうして言い直せば少しどころの間違いではないが、美少女とおバカな選手の間に挟まれ私も混乱していたのだ。咄嗟に出てきたのが顔だというのだから、私のコンプレックスがわかるというものだろう。
彼女はジュリア・ルカ・パリナラシオン。金髪碧眼の美少女だ。私と共にこの学園のサカリカリアクラブのマネージャーをしている。魔力量や成績を期待されることもなくいつも下位に位置する私とは異なり、魔力量も成績も上位の有望株で、噂によるとこの学園の理事長の親戚らしい。
地位も魔力もそろった者はこの学園にたくさんいるが、顔、地位、魔力と三拍子揃った彼女は学園のマドンナであり、男女共に熱を上げる者が絶えない。男ばかりのこのチームでも、同じである。
『おい、そこのぱっとしないマネ。ジュリアに迷惑かけてんじゃねーぞ』
『は?なぜ貴女がジュリアに手作りの菓子を貰っているのですか?寄越しなさい、貴女より私の方が有効な使い道があるのですから』
『ねぇ、ジュリアがいれば十分じゃない?あんた、いる意味あるの?』
『えー。オレ、ジュリアが作ったドリンクがいい!』
……手作りの菓子にはおいしく食べる以外に一体どんな有効な使い道があるのだろうか。甚だ疑問なところである。
彼女はサカリカリアのマネジメント技術こそ持ち合わせていないが、彼女の笑顔と一言があれば、選手たちはサボることもなく従順に練習にその身を投じた。
入学してからの一年半マネージャー二人でなんとかやってきて知ったけれど、彼女は“天然”という、私とは相容れない人種だった。彼女が自分の学校のチームメイトはもちろん、他校の選手までその天然っぷりを発揮するせいで私はいつもとばっちりを受ける羽目になった。誰かに彼女が笑いかければ喧嘩が始まり、彼女のもとから離れようとしないから彼女に言われない限りはまともな練習が始まらない。彼女の好意を恋愛感情と混同するバカな男たちのことを理解していないので、彼女の口は面倒事をたびたび呼び込んだ。
なにか事件が起こることに、私は疲れ切っていた。その度に『お前なんかが』と言われ、彼女と比べられ、嫌になるのは当然だった。
私はこれ以上、彼女の隣にいたくなかった。同じマネージャーとして彼女と一緒に行動している私の存在は、寧ろ選手たちのストレスを増やしている。私はいない方が良いと、そう思い始めていた。優秀な彼女のことだ、私がいなくなり必要に迫られればマネージャーとして必要な力をすぐ身につけるだろう。彼女が在籍しているチームだから、彼女の一声で学園理事から一流のインストラクターが来るかもしれない。ああもう私はいっそ村に帰ってしまおうか。
私は何を期待してこの学園に来たのだろう。村の小さな中学校では、人数がぎりぎりでろくな練習設備もなかったけれど、毎日へとへとになるまでみんなで練習をした。チームのみんなが、マネージャーも一緒に戦う仲間だと笑ってくれた。誰よりも強くて優しい“彼”がいた――。
何を期待していたのだろう。彼が村から出て行って、彼の居ない故郷に耐え切れず、それを追いかけるように私も飛び出していった。農家の後継ぎばかりなうえ高校もなく中学卒業とともに解散せざるを得なかったあのチームは、もうどこにもないというのに。庶民の私が、たかがマネジメントができるというだけで認めてもらえるとでも思っていたのか。だとしたら、私はなんてまぬけな人間なのだろうか。
彼女に想いを寄せる選手たちは、本来仲間に向けるものではない憎々しげな視線を私に向ける。選手たちのファンを称する女子生徒たちからの嫌がらせや呼び出しは、もう数える気も失せるほどとなり、私物は肌身離さないことを学んだ。
彼女が悪い訳ではない。彼女に付きまとう選手が、マネージャーなんかに嫉妬するファンが悪い。しかも私が呼び出され危ない目に遭う度に彼女は身の危険を顧みずに私を庇い、泣きそうな顔でごめんねと謝るのだ。彼女を憎みきれる訳がない。
彼女の容姿に入れ込む世の中が悪いのだ。彼女は悪くない。
彼女を、憎める訳がない。
*********
「『憎んでない』?嘘つきだなぁ、君は。君は彼女を憎んでしまうキタナイ自分が嫌なんでしょう?天真爛漫、純真無垢と言われるあの子とは比べ物にならない卑小な自分を認めたくないんだ。……まぁ、それが君の可愛いところなんだけどね」
顎を掬いとられ、無理矢理上を向かされる。せの高い男を見上げると首が痛くて、私は顔を歪めた。
練習帰り、呼び出しを受けた私は空き教室へと向かった。いつもは呼び出しには応じないのだけれど、チームに何かするなどと脅されては仕方ない。呼び出し文を見つけたとき彼女も一緒に居たため知られてしまい心配されたが、それを押し切り私は呼び出しに応じた。一応三十分しても帰らなかったら人を呼ぶように頼んでおいた。
待っていたのは、いつもの女子生徒ではなく一人の男子生徒。黒い制服を身につけ、胸元には成績上位者に贈られる銀のバッジ。艶やかな赤茶の髪に空を映したような真っ青な瞳、色気を感じさせるその雰囲気。思い付く名はシシアン・テア・マルカナート。成績上位者にして伯爵家子息で学園では女子生徒から一、二を争う人気を誇る。
彼とは会話は愚か、目が遭うことすらなかった。正直、顔すらまともに見たことはない。残念なことに私には、女子らしい見目麗しい男子への興味はなかったのだ。その理由はチームメイトの無駄に顔の整った男どもに嫌気がさしているからに他ならない。
さて、空き教室に入った私は、まず場所を間違えたと思い、謝罪の言葉と共に扉を閉めた。そして手紙を取り出しもう一度読み直そうとした時、内側から扉が開かれ、シシアンが苦笑しながら私を招く。
「……一体何の御用でしょうか……」
大人しく教室に入ると、扉が誰が触れるともなく閉まる。おそらくシシアンの魔術だろう。閉じる音に、私はようやく脅されて呼び出されたことを思い出す。
警戒しながら訊ねれば、彼は艶やかな唇を歪める。嘲笑にも見えるその笑顔に全身が総毛立った。
「君はジュリア・ルカ・パリナラシオンを憎んでいるかい?」
「いいえ。そんなことはありません」
私は即座に答える。こういうことは今までにも聞かれたことがあるのだ。早く、明確に答えてしまった方が相手に付け入る隙を与えない。
「どうして?彼女がいなければ、君は大切な仲間として選手たちに受け入れられただろうし、女子生徒からの嫉妬の矢面に立たされることもなかった。全て彼女がいたせいで、君は苦しい思いをしている」
私は首を振り、いかに彼女が憎めない存在であるか語ってやった。すると、彼はさも可笑しそうに笑い、眉をしかめた私の手を勢いよく引っ張った。
「――っ!」
体勢を崩した私は彼の胸元に突っ込んだ。驚きに全身が硬直した。
そして私の言葉を否定する冒頭の台詞に戻る。首と掴まれた顎が痛い。
「何なの、放して……!」
両手で胸板を押そうと身を捩ろうと、きつく拘束する片腕は緩まない。
普通の女子なら見とれてしまうようなその美貌にも、恐怖と嫌悪しか感じなかった。嫌だった。
私の怯えた顔に何を見出だしたのか、彼は満足気に喉を鳴らし、端正な顔を近付ける。吸い込まれそうな青の瞳がみるみるうちに焦点が合わないほどの距離になる。
ろくに恋愛経験もない私にも、次に何をされるかはわかる。必死に抵抗しても、益々体は密着し、締め付けられ痛みが増す。
「嫌っ――!」
喉から乾いた悲鳴が漏れる。怖い、痛い――助けて!
不意に、懐かしい姿が頭を過る。何もない田舎の農村だったけれど、楽しかったあの日々。いつも隣に居たのは、誰よりも優しくて強い幼馴染。もう会うこともできない、遠い世界に行ってしまった、私の大好きな人――
「イア、ン……!」
その呟きが終わらない内に、突然室内に激しい光と震動、轟音――まるで落雷のような衝撃が走った。
「なんだ、良いところだったのに」
やや呆れたような声があがり、シシアンの腕がほどけた。私はそのまま足元へ崩れ落ちる。腰が抜けていたのだ。
「ライナッ!」
柔らかい腕が腰に回り、一瞬の浮遊感ののち背中にまたも柔らかい感触。痛めた首をひねって振り返れば、女神も斯くやという華の顏。
見間違えられる訳もない。ジュリア・ルカ・パルナラシオン。憎んでいるのか私自身もう分からないほど複雑な感情を抱かせる彼女。
「イア、ン……?」
見上げるこの角度から、初めて気付く。彼女は私の幼馴染によく似ていた。詳しく言えば幼い頃の彼と。
同じ金髪碧眼だからそう見えるのだろうか。当たり前だが彼女は女だ。合宿では一緒に温泉だって入ったのだから間違いない。今いくら彼を求めていたとはいえ、女の子に男の子の面影を重ねるのは失礼だ。
彼女はその大きな瞳を吊り上げ、今まで見たこともない怒りに満ちた顔でシシアンを睨み付けている。
「俺の結界を破るとは流石だな……まあもっとも、無傷では済まなかったようだが」
余裕の表情を浮かべるシシアンに、私は慌てて彼女へと向き直る。よく見れば彼女は傷だらけだった。上等な布地の制服は擦りきれ、体のあちこちに擦過傷ができ血が滲んでいる。
「ジュリア、その傷、」
言葉が続かない。彼女の滑らかな肌にできた傷が私の心を大きく抉る。傷付けてしまった。私が、彼女を。
ずっと、恐れていたことが現実になってしまった。卑小な私は、ずっと彼女を憎むことを恐れ、傷付けることを恐れた。自分が彼女に手をかけることは、彼女へではなく、キレイなままでいたい私への裏切りだった。私は越えたくない境界を越えてしまった。
「そんな、いや、私は……」
彼女は入学してからこの一年、私の傍に居続けた。共にサカリカリアに情熱を注ぎ、チームを勝利へと導くために一生懸命に話し合い、様々な練習方法を試した。寮の部屋も隣同士で、夜遅くまで他愛もないお喋りで盛り上がり、お互い手作りのお菓子を贈り合い、一緒に作ることだってあった。
学園は貴族が多く、身分差別が当たり前のように横行する。庶民の、しかも魔力量も大したことのない私から、彼女は孤独を遠ざけ続けた。
彼女の傍にいることは残酷な程に幸せで、彼女といるときは幼馴染がいなくなった喪失感も都会に一人出てきた望郷の想いも全て忘れられた。
そんな彼女が、私のせいで傷付いてしまった。
私がくしゃりと顔を歪めたその時、
「はっ!コレぐらい傷の内に入ると思ってんのかよ。テメェはこれからの自分の身の心配でもしていやがれ」
美少女の口から到底想像もつかないような言葉遣い。私の涙は引っ込んだ。ついでに言えば息も数秒止まった。私に向けられた言葉ではない。シシアンへのものだ。
「相変わらず口が悪いなあ。どんなに高貴な血を引こうと、下賎が混じれば駄目になるものだと君を見るとつくづく思うよ」
「言ってろよ。テメェの性格と良い勝負ってとこだろうが」
睨み合う二人の間に口を挟む勇気はなかった。彼女はシシアンから目を逸らさずに私を抱き締める腕に力を込めた。いつも通りの花のような甘い香りと、鉄臭い血の匂いに頭がクラクラする。
「第一、俺の行動は君が期待した通りだったろ?君が予見した中で彼女の生存率が最も高いのは俺と恋仲になるルートだ。しかも更に生存率を上げる方法を俺は見つけた。彼女の生存に貢献することに感謝して欲しいぐらいだよ」
クスクスと笑いながら話すシシアンに、私を抱き締める彼女はその形の良い額に青筋を立てた。
「っざっけんな!何が生存率を上げる方法だ!四肢欠損だの顔を変えるだの、テメェの頭ん中はどうなっていやがる!」
彼女がどこからか取り出した数枚の便箋を床に叩き付けた。
私はもう会話についていけなかった。シシアンの言う彼女とは、私のことだろうか。ということは、私が四肢欠損だの顔を変えるだのということ……?
「だってそうだろう?予見した彼女の死亡では、いつも彼女は五体満足で同じ顔をしている。彼女を生存させるために君がルートチェンジをして予見したときだって、毎回毎回そうだったはずだ。今の彼女とそう変わらない容姿で、時に我が校の制服を着ていることから、この高等部三年間のうちに彼女の死亡が発生すると考えられる。時間はない。今のところチェンジ可能なルートで一番安全なのは俺のルート。しかも君は一度は俺が彼女を手にいれることを覚悟して、呼び出しに応じる彼女を送り出したはずだ。俺の生存率向上の方法を君は気に入らないかもしれないが、顔や手足の一本や二本、命には代えられないだろう」
一旦言葉を切り、そして続ける。シシアンの貴石を連想させるような瞳は至って真剣だった。
「君が守るつもりなのは何だ?彼女の全てを守ることが出来ないなら、命だけでも守るべきじゃないのか?俺は間違ってる?」
「……」
静かだが異論を許さないその口調に、重苦しい沈黙が落ちる。やがて、彼女は口を開いた。
「確かに、俺は一度はライナをテメェとのルートに進ませることを決めた。胸糞悪かったがライナが生きることが第一だからだ。俺の計画ではテメェがライナのそばにいられるのは高等部卒業までだった。卒業と同時に取り返すことなど俺には造作もないことなんだよ。卒業までに他のもっとましなルートが選べればすぐにチェンジしてやるつもりだったしな。……だが、生存率を上げるためにテメェがしようとしていることを知って、それをしなけりゃライナの死亡可能性が高まると分かっていながら、怒りに任せて考えなしにここに乗り込んできたのもまた事実だ。確かに、俺は最優先に守るべきものを見失っていた」
だがな、と彼女は続ける。男らしい口調と、女の声音とのズレが激しい。
「テメェの言い分聞いてるうちに気づいたんだよ……――別に、容姿を変えるなら四肢欠損だの顔面変更じゃなくてもかまわないんだよ。尻尾でも翼でも生やしちまえばんだ。寧ろなんで生やすより先にそんなグロテスクな方法を思いつくんだよ!!」
緑の瞳を見開き、叩きつけるように彼女が叫ぶと、シシアンは噴き出した。
「あははは!気付いちゃったか。君が彼女の髪を染めたり瞳の色を変えようと考えた時は駄目だったって聞いてさ、じゃあ身体的変化はどうかなって思ってその条件前提にして予見したらここ数年の生存率が平均以上になったんだよね。俺はやっぱり天才だって改めて自覚したよ」
「……テメェのことだ。予見したのはテメェのルートだけじゃないだろ。言え」
彼女は唸るようにそう言うと、手のひらを向けてシシアンに構えた。魔術をいつでも発動できる態勢だった。
「総てのルートでほぼ同じ生存率だったよ。君が傍にいようといまいと、周りがどんな環境であろうと、ある程度の身体的変化を与えれば彼女は普通の人と変わらない確率で生きる」
「じゃあ、テメェのルートにする理由は、もう俺にはないってことだ」
「そうだね。だけど、俺はここで舞台を降りるつもりはないよ」
「……どういうことだ」
「案外、彼女が気に入ったからさ」
言うが早いが、シシアンは私たちに手のひらを向ける。手のひらと平行するように宙に浮かんだ魔術式は攻撃系統の術を意味する五芒星。私には到底できない速さで組み立てられた魔術の赤い矢が一直線に飛んでくる。
「っ!このっ――!」
彼女が恐ろしい速さで防御系の魔術を組み立て、ぎりぎりのところで矢を受け止める。バチバチと電光を起こす二つの魔術。拮抗していると思った刹那、彼女の作りだした半透明の盾に亀裂が入った。
「くっそ!」
頭上で舌打ちが聞こえ、私は彼女に勢いよく突き飛ばされた。教室の床に転がったのち痛みをこらえて顔を上げれば、その瞬間に彼女の目の前に展開されていた盾が砕け散る。赤い矢に正面から攻撃され、彼女の華奢な体が吹き飛ばされる。
「ジュリア――!」
軋んだ声が私の喉から迸る。床に叩きつけられた彼女の体が物のように跳ね返る。
ずたずたに裂けたブレザーとスカート、その下から見えるシャツと素肌は赤く染まっている。
「ジュリア!」
彼女の方へ駆けだそうとした瞬間、後ろから抱きつくような拘束を受ける。
「おっと、君はこっちね」
余裕に満ちたその声に、私は怒りに全身が熱くなった。
「よくも、よくもジュリアを……!」
感情に身を任せるままに睨みつければ、彼は眼に痛いほど鮮やかな青の瞳を三日月の形に細めた。
「やっぱり君はいい目をしてる。あいつに渡すのは勿体無いな」
恍惚に満ちた熱い囁きに、全身の血が逆流するような感覚がして、くらりと目眩が襲う。何か、術をかけられた?
「そいつから手ぇ離せ!」
体から力が抜けてシシアンにされるがままになっている私のもとへ、ジュリアが飛び込んでくる。割れた額から流れ出た血が筋の通った鼻梁を伝っている。破れたシャツの隙間から豊かな胸もとがこぼれそうで、場違いだとわかりながらも隠してと叫びたくなった。この男に見せたくなかった。
「うるさいなあ」
そういったシシアンが手を軽く払うような動きを見せる。羽虫を追い払う仕草。それはいくつもの攻撃系の魔術を放っていた。
ジュリアは手のひらで盾を構築して撃ち落としていくが、半数ほど減らしたところで盾が砕ける。ヒュンヒュンと耳障りな音を立ててシシアンの魔術がジュリアに突撃し、またもその体を吹き飛ばした。
「ジュリア・ルカ・パリナラシオンの魔力量は、俺には及ばない。その上、無理して俺の結界破ってきたんだから相当消費してるだろう?君は俺には勝てないよ。……そして、君は彼女を失いたくないがために、ジュリアであり続けてきたんだろう?なら、ここは身を引くべきだ。出直してから、俺から取り返したければ取り返せばいい」
淡々と、どこか同情するように述べるシシアンを、ジュリアが床に倒れたまま睨みつける。
「……テメェ、何企んで」
「まあ、」
ジュリアの唸りを遮ってシシアンは続けた。先程の憐憫を含んだ口調など夢だったかのように、
「彼女のイロイロナコトのハジメテは、全部俺が奪っておくけどね!」
嘲りに満ちた言葉とともに私の体の向きが変えられる。酷い脱力感でされるがままの私は、歯を食いしばりながら薄笑いを浮かべる男を睨みつけ――にやりと、笑ってやった。
『ぷしゅう』
「う、あぁぁあっ―――!!」
きつく目蓋を閉じた私には気の抜けた薬剤の噴出音と男の絶叫が聞こえただけだったけれど、成功したと分かってほっとした。私を抱えていた腕がほどけて床に投げ出されて、ようやく目を開けて這いつくばりながら見上げる。彼は片目を抑え、もう一方も真っ赤に充血して生理的な涙を流しながらその端正な顔を歪めている。
私が残った力を振り絞って彼の眼に浴びせたのはサカリカリアで怪我をした選手に使う消毒スプレーだ。呼び出しの時は護身と、万一怪我した時に備えて小さいボトルをポケットに忍ばせているのだ。
「……まさかっ、庶民の女はここまでじゃじゃ馬だとは思ってもなかったよ!」
唸るようなシシアンの言葉など、私には聞いている暇などなかった。痺れる腕を必死に前へ、彼女の方へと伸ばす。ずるずると這いながら進む姿は、ひどく滑稽なことだろう。目指す先が、私を苦しめていた彼女なのだから、笑える。さらに言えば、私を苦しめるはずの彼女がいなければ、私は独りぼっちで一年半も学園にいることは耐えられなかっただろうから、もうどうしようもない。何をやっているのか、どうしてここまでジュリアのもとへ行こうとしているのか、もう何もわからない。だけど、這いつくばってでも、彼女のもとへ行かずにはいられなかった。
ぼろぼろの身体で何とか上半身を起こした彼女と、目があった。
そんな、泣きそうな顔しないで――。
まるで子供のように、いかにも泣き出す数秒前のくしゃくしゃな顔は、ひどく彼女を幼く見せた。
そしてそれは、彼が最後に見せた表情と、とてもよく似ていた―――
「ごめん、ライナ。キライに、ならないで――」
震えた声をこぼす彼女に、私は何も言えないまま、
おもむろに彼女が右手に握った何かを左の二の腕に突き立て、勢いよく皮膚を引き裂いた。私の世界から音が遠のく。彼女の左腕から噴き出る血しぶきと、痛みに仰け反った彼女の喉元がやけにはっきりと見えた。
そして一瞬のち、彼女を中心に、爆風のような魔力を含んだ風が吹き荒れて、私は思わず目をつぶった。
*********
『これ、なあに?』
『ん?ああ、この刺青のこと?これはねえ、私の力の一部を封印してるの』
『どうして、そんなこと……』
『うーん……確かに封印してるのはいやなんだけど、背に腹は代えられないっていうか、それよりももっと怖いことがあるから』
『……どういうこと?』
『あー、今はまだ説明できないかな……ごめんね。ここを卒業できたら、教えてあげる』
『そ、そっか……』
『この刺青あるの、秘密にしてくれる?私、これ見せたのライナちゃんが初めてなんだ。いつも魔術で隠してるから』
『え、もちろん黙っておくけど、どうして私には見せたの?今みたいなお風呂の時でも、隠しておけば……』
『なんでだろうね。私にもよく、わからないや。ライナちゃんには見てほしかったのかな。……ちゃんとした説明もできないくせに、ね』
彼女の左の二の腕にぐるりと刻まれた入れ墨の腕輪を、彼女は魔術で血を使うときに用いる指ぐらいの大きさのナイフで断ち切った。封印を解いたのだ。彼女の本来の力が解放されたということだ。
では、どうして――
「イア、ン……?」
どうして貴方がここにいるの?
to be continued...