ロマンスの設定2
つむじに視線を感じる。感じるが、カインは顔を上げることが出来なかった。どこからどう見ても頭を抱えるポーズで固まったカインは、低く呻いた。
呻かずにいられない、頭を抱えずには居られない。
「大丈夫?」
「……大丈夫に見えるのか」
呻き声での返事に返ってきたのはさっぱりきっぱりとした声だった。
「見えないけど」
どうして? とでも問いたそうな声に、カインは痛むこめかみに指を当てて、気分としては地の果てまで落ち込んでいきそうな頭を無理やり引き起こす。
「出逢って直ぐに恋に落ち、城下で逢瀬を重ね、別れ際に身分を明かして鳥を渡す。文で言葉を交わし私は理由を作ってはお忍びでリースファールを訪れまた逢瀬を重ねる。国境が不穏となりそれを聞きつけた姫は不安を募らせ思い余って国を出奔、単身私の元へ。私は王族が来たと言う知らせに、予て姫より届いていた手紙のないように思い至りながらも内密の関係であるが故に周囲に気取られぬよう平静を保ちつつ、国境へと赴いた。そして姫と再開したと」
一気に言い切ったカインに、レイミアははいと頷く。
「それならそうと言えば時もかからないだろう」
「言った筈だけど?」
「言ったが余計なものが多すぎただろう!」
レイミアの視点から語られる『作られた物語』は、破壊力があり過ぎた。細かい情景、感情の動きと接触の濃度までを、少女らしい視点の『物語』形式で語られるのだからたまったものではない。百歩譲って完全なる絵空事ならまだしも、主演俳優の一人はカインの設定である。それを笑い飛ばせる余裕はカインにはなかった。
「私が! 姫に! 囁いた愛の言葉だの、触れ方だのその温度だのあなたの感想だのまで仔細を語る必要がどこにある!」
「ないわけないでしょう? 馴れ初めだとか過程だとかは絶対に詳しく聞かれる部分よ。私とあなたで話が食い違ったら困るじゃない」
「だがそれを芝居仕立てで情感たっぷりに語る必要はなかろう!」
カインは再び頭を抱えて呻いた。
あなたが国へ戻ると告げた時に、はっきりと私は理解した。寂しさの理由が、体を突き抜けた。愛している、愛してしまった。どこの誰とも知らないあなたを、私はこの国の姫なのに。
あなたは目に涙を溜めた私を、そっと引き寄せた。驚いて声も出なかった。兄さまでもない父さまでもない男性に抱きしめられたのは初めてで、その感触は何も違わないはずなのに何もかもが違った。
「私も同じ気持ちなのです、だから泣かないで」
優しい声が、私の耳元でした。耳にかかっていた髪はあなたの手でよけられ、耳と耳の後ろにあなたの指が触れた。そして耳に少しだけ乾いた感触が触れた。多分、あなたの唇が。
などと総ての過程を語られたのだ。カインは途中で逃げ出さなかった己を力の限り誉めたい気分だった。
しかしレイミアには悪びれた様子は見られない。問題を理解していないのか、理解した上でからかってきているのかはカインには判断が付かなかった。どちらにしろカインが蒙った被害に変化はない。
そのどちらか分からない姫君は未だ衝撃から立ち直れないカインに、それでと問いかけてきた。
落ちたまま、視線だけを巡らせてレイミアを伺うと、レイミアはだからとじれったそうに身じろいだ。
「今の話に矛盾点はなかった?」
「矛盾点?」
「だから、例えばあなたは一度も国から出たことがなかったら今の話は矛盾してくるでしょう? そういうところよ」
苛立ちも露に体をゆするレイミアに、カインはああと返事を返した。
「外遊には出たことがあるし、リースファールにも行ったことはある。公式に訪問したことはないが」
「なら大丈夫ね。手紙や鳥はいくらでも偽造が可能だし」
「だが私も一人で外遊に出ていたわけではないぞ」
当たり前だがカインも王族の端くれである以上、一人でふらふらと他国へ入れる道理がない。レイミアは少し考える様子を見せたが、直ぐにねえと上目遣いに尋ねて来る。可愛らしい仕草だが呆れるほど色気がない。上目遣いになっているのは未だに顔を上げきれないカインを更に覗き込んでいるからだ。ソファーからはとっくに下りて、床の上からカインを見上げている。
「一人になる機会の一つもなかったの?」
「治安の悪いところでならな」
カインは漸く苦笑を落とし、顔を上げた。顎にレイミアの視線を感じたが、特に何か反応を返すことはなかった。その視線が、恨みがましさを載せたものだったためである。
「それはわが国への侮辱?」
「だからリースファールではそれなりに自由も許されていたという意味でいったんだがな、私は」
「少し分かってきたけどあなた堅物の割りに言葉が少しひねくれてるのよ」
むっと頬を膨らませたレイミアはずりずりと膝で後ずさり、せり上がるようにしてソファーへと戻った。
「言葉云々は姫に言われたくはないが」
「何?」
「いや、聞き流せ。私は言葉が少しひねくれているのでな」
言いつつ、カインはレイミアの言葉を反芻した。多大な精神的負荷を感じたが、それは言っても始まらない。必要な事である。
確かに、カインが一度でも外遊に出ていれば、その行き先にリースファールが含まれているのならこの作り話は成り立つ。出逢って後の逢瀬に関しては省いても構わない部分である。カインが一度も国から出たことがない皇子であれば、民は兎も角身内には作り話があっさりと露見する。
そこまで思考を進めて、カインははたとレイミアを見返した。
「私も同じことを聞かねばならないな」
「え?」
「今の話には、どこまで真実が含まれているかということだ」
身内までもを騙してしまえるのか。そうでないならリースファール中枢に今回の件の協力者を必要とする。
心得たと頷いたレイミアは、そうねと前置いた。
「私が良く城下へ下りるのは本当。お忍びもあるけど仕事もあるわ」
「意外だが、リボンやレースに拘って周囲に迷惑をかけているわけか?」
まさかとレイミアは軽く笑う。
「ただ、そうは思われてるわ。それから姉さまたちも妹たちも私ほど頻繁に城下に下りることはないから、リースファールの城下では私が『姫』なのよ」
「つまりここまでの陳腐さの中での真実は、姫にお忍び癖があるという部分だけか」
「もう一つ足りないわ。私が城下に馴染んでいると言うところよ」
とすると城下へ忍ぶ目的にレースもリボンも陽気も入らないらしい。
「お忍び好きのちょっと困ったお姫様というのが、城下における私の評判よ。これはエドから侍女に頼んで貰って調べたから間違いはないわ」
「回りくどいな」
「エドに市井の噂話を拾えるはずがないでしょう。逆に噂話になるわ」
あの騎士の容姿ならさもありなん。
「頻度は抑えて、城下で呆れられたり厭われたりはしないように気を配ってはいたの。それから仕事ね」
先ほども出て来た言葉である。カインは聞き返した。
「公務か?」
その声には意外の響きがあった。その感情を隠す気もカインにはなかった。レイミアは第5妃の1の姫、姫としての位は第17番目と自ら名乗った。その身分の姫に『公務』というのもおかしな話だ。何某かを任される立場にはない筈である。レイミアはうんと頷いて答えた。
「正妃さまのね」
と。続きを促すと、やはり返答は淀みなく軽い。
「兄さま達に口添えて貰って、正妃さまのお仕事に小さい頃から同行させて貰っていたのよ。孤児院や託児所、施療院の訪問や経営が主よ。福祉や医療に関しては正妃さまの公務だから」
表向きはという声は音ではなく聞こえたが、レイミアの声に冷ややかな雰囲気は欠片もまぎれては居なかった。表向きというのは、慰問や訪問をさすのだろう。要望を聞き、判断を下し必要なものを手配するよう指図する。実際に帳面を付け経営を行うのは他の誰かということだ。
「一番下の妹をお生みになってから体調を少し崩されたの。だから私がいくつかを引き継いだのよ」
「ふ……ん」
カインは顎に手をあて、改めてレイミアを見た。その視線に何を感じたか、レイミアは慌ててパタパタと手を振った。
「仕事に関してはここへ来る前に妹に引き継いで来たわ」
そういう意味でもないのだがと思いつつ、カインは頷く。周到なことだと、もう一つ脳裏にレイミアの情報をピンで留めた。
「って話が少し逸れたわね。どこまでが本当かというならどこまでも嘘だけど、嘘を信じさせる準備はしてきたの」
「……先ほど暫くといっていたな。あの陳腐な作り話をなぞれるようにと」
――そうね、大体のところは考えてあるわ。それをなぞれるように暫くは行動していたし――
つい先ほどレイミアが口にした、聞き捨てならない言葉だ。レイミアはええと頷いた。
「ここ暫くは、仕事の最中もため息を多く吐いて見たり、遠くを眺めて見たりしていたの。『姫さんどうした』なんて少し親しくなった人には聞かれるくらいにね」
「恋煩いの演技と言うわけか」
陳腐なとカインは吐き捨てる。後戻りできない申し出に必要な部分とは言え、己が阿呆な王族に成り下がったような作り話は受け付けない。阿呆も阿呆、行動のみならず感情的にもありえないほどの阿呆な王族だ。
そして王族としてという部分を引き算しても、あの陳腐な恋物語の恋人役が己だというのは受け入れられるものではない。女目当てに幾度も国境を越え、合う都度女をでろでろに甘やかしそれを楽しむ男になど誰がなりたいか。誰が成り下がれるか。
「陳腐陳腐と言うけど、恋物語としては普通だと思うのだけど」
ただ私達は当たり前の王族を知っているだけの話で、それを知らない民にはそう陳腐でもないのよ。
そういってレイミアは笑った。
その笑顔は可愛らしかったが、可愛らしいからといってそれがカインに響くことはなかった。
王族を引き算した上でのほうがカインに与えた衝撃は大きく、残るダメージも大きかったのだが、それを説明したところで無駄だということはカインにも分かった。
それはカインが男性であり、それでも――こんなでもという意味で――この物語を普通と言ってしまえるレイミアは少女なのだと、言うことだった。
女の子が好きな物語は男性は結構な確率で受け付けないと思います。
女子はギャルゲーは出来ても、男が乙女ゲーは普通出来ない。