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【番外】寵姫の出来るまで5

 フィリシアは激しきっていた。

 なんなのこいつなんなのこいつなんなのこいつ。

 諄いようだが脳裏に浮かんでいる言葉はもう少し上品なものである。ウィルフレッドが評したように、腐っても伯爵家の令嬢なのだ。

 フィリシアはウィルフレッドが心底嫌いだった。観察された恨みは無論あるがそれ以前に『誰が』フィリシアを、否、父の名と領地をその死を悼むどころか喜ぶような一族に渡す判断をしたのか、それを知っていたからだ。そんなことは臣下の側が勝手に取り計らえることではない。ならば誰の判断か。判断自体は他者である可能性もあるが、その責任は貴族を――国を統べる国王にある。国王という存在がフィリシアをあの一族に投げ与え、父の名を継がせようと――それはフィリシアにとっては父の名を汚されることに相違ない――したのだ。極個人的な理由である。慣習や常識を考えれば逆恨みに近いものもあるかもしれない。だがそれを理解した上でフィリシアはウィルフレッドが――正確には国王が嫌いだ。今となっては観察の恨みや今の命令も加味してウィルフレッドそのものも大嫌いになった。

 怒りを真正面から浴びせかけられる事となったウィルフレッドはなにを言われたのか理解できない風情だった。言われた内容以前に、貴族の娘たるフィリシアから反論が来ると、増してや怒りを叩きつけられるなど思っても見なかったのだろう。その鈍感さが更にフィリシアの中の『嫌い』を増大させた。

「父の死を悼んではいけませんか、母の死を悼んではいけませんか? 父と母を、愛していてはいけなかったのですか!?」

「誰もそんなことは……」

「そう言っておいでです! 愛した父の名を、父の死を痛みもしない誰かが名乗る……父を愛していれば到底受け入れられるものではありません」

 フィリシアの唇は戦慄いた。誰が泣くものかと、震える唇をぎゅっと噛みしめる。つんと痛みを訴えてくる鼻の奥を、それでやり過ごした。

「ええ、侯爵様もご子息もとてもお喜びでした。爵位を引き継ぐことを、私を妻として迎えて新たなフィルモア伯爵をご子息が名乗ることを、自らが名乗れることを。マーソン伯爵様も弟君も、そのご子息もさぞやお喜びになるのでしょうね」


 私の愛する父の死を、伯爵夫人たる母の死を!


 どうしても許すことが出来ない。

 それを幾度と無く思い知らされる。フィリシアはこの怒りを向けることそのものが父母の名誉を汚すと――国王に刃向かうような娘を育てたのだと――理解していた。それでも怒りは迸った。

 迸るほどに、堪えきれないほどに。

 彼女は彼女の両親を、人として当たり前に、愛していた。




 そなたとあの娘と、何が違うのですか?

 ウィルフレッドの脳裏に母の声が蘇った。

 母が必死で守った己という存在。それと同じ存在が脅かされる事を厭うた。後宮闘争のえげつなさおぞましさを知っているからこそ、その可能性を廃し、ウィルフレッドは後宮の慣例を――世界を壊した。

 この娘と何が違う。決定的に違うことはウィルフレッドが雌伏し、そしていくらかの譲歩をしたという事だ。雌伏し待った時間が決定的に違う、そして最終的な部分で譲歩したという部分が違う。

 この娘が『譲歩』するかはまだ分からない。だからはっきりとした違いは時間だけだ。

 それだけか。と言葉を失う。

 何が違うと母は問うた。それに対する答えがそれで、母はおそらく笑うだろう。

 何も違わないではありませんかと。

 だが――

 ウィルフレッドは沸きだしかけていた理解を封じ込める。

 同じだ。だからなんだ。

 同じであろうと違う。違って貰わねば困る。何故と言って、

「……そなたの怒りは判った」

「っ!」

 息を飲むフィリシアに本当に聡いなと、ウィルフレッドは目を細めた。それは人としては見事な事なのだろうが、求められる『貴族の娘』には不要の資質だ。

「それでどうする? そなた、よもや拒めると思っているのではないだろうな?」

 先刻口にした内容をウィルフレッドはくりかえした。

 世界を壊すには力が必要だ。身の丈に合わない世界は壊せない。

 二人は同じでありながら違う。決定的に違う。ウィルフレッドは王であり、フィリシアは貴族階級に生まれた娘で、一介の侍女に過ぎない。頂点に君臨するウィルフレッドの壊せる世界は大きく、フィリシアの壊せた世界は小さい。結婚式一つぶち壊すのが限界だ。

 フィリシアが今与えられようとする世界を壊すための道は二つ、自分が壊れるか世界から逃げ出すか。それは死か逃亡を意味する。それだけしかなく、それを許すほどにウィルフレッドは甘くはない。

 フィリシアはギッと、殺意さえ込めた視線でウィルフレッドを射抜く。心底嫌われていることを理解したウィルフレッドはそれに驚くことはなかったが、そのあからさまな『不敬』にはやはり目を見張る思いだった。不愉快と言うよりも物珍しさが勝つ。無知故の無謀ではなく、身分差も相手が何者であるかも理解していながらそれでも悪感情を抑えきれないと言うのは珍しい。必死で隠して媚び笑いの一つも返す方が得だという計算など手易かろうに。

「そなたは頭がいいのか悪いのか判らぬな」

 国王に対して叛意ともとれる目つきを隠せないと言うのはどうなのだと問うてやるとフィリシアは今度は馬鹿にしきったような目をウィルフレッドに向けた。

「ならば追放でもお命じになったら如何です?」

「……なるほど、思った以上に小賢しいな」

 実際、ウィルフレッドはフィリシアをただ手放す訳には行かなかった。フィルモア伯爵領が王太后に献上された事で、貴族の中に少しばかり有り難くない疑惑が生まれてしまっている。フィルモア伯爵領が惜しくなったのではないか。娘を唆し、王太后に献上させるという形を取っての事実上の接収ではないのか。

 神の御前で、その日の花嫁が花婿への愛ではなく、王太后への忠誠を誓った。その余りに衝撃的な出来事に目が眩み、娘への賞賛と花嫁に逃げられた侯爵家への嘲笑に忙しかった貴族も、落ち着いてくれば気付く。

 その衝撃的な事件で『得』をしたのは一体誰なのかと。

 フィルモア伯爵領は王太后に献上された――つまり王家のものとなった。この事件で最も得をしたのは王家と言うことになる。そうなると娘と王家の共謀が疑われる。共謀というより、王家が娘を唆してフィルモア伯爵領を手中に収めたのではないかと。そして以後、はきと後衛の定まらぬままに当主が死亡したり、某かの罪によって領地没収となる家が出た場合、その所領は王家が接収していくのではないか。

 そんな疑惑が貴族の中で鎌首を擡げてしまった。後宮の慣習を拒んだこともあり、ウィルフレッドは横紙破りな事でも実行しかねないと言う認識もある。

 事実は事件そのままでウィルフレッドにはとんだ濡れ衣なのだが、噂をする側にとっては事実はどうでもいいのである。自分や自分の一族に不利益があるかもしれない、その懸念があるということが問題なのだ。

 手っ取り早く噂を払拭するには、相応しい相手にフィルモア伯爵領を下賜するのが一番だ。だが、ただ与えるわけにも行かない。功績がなければ妬みを生む。だが戦も途絶えて長く、政治的にも安定している現在、良質の領地を下賜するに相応しい功績を上げているものなどいない。『ただ』下賜は出来ない。だが、それが噂の出る前の事態と同じく、伯爵令嬢の婿取りならば話は別だ。妬みは生むだろうが、そこに『道理』がある以上、表立って非難は出来ない。

 と言う訳でウィルフレッドは安易にフィリシアを排除できない。今度こそ大人しく嫁いで貰わねば困るのだ。

 小賢しいこの小娘はそれに気付いた。侍女として働いているなら世間の噂を耳にする機会も少なからずあったのだろう。

 まあそれならそれで――

 ウィルフレッドはゆっくりと脚を上げ、見せつけるように脚を組むと背もたれに身を預ける。わざと嘲るような姿勢を取ったウィルフレッドはそれで? とフィリシアを見やる。

「八つ当たりをして気は済んだか?」

「八つ当たりなどしておりませんが」

「駄々を捏ねたと言い換えてやってもいいが。何度も言うようだが、そなたに拒否は出来ぬ。私が許さないからな、私が」

 悔しそうに、フィリシアは唇を引き結ぶ。絶対的な立場の差を強調されてしまえば、フィリシアに出来る抵抗などありはしない。

 と、思っていたのだが。

 フィリシアは視線を彷徨わせ、そしてややあってから深く深く嘆息した。

「王太后様はご存知のことですか?」

「母上がどうしたと?」

「都合よく混同しておいでのようですが、フィルモア伯爵領は既にフィルモア伯爵領ではなく、王太后様の持ち物です」

「王家に献上されたということだろう」

「私は王太后様に忠誠の証として献上しました。私の忠誠は神の前で王太后様に誓っております。他のどなたの命であろうとも、そこに王太后様の許可がないのなら私は従えません」

「分からぬ娘だな。母上が王家の決定に逆らうと思うのか」

「陛下」

 娘は、フィリシアはかわいそうなものを見るような目でウィルフレッドを見た。その目に交じる後ろめたさにウィルフレッドが気付たのは冷静さが戻って後の話である。

「私が何故王太后様の事を言いだしたのか、お分かりになりませんか?」

「何が言いたい」

「この件に関しましては王太后様より、『陛下がおかしなことでも言いだしたら私の名をお出しなさい。そなたは私の侍女です。私に話を通すのが先です』とのお言葉を賜っております」

 その時だった。どやどやとわざと作ったような足音が廊下から響いてくる。その足音たちは口々にフィリシアの名を呼んでいる。

 音は無作法にも扉の前で止まり、ノックの音とほぼ同時に扉は開け放たれた。

「フィリシア、ここにいたのね」

「仕事が残っているのに悪い子ですね、戻りますよ」

「王太后様もお待ちです。あなたでなければならない仕事も少なくはないのですよ」

 どやっと部屋に踏み込んできた年かさの侍女たちは、ウィルフレッドの姿など見えないとでも言うように、やはりどやどやとフィリシアを囲む。

「ちょ……お前たち!?」

 椅子から立ち上がりかけたウィルフレッドの抗議の声など、勿論彼女たちは無視する。王太后が正妃であった頃から使えている侍女たちである。国王と言えども恥多き幼い若い日々を知られている相手にはそうそう強くは出られない。そして彼女たちはそれを正確に知っており、後宮闘争を当時正妃であった王太后を支えて共に切り抜けてきた彼女たちの度胸の座り方は相当なものである。他国の国王ならまだしも、ウィルフレッドなどものともしない。待てという制止も完全に黙殺される。

 どやどやと連れ去られるフィリシアは一度だけウィルフレッドを振り返った。

「陛下」

「なんだ」

「分かったことがあります。貴族の娘であれば、私は嫁ぐしかなかったと」

「だったら大人しく嫁げばいいだろう!」

 パンと、感情に任せて叩きつけた掌が卓を鳴らす。フィリシアはゆっくりと首を振ってみせた。

「そうでしょうね。私はそれを無視して暴走して、王太后様に助けていただきました」

 だから、と、フィリシアは言葉を継いだ。

「私は違うものになります」

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